第15話 解けない。


「あら、いらっしゃいませ!」


「…邪魔する。」


 あれから一週間おきに彼は来てくれる。

 頼むものはいつも同じ。

 今日のサラダに悪女ソース。

 

「うまかった。」


「ありがとうございました。ふふ、お気に召していただけて何よりです。」

 

 いつも通り表情が無い彼に、私はおつりを渡しながらにこっと微笑む。


 私のわがままで通うことになっているから、お代金はいただけないと言っても、邪魔しているのはこちらだからと適正価格を払ってくれる。


 とても優しいひとなのだと思う。


 移動に便利だからと裏庭の大木へ刻印を刻み、いつでもこちらに来られるようにしてくれた。それはきっと私を監視するためでも、身を守るためでもあることを私は知っている。


「…また来る。」


「お待ちしております。」


 そして、また一週間くらいしてからあのひとは来る。


「いらっしゃいませ!」


「ひっ!」

「はぁぁ…っ!」


「………………。」


「あら…」


 丁度良く後から入ってきたお客さんがぐるっと向きを変え、走り去っていってしまった。


 何だか懐かしい景色ね。私もああして避けられていたものだわ。

 

 茫然と見送った私を横目に見て、彼は少し眉を寄せる。


 まあ。少し不服なお顔をしていますわね。


「…すみません。驚いたにしても、今のはちょっと失礼でしたわ。」


 私だってここの住人。一応代表として謝罪くらいさせてくださいな。


 そう思って頭を下げると、彼は少しだけ目を見開いて首を振った。


「謝ることはないだろう。…むしろ、私がここに来ることは迷惑になっていないか?」


 私は目を丸くする。

 表情が少しだけ、ほんの少しだけ曇って見えた。

 私は思わず吹き出してしまった。


 そんなことを考えて。しかもそんな顔までするなんて。


 最初の頃はこの方を見てお客様が驚いて出て行ってしまったりもしたけど、最近は次第に慣れて隣の席まで埋まっている。

 まだ相席は難しそうだけれど、ひっそりとあの方が食しているものと同じものを、と頼むひともいて私もひっそり教えている。


「そんなことありませんわ。」


 私は胸を張って言う。


「あなたは有名な方みたいですし、おかけでお店は前よりも繁盛しています。これからも、通ってくださいね?」


 彼はまた見えにくい表情のまま頷いた。

 

「そういえば、お名前をお聞きしていませんでしたわ。何とお呼びすればよろしいかしら?」


 これでも会うのは数回目だが、今更感もあってなかなか聞けずにいた。

 メリィさんたちもお名前まではと言っていたから、とても高貴な身分の方だと分かる。

 それでも、これから顔を合わせることもあるのだから名前くらい聞いてみても良いだろうと私は思っていた。


「……―――それは、明かせないのだ。」


 カッと私の頬に熱が集中するのを感じる。


 何を思いあがっていたのか。私は今やただの移民。

 彼が来てくれているのは監視の意味が大きいのに。


 心の中でそう自分を叱咤し、慌てて笑みを浮かべる。


「――っそうですわよね。失礼しました。では、お席へどうぞ…!」


 鼓動が脈打っているのが分かる。

 それは激しい羞恥と緊張から感じるものだ。


 彼は静かに座り、同じ注文をして、食べ、帰っていった。


 それを毎度のように見送って、そっとため息を吐く。


「シェリーちゃんシェリーちゃん。」


「あら、デリーおばあさん。」


 アルマジロのデリーおばあさんは白い髪を耳に掛けながら、私のそばへと来て耳打ちする。


「あのお方とあまり親しくしてはいけないよ。」


「…どういうこと?」


「恐ろしい方だからだよ。」


 ああ怖い、と身震いするデリーさんに訳を聞こうと手を伸ばすと、それはトットちゃんに阻まれた。


「デリーおばあちゃん!何言ってるの!そんなことないってばー!ねぇ、シェリーちゃん!」


 トットちゃんが笑顔で言ってくれる。

 私も笑顔で頷いた。


「え、ええ。そうね。そんなことないですよ。優しい方だと思いますわ。」


「……そうかい…。」


 デリーおばあさんはトットちゃんと私の顔を見比べた後、難しい顔をして何度も頷いた。


「なら、あの噂はデマかねぇ…」


 去り際に呟いた言葉が引っかかる。


「…ねぇ、トットちゃん。皆あの方のことはあまり知らないのよね…?」


 トットちゃんはテーブルを拭きながら頷く。


「うん!もちろん、あの方はすごく偉いから名前も何も知らないの。」


 そしてにっこり笑うとそのまま食器を下げに奥へ行ってしまった。


 なんとなく違和感を感じる。


「…ねぇ、コボルトさん。ちょっと聞きたいのだけれど。今良いかしら?」


 注文が落ち着いたところで、コボルトさんにカウンター越しで尋ねる。


「…どうした。」


「あの黒髪のお客さんについて。」


 私が簡潔に告げると、コボルトさんの顔は明らかに引きつる。


「それは…俺の口から話せることじゃない。」


「あらあら、何をお話しているの?」


 メリィさんが洗い物を終えてにこにこと会話に加わる。

 私は同じ質問をもう一度した。


「…えぇ、と…」


 メリィさんが同じように顔を強張らせると、コボルトさんが眉を寄せて私の方を向く。


「シェリーちゃん。気になるのは分かるが、俺たちにも分からないことはある。分かるのは、あの方は俺たちと比べ物にならないくらいの魔力を持っていて、言うことには従わなくちゃならないってことだ。」


 淡々と言い聞かせるように紡がれた言葉に、私は頷く。


「…ごめんなさい。」


 けれど、どうしても気になって私は尋ねた。


「それって、できればあの方には近付きたくないって、ことですか…?」


 メリィさんもコボルトさんも気まずそうに目を合わせて、その視線を下げた。


「……ああ。そういうことになる。」


「で、でもね、あの方が通うほどの料理屋だって評判にはなってお客さんも増えたから、良いこともあるのよ!」


 メリィさんはフォローするように付け足してくれるが、コボルトさんの言ったことが本心であることには変わりないのだろう。


 ――あのお方とあまり親しくしてはいけないよ。


 デリーおばあさんの言葉がまた頭の中で再生された。


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