第13話 揺れ動く
やはり、怯えられているのだろう。
黒髪に黒い瞳は特に印象に残りやすいだろうからと恐怖心を緩和させるためにも幻影術を使い瞳の色だけでも変えてみたが、どうやら効き目は薄いらしい。
私は内心でがっくりと肩を下ろし、刺激を与えまいと言葉少なめに振る舞うよう徹底した。
話し過ぎても、笑顔を作っても逆効果だと言うのは体験済みだ。
「こちらへどうぞ。お足元にお気を付けください。」
そう促されて出た裏庭は、なんとも懐かしい雰囲気がした。
ハーブが植えられている鉢もきちんと手入れをされているようで、どれも豊かで薫り高い葉だ。
その中に一点、不可思議に掘り返され手を加えられたような跡が見受けられた。
そこを気にしながらも、気を遣わせまいと手頃な大木の根を借りて簡易的な椅子を造る。
そんな中私の注意はその跡に向けられる。
あれは何のための跡だ?
掘り返しただけでなく、周りに伸ばされた土の量から察するに相当深くまで掘ったのだろう。
養分でも蓄えているのだろうか。だがそれにしては一点に集中し過ぎているのではないか。
「あちらで話をしよう。」
穴は気になるが、それよりもまず話し合いだ。
私はバゼルを目だけで振り返ると、彼は楽しそうに口元を歪めていた。
何を考えているのかと思えば、その目線は彼女へと向けられている。
そして彼女へと目線を移せば、なんと恨みがましそうにバゼルのいる方を睨んでいるではないか。
なるほど。面白いとはそういうことか。
しかし歩みを進める程に彼女の顔色が悪くなっていく。
まさか、魔力に当てられたのか?ここで倒れられては困る。
何度か目線を送りつつ歩くと、彼女は私を真っ直ぐ見上げて口を開けた。
そして彼女の言葉を聞き終える前に足元が滑っていく。
後ろを気にし過ぎて穴の付近にいることを忘れていた。
「ぬッ」
とっさに跳躍しようと思ったが、やたら滅多に掘られた穴では他の部分も脆く崩れやすくなっていることだろう。
それに何より、バゼルや前王以外と目を合わせたのは初めてではないか――?
そんなことが頭を掠め、私はなす術もなく下まで落ちる。
面白い。そうバゼルが言っていたのを思い出し、ひとり暗闇で納得する。
薄茶色の瞳だけが脳内を占める。
ああ、きちんと見てくれるひとがいるのだ、と。
喜んでしまった。
「あ、あの…!ご無事ですか…!?」
上から声が聞こえる。
魔王である私の身すら案じてくれるとは、何と心遣いの優しいひとなのだろうか。
私は一も二もなく起き上がり、柔らかい土を払う。下は肥料を入れているのかと思っていたが、空で良かった。土も柔らかく盛られていて居心地が良いくらいだ。
いつ振りだろうか。こんなにも気持ちが穏やかなのは。
ひとから見てもらえるというのは、こんなにも嬉しいことだったか。
長年、多くの魔物から恐れられていた私にとって、目が合って逃げられないだけでもとてつもなく喜ばしいものだった。
「ああ、大丈夫だ。済まないな。うっかり足を滑らせてしまった。」
「い、いいえ…その、お怪我は…」
彼女は狼狽えながら私の体のあちこちを見ている。
そんなに見なくとも、何百メートル程度落ちたとしても怪我などしない。
「全くない。」
私が頷いて見せると、彼女は私の顔を見てほっと息を吐いた。
私の、この顔を、見て、だ。
前魔王ですら顔を青ざめさせたこの私の顔を見て、こんなにも安堵するような者はいただろうか。
否。
否、だ。
私は換気に打ち震えそうになるのをぐっと堪え、大木の根元まで歩きエスコートする。
「ここへ。」
私とバゼル、彼女の三角形に腰を落ち着ける。
内心私は落ち着いてなどいられなかった。
普段から無意識に怯えさせまいと他者と目を合わせないようにしていたが、それが自分の負担になっていたことに今更気付く。
彼女をいくら見ても多少居心地悪そうにするだけで、泣かれも倒れられもしない。
何と新鮮な気持ちだろうか。
「すみません、先程は…」
「いや。悪いのは足元の注意を怠った私だ。あなたは先に注意を促してくれていた。非は無い。」
彼女はぐっと声を詰まらせて再びバゼルの方を見た。
そこで私は当初の目的を思い出す。
「そうだ。こちらに非があり謝罪へ来たのだ。…バゼルが済まないことをしたな。」
頭は下げられないのが心苦しくもあるがそう伝えると、彼女はハッと顔を上げた。
「――…それで、わざわざいらしてくれたのですか…?」
ゆっくりと顔色が悪くなるのと共に俯き加減になる彼女を見て私は慌てた。
バゼルを見ても肩をすくめるだけで何の頼りにもならない。
「どうかしたか?」
「いえ、いいえっそれなのに私っあんな幼稚な真似をして…っ」
俯いた顔は見えないが、固く握りしめられた小さな拳にポツポツと雫が落ちる。
ま、まさか…泣いているのか?
「幼稚な真似?」
まさか私まで慌てふためく訳にはいかないと平静を装って同じ言葉を繰り返すと、彼女は涙に濡れた頬を手の甲で拭って頷いた。
「このお店は、私がこの地へ来てから、それこそ命を捨てる覚悟でここでお世話になろうと飛び込んだ、唯一の居場所なんです。そこを人間である私のせいで失ってしまうのかと恐ろしくて私は…そちらの方にとても失礼なことをしでかそうとしておりました。申し訳ありません…!」
なるほど。だからバゼルの方を度々見ていたのか。
バゼルが邪魔と言われていた件だろうが、そこまで気にすることではないだろうに。正直なひとなのだろう。
私は頷いて宥めようと言葉を選ぶ。
「それに関しては全面的にバゼルが悪いと私は思っている。だからそう気に病まないで貰いたい。」
彼女は潤んだ瞳で私を見て、ぎこちなく微笑んでくれる。
「…お優しい上官様ですわね…。この度は大変失礼いたしました。」
バゼルと私の両方を見て、丁寧に頭を下げた。
それにはバゼルも面食らったように表情を固まらせ、右手はぐしゃりと前髪を潰していた。
「―――まぁ、俺も悪かったところもある。…それで、今日は暇つ…休憩じゃなくきちんと用があってここへ来た。お前は人間で間違いないな?」
バゼルはいつでも手際が良い。
謝ったことに感心していると、すらすらと言葉を紡ぐ。
彼女は座り直すと小さく頷いた。
「よし。それで、生まれは貴族か?」
正念場だ、と私も彼女へ目を向ける。
しかし当の本人は目を丸くして首をかしげた。
「それは…聞く必要のあることです?」
明らかに言葉遣いを変えた。
私とバゼルは目配せをして大きく息を吸った。
「あなたが貴族籍である場合、丁重に保護し元いた場所へ帰したいと思っている。そうでなくても、丁重に帰すつもりだが…貴族籍である場合、王国で問題になっている可能性もあるだろう。」
私が真剣にそう伝えると、彼女はふっと皮肉に鼻を鳴らして憎々し気に言った。
「それはありません。…私は貴族の娘ですが、爵位も高い家柄ではないし、婚約者も…おりません。ですから、家の者も失踪してどこかで野垂れ死んだとでも思っているはずです。」
彼女は一瞬暗く荒んだ表情をしていたが、思いつめたように顔を上げて熱心に私に言った。
「私は、この場所に自分の価値を見出したのです。ですので、どうか黙ってここへいさせていただく訳には参りませんか?」
私は言葉を詰まらせた。
今日ここへ来た最大の理由。
それは彼女の保護だ。
それを彼女自身が拒否したら、など考えたことはなかった。
「無理を申していることは百も承知でございます。今後何か罪を犯しでもすれば潔く殺していただいて構いません…!ですので、どうか、どうか…!」
殺されても構わない、などとこの年の女が言えるものだろうか。
あの赤冠の調書が全て真実ならば、この女は奴隷に身を落としていても、それこそ殺されていても、野垂れ死んでいてもおかしくはない。
それが、何故かここを居場所と主張している。
私はバゼルを見た。
彼の目が、表情が伝えている。
――ね?この女、面白いでしょう。
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