第9話 バゼル、襲来


 そこは、思ったよりも街の外れに位置していた。


 野菜農園が広がる土地にある小さな料理屋は、なるほど新鮮で美味いのだろう。

 そこへ一直線に急降下する。


 途中、裏庭に出ていた者と視線が合った気がした。


「…うん?」


 いや、気のせいだろう。

 草食の獣人は鈍い。殺気さえ放っていなければ多少の警戒はあれど干渉はしてこないはずだ。


 カランコロン。

 扉を開けば聞こえの良いベルが鳴った。

 なるほど、これで客が来たかどうか分かりやすくするのか。


 昼食の時間はいささか過ぎているが、まだまだ店内に人は残っている。

 突然現れた別種の俺を見て息を飲む者もいれば、目を瞬かせている者もいる。


 当然だ。完璧に殺気は消しているし、気配も抑えている。

 目を合わせても失神する者はいない。


「はぅぅ…」


「トットちゃん!?」


 しまった。


「大丈夫か?」


 従業員らしきエプロンを身に付けたウサギにそう声を掛けると、一目散に女が駆け寄ってきた。


「ええっ大丈夫!?トットちゃん!すみません、お客様。」


 女は申し訳なさそうに眉を下げ、ウサギの子を抱きかかえて奥へ下がる。

 2階は居住スペースとなっているのか。耳で確認して深く被ったフードを取った。


 ザワっと店内にどよめきが走る。

 しかし俺は慌てずに額に手を当てた。


『騒がずに聞け。俺はここにただ休憩に来た。人間の女がいると聞いたが、それが脅威にならないかを休憩がてら少し確認に来ただけだ。』


 高等魔術、範囲共鳴だ。

 一定の距離を定め、内部の魔物に声を出さず意思を伝えられる。


 周りの者は何度も頷いて元通り食事を続けた。


 よし。問題ないな。


 戻ってきた女が首を傾げて客のひとりに問いかける。


「ん?…どうしました?」


「い、いやぁシェリーちゃん!今日も可愛いねぇ!」


「ふふっおかしなドゥーベルさん。ありがとう。」


 にこりと微笑む姿に周囲の緊張感がぐっと下がったのを感じる。


 金の髪に薄茶の瞳。耳は丸くて体は細い。

 なるほど、あれが例の人間の女らしい。

 見た目は高位魔族と変わらないな。


 さて、悪女と呼ばれる理由を探らなければ。


 今のところまったくそのような気配はない。

 であれば、相当な手練れかただの噂ということになる。

 何にせよ油断はできないな。


 世間知らずであると俺は正確に自分を認識しているつもりだ。

 もっと幼い頃に城下へ遊びに行ったことはあったが、三日で飽きた。


 なので代わりに俺は想像力を働かせる。

 悪女なら。

 もしかしたら、店の中の獣人全てをたぶらかし襲ってくるかもしれない。

 もしかしたら、特殊な魔術を扱って洗脳してくるかもしれない。

 もしかしたら、俺に毒を盛ってくるかもしれない。


 さぁ、どう出る―――悪女!!


 俺は心の中で叫び、手を挙げた。


 女は俺の視線に気付くとすぐに笑顔を浮かべて近寄ってくる。


「お待たせしました。ご注文はいかがなさいますか?」


 その無害そうな笑みの裏で何を考えているのか知らないが、俺はそう簡単に絆されない。

 魔王様をからかう時のように表情を消して、静かにメニューのひとつを指差す。


「えぇ…と…」


 女は同じようにメニューを覗き込む。

 近い。距離が近いぞ、女。

 しかしなんとも言えない気分になる。

 使用人はここまで近寄るどころか三歩は離れた場所でしか俺に話しかけない。

 これは…許されない近さだ。


 そしてこの甘い匂い―――この女、もしや何やら術を使ったのか!?


 俺は顔をしかめてバッと女を振り返る。


「えっ?」


 女は俺に驚くばかりで何も行動を起こさない。

 …俺の気にしすぎなのか…?


 そう悩んでいると、困ったように笑み、頭を下げた。


「あ…すみません。ご不快でしたか?…私ではなく、店主にお食事を持ってきていただくようにしますね。ご注文は、煎りたてナッツのサラダですね。少々お待ちください。」


 女はもう一度頭を下げると、一度も振り返ることなく厨房へ下がっていく。


 何だ。この視線は。

 気付けば俺にはじっとりとした視線がまとわりついていた。

 それは、周りの客から発せられている。

 温和な草食獣人がここまで敵意をむき出しにしてくるとは…


 それに加えてこれは…何だ?


 ――この、胸を締め付けるような罪悪感は…!


 女が何かしたのか?

 俺が悪いのか?


 答えが分からず悩んでいると、先程言われた通り店主がサラダを持ってきたようだ。

 羊型の草食獣人。よくいる、何も変わったところのない魔物だ。

 ただその目はどことなく不機嫌そうだ。


「どうぞ。ソースは私のおすすめを入れさせていただきました。」


「ん?―――何だ、この黒いソースは…?」


 コトリ、と目の前に置かれた木のボウルにはいっぱいに詰まった葉とナッツ。

 それに黒く禍々しいものが掛かっている。それに酸味が強い匂いがする。


 俺は店主を睨んで言った。


「これは誰の指示で入れた。」


「わ、私のおすすめです…!」


 店主は小刻みに震えながら言う。


 まずい。周りが更に殺気立っている。

 魔族の頂点に君臨する飛竜種にそんな目を向けるとは、一体何事なんだ。

 ここに揉め事を起こすために来た訳ではないのに、何故俺が焦らなければならない?


 段々と苛立ち始めた俺に、隣のテーブルの魔物が話しかけてきた。


「そいつはシェリーちゃんの作った悪女ソースだ。」


「何…?」


  だと?


「やはり貴様ら、何か企んでいるな?これには何が入っている!」


 厳しい視線を向けるが、周りの連中は屈するどころか膝を震わせて真っ向から睨み返してきた。


「シェリーちゃん、この方に教えて差し上げて。」


 名指しされた女は、ためらいがちに前へ進み出る。


「ええと…ブドウをお酢に発酵させたものに、オリーブオイルとお砂糖を少し足したソースです。よろしければ、私がお味見しましょうか?」


 事も無げにそう言う女に俺は頷いて見せる。


「ああ。人間の作ったものなど信用できないからな。」


 怒って本性を現すかと思いそう言えば、女は寂しそうに微笑むだけだった。


「そうですよね。では、失礼します。」


 だから何だ。その態度は。

 これも術の内なのか?俺が悪いのか?



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