第8話 新しい私。
随分と体が軽い。
それはたぶん、髪を切ってもらったおかげだ。
色々な憑き物が落ちたように晴れやかな気持ちにしてもらって、常連さんからも評判は上々だ。
私は今日も軽やかにお皿を運ぶ。
「はい、お待たせしました!今日のスペシャルランチです!」
「ありがとうシェリーちゃん。」
常連さんはすっかり私の存在に慣れてくれたようで、笑顔で返してくれる方が増えました。
「あのぉ、この悪女ソースって何ですか?」
後ろから掛かった声に、私は笑顔で振り返る。
肩まで切った髪がふわりと揺れた。
「それは私の作ったソースですわ!」
私は厨房から小さな小皿を持ってきて説明するが、お客さんはひぇ、と顔を引きつらせる。
「これが…?」
「ワインのような酸味のあるブドウのお酢にオイルを混ぜていて、シーザーソースよりさっぱりしていますわ。ひと舐めいかが?」
私が少し強引に勧めると、恐る恐るお客さんは指に取ってくれた。
それを口に含むと、ふんわりまなじりが下がる。
「美味しい…さっぱりしてるぅ…!」
私はにっこり微笑んだ。
嬉しい。少し前にワインを作っているアライグマのご夫妻と知り合って、もしかしたらと私の知る数少ない調味料、バルサミコ酢がないか聞いたのだ。
彼らは需要があるか分からないまま、ブドウが好きでひっそりバルサミコ酢の開発をしていたが、黒く酸味のある匂いが強いものは好まれないと売らずにいたそうだ。
あると聞いた途端、私はふたりを抱き締めてしまった。
例にもれず奥様の方は失神してしまったが、今ではご贔屓さんとして仲良くしてくれている。
私、小動物に目がないみたい。
何はともあれ、私はすぐメリィさんにバルサミコ酢を紹介し、試食してもらったところ…店に出してみましょうと言ってくれた。
問題は、そのネーミング。
メリィさんのお店で出されているソースは、3種類ある。
ひとつめは、メリィさんの自家製キャロットソース。少し青臭いのがまた良いそうで、主に同じ羊さんやうさぎさん型の魔物さんには好評だ。
ふたつめは、ジャムのソース。アプリコットを使った甘いソースで、幅広く人気がある。
みっつめは、シーザーソース。チーズとにんにく、香辛料を混ぜたソースで、一番人気があるがにんにく臭くなるのと少しだけくどいのが難点だ。
「折角なら、シェリーちゃんの名前を取ってシェリーソースなんてどうかしら?」
メリィさんがそう言ってくれるが、私はうーんと首を振った。
私を知ってくれている人が頼んでくれる分には良いけれど、人間が作ったソースなんて、最初はゲテモノ同然だろう。
「じゃあ、ブドウソース?」
トットちゃんが真ん丸な目で言ったが、メリィさんが首を振る。
「この黒い見た目と匂いじゃ、腐ってるって思われちゃうかもしれないわ。」
みんなでたくさん悩んで、コボルトさんがふと顔を上げる。
ブルさんは腰痛でお休みだ。
「……悪女ソース…。」
ぼそっと呟かれたその名前に、私も皆も吹き出した。
「そう言えば、私が働き始めた時そんなこと言われてたわね。聞いてましたの?」
コボルトさんは恥ずかしそうに頷いた。
その頃と比べて、私は皆とずっと仲良くなれた。
今や不愛想だと思っていたコボルトさんはただの口下手だって分かる。
「悪女ソース、良いかもしれませんね!」
「いや…ただの思い付きだから、気にしないでくれ…」
笑った私にコボルトさんは控えめに言う。
私はそんなことはないと腰に手を当てて反論する。
「いいえ!この黒いソースは確かに悪女の色みたいですし、その名前に興味を持つ人もいるでしょう。私の名前を付けるよりも、ちょっと面白おかしくて、親しみやすいのではないですか?」
「私、悪女ソースなんて気になっちゃう!」
トットちゃんがぴょんぴょん跳ねてくれる。
メリィさんは唇を尖らせているが、笑顔になって頷いた。
「確かに、面白い名前だわ。これで出してみましょうか!」
そして迎えた悪女ソース売り出し初日。
狙った通りお客さんの反応は良く、好き嫌いはもちろん分かれたが、売れ行きは悪くなかった。
「シェリーちゃん、初めて会った時からすごく変わったわ。」
その夜。店仕舞いをしている時にメリィさんが感慨深げに言った。
「えっ?そ、そうですか…?」
「みんなに混じってよく働いてるだけでもすごいのに、毎日一生懸命で、笑顔で…髪を切ってからもっと明るくなったわ。」
よく見てくれているんだな、と私の目に涙が溜まる。
それは私も感じていることだった。
お嬢様でいた時の自分より、自分らしくいられる。
そしてそんな自分を私は嫌っていない。
こんなに迷惑を掛けているのに、こんなに優しくしてもらって、居場所をくれる。
「全部全部、メリィさんのおかげですよ…」
言葉遣いも態度も、前より砕けるようになった。
変に気を張ることもなくなった。そうしたら、たくさんのお客さんが話しかけてくれるようになった。
時にはちょっと気難しいひともいるけれど。それでも、優しくしてくれるひとにはそれ以上を返したい。
特に、メリィさんには。
「そんなことはないわ。シェリーちゃんがあの日、私に声を掛けてくれたおかげよ。私も前より寂しくないわ。」
ふふっと笑ってくれるメリィさんに堪らず抱き付く。
優しく抱き締め返してくれる暖かい手に、涙が零れた。
こんな風に抱き締めてくれる人は、いなかった。
友人でさえも一歩線を引いて接しなければいけなかったし、誰にも彼にも愛想を振り撒くなんてみっともないと教育を受けた。
硬い笑顔に、針金を入れられたような背筋。
安らぎの場所なんて、無いも同然だった。それがこの短い期間の中で、生家より気を楽にできるようになるなんて。
「私、ここが大好きです。もっともっと、役に立ちますから。」
体を離して不格好に涙を拭えば、メリィさんはにっこり微笑んで言ってくれる。
「十分役に立ってるわよ。」
暖かい言葉に、また涙が零れた。
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