第7話 報告と調査
あれからひと月。まだ上がらない報告に焦りを覚えつつも、人間の女は事故死したとの説が濃厚となっていた。
事故死だとしても、遺体くらいは見つけてやらねばと捜索は中断せずにいる。
広い大陸に自治区が散らばっているため、見つけるのは容易ではないだろう。
自治区はその範囲もまばらで、各監察官も積極的に捜索に協力しているとは思えない。彼らにもそれなりに仕事がある。
しかし人間の女一人こんなにも見つからないのでは、よもや食われているのではと疑う。だが人間を食ってもメリットなど何もない。
私が生まれる前にはそういった風習があったようだが、味は粗雑で身は固く、味を良くしようと思えば手間のかかるものだったらしいので食材にも向かない。
前王よりも前に食糧問題は解決されているため、手っ取り早いとはいえ自分が傷付きリスクを冒してまで人間を殺めずとも、生きていけるだけの生活は保障されている。
それなりの知識や手先の器用さではある意味魔族よりも上なため、奴隷などの商品価値の方が高いのだ。
「魔王様。」
バゼルが執務室を訪ね、例の如く無駄のない報告をしてくれる。
各地の天候や災害、事故など重要だと思ったものは書類と口頭で、それ以外は簡潔に箇条書きでまとめてある。
その中にも人間の女の目撃情報は見当たらない。
「―――それと、少し気になる報告が一点。…草食の獣人自治区なのですが…その外れで噂になっている小料理屋があると。」
「どんな噂だ。」
バゼルが気になるということはくだらない噂ではないだろう。
注意を向けるために顔を上げ手を休める。
バゼルは思い悩むような顔で言った。
「…悪女と呼ばれる女がいるようです。」
「悪女?」
待て待て。今求めているのは奇抜な噂ではない。
一度額に手を当てる。
バゼルの顔を盗み見てもいつもと変わらぬ澄まし顔だ。
稀にこうしてからかってくることがあるから判断がつかない。
「…ん?」
ふと見えた資料の中に気になる文を見つける。
それは竜人族自治区の報告書だ。
あそこは隠れて奴隷の取引をしていたりと取り締まりに一番力を入れている場所だ。
そこで三人組の奴隷商を確保したとの報告が書かれていた。
赤冠と呼ばれる一味で、低ランクだが人前に姿を見せない厄介な小物だったが、三人は捕縛前に負傷しており理由を尋ねてもあの女のせいだとの一点張り、と何やらきな臭い。
奴隷商同士の争いなら足の一本や二本失くしていたり、口もきけないほど精神的に痛めつけていたりと手に負えないが、見る限り生易しい。
奴隷の女にでも返り討ちにあったのだろうか。
それにしても、こんな小物の報告書をわざわざ一番上に置くとは。
「…この報告書と、何か関係があると言いたいのか?」
バゼルはニヤリと口角を上げた。
どうも説明を省く癖がある。
「悪女とやらの働く小料理屋がある区画と竜人自治区は歩いても一日半。赤冠が捕らえられたのはつい最近…悪女の噂の方はいつからか分かりませんが、可能性はあるんじゃないですか?」
「ふん…」
少なくとも私が見た女は大人しそうで、一般的な悪女とは似ても似つかない。
「悪女とはどんな噂だ?」
バゼルは途端に興味のなさそうな顔をしてペラペラと手元の書類をめくる。
「さぁ…草食獣人なんて数が多いですから…監察官は日々の記録をまとめるだけで必死らしいですよ。まぁ多くは噂やら出生報告やらですが。」
「そうか…」
だからといってすぐ増員させる訳にはいかない。
草食の獣人族は一、二を争うくらい住人が多く自治区は広い。
そして温和な気質で問題事も少ない。だから監察官は最低限にしている。
同じ獣人族でも他の竜人や肉食の方が血の気も問題事も多く監察官をそれなりに派遣している。
「では別に密偵をひとり派遣させろ。」
「俺が行っても?」
「何?」
ちょっと待てとバゼルに説得を試みる。
バゼルがいなければ私は使用人に昼食を運び入れてもらうことすらできない。
「ちょっと様子を見に行くだけですよ。飛んで行けば早いし。」
嘘だろう。
「本音は?」
「面白そうなので。」
あっけらかんと真顔で告げる腹心の部下に私は大きなため息をついた。
「…分かった。二時間で足りるか?」
「それだけあれば、まぁ。」
少し不満げな回答だが、許容範囲なのだろう。
この城から草食獣自治区まで普通に歩けば何日にもなるが、飛竜種であるバゼルが飛べば30分は掛かるまい。
バゼルはいそいそと資料をまとめ、退出しようと扉に手を掛ける。
「あ。昼食はすぐ入れさせるんで心配しないでくださいね。」
「……………それはありがたい。」
「では。」
意気揚々と部屋を出たバゼルが楽しそうに見えて、私は項垂れる。
緋色の長髪を背中で緩く結び、黄金の瞳は威厳がある。性格は扱い辛いが、見目の良いバゼルはいつも人に囲まれている。
本人は煩わしそうにしているのを除けば。
対して私は、黒い髪に黒い瞳。温度を感じられない色に表情まで乏しいときた。
きっとひとりきりでいたせいだ。
決して、決して。使用人と距離を詰めようと笑顔を作ってみた時の彼らの表情にショックを受けたわけではない。断じて。
そんな私の元へ控えめなノックが響く。
先程バゼルが言っていた通り、昼食を入れてくれるのだろう。
「…入れ。」
できるだけ優しく声を出し、資料を伏せ、窓から外を眺めるふりをして扉に背を向ける。
「し、失礼致します……」
背中越しでも伝わってくる異常なまでの緊張感は、私の魔力を敏感に感じ取っているからか、それとも私の顔が脳裏に浮かんでいるのだろうか。
「何かあればお申しつけくださいませ…!」
「分かった。ありがとう。」
小さく息をついて振り返ると、ビュンと扉から出て行く影が見えた。
「…………。」
この凶悪に見える顔は、一体どうすれば良いのだろうか。
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