第6話 身だしなみ。


 私は最後のバケットの欠片を口に放り込んで飲み込む。


 あまり記憶にないけれど、私にあんな二面性があるとは思わなかったわ。


 襲ってきた三人組は、竜族という爬虫類の種族の魔族らしい。肉食ではないし、住んでいる場所も離れているから、現れるのはかなり珍しいとメリィさんが言っていた。

 わざわざ私のことを聞きつけてやってきたと言うのだろうか。


 私の噂は一体どこまで届いているのでしょう。


「あいつら、奴隷商だろう。違法だし、監察官に報告するか?」


「そうね。でも、でもシェリーちゃんのことはどう説明すれば…」


「確かに、そうだな…」


 むぅ、と顔をしかめたコボルトさんに私は笑みを浮かべた。


「彼らは私に狙いを定めていました。ですので…」


 言葉が尻すぼみになる。


 私がここからいなくなればいい。


 そのたった一言が言えないなんて、情けないわ。


「…シェリーちゃん。シェリーちゃんはここにいて良いのよ?」


 俯いた私の視界に、そっと小さな手が添えられる。

 顔を上げると、にっこりとメリィさんが微笑んでいた。


「人間がここにいてはいけない理由なんてないもの。ねぇ、コボルトさん。」


「…違法ではないな。」


 ツンとそっぽを向いたコボルトさんも、遠回しに同意する。

 お父さまのブルさん同様、素っ気ない優しさが胸に沁みる。


 堪らず私が涙を零すと、慌てたように二人とも駆け寄ってくれた。

 それを振り切って、私は笑う。


「ありがとうございます。…開店の準備をしましょう!」


 あの時、私は本当の意味でここに迎えられたんだなあと感慨深くひとりで頷く。

 気が緩むと同時に涙腺も緩んだようだ。

 涙を拭いながら、空を見上げた。


「…良い天気ね。」


 あの時の優しい二人を思い出していると、祖国の親友二人の姿が重なる。

 二人は、元気にしているだろうか。


 きっと元気よね。

 コボルトさんとメリィさんも、親友たちのように婚約者だったらもっと素敵だわ。


 そう考えて首を振る。


 ダメよね。そういう勝手な目線で二人を見たら。


 私は、私のやれることを一生懸命やりましょう。


 心機一転、私は気持ちを切り替えて休憩を終える。


 今日はこれから予定がある。

 同僚のウサギのトットちゃんが誘ってくれた、美容院だ。


 思えば身だしなみを必要以上に気にすることはなかった。周りを見ても魔物さんたちはどちらかというと動物寄りだったりして、美意識が薄れていたのかもしれない。


 でも給仕として不潔なのは良くないわよね。

 トットちゃんが誘ってくれなければ、ひとりで行く勇気はなかった。

 怖がられるかもしれないし、怖いかもしれないからだ。


「お待たせ、シェリーちゃん!」


「トットちゃん!今日も可愛いわ。」


 トットちゃんは薄い黄色のカットソー、垂れた長い耳はリボンを付けていた。


「えへ、ありがとう。シェリーちゃんは今日もっと可愛くなるよ!私が保証する!」


 顎のラインで揃えたショートカットは爽やかでとてもトットちゃんに似合っている。


 私の隣でぴょんぴょん跳ねながら身振り手振りを交えて街を紹介する姿は可愛らしい。

 正直、初めて出歩く街よりもトットちゃんを見ていたいくらいだ。


「ここよ!リゼルさんのお店。」


 真っ白な外壁に黒の看板と扉で、とてもお洒落な外観のお店だ。

 私は緊張しながらトットちゃんの後ろに続く。


「いらっしゃい。」


 中で待っていたのは、たおやかな流線を描く角を持ったシカの魔物さん。

 しっとりと妖艶な雰囲気を持っていて、お酒を扱うお店ではないのかと右往左往してしまう。


「あんたがまさか人間のお客さんを連れてくるなんてね…」


「シェリーちゃんはとても良い子なんだってば!」


 プリプリ怒るトットちゃんも可愛…じゃなくて。


 私は姿勢を正して挨拶をする。


「シェリーです。トットちゃんが私のためにと連れ出してくれて…こんな私ですが、お願い致します。」


 ジゼルさんはくすりと微笑んで、回転する椅子を私の方へ向けてくれた。


「もちろん。あなたがシェリーね?トットから聞いてるわ。人間を切るのは初めてだけど…もっと可愛くしてあげる。」


 パチリと惚れ惚れするようなウインクに、反射的に頬が染まる。

 けれど彼女の言った言葉が気になってしまう。


 …人間を切る、というのは、髪の毛を…ということよね…?


 それを問いただす勇気もなく、私には全身を覆うケープが掛けられる。


 トットちゃんは終始ニコニコと楽しそうだ。


「どんな髪型にして欲しいのかしら?」


「私はねっ!私はシェリーちゃんのブロンドならクルクルにしてフワフワにしてっ」


「それはあんたの好みでしょ?」


 トットちゃんがえへへと笑う。

 随分とジゼルさんとは親しいらしい。

 ジゼルさんは私の胸下に伸びた髪を手に取る。


「毛先は少し傷んでるけど、綺麗に伸びてるわね。」


 少し波打っている髪は扱いやすくて特に不便を感じたことはない。


「シェリー、あなたはどうしたい?」


「あ…私……は……。」


 今まで、こんなことを聞かれたことは無かった。

 お嬢様として生まれて、お嬢様として然るべき教育を受け、婚約者を持ち……

 何もかも言われるままだった。


 何も考えずに済んで、逆に楽だと思うようにしていた。

 でもずっと考えていたことがある。


「私…トットちゃんみたいな髪は似合うかしら…?」


 男兄弟に囲まれて、彼らを素直に羨ましく思っていた。


 そりゃあ勉強は大変そうだったし、外で汚れるのも気にせず駆け回れて良いなとか誰と話すにも堂々とできて良いなとか。


 髪が短かったら、私も期待されるような存在になれるかしら、とか…。


「そうねぇ…あなたくらいの癖毛なら、肩くらい短くしても大丈夫そう。やってみる?」


「本当に?ええ、お願いします!」


 私はキュッと目を閉じた。


 目を閉じる前、トットちゃんとジゼルさんはにっこり笑い合っていた。


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