第3話 魔王
最近、ゴブリン自治区からの納税達成率が低い。
知能は低く怠け者だからとわざわざたくましく育つ芋類を作らせているのだが、以前よりも15%は落ち込んでいる。
水害や悪天候も加味されての余裕ある収穫率なのにおかしいと使者を送るよう命じれば、
なんと女を連れて登城した。
しかもその女は縛られているではないか。
「要らん。そんなもの。――返してき」
「「ず、ずびばぜんでじだぁ!!!」」
うん?
逃げ足の速さに定評のある彼らは、まさしく脱兎の勢いで走り去っていく。
「……行ってしまったか?」
傍に控える相談役、飛竜種の魔族バゼルを振り返れば、澄まし顔で頷いた。
「ええ。魔王様の顔が恐ろしかったのでしょう。」
「ハァー…返してきなさいと伝えるよう、誰かに指示してくれ。」
「かしこまりました。」
バゼルは粛々と指示通り動いてくれる。
まただ、と私は思った。
またこの顔のせいで逃げ出された…
それにしてもまさか、女を供物として持って来るなど阿呆にも程がある。
魔物は魔物同士で子を設けることもあれば、大陸に漂う濃すぎる魔素が集結し生みだされることが稀にある。
私は後者だった。
高い魔力と知能を持って生まれた私は、流れるまま魔王となった。
いや、本当に流れるままだったのだ。
魔素で構成された私に幼少期などなく、魔素が含む情報までも取り込んで生まれてきてしまったため、この世がどうなっているかもどうすれば良いかもすぐに理解してしまった。
それを前魔王であるバゼルの両親に良心から手紙を用いて進言したところ、面会の連絡が来て無視はできまいと登城した。
人気の無い霊峰から初めて人里へ下りればどうだ、道行く魔物には逃げまどわれ、門番は泣き叫び、騎士団は大挙してゆく手を阻んだ。
あまりの扱いの酷さに憤ってしまった私は殺しはしなかったが騎士団を機能不全にし、前王の御前で言い放ってしまった。
貴殿の騎士団は一市民に手を挙げるのかと。
前王は気絶した王妃を抱き、震えていた。
その様に私は理性を取り戻したが、返り血にまみれた私の顔は気をやる程恐ろしかったと後日笑って言われた。
「その知性と威厳があれば国もより良くなるだろう。現に君からの手紙はひとつも間違ったことは書いていなかったし、実行したらあれほど荒れていた自治区も改善された。」
そして前王は言ったのだ。
魔王にならないか、と。
「息子のバゼルは王は退屈だなんて言って跡を継ぎたがらなかったから丁度良い。な。私は早く王位を譲って妻とバカンスに行くのが楽しみだったんだ。」
そうしてなし崩しに魔王となった。
良かれと思って出した手紙から一転、魔王になってしまうとは誰が思うのだろうか。
後にバゼルに本当に異論はないかと尋ねれば、前王と同じく軽々しい口調で言う。
「アンタが魔王やった方が面白いので補佐させてください。」
「そうか……」
やる気のない澄まし顔で何を考えているのか分からないが、前王から教育されていただけに相談役として申し分ない。
現に、バゼルがいなければ私は使用人ともまともにコミュニケーションが図れないのだから。
「魔王様。例のゴブリンの件ですが―――」
数時間後、バゼルがふらりと執務室に顔を出した。
手にしたボードには何枚も紙が挟まっていて、それをペラペラとめくりながら報告してくれる。
「…率直に言いますと女はどこかに置いてきてしまったと。」
「何?あれは人間だったろう。」
「ええ、フラフラしていたからちょっと出来心で持ってきたようです。」
最近は人間の大陸から違法に入手された肉食獣の熊の国内繁殖も問題になっているというのに、人間はまずい。
魔族内での奴隷制度は厳しく取り締まられているため、冗談でも魔王である私に差し出すはずがない。
したがってあの女は人間と思われるが、どう間違えたら置いていってしまうのか。
たちの悪いことにゴブリンは記憶力も悪く、自分より上と認めた相手には絶対服従。嘘などつけるはずがなく、その話も紛れもなく真実なのだろう。
「出来心…」
あまりに出来の悪い話に私が頭を抱えていると、バゼルは珍しく眉を寄せて言った。
「それなりに良い見目をしていましたし、貴族なら厄介ですよ。」
確かにそうだ。
今のところ停戦しているが、まだ自治区が完全に魔王に服従していなかった時には領土拡大のため魔物と人間の争いが絶えなかったという。
今それが起きてしまえば国として応戦せざるをえない。また力の弱い人間相手でも防戦一方となれば圧倒的にこちらが不利。
全面戦争となってしまえば滅ぼすしかあるまい。
「全面戦争は避けたいところだな…ゴブリンたちが通った道筋をたどれるか。まずは人間の女を保護しなければどうにもならん。」
「はい。」
「ゴブリンの処罰は追って伝える。」
バゼルが退出して、深くため息をつく。
いつか何かをやるだろうと思って注意はしていたが、まさかこんな大事の火種を持って来るとは思わなかった。
ゴブリンの自治区は城から南西の方角に行ったところにある。
比較的温暖な地方だから凍え死ぬようなことはないと思うが、問題はその後だ。
運良く市街の近くに放られたとして、魔物たちが驚き攻撃しかねない。
ゴブリン自治区とさほど遠くないピクシーの森にでも迷い込んだら生きている可能性はほぼゼロだろう。
ピクシーは知能が高い訳ではないが、プライドが高く攻撃的で頑固、利益にならなければゴミだと切り刻まれ、特産物のキノコの養分にされてしまうだろう。小型だが集団で襲われれば、非力な人間の女になす術は無い。
せめて草食獣人の自治区にいてくれればと願わずにいられない。
どこよりも気性は穏やかでビビり―――気弱な種族が集っている街だ。
その隣には竜人族が住んでいる。彼らもまたプライドが高く頑固だが、すぐに殺すほど知能は低くない。
善良な者であれば各地へ派遣している監察官へ報告してくれるだろうし、悪ければ奴隷となって更に見つけづらくなる。
念入りに調べさせなければ。
ついでに奴隷制度について抜き打ち検査を実施すれば経費もかさまずに済む。
「―――よし。」
頭の中で粗方可能性を考慮し、対応できるよう策を練る。
あとはバゼルの報告を待つのみだ。
せめて、良い報せであってくれ。
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