クロスチャイルド 第1章 ミラク編 5 [4/4]

それからは早かった。


まずは非合法の生活困窮世帯のデータベースを片っ端から調べあげると、思いの外早く適合するグレートマザーは見つかった。


その女性は一年を通して温暖な気候の島国で生まれ、成人を迎えたばかり。

戦争で負けて国自体がなくなった諸島の出身で、性格は温厚だが、あまり物事を深く考えない短絡的な性質を持つ、大家族の長女だった。


グレートマザー選定はまさに彼女にとっては名誉でしかなく、書類もよく目を通さずにサインしていた。


何よりポジティブな女性で、全ては島に残してきた家族のために、なるべく早く交配をして子供を産みたいとのことだった。


屈託の無い笑顔からは想像も出来ないほど、とても貧しい暮らしで、兄弟はすでに5人は餓死して死んだと言っていた。

戦争のにおいが色濃くする。くすぶり続けた結果の燃えさしのようだ。


自分は生き残ったのはたまたま奇跡だったと。こんな、何もかもがあり、何もかもが繋がったこの世界でこんな暮らしをしていること自体が信じられないが、それが戦争というものだと改めて知らしめられるのである。


椅子取りゲームに負けた立場の弱い人間の末路が彼女であった。


それでもどうしてそんなに朗らかに、前向きに生きていけるのかと尋ねたら、「地獄を見たからですよ。あれ以上の不幸は起こりません」と、何もかもを悟ったような顔で、そう言ったのだ。


全ての条件が整ったのが3年後。


その翌年にケツァールと南国生まれのグレートマザーを掛け合わせたクロスチャイルドが産まれた。


今回のクロスチャイルドは条件が条件だけに、帝王切開での出産後、彼女は一度も子供の顔を見ることなくクロスチャイルド研究施設の特別室にて隔離された。


子供の情報を知る人は少ないほうがいい。


私はこの子供の情報を消去し、クロスチャイルド研究施設の情報庫にも一部を残してほとんどを処分した。


つまり失敗として報告して、産まれていないことにした。もちろんグレートマザーにもそう報告した。


だから成功報酬額は基本的に発生しないのだが、レーガン夫妻のポケットマネーから直接私に現金で手渡しする手筈になっていて、それをグレートマザーには何かの病名でもつけてお見舞金として渡すことにした。


彼女がこのお金をどういう風に使うのかはわからないが、突然大金を手にした彼女がどういう人生をこの先辿るのか。


私はその先を見たくないような気がした。


無事に生まれたクロスチャイルドは、この先クロスチャイルドとして生きるつもりが無いのなら、例えどんなに人間社会の中で生きるのが難しかろうと自分がクロスチャイルドであることを知らないほうがいい。


この出産が成功したと知っている人物は、私、レーガン夫妻、それから私の助手であるウララを除いて誰も知らない。


この施設始まって以来のシークレットベイビーが誕生した。


そして産まれた子供が人間の形を形成できるようになってから、初めてレーガン夫妻は対面した。


産まれた子供は思わず息を飲んでしまうほど美しい女の子だった。


新緑のような鮮やかな孔雀緑の髪に、黒曜石のように輝く瞳は濡れたようだった。


楊貴妃は、クレオパトラは、彼女らはここまで鮮やかな赤子であっただろうか。


これほどまでに、世界中の色を集めたような、生命の息吹をそのまま具現化したような何かを持っていただろうか。


「おお神よ…、なんと感謝したらいいのか。ジェフリー、本当にありがとう。本当にありがとう…」


レーガン夫妻はただ喜びの涙を目にためた。


あの時のケツァールは、こんな風に鮮やかな色で空を舞っていたんだろうと思うと、一緒に大空を飛び回っているような気持ちになる。


空は雄大でどこまでも果てしなく、突き抜けるような空色に混ざると、この子供はさらに美しさをますだろう。


初夏の湿気を帯びたぬるい風が吹いたような気がした。


「いや…。本当に感謝してもらいたいのはグレートマザーだけど…、彼女は知らないことになっているので…」


「彼女にもとても感謝をしているわ。本当にこんなに美しい娘が産まれてくるなんて…。こんなに幸せなことはないわ。本当にありがとう。」


ミアは感激のあまりハンカチを濡らしていた。


それからミアは首も座っていないその子供をそっと抱っこして「初めまして、ミラク」と頬にキスをした。


まるでルネサンスに多くの画家が競うように描いた、聖母の絵画のようだ。


その美しい時間はいつまでも永遠に続くかのように、悠久の時の流れの中にあった。


この時の事はきっと一生忘れられないだろう。


初めて愛されるためにクロスチャイルドが産まれたのだ。


私はこの瞬間だけは、心がじわりとあたたかくなるのを感じて、握り込んでしまえば消えてしまうような罪悪感が、喉の辺りにひっかかった。


問題は山積みであり、先が全く見えないけれど、それでも今この産まれた命を歓迎してくれている。


今まで様々なクロスチャイルドの交配と出産に関わった中で、こんなに優しい気持ちになり、同時に不安が生まれたのは初めてのことだった。


クロスチャイルドというのは、元々役割をもって産まれ、産まれた後はそれぞれの依頼主に合わせて教育をし、ある程度の”使える”と判断した年齢に達すれば、後は依頼先にてそれぞれの道を歩んでいく。


生物兵器としての利用が最も多く、クロスチャイルドに心を求めない。


だからミラクは異例中の異例なのである。


夫妻はできたばかりの小さな養子斡旋団体に多大な出資をする条件で、ミラクを養子として迎え入れ、人間の戸籍も手に入れた。


世界的に有名な夫妻のため、パパラッチを恐れてミラクを学校に通わせずに家庭教師が複数人つけた。


外には許可がないと出られなかったが、それでも惜しみない愛の元にミラクは、ひだまりが似合う優しい娘に育った。


私はいつも、クリスチャンから定期的に送られてくるミラクの成長の報告を楽しみにしていた。


そして、成長するにつれ、可愛らしさはそのままに、美しさを兼ね備えていくミラクの成長を嬉しく、そしてその成長の早さに毎回驚いたものだった。


クリスチャンは、屋敷の筆頭執事である傍ら、常にミラクを注視していた。


ミラクが少しでも人間と違う部分を見せると、その使用人のには、多額の退職手当を渡し解雇させていたと聞く。


ミラクはずっと、クリスチャンとレーガン夫妻に守られて生きてきたのだ。


私はそう、確固たる自信を持って、今ここに話すことができる。



ジェフリーは話し終えたあと、ミラクをしっかりと見た。


「君は…レーガン夫妻に、愛され、そして望まれて生まれてきたんだよ。それだけは私が証明する。そして、そのあとは今までの人生で夫妻にどれだけ愛されていたか、君はもう知っているよね?」


ジェフリーは、ミラクの手を優しく引き寄せ、自分の手を重ねた。


ミラクの目には大粒の涙が止めどなく溢れ、涙を拭うのも忘れてジェフリーに抱きついた。


「お父様とお母様を助けて…。お願い…」


今はどこにいるのかわからない父と母に会いたい。


会って抱きしめて愛を伝えたい。


ミラクは叫び出したいような、暴れまわりたいような気持ちを抑え、懸命に訴えた。


自分の知らないところで、愛が溢れていた。


自分の考えている以上に愛があった。


この事実はこれからのミラクの人生において大きな財産となる。


愛とは自分を守る盾のようなものだからだ。


そして、自分の進む道を照らしてくれる、道しるべのようなものだからだ。


「ユキがハダルのところに向かっている。そう指示したからね。相手はシャチだが、二体いればきっと勝算はある。」


-相手方の出方によるけれど。とまでは言わなかったが、ミラクを落ち着かせる為にジェフリーはできるだけ優しい声で言った。


アーサーは話を一部始終聞きながら、頬に一雫の涙が流れていた。


鎮静剤が聞いてきたのか、少し眠そうだ。

半開きになった目には疲れの色が見えていた。


口で息をしているからか、喉がからからに乾いていて、風切り音が鳴っていた。


「私たちはこのまま空中待機。ユキとハダルを待たなきゃね…と言いたいところだけど、ウララはアーサーを連れて施設に先に帰ってくれるかな。ここじゃ落ち着かない。安静にしてもらわなくちゃね。もう一隻寄越してくれる?」


いつからそこにいたのか全く気づかなかったが、ウララがイヤーカフから通信を取り、船をもう一隻要請する。


「君はお父さんとお母さんの無事を確認したいだろう?私とここに残るといい。私も君のお父さんとお母さんに会いたいんだ」


ユキとハダルの帰りを空中で待つことになり、ミラクは安堵した。


両親の安否が一番の心配だ。


だからと言って先ほどユキの戦闘を見ていて、彼のようにミラクは戦うことなんて怖くて出来ない。


ここで待つ以外にきっとやることはないのだろう。


逸る気持ちを抑え、ミラクは自分の体をぎゅっと抱きしめた。

その体は、自分の意志とは関係なく、冷たく冷えていて、震えている。


一時間前とは全く違う自分の容姿に違和感がまだある。

皮膚を突き破って出てきた羽を小さく上下すると、気流がミラクの周りだけ変わった。


そんなミラクの様子に気づいたのか、-さぁ翼をよく見せてくれる?とジェフリーはミラクの体の状態を観察しながらどんどん入力を始めた。

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