クロスチャイルド 第1章 ミラク編 1 [2/3]

ユキのトレーニングは施設専属トレーナーがユキの今日の健康状態と筋肉の状態、直近一週間のスケジュールを確認してからメニューを決める。


「やぁユキ。こんな朝から珍しいね。」

トレーナーのアーサーが話しかけてきた。


「おはよう。ジェフリーがいなかったからね。」

とユキは素っ気なく返した。


アーサーは「あぁ、なるほど。」と物事をすぐに察知したようで、「最優先事項が今のところあちらだからね、仕方がないさ」と、茶目っ気たっぷりに肩をすくめた。


アーサーはTシャツを着ていても、その上からわかるほど厚みのある胸板をした筋肉質の体に、この施設に全くと言っていいほど似合わない、健康的にこんがりと焼けた肌をしていて、南国タットル出身と言っていたが、濃いめの顔に少し癖のある黒髪をツーブロックにわけ、細身で色白のユキとは対照的だった。


「お!レグルスも。おはよう」


「おはようございます。アーサーさん」


「いつも言ってるじゃないか、そんなにかしこまらないでくれよ。」


朝の片付けを終えたレグルスがユキに追いついていた。

端の方で静かにおさまっていると、アーサーはお日さまみたいな明るさは残したまま、困ったように微笑んだ。

レグルスはそれに応えるように優しく笑みを返した。


アーサーはユキの健康状態の確認を始めるため、鼻歌交じりに手を空間上に広げ、画面を出現させた。


ユキのイヤーカフから取得できる血圧などの健康状態を読み上げ、それからユキの直近のスケジュールをレグルスと確認し、60分のランニングと上半身多めの筋肉トレーニングのメニューを作った。


「最近、遠出の任務が多いね。足腰を使いすぎているだろうから、下半身は軽めにして、ストレッチを多めにしよう。」とウインクを投げる。


ユキにウインクを投げ返す芸当など思いつきもするはずがなく、まるで興味がなさそうに「わかった」と告げ、人目を憚ることなく今朝着たばかりの制服を脱ぎ、トレーニングルームに既に用意してあるトレーニングウェアに手を伸ばす。


レグルスは音も立てずにユキの服を着ていた服を回収して、畳み始めた。


「相変わらず、背中の模様はため息が出るほど美しいね、ユキ」


アーサーはうっとりユキの背中を眺めた。


ユキの背中には、仙骨から胸椎に至るまで、薄い灰色と黒が混ざったレオパード模様が広がっている。


タトゥーのようにも見えるが、うっすらとデザインが見える程度のものだ。


何よりおしゃれ目的で入れたものではなく、ユキの場合は生まれた瞬間からこの模様が背中に広がっていて、これでも薄くなった方だ。


アーサーの賛美に返事もせず、トレーニングウェアに着替えた後は、黙々とストレッチを始めた。


アーサーもユキの返答には期待していなかったらしく、勝手に話を続ける。


「今日は、また…グレートマザーが亡くなってしまったよ。」


とても美しい娘だったのに…とアーサーは悲しそうに目を伏せながらユキに話しかけた。


ユキの返事が素っ気ないことは百も承知なので、構わずアーサーは続けた。


「だけどクロスチャイルドは無事のようだ。10体目のクロスチャイルド作成に成功したみたいで、5年ぶりの快挙に沸き立っている。」


世界中から選抜で選ばれた母体をグレートマザーと呼び、その母体を介して産まれた子供をクロスチャイルドと呼んでいる。


「しかも、キングコブラとの交配だ。爬虫類は珍しいだろう?ハダル以来さ。蛇の王様の誕生に依頼主も大喜びしている」


人一人が死亡くなっているのにも関わらず、その死をこの施設で嘆くことはなく、久々のクロスチャイルドの生誕を喜んでいる。


研究、そして成果とは何かの犠牲の上に成り立つものであることを、この施設で働くものはみな理解しているからかもしれない。


特に自分の人生に関係のない人間の死は、全く背景を知らない人間からすれば、ただのニュースのひとつだ。


「そうなんだ。」


ユキは素っ気なく返した。


ともすれば今後は敵同士になるかもしれないし、仲間として迎えられるかもしれない。


仲間としてなら100人力だが、敵としてなら脅威だ。


そのクロスチャイルドの行き先で立ち位置が変わる為、クロスチャイルド同士は群れることはない。


「キングコブラはどこにいくの?」


「アイソンだと聞いているよ」


今の所キングコブラとの交配を切望した国と施設の交友関係は可もなく不可もなく…と言った印象を受ける。


しかし、人間という生き物は利害の不一致だったり、要求が飲まれないと、お互いの立場という正論のようなものをかざし、大義名分という名の駄々をこね、争いを始める生き物だ。


「そうなんだ。」とだけ、ユキは返した。


アーサーもそれ以上はこの件に触れなかった。

互いに流れる時間が過ぎた。


「…ユキの体は相変わらずとてもしなやかだね。」


アーサーはユキのストレッチを手伝いながら、柔らかいユキの体つきを褒めた。


ユキ自身もこの施設で生まれ育ったクロスチャイルドだ。


この施設はクロスチャイルド研究施設。


世界各地で生息しているクロスチャイルドの産まれた場所である。


「クロスチャイルドは、みんなそれぞれ個性があって面白いよ。交配種により、その特徴が出るんだからね。」


「えぇ、遺伝子工学の最高権威、ジェフリーガーランド博士の最高傑作です。」


レグルスが穏やかな口調で返すと、アーサーはさらに続けた。


「計画立案から40年以上…か。長いね。」


「本当に。生物と人間を交配させてより強い生物を作る-クロスチャイルド計画はそこから始まりました。この施設はその歴史とともにあり、その長い歴史の中で、ゲノム編集技術はさらに進化し、クロスチャイルドの地位を確固たるものにした功績は計り知れません。」


「人為的に作られた生物兵器…か。きっと世界の人は知らないのだろうね。こんな美しい生物兵器が存在するなんて…ね。」


満足そうにアーサーが続けると、レグルスは頷いた。

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