第16話 初アルバイト
不安なコスプレ。
そして、薄くなった財布。
智佐の不安は学業よりも財布の中身だった。
「智佐はバイト初めて?」
バイト先となったメイド喫茶の更衣室で美紀が笑顔で尋ねて来た。
「は、はい・・・」
智佐は恥ずかしそうに答える。
ここの制服はかなり凝っている。濃い目の紺色を基調としたワンピースにフリル付きの白いエプロンとカチューシャ。ガーターベルト付きの黒タイツに黒色のローファー。あとは化粧の仕方や眼鏡や懐中時計などの小道具まで揃っている。
「なんか・・・コスプレみたいですね」
智佐はふと久美子の事を思い出しながら、その場に置かれた小道具を見ている。
「みたいじゃなく・・・そのままよ。こうやってメイドになりきるんだから」
美紀は着替えを終えて、メイドになっていた。普段のボーイッシュな服装からはまったく想像が出来ない。特に彼女の場合はウィッグまで着けて、背中で長い黒髪をリボンで束ねている。
「いつもの自分じゃない。そんな感じよ」
笑いながら美紀はお店へと出て行った。
「いつもの自分じゃない・・・か」
智佐も髪をリボンで纏めてからお店へと出た。
お店はクラシカルな丁度遺品で纏められたシックな雰囲気を醸し出している。この辺は完全にマスターの趣味らしい。
「うちの食器は皆、ミントンなんだ」
花柄の可愛らしいソーサーやカップを並べつつ、マスターはコーヒー豆を挽いていた。
「前も来たから解っていると思うけど、ここはお菓子も自家製で美味しいんだよ」
美紀はコーヒーと一緒に出すクッキーを用意していた。このクッキーもマスターの手製だ。シンプルでありながら、しっかりと味が濃いのでコーヒーに合う。
「本当は紅茶を出したいけど、日本だとどうしてもコーヒーだからねぇ」
齢50歳を超える髭面のマスターは笑いながら言う。彼が言うように紅茶やハーブティもある。むしろコーヒーより多品種だ。
「さて、これから忙しくなるからね」
マスターに言われて智佐は不安そうにまだ、お客の居ない店に立つ。
「お客さんが来る前に色々と教えるね」
美紀は銀色のお盆を持ちながら智佐に声を掛ける。
「まずは挨拶。ここはメイド喫茶じゃないから、『いらっしゃいませ』で良いからね。そして、空いている席に案内して」
「普通の喫茶店なんですね」
「一度、来ているから知っているでしょ?」
「いや、この制服を着ている時に不安になりました」
智佐は恥ずかしそうにスカートを撫でながら言う。
「そう?まぁ、ちゃんとした喫茶店だから、来る人も意外と通よ」
「そうなんですか」
「変わった人も多いけど」
美紀は悪戯っぽく笑う。
時刻は4時を超える。この喫茶店の営業時間は午後7時まで。夕方から終わりまでは学校や会社帰りの人が一服したり、話をする為に寄る事が多い。
カランコロン
扉に付けられた呼び鈴が鳴る。
「いらっしゃいませ」
智佐と美紀が並んでお辞儀をする。
「あっ!メイドさんが増えてる!」
黄色い声が響く。智佐がお辞儀から頭を起こすと、そこには近所の高校に通う女子高生達がキャッキャと楽しそうにしていた。
「こちらへどうぞ」
美紀が手慣れた様子で彼女達を席へと案内する。
「ねぇねぇ、ミッキー。あっちのメイドさんは何て名前なの?」
(ミッキー?)
女子高生の美紀の呼び方に一瞬、驚く智佐。
「えーと・・・」
美紀は少し考え込む。
「チサポンよ」
「チサポンだって、かわいい!」
黄色い声が智佐に向かって飛んで来る。
「ちょ、ちょっと」
智佐はそれに驚き、戸惑う。
「チサポン・・・注文を取ってねぇ・・・」
美紀は強張った笑顔でそう言うと、厨房へとフェードアウトしていく。智佐はその姿を目で追いつつ、お盆に載せた水の入ったコップとお絞りを持って、女子高生達の席へと向かう。
「チサポン!チサポンは幾つなの?」
「どうしてメイドになったの?」
「チサポン、彼氏いるの?」
注文よりも智佐への質問を次々と繰り出す女子高生達。智佐はその攻勢に応えるよりもフリーズしてしまう。
「チサポン!あの銃を持ってよ!写真撮るから!」
「えっ?」
女子高生達が指差す所には壁に掛けられた古めかしい銃が飾られている。
「こんな所に・・・」
智佐は今になって気付いたが、調度品に紛れるように飾られていた。
「マスターの趣味なんだって、長い方はマスケット銃って言うらしいよ」
「マスケット銃?」
木目の美しいその銃はとても美しく見えた。
「チサポン。銃を手に取ってみなさいよ。どうせ、ここの伝統みたいなもんだし・・・マスターが喜ぶし」
美紀がやって来て、壁に掛かっていた銃を手に取る。
「マスケット銃って何ですか?」
智佐は不思議そうにその銃を見ながら尋ねる。
「マスケットは古い銃の種類よ。先から弾と火薬を詰める銃の事ね。それは後期のパーカッション式だけど、分かり易く言えば、火縄銃などもマスケットの一種ね」
「はぁ・・・」
智佐はイマイチ、理解していなかったが、美紀から銃を受け取る。
「重いですね」
あまりの重さに一瞬、落としそうになる智佐。
「それ、本物だからね。ちゃんと撃てないようにした無可動銃だけど」
「本物?無可動銃?」
「本物の銃を撃てないように細工して、誰でも持てるようにした銃の事よ。文鎮とかって言われるわ」
「へぇ・・・」
智佐は鉄と木で出来たそれにエアガンとは違う雰囲気を感じ取った。
「チサポン、構えて、構えて!」
女子高生達が楽しそうにスマホを構える。智佐はその長い銃身に戸惑いながら、とりあえず、構えてみる。
「違う。そうじゃない。もっと左手を伸ばして!」
突如、女子高生の黄色い声とは違う、おっさんの声が聞こえた。智佐がそちらに目をやるとマスターが大きなデジカメを構えている。
「もっと背筋を伸ばしてっ」
テンション高めのマスターの勢いに押されて、指示に従って、ポーズを取る智佐。
いつの間にやら撮影会となって20分ぐらいは色々なポーズを取らされて疲れ切る智佐。
「いやぁ、良い写真が撮れたよ」
マスターは今まで見た事の無い良い笑みを浮かべながら智佐に握手をする。
「はぁ・・・」
智佐は疲れ切った顔で握手に答えつつ、再び、喫茶店の仕事に戻った。
「チサポン、お疲れ」
夕方から女子高生をはじめ、次々と会社員などが店を訪れ、その度に銃でポーズを取らされる為に目立って疲れた智佐だった。更衣室で美紀に声を掛けられても弱々しく返事をするしかなかった。
「ここはマスターの趣味もあって、結構、マニアな人が通い詰めるからねぇ。新しい子が入ると通過儀礼みたいなもんよ。ちなみに今日、マスターがプロ用のデジカメで撮影した画像は多分、数日の内にはA1にプリントされて、その辺に飾られるわ」
美紀の言葉に智佐は心底嫌そうな顔をする。
「マジですか?」
「本気よ。マスターはメイドとマスケットの組み合わせとか好きだから。あと、リボルバーとかねぇ。リボルバーをクルクル回せたりとかすると涙を流して喜ぶよ」
「嫌です」
そんな会話を終えて、その日のバイトは終わった。
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