⑥ 「意外」とのみ人は言ふらむ
言葉は、悪気がなくても人を不快にさせてしまうことがある。
私にとって「意外」という言葉がそれである。意識始めたのはいつからか。はっきりとは覚えていないが、中学生の頃にはすでに苦手であったように思える。
私は小さい頃から、何かにするにつけ、意外だねと言われることが多かった。それだけ自分のことを披露することが苦手な子供だったのだろう。
意外という言葉は、予想・思考していたことと実際の物事が食い違うときに使われるものである。そちらの思惑と違うことを伝えられたところで、私自身は普通のことなのだから、どうとも思わない。
それに、意外と言われると、何か気の利いたことを言わなければならない、自分のことを詳しく説明しなければならない、と身構えてしまう。
一般的に意外だね、に深い意味はないし、言われたとてしても実は自分にはこういうとこあるんだよね、と答えれば済む話である。物事に触れた第一次的な感情を伝えているだけで、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
分かってはいるのだが、学生時代は、ありきたりで面白みのない会話だなあと瞬時に考えてしまい、あえて答えないようにしていたこともある。
とはいえ、意外という感情は、新たな一面の発見という喜ばしい出来事でもある。
自分のまだ見ぬ一面を相手が知ってくれるのは、喜ばしいことにほかならない。また、人に対して意外と口に出るときは、好意的な感情が含まれていることも多いのだ。
とはいえ、自分が使うときは、知らない一面を知った喜びが伝わるような言い方をするよう気をつけている。相手が万が一私と同じように意外という言葉が嫌いな人種の人間であるかもしれないからだ。
社会に出て分かってきたことは、意外という言葉は相槌に便利なのである。むしろ、意外と言えば喜んでくれる人の方が多い気さえする。
意外ですね。実はそうなんですよ。これこれこういうことがあってこうなったんです、と。
人間は孤独なのである。何かしらのつながりがある家族や学生と違って、社会に出るとほとんど面識がない人同士の場面に出くわすこと毎日であり、その場を取りなすためにほんのわずかな接点を大事にしなければならない。
そのわずかな接点が会話や信頼の拠り所なのである。意外と言う言葉は、その人について何らかの印象を抱いていたことを伝えることもできるし、その先の会話の進展を期待できる便利な言葉なのだ。
さらに、言葉を続けることで相手のことも知ることができる。自分のことを知ってもらえないことには、その拠り所に一緒に歩んでいけるかどうかもわからない。
意外のその先が大事なのだ。
私も相手から意外と言われたら、自分のことを説明できるようにはなった。意外という言葉に救われる場面も何回もあった。
いつしか意外と人から言われても動じない人間に変わってしまっていたのだろう。
幼い頃の自分が今の私を見たら、意外だねと驚かざるを得ないほどには。
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