⑤  さそふ水あればいなむとぞ思ふ

 私の職場の人たちの会話好きは、他の会社の方々とは比べものにならないレベルではないかと思っている。

 

 始業前やお昼の弁当の時間はもちろん、仕事中も終業後の残業の時間も、そこかしらで雑談する声が聞こえる。

 彼らに言わせると、毎日顔を突き合わせて仕事をしていると、気が滅入って仕方がないそうで、少しでも暗い気分を払拭させようとたどり着いた結果が、雑談に興じながら仕事をしようということらしかった。

 

 雑談の内容は主に時事ネタで、毎日の天気の話からスポーツ、政治に至るまで新聞やテレビに載っているようなことはほとんど網羅されている。

 私などは、職場での身分は著しく低いものなので、仕事しながら雑談をするという器用なことはできないが、従業員それぞれのデスクの距離が近いため、気づけば自然と会話に参加していることが多い。

 ただ、雑談の甲斐があってのものなのか、この職場の雰囲気はとても和やかで、あたたかい。

 

 とはいえ、私は、初めのうちはこの職場の緩さに馴染めずにいた。

 仕事の上で覚えるべきことも多く、また、目の前の仕事に打ち込むことこそ正義だと思っていた節があったため、雑談は邪魔でしかないと思っていたからだ。

 

 それに、人と会話しながら何かの作業をすることが単純に苦手だった。

 そのため、明確に私に会話を振られたとき以外は聞こえていても聞こえないふりをして雑談に参加せず、真面目に仕事をしているように振る舞いながら黙々と業務をこなしていた。

 

 そんな私だが、ふとあることに気がついた。

 それは、雑談をしているときは、みんなそこまで真剣に他人と向き合っているわけではない、ということである。

 それぞれが机の上の自分の仕事に向き合いながら、耳から入ってくる誰かの発言に、それとなくうなずいたり適当な相槌を打っているだけであることに気づいてしまった。

 

 これに気づいてからは、私の心はいくぶんか軽くなった。

 話を真摯に聞かなければ失礼になる、と身構えるから会話が億劫になるのであって、仕事中はあくまでそれぞれ自分の作業が意識の中心でよいのであり、余裕がある者が適当に呼応する、という程度に雑談に向き合えばよいのである。


 気持ちが軽くなってからは、会話も自然に耳に入ってくるようになり、また雑談の中でアドバイスを受けたりもするため、一人黙々と作業していたときよりも捗るようになった。

 いかなる仕事にも必ず存在する繁忙期というものを乗り越えたときは、雑談によって辛い仕事を乗り切る、という考えも理解できるようになっていた。

 

 ただ、理解できる者もいれば、当然理解できぬ者もいる。

 私の少し前に入社した先輩は、この雰囲気に馴染めず、結局職場を移した。


 この先輩とはよく連絡を取り合うのだが、あるとき、「一緒に働かないか。」という話を持ち出してきたことがある。

 嫌いではないが特段好きでもない先輩からの誘いの言葉ほど、ありがた迷惑という言葉が当てはまるものはない。


 誘いに対して私は、目の前の燻製チーズをつまみながら、「そうですね。機会があればぜひ。」と平然と返していた。

 日頃培われた雑談力が、大いに発揮された瞬間である。

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