第12話 その時を夢見て(6)
雲が月を覆い、月明かりが消える。
その間に、妖刀は闇に紛れ立ち去ってしまった。
「吉次郎!! 吉次郎!!」
雲の隙間から、再び月明かりが差した時には、すでに橋の上に血の海ができていて、吉次郎は意識を失っていた。
八百比丘尼は吉次郎を抱きかかえて、何度も何度も名前を呼んだ。
舌を噛んで、治癒の力がある自分の血液を飲ませようとしたが、間に合わない。
「どうして……こんな事に…………私なんて、助けなくても…………八百比丘尼なんだ…………不死の体だと、お前だってわかっていただろう?」
八百比丘尼は、吉次郎の胸に耳を当て、泣いた。
吉次郎の心臓の音が、弱くなっていく。
「あぁ、私のこの命が、この終わりのない命が…………お前に与えることができたら、どんなにいいか————」
涙で視界が歪む。
また、雲が月を隠して、光が見えなくなった。
もう、吉次郎の心臓の音は聞こえない。
川の流れる水の音だけだった。
* * *
「吉次郎!! 吉次郎!!」
声に気がついて、目を覚ますと心配そうに覗き込む顔があった。
「おい、大丈夫か? この血はなんだ? お前斬られたのか?」
「
弥七は、吉次郎と共に辻斬りの見回りに出ていた男だ。
状態を起こして、周りを見渡すと、自分の周りが血の海である事に気がつく。
どうしてこんなところで寝ていたのか、記憶を辿る。
(そうだ、辻斬りに……吉次郎が斬られて————)
「弥七、吉次郎は!? 吉次郎はどうした!?」
「は?」
「は? じゃない!! 辻斬りに遭ったんだ!! 吉次郎が斬られて……それで——」
「おい、何言ってんだ? お前、頭でも打ったのか?」
「……え?」
弥七は眉間にシワを寄せて首を傾げる。
「吉次郎はお前だろう?」
「——え?」
「辻斬りに遭ったのは、あっちの尼様の方だろ?」
弥七が指をさした先には、筵の上に横たわる八百比丘尼の姿があった。
「残念だけど、あの尼様はもう…………」
(ちょっと、待て!! どうなってる? なんで私が死んでいる!?)
この状況が信じられず、八百比丘尼は自分の手を見た。
その手は、美しい尼僧の手ではなく、大きくて力強い、吉次郎のものだった。
八百比丘尼は、吉次郎の命を救った代わりに、本来の体を失い、その魂だけが、吉次郎の中に移ったのだった。
数百年生きて来て、初めての出来事だった。
* * *
翌日、吉次郎の家の者も、近所の人たちも、八百比丘尼の死を悲しんだ。
皆が泣いている中、吉次郎は涙ひとつ見せない。
誰よりも八百比丘尼を慕っていた吉次郎の態度を不審に思った母が声をかけるが、吉次郎は、八百比丘尼が自分の中にいることを知っていた。
朝目を覚ますと、昨夜起きた出来事を、自分の中にいる八百比丘尼が教えてくれたのだ。
吉次郎の中に、八百比丘尼は確かにいる。
いつだって、心の中で話すことができる。
埋葬された八百比丘尼の墓の前で、皆泣いていたが、吉次郎にとっては泣くことではなかった。
こうして、八百比丘尼はその体こそ失ったものの、吉次郎の中で、共に生きる事になった。
そして、不死の体にはなった吉次郎は、その後、この辻斬り事件を八百比丘尼と共に見事に解決し、町の英雄となった。
しかし、不死であることに変わりはなかったが、吉次郎の体は歳とともに老いていく。
本来の寿命を終えると、その体の中に残った魂は、八百比丘尼のものだけとなった。
彼女が永遠に終わらない命であることは、変わらなかった。
八百比丘尼は、一人になった後も、吉次郎としての人生を数年生きた後、また別の人間の体に移って、永遠の時の中を生きる。
何度も、何度も、別れを繰り返しながら……
自分をこんな化け物にした、あの女狐に復讐する時を……
いつか来る、その時を夢見て————
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