第10話 その時を夢見て(4)



 八百比丘尼が生き霊を祓ったことで、吉次郎の父と義妹の不貞が判明し、吉次郎も母親と実家で暮らせるようになる。

 八百比丘尼は、隣の紺屋で染物の手伝いをしたり、近所の子供達に各地で見聞きしてきた話を聞かせたり……と、久しぶりに幸せというものを感じながら過ごした。

 何より、吉次郎の母親が作る料理がとても美味しくて、気に入っていた。

 ここには、優しい人たちと、美味しいご飯もある。

 いつまでもここにいられたら、どんなに幸せだろうかと、八百比丘尼は思っていた。

 それは叶わない夢だと、わかっていたけれど、そう願わずにいられれなかった。



 それから10年ほど過ぎた夏の終わり頃、吉次郎に縁談の話が来る。


「尼様は、どうして歳を取らないの?」


 吉次郎は縁側で満月を眺めながら猫を撫でていた八百比丘尼の横に座り、じっと横顔を見つめていたかと思うと、急にそう言った。


「もう、10年も前になるのに、尼様はずっと、あの頃と変わらず綺麗なままだ」



 あの頃、まだ幼かった少年は、体も、声も、初めて出会った時とは違う。

 もうすっかり大人の男になり、子供の頃からの怪力であった吉次郎は、その類い稀なる身体能力を剣術を磨いて武士となり、町奉行所に配属されていた。


 そして、彼は大人になるにつれて、八百比丘尼に恋心を抱くようになっていった。

 八百比丘尼は吉次郎のその思いに気がついていたが、知らないフリを続けている。


「それはそうさ……私は八百比丘尼だからな。不老不死の身だ。他の人間とは違う理の中で生きている」


「子供の頃は、嘘だと思ってたけど……本当なんだね」



 八百比丘尼は、歳を取らない。

 だからこそ、ずっと一つの場所にとどまり続けることはできない。


 周りが年老いて行く中で、異質な彼女は、やがて気味の悪い————化け物として扱われるのが落ちなのだ。


(そろそろ、潮時かもしれない……)



 彼女のその思いを察したのか、吉次郎はなかなかこちらを向いてくれない彼女の手に触れる。

 驚いた拍子にわずかにビクついた彼女の膝の上で眠っていた猫はどこかへ行ってしまった。



「尼様…………ずっと、ここに、俺のそばにいてくれないか?」



 吉次郎は、彼女の手を掴むとそう言って、正面に立って、その青い瞳をまっすぐに見つめる。

 その瞬間、あの日座敷牢の窓から見た少年の姿が重なった気がした。



「……何を言っているんだ、吉次郎。お前、縁談の話がきているんだろう? 私がお前のそばにいられるわけが…………」


「縁談なんて、どうでもいい。俺は、尼様がいれば、それでいいんだ。俺は尼様と夫婦めおとに————」



 夫婦になりたいと、吉次郎が言いかけたその時だった。


「吉次郎!! 大変だ!!」



 同じ奉行所の者が、吉次郎を呼びに来た。


「どうされました? こんな時間に」

「また現れたんだ!! 辻斬りが!!」



 吉次郎は、八百比丘尼の手を離す。


「尼様、戻ったら話の続きを————」


「あ、あぁ……気をつけてな」


 八百比丘尼は手を振り、吉次郎を送り出した。

 怪力の彼が力を込めすぎないように優しく触れていた温もりが、まだ残っている。



(吉次郎が戻ってくる前に、ここをさらなければ————)



 はっきりと、口にされては、断ることが難しくなると、彼女はわかっていた。

 彼女も、吉次郎を愛していた。


 だけど、それは、吉次郎にとっても、その家族にとっても、いいことではない。

 このままここにいたら、世話になったすべての人に迷惑がかかる。



 歳を取らず、死ぬこともない。

 それに、彼女は復讐の為に人を殺している。


 今も尚、復讐のその時を夢見ている。


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