第21話 Ⅲ-③
「今日は本当にどうもありがとうございました。またこれからもお世話になると思いますけど、どうぞよろしくお願いします。」
住職にもう一度お礼を言って、恵と一緒にお寺を後にする。正門の所まで見送りに来てくれた住職が別れ際に
「あっ、そうそう。これ新しい分だから渡しておくね。お金はまた今度でいいから。」
と言って薬を渡してくれた。いつもの味のない薬だ。一錠3円程の。小さくて白くて丸い、頼りない大きさだが、私にとっては絶対的な存在の薬だ。私がこの薬と出会ったのはいくつの時だっただろうか?覚えていない程幼い頃、お父さんに連れられて、この流安寺に一緒に来た時だったと思う。
お父さんもこの薬の常用者だった、と言っても何事にも飽きやすいお父さんはいつの間にかやめてしまったようだが。住職がお父さんに
「インドから仕入れた、菩提樹の葉を原料に作った特別の薬で、飲むだけで徳を積むことができる修行薬だよ。」
と紹介し、1錠3円ということもあって大量に購入した物を、お父さんからもらって飲んだのが始まりだった。
お父さんは小乗仏教に端を発する、いわゆる新興宗教の信者だった。その影響もあって私は小さい頃から座禅や断食などの修行に慣れ親しんでいた。だからと言って私はその新興宗教の信者ではなかったし、和尚さんも信者ではなかった。そもそもその新興宗教は、とある事件のせいで今はもう解散しており、信者と呼べるような人は数人しか残っていない状態にある。その事件というのがマルチ商法がらみの詐欺事件であり、私のお父さんは完全に信じ切っていたため、被害を最大限に被った。その心労が祟って、お父さんは私が高校生の頃に事故で死んでしまった。自殺とも取れるような事故死だった。もし自殺なら、曲がりなりにも厳格な仏教徒でありながら、戒律を破らなければならないほど追いつめられていたのだろう。
その心中は想像に耐え難いが、お父さんは死ぬ前は飲めもしないお酒に溺れ、私や恵に八つ当たりして暴力をふるうことが度々あった。それに、私と精神病の恵と病弱なお母さんと山程の借金を残して死んでしまった事実は変わらなかった。だから私はお父さんが死んでも涙を流すことはなかったのだ。
そんな事情もあり、私は自分の納得する、理解できる仏教の教えを選択的に信仰するようになっていた。宗派でいうと考え方が近いものもあるが(流安寺が属する宗派がそれに当たる)、その教えをまるまる信じることはできなかった。しかし、宗教に答えなんてものは存在していないのだから、自分が信じられるものを信じる、それでいいと思う。
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