第8話 Ⅰ-⑧
お世辞にもきれいとは言えない玄関を開け、家に入ると妹の恵 (めぐみ)が玄関前で私を待っていた。
「お姉ちゃんお帰りぃ。あのね、あのね…。」
玄関で靴を脱いでいる私に恵がまくし立てる。私より三つ年下の妹、恵には生まれつき障害があった。
自閉症スペクトラム。
高機能自閉症の一種で、勉強などの知能面ではほとんど問題なく(特定の分野では劣るが、逆に特定の分野では健常者に勝る)、一見すると外見や言語によるコミュニケーションも正常に見えるが、他者への関心が薄く、決まり切ったパターンに固執する特徴のある障害だ。一昔前はアスペルガー症候群などとも呼ばれていた。何らかの原因で脳が正常に成長せず、機能が阻害されたまま発達してしまうために起るらしい。原因は諸説あり、現代の医学でも解明されていない部分が多く、そのため治療法も確立されていない。
以上が私が医学事典など複数の書籍で調べた結果、恵の症状から導き出した結論だった。と言っても、現代でも認知度があまり高くない病気であり、私が恵の事を病的なものと感じるまで、そして調べて結論を出すまでにかかった時間はかなりのものだった。
昔は恵の病気を治してあげたいと願ったものだった、今はもう一種の諦観に到っていた。むしろ、世の中の知らなくて良い汚い部分に触れなくてプラスに働いていると考えることで問題を合理化していた。それに、恵には出来るだけ綺麗なままでいて欲しいという本音もあった。
「私、今日は一日中猫の絵描いたんだよ。猫の絵描いたんだよ。猫の絵描いたんだよ。」
恵がしきりに私に猫の絵を見せながら語りかけてくる。疲れて帰ってきたばかりなのにおかまいなしだ。医学的な説明では分かりにくいかもしれないが、これが自閉症スペクトラムの症状である。平たく言うと『空気が読めない』のである。この症状のせいで恵は小学校高学年から中学校にかけてひどいイジメにあった。学校から泣きながら帰ってきた恵があまりにもかわいそうで、よく一緒に泣いて恵のことを励ましたものだった。
こんなに可愛い恵をイジメるなんて私にはとても信じられない行動だ。もちろん私もこの症状を鬱陶しく思うことは今でもあるけれども、人間なんて多かれ少なかれ空気の読めない自己中心的な存在であり、悪気のない分、恵の症状は私には個性として可愛く見えた。
「良く描けたね、恵。ところでお母さんはもう寝たの?」
私が問いかけると、
「すっごくうまいでしょ。今日がんばったんだ。えへへ。」
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