第12話   三田界隈


 翌朝、目を覚ますとすでに外は明るい。見上げると、幼い河田家四男、羆之助くまのすけが武家の子弟らしく身なりを整え、いかにも利発そうな顔つきで枕元に端座している。羆之助は恵吉が顔を濯ぐための桶と手ぬぐいを用意していた。風自楼には何人かの門人も奇遇しており朝からすでに家人の忙しく行き交う足音が響いている。恵吉は顔を洗いながら、自分ひとりが朝寝坊し、こうして子供たちの世話になっていることを心から恥じ入った。


 恵吉はすぐに身支度をととのえ、子供たちや内室だけでなく、師匠にも礼を述べいとま乞いをしようとしたが、不覚にも迪斎はすでに出勤していた。あとで知ったことだが、その前日に四隻の黒船が浦賀沖に現れた。マシュー・ペリー提督率いるアメリカ海軍東インド艦隊が日本本土へ初来航したのだ。すでにその報告は江戸城に届いており、林家当主であり大学頭だいがくのかみである林復斎にも登城の命令が下っていた。風自楼は、林家当主宅と隣り合わせである。実質林家の秘書官である隣家の河田迪斎にもすぐさま情報は伝わることになっていた。従いその朝も、黒船来航の報を受けた迪斎てきさい復斎ふくさいに従ってあわただしく登城した後だった。


 この日を境に江戸幕府の屋台骨だけでなく日本そのものの歴史がおおきく揺れ動くのだが、とはいえはその渦中にいる迪斎自身もこれがその後、翌年の再来航までつづく文字通り忙殺の日々の始まりだとは思ってもいない。


 朝方、栗原恵吉は風自楼を出立し、昨日来た道を大棚村にむかってそのまま戻った。帰路、ちょうど昼どきだったこともあり、恵吉は三田の札ノ辻ふだのつじの手前にある茶屋に立ち寄った。その時分には黒船が浦賀に来航したという知らせは、江戸の町民にも伝わっており、当然、恵吉も知っていた。そのせいか往来の様子もこころなしか騒がしい。


 恵吉が毛氈もうせんの敷かれた縁台に腰かけながら団子を頬張っていると、そのとなりに汗臭いにおいとともに一人の武士が無造作に腰かけた。身にまとった道着の襟元えりもとあかじみている。竹刀しないや剣術用の防具がその傍らにあるため、一見すると、剣術道場通いの武士であった。歳のころはまだ二十歳を超えたばかりの若者に見える。しかし、武士にしては顔は真っ黒に日に焼け、しかも髪は流行りの総髪に結っていて、もみあげなどはぼさぼさであり、ふるまいも粗野でいかにもいかがわしい。恵吉はこの手のやからは苦手だった。


 そのとき男と目があった。男は愛嬌たっぷりの笑みをうかべた。その拍子に恵吉の警戒感が緩んだらしい。男はなれなれしくも旧来の友人のごとくにいつのまに恵吉の心の隙間にもぐりこんでいた。

「これからどこへ?」

「――中原道を下って都筑郡の大棚村にもどります」

 とうっかり答えていた。男はなにも言わず押し黙った。恵吉も沈黙を決め込んだ。このまま会話が終わればそれでいいとおもった。しかし、男が目も合わすことなくあまりに無関心な態度を取るので、その沈黙に耐え切れず、思わず自分の方から問いかけを発していた。

「……あなたはどちらへ行かれるのですか」

「わしはのお、大事をなしたい」と言って男は恵吉を見ながらまるで悪鬼のごとくに笑った。恵吉は気味の悪さを感じたが、同時に男の言葉に興味もおぼえた。

「大事とは、どちらです?」

「大事は大事じゃ、どこにあるかわからんが、大事をなすためならどこへでも行くつもりじゃ」

 ふたたび沈黙が流れた。奇妙な沈黙だった。まったくよどみのない、いままで経験したことのないおだやかでさわやかな沈黙である。その心地よさのせいか、恵吉も男に応じてがらにもなく詩的な言葉を発していた。

「わたしの大事は、村のためにこの身をささげることです」

「――ほう、だから村に帰るのじゃな」

 といって男は、あごに手をあてながら、こきざみにうなづいた。

「ちかごろは、壮士気取りで天下国家を論じる輩が多くてかなわん」

 と、その壮士の象徴ともいうべき総髪の頭をつるんとなでた。

「いやあ、わたしなど天下国家のことは皆目わかりません」

「わしにもまったくわからんが、みんなわかっとるんかのお?」

 と男は心底困り顔で身をかがめながらつるんと頭をなでたが、そのときの照れくさそうな男の表情がおかしてく恵吉は思わず吹きそうになった。

「武士の悪い癖じゃ」

 恵吉の顔を見ながら男はポリポリ頭をかいている。

「武士だけではございません。ちかごろでは武士になりたいなどという百姓も増えております。わたしの村でもそういって村を出た若者がおります」

 げんに大棚村の若者の一人が田畑を捨て牛込にある天然理心流試衛館てんねんりしんりゅうしえいかんの門人になるべく出奔しゅっぽんしたばかりだった。

「むやみやたらに天下国家じゃと息まいて刀をふりまわしてもしょうがないきに。二本差しなんぞより、商人にでもなった方がよほど国の為になるいうんが、わからんのぜよ」と男はいつのまにかお国言葉丸出しになっていた。


 恵吉はうなずいた。


 ちかごろ、尊王とか攘夷という言葉がにわかに流行しているが、恵吉はそうした言葉にまるで興味をしめさなかった。そうした思想は皆、空虚でつかみどころがなく、むしろ現実の問題から逃げているように思えた。また同じ理由で近頃流行りの復古神道にもまるで関心がなかった。同じ神道なのに、なぜか、そうした威勢のよい過激な思想は杉山神社のように農民の日々の生活やささやかな信仰に根差した素朴で古俗的な神社の系統とはまるで違うもののように感じられたのだ。


 どうやらこの男は恵吉が嫌悪しているそうした人種とは少しちがうらしい、と恵吉は思った。

「失礼ですが、お国にはどちらですか」

「土佐よ。四国の」といって男は空を見上げている。


「ではあなたは、天下の大事をなさるためにお国を出て江戸で修行をされているのですね」

 男は茫洋とした眼差しでさらに遠くを見つめながら大きくうなずいた。

「それに比べればわたしの大事など小事です」

 恵吉は、自分の行いを卑下したわけではないが、少なくとも素直にこの男は自分よりも大きなことをする器だと思った。

「なにをいう。それでよい、事の大小は問題ではない。事の成否が問題だと思うのだ。もちろん成否は天命にある。しかし人事を尽くすこと、すなわち、事を必ず成すの覚悟と確たる目的、そして周到な計画こそが大事じゃ。じゃがのお、わしはなにをすればよいかもまだなんもわからんきに、こまったもんじゃ」

 と長い脚を伸ばしながら、うれしそうに首をすくめた。

 ふーんそんなものだろうか、と思いながら、恵吉は、いつしかこの南国出身の楽天家に興味を覚えていた。

「ところでおまんは、江戸には何しに来ちゅうがよ?見たところ行商の風体ではないようだが……」

 恵吉は、学問所に出入りしていること、そして杉山神社の論社に関する背景と師である河田迪斎に大棚社への碑文揮毫をお願いし、受け入れられた顛末てんまつをかいつまんで説明した。

 男は恵吉の話に神妙に耳を傾けた後、「そんなものを建ててどうするのじゃ?」とあごに手をあて多少疑り深い表情で感想を述べた。


 しかし恵吉に戸惑いはない。「村民の誇りと安心と団結をとりもどします」ときっぱり答えた。


 男の目の色が変わったことに恵吉も気がついた。

「なるほどのお」と男は愛嬌たっぷりに目じりを下げながらなんどもうなづいた。その表情は恵吉の言葉の意味だけでなく恵吉の人生観そのものもたちどころに理解したといった表情だった。

「おまんはおとこじゃ」そういってさらにうなずきながら団子をうまそうに頬張った。


「あのお、お名前は?」

 と聞こうとおもったが、男は剣術の防具を入れた竹あみ籠を背中にかつぎ、すっくと縁台から立ちあがった。立ち上がると存外に背が高く、まるでに頭上に広がる夏空の白雲を文字通り衝きぬけんばかりである。

「それにしても、村人の誇りとはよう言ったもんじゃ」そういって男は愉快そうに大声でガハガハと笑いながら、「わしはのお、常々この国の行先を照らすともしびになりたいっち思うとるんじゃが、おんしゃはさしずめ足元を照らす灯じゃのお」といって青空に浮かぶ一朶いちだの雲を睥睨へいげいする姿は、まるで山賊か海賊の親玉のようであった。

「いえ、わたしの灯は蛍の光でございます」と恐縮しながら恵吉も心底愉快な気持ちだった。


 そして男はそのまま恵吉の方を振り返ることなく「今日はわしのおごりじゃ」と懐から桔梗紋ききょうもん巾着袋きんちゃくぶくろを取り出すと、小銭を太い腕でつかみだし、茶屋娘に手渡した。


 恵吉は呆気にとられ、あわてて男を呼び止めた。しかし、男は、意に介する様子をけぶりほども見せない。そればかりか、

「ほいじゃ、わしは黒船を見てくるぜよ」

 とこともなげに言い放った。


 その様子から見て、てっきり稽古の汗を流しに銭湯にでも行くのだろうとおもっていたが、どうやら、これから大棚よりもさらに遠い浦賀にまで遠出しようというのだ。当然日帰りでは無理な旅程である。しかしどうみても旅姿ではないし、たまたま、道場帰りに思いついたので、道草でもするように東海道十里の道のりを往復しようというのだから正気の沙汰とは思えない。


 しかし男は、もう歩き始めている。くしゃくしゃの袴を正面の海から吹き付ける潮風になびかせながら。


 そして、もし縁が会ったらまた会おう、といういわんばかりに滑稽に見えるほどひょこひょこ左右に肩をゆらしながら、視界から徐々に遠のいてゆく。


 恵吉もおもむろに縁台から腰をあげた。頭上には梅雨明けを思わせるような碧い空が広がり、そこかしこに長雨の間に地表に溜まった水分がいっぺんに蒸発してゆくような蒸し暑さが立ち込めている。


 恵吉は東海道にむかう男の背中を見送った後、中原街道に向かって歩き始めた。芝浦から吹き上がる潮風を背中に受けながら時代が動きはじめていることを恵吉もかんじとっていた。だからこそむやみに前を急ぐのではなく、自分にできることとして、根本を見直し足場を固めることの必要性も強く感じていた。


 行く手の聖坂には寺町の土塀沿いにできた片陰がくっきり浮かび上がっている。恵吉はその陰にひそむわずかな涼を足裏でかみしめるように坂道をのぼっていった。ふもとの竹林からうぐいすの鳴き声が響いた。


 嘉永六年(1853年)の夏の日のできごとだった。

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