第228話 隠し泉というロマン

人間の三大欲求については周知だと思う。


一般的には、食欲、睡眠欲、性欲の3つがカテゴライズされているが、人によってその重要度はバラけていると思う。


そして、その中に別の物が入る人が居るのが現代という場所とも言える。


いや、あくまで前世の俺の偏見だけどね。


さて、俺の場合はきっと基本となるその3つに加えて、さらに2つほど追加されてるのかもしれない。


まずは婚約者とのイチャイチャ、まったり欲。


前世で愛に飢えて過ぎていたのと、ハードな日々に疲れていたからそれは当たり前として。


さらに俺の根幹をなすもう一つこそ――そう、『水欲』である。


水欲……すなわち水を求める欲だ。


その形は問わない。


目で見て楽しむもよし、口にして喉を潤すもよし、お風呂で湯に浸かって満たされるもよし。


生命にとって必要不可欠でありながら、前世から俺が恋焦がれすぎていたそれは俺の三大欲求を五大欲求にさせてしまったのだが、今はそれはいいとして。


「隠し泉……」


トールからその存在を聞いた瞬間、ゾクッと体が震えた。


なんて素敵な響きなのだろう。


神秘的で、神々して、そしてどこか愛おしい響き。


思わず踵を返して飛び出しそうになると、トールは分かっていたとばかりに俺の前に立ち塞がった。


「邪魔をする気かい?トールくんや?」

「話の途中ですから。少し落ち着いてください」

「失礼な。俺はいつだって冷静巾着だ」

「沈着にして貰えると幸いです」


噛んだだけなのにそこまで責めなくても……まあ、それはそれとして。


「トール、隠し泉だぞ?これ程蠱惑的な響きがこの世にあると思うか?」

「沢山あると思いますけど」

「青いな……青すぎるよトール」


まだまだ成人したてだし、トールは若いからこそ水の素晴らしさが分からないのかもしれない。


いや、若くても分かる人はいるし、それは違うか。


まあ、それはいいとして。


「一応、殿下の方が年下なんですが、そこはいいとして……場所も聞かずに飛び出して、どうするんですか?」

「魔法で探し出す」

「……それが出来るから困るんですよね。でも、そうじゃなくて」


何が問題だと?


「その探索で時間を使うと、殿下は他の予定を放り出す恐れがあります」

「仕方ないじゃん、隠し泉には勝てないもの」

「アイリス達とデートする約束も反故にできると?」


それは無理だな。


「なら、それ以外の予定を消すか」

「その思考の時点でかなり冷静じゃないんですが……まあ、では仮定の話をしましょう」


それはいいけど、諭すような言い方はどうなのだろう?


「それらの予定を消して、隠し泉を見つけたとします。その予定で殿下の信頼が落ちれば、アイリス達にも影響があるかもしれません」

「その分後で働くよ。これまで以上に婚約者達に相応しくなってみせる!」

「それをしてしまうから怖いんですよねぇ……まあ、でもそれは止めた方がいいかと」

「理由は?」

「後で思い返して、心配するアイリス達の様子に殿下が後悔するからですよ」


今は比較的余裕のあるスケジュール(とはいえ、まいにち何かしらはある)で動いているとはいえ、隠し泉を見つけるのにはそれなりに時間がかかるだろうし、その発見までを楽しみたい俺としても時間をかけたい。


そうなった場合に、後々忙しくなって多忙な俺を心配する婚約者達。


その姿を想像すると少し冷静になった気もする。


とはいえ、俺の中で水欲が消えることがないのも事実。


「よし、妥協案でこの後オアシスに向かうか」

「何でそうなるんですか?」


心底意味が分からないという表情のトールだけど俺が落ち着いたことは分かったのか一安心といった様子だった。


確かに水欲は俺の中で強すぎて、核とも言うべきものだけど、理性と婚約者達の姿を天秤にかけると己のエゴを突き通すような真似が出来るほど俺は強くはなかったらしい。


それに、アイリスやレイナ、セリィにアイーシャにあまり心配はかけたくないし、不安にさせたくない。


隠し泉でテンションの上がった水欲を何とか落ち着かせるには、それ相応の水欲を満たせるものが必要。


幸い、トールとケイトの送り迎え以外は今日のスケジュールには余裕があるし、その時間で雄大で俺の原点とも言えるオアシスで時を過ごせば多少は落ち着くはずなのでそうするべきだろう。


「トール」

「何でしょう?」

「サンキュー」

「……どういたしまして」


感謝する必要があるかは定かではないけど、隠し泉の情報は助かったし、多少は理性的にもなれたのでそう言うとどこかやれやれと言いたげな様子で頷くトール。


まるで手のかかる主君に四苦八苦してる家臣みたいだけど、そんなにトールに迷惑はかけてないはずなのでそれは止めてくれない?


なお、そんな風に俺とトールのやり取りケイト家族は見ていたけど、ケイトがいつのも俺とトールのやり取りと説明すると簡単に納得して後は放置されていたので少し悲しくもなる。


逞しい義家族で羨ましいよ、トール。


『ええ、僕もです』


視線で同意されてしまうが、何にしても隠し泉か……楽しみだなぁ。

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