中編

 教会の前に並ぶ人々を見るのは初めてだったノキは、興味津々にその列を見回している。


「お爺、これは何? 並んでたらお菓子でも貰えるの?」


「ははは。もっとありがたいものが貰えるんだよ」



 人々はいつも通りロデリックに、しかしいつもと違い、その横をうろうろしているノキにも話しかける。


「ロデリックさん、おはようございます。ノキちゃんもおはよう」


「ロディ爺、今度からノキにマッサージしてもらいな。可愛い女の子のほうがいいだろ?」


「ノキ、ロディさんがいてくれるとはいえ、魔物には気をつけるんだよ」


 ロデリックがそれぞれに返事をしている間、ノキはぽかんと様子を眺めているだけだった。


「……なるほど。お爺は村のアイドルなんだね」


「その言い方はどうかと思うが……。皆、優しいからね。このジジイをいたわってくれているのさ」


「でも次期アイドルの座はボクが狙うから」


「なぜ対抗心を燃やしているんだね」



 今度は、あの細身の男の子が列に並ぶ親から離れて駆け寄ってきた。


「ロディ爺ちゃん、この前はごめんなさい」


「いやいや。わかってくれればいいんだよ。ノキとも仲良くしてくれているしね」


「そういえば、ノキもようやく教会デビューなんだね」


「キョーカイ?」


 ノキはその程度の知識もないようだが、友達となった少年は親切に教えてやった。


「神様にお祈りをする場所だよ。みんなが幸せに暮らせますようにって」


「神? 神ならボクも知ってるよ! 世界を創ったのとか、作物を実らせるのとか、死んだ人の魂を連れてってくれるのとかー……」


「へぇ……そんなにたくさん神様がいたんだ」


 確かに昔は様々な神々が信仰され、それぞれの神話が伝わっていたが、ノキがそんな多種多様な神々のことを知っているとは意外だった。


「神に祈るのはいいことだよね♪ ここは何の神を祀ってるの?」


「じゃあ、入ってからのお楽しみにしよう。今のうちに予想しといて」


「えー? 意地悪!」


 少年のほんのり赤らんでいる頬を見て、ロデリックは顔を綻ばせた。



 礼拝堂の中にそびえる大きな石像を見ても、ノキにはぴんと来なかったようだ。


 ロデリックは自分のせいで椅子を確保できなかった彼女を膝に乗せ、問いかけてみる。


「あの石像は何の神様だと思う?」


「えー? 女神だっていうのはわかるけど……」


 石像をまじまじと見つめながら考えあぐねるノキに、正解を明かす。


「昼の神、ディーエ様だよ」


 ロデリックが期待していた反応は、返ってこなかった。



「ディーエ……!!」



 ノキは膝から立ち上がり、驚いたような、絶望したような、どこか憤っているような、血の気の引いた深刻そうな顔で、石像を一点に睨んでいる。


「ノキ……? どうした」


「……。あの神に祈っちゃいけない」


「それは……なんで」


「なんでも!!」


 その大声に人々が振り返り、ロデリックはしまったと冷や汗をかく。



「なんだなんだ」「ディーエ様に祈るなって聞こえたけど……」


「ディーエ様を冒涜したの?」「罰が当たるぞ!」


「あの子、邪教の信徒なんじゃ……」「やめろ、ロデリックさんに失礼だ」


 ざわめきとともに、皆のノキに対する不信感が大きくなっていく気がした。



「ま、待てみんな!! ノキにも何か事情があるはずだ。この子は村の外から来たのだから、この村の基準であれこれと決めつけてはいかん。そうだろう?」


 方々から聞こえていた声はいったん静まったが、懐疑心が消えた様子はない。


「ノキ。説明してくれないか。どうしてディーエ様に祈ってはいけないのか」


「……」


 幼子は苦い表情のまま俯き、沈黙している。


「君個人が祈りたくないだけなのかい? それとも、みんな祈ってはいけないのか?」


「……みんな、ダメ。ディーエに祈ったところで魔物は減らないし、作物も実らない」


「神様に祈るのはいいんだろう? 他の神様なら、問題ないのかね」


「うん、まあ……」


「どの神様なら大丈夫なんだ?」


「――……ノクシア」


 その名を聞いて、皆が凍りつく。



「あれは邪神の遣いだ!!」


 熱心な若き神官の大声を皮切りに、騒ぎが広がった。



「なんてことだ、あんな女の子が!!」「子供を使うなんて、許せない!!」


「魔物の害もあいつのせいか!!」「すっかり騙されたわ……」


「あれは忌み子だ、追放しよう」「そうだ、追い出せー!!」



「静かにしろッ!!!」



 平生は温厚な老人の、雷鳴のように猛った叫び声は、一瞬にして辺りに静寂をもたらした。


「お……お爺? ボクのことは、いいよ。村から出ていく。ここじゃ暮らせないみたいだから……。あの、短い間だけど、お世話に――」


 立ち上がっていたロデリックが鋭い眼差しで見下ろすと、ノキは口をつぐんだ。


「……どこに行くと言うんだ」


「あ、いや……。本当は、帰る場所はあるんだ。一応ね。そこに……戻るよ」


「ワシと一緒に暮らすのは嫌か」


「そういうわけじゃ、ないけど……」



 ふう、と息を吐き、ロデリックは強張っていた身体の力を抜く。


 そうしてぐっと覚悟を決め、一歩前に踏み出す。



「ワシは毎晩、ノクシア神に祈りを捧げていた」



 唐突な告白に、全員が目を見張る。


「今、降りかかっている不幸が邪神の仕業だとするなら――原因はワシにある。来たばかりのノキは関係ない」


「ちょっ……お爺――」


「明日、ワシはノキとともに村を出ていく。今まで世話になった」



 ロデリックは戸惑ったままの幼子の手を引き、教会を去っていった。



「待って!!」


 家路につく2人を呼び止めたのは、今朝ノキと話していたあの少年だった。



「君か。あまりワシらと話さんほうがいいぞ」


「ロディ爺ちゃん、言ってたじゃないか。ディーエ様は優しい心を持っているから、戦いに勝ってもノクシアを許したって。みんながディーエ様を信じているなら、2人のことも許してくれるよ!! 僕、みんなを説得するから……」


 ロデリックは、心優しい少年の頭をそっと撫でてやった。


「そうだな。みんな本当は優しいんだよ。ワシが隠し事をしていたのがいけないんだ。すまないね」


「でも、だって……嫌だよ。行かないで……ノキ……」


 今にも泣きそうなその少年に、ノキは寂しげに微笑んだ。


「……ありがとう。気持ちは嬉しいんだけど……ごめんね? 君の想いには、応えられないと思う」


「……」


「君のことは忘れないよ。大切な――友達、だから」



 ――どの神様でもいい。あの少年の行く先に、幸多からんことを。


 小さな嗚咽を背中で受け止めながら、ロデリックとノキは足を速める。



  ◇



「……本当に、よかったのか? あの子のことは――」


「傷つけちゃったかもしんないけどさ……きっぱり断ったほうが、後腐れなくていい」


 そういうことに関して、ノキは存外大人びた考え方を持っているらしかった。



 旅立つ準備に1日はかかると思っていたが、隠居老人の持ち物で必要なものはそれほど多くなく、すぐに荷造りが完了してしまった。


 着の身着のままで来たノキも同様で、今すぐに出発しても差し支えないほどだったが、その提案は2人の口からは出てこなかった。



「その――お前の『帰る場所』というのは、どこにあるんだ」


 ノキに故郷があるのなら、そこに行くのも悪くないとロデリックは考えていた。


「いや……実はあんまり帰りたくなかったんだ。お爺の行きたいとこ、ついてくよ」


「そうか」



 それきり、会話が途切れる。お喋りなノキが来てから、こんな静けさは初めてだった。


 この部屋はこんなに静かだったのか――ロデリックは新鮮な驚きを味わう。



 ふと思い立って、荷物の中からあるものを取り出した。


「これは何だと思う?」


 ノキはそれをまじまじと見て、首をかしげている。


「わかった。お爺の奥さん!」


「ははは。こんなに美人ではなかったな。これはな……ノクシア様だよ」


「え!?」


 今度はぎょっと目を丸めている。その表情の豊かさに、ロデリックはクスリと笑う。


「言っただろう、毎晩祈りを捧げていたと。まだ昼だが、旅路の安全をお祈りしよう。ほら」


「え、いや……」


 ノキは遠慮がちに目を泳がせている。


「ノクシア様に祈るのは構わないんじゃないのかね」


「他の人は、まあ、いいんだけど……なんていうか……ボクはその、祈っても意味ないんだ」


「意味がない?」


「あの、ボクの――家族とか、みんなそうなんだけど……祈りが通じないの。絶対」


 慎重に言葉を選びながらしどろもどろ弁解しているノキを見て、それ以上追及する気にはなれなかった。


「わかった。では、ワシが祈るのをそこで見ていてくれ」



 いつものように女神像を置き、膝をついて手を合わせ、目を閉じる。


「ノクシア様。我らの非礼をお許しください。我らを魔の巣食う闇よりお守りください。この村に永い平安をお与えください。そして、愛する我が娘に――大いなる恵みと、飢えることのなき糧と、どんな試練にも打ち勝てる強さをお与えください……」



 目を開けてすっと立ち上がり、愛しい娘に目をやったロデリックは、思わずぷっと噴き出した。


 顔を真っ赤にしてうつむきがちに目線を流している、いじらしい少女の姿があった。


「お爺はきっと奥さんにも恥ずかしい台詞で告白したんだ。そうでしょ」


「さて、どうだったかな」



 ロデリックがこの世で一番愛した女性に何と告げたかはもう忘れてしまったが、彼女を失ったときの記憶はなぜか鮮明に残っている。


 重い病を患い、すっかり痩せ細ってしまった妻は、最期にこんなことを言っていた。



「夢にね、神様が出てきたの。お願いを聞かれたから、こう答えたのよ。私がいなくなってもあなたが寂しい思いをせずに、幸せに暮らせますように、って――」



 それを聞いた神が、邪神であるはずはなかった。なぜなら妻亡き後も、ロデリックは優しい村人に愛され、幸せに暮らし――愛しい娘まで迎えられたからだ。



  ◇



 隣で寝ていたはずのノキの気配がないことに、ロデリックははっと焦ったが――見覚えのある灰色の世界に、すぐに状況を察した。



『聞こえますか、敬虔なるロデリック』


「ノクシア様でございましょうか。またお声をかけていただけるとは……。願いを叶えていただき、心より感謝しております」


『……。今宵は警告を伝えるために、あなたの夢に干渉したのです』


「警告……」


 その声からは以前の柔らかいぬくもりは感じられず、張りつめた重々しさが耳に残った。



『明日、あなたの村に大勢の魔物が襲い掛かります』



 ロデリックは、息を呑んだ。


「そ……それは、いつでございましょう」


『かつての日が昇る時刻――ですが、明日は太陽がほとんど姿を見せなくなります』


「太陽が? どうして、また……」


『ディーエは力を使いすぎた。それだけのことです。この夢から覚めたなら、すぐに村を発ちなさい』


 この老体では、以前のようにまともに剣を振るえまい。逃げるほうが得策だ。しかし――


「ありがとうございます。ですが、私は村に残ります」


『……なぜ』


「この村を愛しているからです」


 女神は沈黙した。


「ノクシア様。私のことは構いません、どうか村人と私の子をお守りくだされ」


『……申し訳ありませんが――私は夜の神。昼の世界には、力が及ばないのです。どうか……ご無事で』


「わかりました。お気遣い、感謝いたします」



 そこでロデリックは、不思議な気配を感じた。


 姿の見えないはずの女神が――かすかに、笑ったような気がしたのだ。



  ◇



 がばっと飛び起きたロデリックがまず探したのは、傍にいたはずのノキだった。


 リビングで彼女を見つけてひとまず安堵したものの、その浮かない表情に不穏な空気を感じた。


「お爺……。変なんだよ。外が、空が――」


 窓の向こうを見て、ロデリックは戦慄した。


 どす黒い雲が絨毯のように空一面に広がり、弱々しい日の光はほとんど地上に届いていない。



 夢で告げられた通りだ。太陽が姿を隠してしまっている。


 ということは、魔物が襲っていくるというのも――



 時計の針は、朝の4時を指している。かつての日の出の時刻とは、いつの季節なのかはわからないが、襲撃の時間はすぐそこに迫っている。


 不安そうに小さく震えるその肩に、ロデリックは屈んで両手を添えた。


「ノキ、聞きなさい。この村はもうすぐ魔物に襲われる」


「え?」


「だから、急いで逃げねばならん。いいな?」


「……お爺も、一緒に逃げてくれるんだよね?」


「……」


「お爺……」


「行くぞ」


 ノキの顔は見ずに、その手だけを引いて、ロデリックは外へ出た。



「魔物だ!! 魔物が来るぞ!!」


 すでに村中はパニックになっていて、人々が走り回っている。


「数は!? どこから来る!?」


 ロデリックは村人の1人を捕まえて、鬼気迫る表情で尋ねる。


「とにかく大勢だ! 四方八方からとんでもない数の群れが近づいてくる。逃げ場はない!!」


「そうか……。皆を教会に避難させてくれないか。あそこは石造りで頑丈だからな」


「わ、わかった」


 村人は一目散に走り出し、混乱している人々を教会に誘導し始めた。



「ノキ。お前も避難しなさい」


「待ってよ。お爺は?」


 小さな手をやむなく離したロデリックは、長らく使っていなかった古い剣を取った。



「ワシは騎士だ」



 幼子は、心苦しそうに潤ませた目を向けている。


「……死んじゃ、やだよ」


「これでも昔はちょっとは名の知れた腕利きだったんだぞ? さあ、早く行きなさい」


 ぐいっと目元を拭ったノキが、教会のほうに駆けていく背中を見送る。



 ――昔の話、だけどな……。



 遠くから、地響きのような足音が迫ってくる。



  ◇



 やって来た怪物たちは種類もバラバラで、魔物の見本市かと思えるほどだった。


 四つ足の獣もいれば二足歩行の鬼もいて、大きさも子供のような小さなものから塔のような巨人まで、とにかくあらゆるタイプの魔物が寄せ集められている。



 ――こりゃ、死ぬな。


 ロデリックはそう確信するが、悲しみや恐怖はない。元々老い先短い命、ここで果てても構わない。


 しかし、この衰えた身体でどこまで村を守り切れるかという不安はあった。どうにか自分1人が敵を引きつけ、人々の逃げる隙を作り出せればいいのだが――


 そう上手く事は運ばなかった。


 思うように動かぬ四肢を必死に鞭打って、斬って、斬って、斬りまくった。


 だが、そんな無理が長く続くはずもなく、魔物は絶え間なく現れては老騎士に襲い掛かってくる。



 ――ついぞ、巨人の振り回した棍棒が、老いた身体を吹っ飛ばした。



「っぐ……!!」


 何度も地面に叩きつけられたロデリックは、痛みのあまり動くことができなかった。骨が軋み、ひび割れているような感覚が走った。


 敵の数はほとんど減っていないように見える。あれでは村人たちが避難している石造りの教会も、容易く破壊されてしまうだろう。


 寝ているわけにはいかない。だが、もう立ち上がることもできない。


 ノキの顔が浮かぶ。


 誰でもいい、あの子を守ってくれ。ワシが死んだとしても、誰か……。



「ロディ爺―――ッ!!!」



 村人の叫び声に、はっと目を開けた。


 何人かの足音が地面を伝って聞こえてくる。


「な……なぜここに来た!?」


「あんたを死なせてたまるか!! 畜生、ひでぇ傷だな。とにかく教会に戻るぞ!!」


「馬鹿者、この老いぼれなど放っておけ!!」


「うるせぇ!! みんなあんたを追い出すことを後悔してんだ。ちっとは何か返させろ!!」



 集まったのは武装した村の男たちで、なんとか魔物をいなしながらもロデリックを抱えて避難先に向かっている。


 それはまさしく、老騎士が愛した優しい村人たちの姿だった。

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