第3話 招かれた客人 続3


 林堂が怒っているところを見るのは、新鮮だ。なんて、始めは面食らっていた。

 

 いつも一歩引いたところで観察するように喋るくせに、怒ると割と言葉が真っ直ぐと言うか、直接的と言うか。

 目線だってそうだ。いつもは透かして見てるような目だけど、今は違う。例えれば、虎が警戒心むき出しにこちらを睨みつけているような、そんな錯覚。

 さながら俺は小動物だ。隙を窺って逃げるか、捕食されるかの二択しかない。


 でも俺だっていつもいつも引き下がる訳じゃない。


 俺は、変わりたい。

 いつもへらへらして他人の尻拭いを任せられるような情けない男から、自分の意見をしっかり持った、ちゃんとした男に。


 逃げない。捕食もされない。

 そう足に力を込めて林堂を正面に捉える。


「俺が突然ここにいたのは嫌だろうけどさ、ここ、音無先生の箱庭なんだろ?俺も林堂がいる時には遠慮するからさ―――」


「そういうことを話してるんじゃないんだけど。」


 林堂は真っ直ぐに俺の言葉を切った。

 形の良い目を細めて、煙草をぐしゃりと灰皿で潰す。


 俺の必死の対抗も一瞬でいなされ、無力感に腹の底がぐるぐると煮える。

 じゃあ、どういうことだよと俺は分かりやすく眉を寄せた。


「ここはいちごちゃんみたいな人には必要な――――」


 今度は林堂の言葉を電子音が遮る。


 やべ。俺のスマホだ。


 相手は誰だ。いつも一緒に授業を受けている友達か、それともバイト先から何か連絡か、もしくは緊急事態か。

 軽快なリズムで流れる音楽に、とにかく確認はしなければと俺は慌ててポケットからスマホを取り出し相手を見る。


 表示は――― ♡あき♡ 


「あき…?――あっ。」


 思い出す、フリルのスカート、目に強く印象を刻む色の服。

 感情も言う言葉もコロコロ変わって聞いてるこちらの頭が痛くなりそうな、あの子だ。


 今のタイミングで松城はまずい。

 俺は林堂の怪訝そうな顔を見て、咄嗟にスマホを伏せポケットにねじ込んだ。


「…出ないの?」


「いや――…。」


 林堂は俺とポケットのスマホを見比べて離さない。

 そして俺が出るのを待つように口を閉ざしている。俺も暫くその視線を受け止めていたが、結局またスマホを取り出して通話ボタンをタップする。


「…もしもし?えっいや…ごめん今ちょっと外せなくて。」


 俺は林堂の機嫌が悪そうな様子を見ながら松城と話す。

 今から会って話がしたいそうだが、本来俺は授業中であって電話に出れる状況ではない。電話に嫌々出たのも林堂の圧に負けてしまったからだ。松城の声を聞きながらも今はどう切り抜けるか必死で言葉がうまく出てこない。


「とにかくっ、今ほんとに無理だから!今度な!」


 強引に、一方的に通話を切る。

 疲れたと短く息を吐いた俺に林堂は更に怪しげな視線を向けてきた。

 一難去ってまた一難…というよりかは難の大洪水だ。

 俺は笑顔を無理やりくっつけて話しかける。


「ご…ごめん、話の途中で…」


 林堂は俺から目を逸らし、呆れたような怒っているようなため息をついた。


「……その顔、本当に可愛くない。もういいよ。勝手にしたら。」


 そう言って彼女は乱暴に鞄を引き上げ肩に掛けると背中を向ける。


「や、あの―――ッ!」


 深く気分を害したように眉間に皺を寄せた林堂が鋭い視線で俺を突き刺す。

 そして押し黙った俺を見てまた非難するようにため息をつき、今度こそ獣道を行ってしまった。


「はぁぁぁー……」


 俺って何でこう、うまくいかないんだろう。

 たまに譲れないと思って反論すれば、返ってくるのは冷たい態度だ。

 でも俺にだって譲りたくない時もあるし、良い子ぶれない時もある。普段我慢してるんだから、たまにくらい良いじゃないか。

 そんな情けない思考がぐるぐると脳内をかき乱す。


 情けない。


 そう、分かってはいるのだ。大人になれと、下手な笑顔で誤魔化すよりも進んで人助けができる自分を誇れば良いじゃないかと。


「はぁ…」


 俺は椅子に座ってまたため息をついた。

 きっとここは、林堂にとっても大事な場所なんだ。

 何で譲れなかった?

 何でもかんでも頷く男じゃないって憧れた林堂に見せたかった?

 売り言葉に買い言葉、口で負かしたかった?

 変わりたいって自分に酔ってた?

 何て言って引き留めようとした?

 冷静に自問自答してくる理性がどうも憎らしい。


 引き留めてもまた同じような問答が続くだろうし、第一林堂の機嫌はもっと悪くなるだけだ。

 かと言って俺も引き下がれないようなことばっかり言うし、どうあっても収集はつかない。平行線を辿るだけだ。


「俺は―――…俺は、何がしたいんだ…」


 そう呟いて、鞄の中から引き抜いたノートパソコンを起動させる。

 課題、そう言えば途中だったな。

 今は人も来ないだろうから、少しだけと思いパソコンに打ち込む。


 俺の心境とは裏腹に、箱庭に爽やかな風が吹いた。

 その夏の少しだけ混じった香りに未練がましく顔を上げる。

 やっぱりここは、綺麗だ。

 ここへ来るのは控えよう。そう思う気持ちと林堂への反抗心がくすぶる。ガキっぽいと思っても心は言うことを聞いてくれない。

 そうやってまた相手の顔色だけ窺って引き下がるのかと心の中の強気な俺が発破をかけてくる。迷惑な心だ。でもどれも本心だった。


 せめて、林堂と被らない時に来よう。

 そう思っても彼女のカリキュラムなんて分からない。

 林堂と口論したかった訳じゃない。お気に入りの場所を土足で踏み荒らすような真似はしない。ただ俺も音無先生に許可を貰ったからには妥協点を見つけて共有していったり、たまに話くらいしても良いんじゃないかなんて思っていたりした。

 それなのに、断固拒否する姿勢を崩さないのも大人げないんじゃないかと思い始めた。ここは確かに林堂が先にいて、林堂がいた場所に俺が好奇心で来てしまった。それがあんな喧嘩…じみた真似をしてしまうなんて不運なんてものじゃない。まさに、俺は今不幸だ。


 怒りや呆れや色々な感情が混ざっていた心とは裏腹に、課題が思いのほか捗り頭が冴えてきて先程の林堂との会話がゆっくり思い返される。


――私よりもここを必要としてる人がいる


――ここはいちごちゃんみたいな人には必要――


 必要。何度か繰り返していた言葉だ。

 電話に邪魔されなければ、あの出かかっていた言葉は“必要ない”だろう。

 それは違う。いくらなんでも林堂にそんなことを言われる筋合いはない。

 俺だって、必要だ。ここはとても…とても落ち着く。


 でも、それだけだ。きっと林堂だってそうだろう。もう一人も、ただの喫煙所代わりなんじゃないのか。

 がっくりと背もたれに寄り掛かり頭を休める。

 また反抗心が頭をもたげる。林堂が、林堂だって、林堂も。

 ず、と心にのしかかって主張してくるそれを、頭を振って追い出そうと試みる。けれど簡単には振り払われてくれないようで俺はまた項垂れる。


 他にもここを利用してる人がいるのは分かってる。

 どんな人なのだろうか。

 そう言えば他人を気にしていないような林堂から思いやる発言が聞けたのは驚くべきことだろう。今更になって興味が出てくる。

 あの無口無表情な林堂が何を話しているのか、どういう経緯で二人は来たのか。

 気になって仕方なくなってしまう。


 この場所へ来た時のように、やめろと理性が叫んでも抑えきれない好奇心が心を塗りつぶしていく。


 煙草の吸殻が入った灰皿は二つあるから、きっとどちらかの人だろう。林堂は俺のいる奥側の方を使っている風だったから、たぶんもう一人はあの吸い殻が多く残っている方…


 ガサッと音がして、俺は慌てて姿勢を正す。

 林堂が戻ってきた?

 先生が?

 それとももう一人の――?


 全身に力が入る俺をよそに、その人は缶コーヒー片手に姿を現した。

 視線が合った俺を見て、形の良い目を丸くする。


「あ……?」


 ―――林堂よりも、もっともっと不機嫌そうな顔で。


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箱庭の余人 文木-fumiki- @fumiki-30

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