第2話 それぞれの心境 続
「豪ちゃん…」
今日も、会えなかったとため息をつく。辺りはもう暗くなっていて、豪ちゃんも帰っている頃かもしれない。
今日会えたら、ちゃんとお話をしたかったのに。お友達になろうって。駅で待ってたのに。
この時間は帰る学生が多い。遊んでから帰る学生とか、授業が終わった学生とか。その中にもちろん豪ちゃんはいない。
その代わり見たことのある人の影を見つけて迷わず声を掛けた。
「ねえ!」
「うわっ!?」
ぐっと上着を引っ張ると、その人は驚いた顔で振り返った。友達といるみたいだけど、こんなチャンス、二度とないかもしれない。
「豪ちゃんのお友達!?」
「…一ノ瀬、知り合い?」
一緒にいたらしき人が何か言って、目の前の人はへらへら笑顔を浮かべた。
「いや…知り合いというか、この前見掛けた?」
そう言うと、他の人たちはあたしを見て笑った。
「頑張れよ!そいつヘタレだけど!」
「へ?ちょっと、及川!」
何か分からないけど、彼らはいなくなってくれるらしい。良かった!これでお話ができる。そう思ってあたしはスマホを取り出す。色々なマスコットが付いていて、カバンの中でもすぐ見つけられる。
「あの…この前の子、だよね?」
「そう。あたし豪ちゃんとお友達になりたいの。協力して欲しいんだけど…」
困ったような顔をしているけど、これはあたしにとって絶好のチャンス。お兄さんには悪いけど、逃がすわけにはいかない。
「えっと…林堂と知り合いなの?」
「そう!だから豪ちゃんの連絡先教えて!」
「…そう言われても…本人から貰ったら?俺、知らないんだ。」
「え…」
途端に悲しくなる。最後の頼みかもしれないのに…
あたしがうつむくと、彼は慌てたように背をかがめてきて言った。
「えっと…ごめんね?」
あたしがお友達になりたいのはこの人じゃない。
「何であの日豪ちゃんと一緒にいたの?あたし豪ちゃんとお昼食べようと思って学校来てたのに!」
そう、あの日この人に邪魔された事実は変わらない!
あたしが睨み付けると、変わらず困ったような笑顔を浮かべて頬を掻いた。
「あー…あの日、本当に偶然林堂と会って…俺たち、小学校一緒でさ、久しぶりに話そうかって言って一緒に食べに行ったんだ。」
豪ちゃんはいつもあたしを跳ねのけるのに、この人とは一緒にお昼食べたんだ…。
その事実が辛くて、視界がじわじわと揺らめく。お腹のところにある大きなリボンが一瞬ぐしゃぐしゃに見えて、ぽたりとスカートに染みを作った。
「えっ!?あの…大丈夫?」
「何であたしじゃないの…?あなた誰よーっ!」
「い、一ノ瀬悟ですっ!」
何故かぴっと背筋を伸ばして答える彼をまだゆらゆらする視界で捉えて精一杯睨み付ける。一ノ瀬だか何のせだか知らないけど、なんであたしは豪ちゃんに嫌われてるのか分からない。
あたしだって、好かれてるか嫌われてるかくらい分かる。
「あの、さ…とりあえず飲み物でも飲んで落ち着こう?話なら、俺聞くから…」
そう言われて、あたしは傍にあったベンチに座った。あんまり頭が回らない。
ただ目の前にいるこの人が、今まで誰とも交流を持たなかった豪ちゃんとお話しして、お昼を一緒に食べたなんて、信じられない。
「えーと…俺、そこのコンビニで飲み物買って来るけど、オレンジジュースでいいかな?」
別に何でもいいと頷き、ハンカチを出してメイクが落ちないように目に優しく当てる。ぼんやり霞んでいる地面をただ見つめると、端っこに少しくたびれた靴が見えた。顔を上げれば、優しそうな笑顔でオレンジジュースを差し出してきた。
あたしはそれを受け取ってストローを突き刺す。
ええと、彼の名前…
「……一ノ瀬、くん?」
「はい?」
怯えたような目で見なくても、あたしは何もしないのに。頬を膨らませてストローにかじりつくようにオレンジジュースを口の中に流し入れる。
「豪ちゃんと、付き合ってたとか?」
じゃなきゃ、あの豪ちゃんが一緒にいる、はずが―――
「いや、そんな訳ないよー。俺は、そんなに好かれてる感じでもないと思うし…」
また困ったように声を出して笑う一ノ瀬くんを唖然とした目で見つめる。
「う、うそだぁ…なら、なんで豪ちゃんあたしと一緒に、お昼っ、食べてくれないの…?」
またポロポロと涙がこぼれる。まるでパパに叱られた時のように、どうしようもない悲しみがこみ上げて胸が苦しくなる。
「…林堂に、りんごちゃんて呼んで、って言われなかったの?」
「言われたよ。でも、あたしもっと豪ちゃんと仲良くなりたくて…」
「あー…」
一ノ瀬くんは何か心当たりでもあるのか、半笑いの顔で虚空を見上げた。
「何か知ってるの?教えて、豪ちゃんについて、何でもいいから!!」
ぐっと身を乗り出すと、髪が躍るように揺れた。一ノ瀬くんは大きく深呼吸をして少し距離を置くように座り直す。
「えっと、俺の知る限り林堂は小学生の時からずっと皆にりんごちゃんて呼んでって言い回ってたんだ。名字でも名前でも、呼ばれるのは好きじゃないみたいだよ。俺も林堂の前ではりんごちゃんて呼んでるしね。」
そう言ってふわっと笑ってくれた。
一ノ瀬くんは、悪い人じゃないのかも知れない。強引なあたしにも優しく教えてくれるし、めんどくさいっていう、あの顔をしない。
困ったように笑うのは癖なのかな。
「…ふぅん。でも、あたしは豪ちゃんってお名前可愛いと思うし、そう呼びたい。」
「うーん…俺は小学校までしか一緒じゃないからその後は知らないし、その頃から、林堂ひとりでいるの好きそうだったから――」
「そんなことないと思う!ひとりでいても、寂しいだけだもん!あたしは傍にいてあげたいの!そんな風に言う一ノ瀬くんみたいな人が豪ちゃんをひとりにするんだよ!!」
だって、あたしはひとりにされた時とっても悲しかった。怖かった。辛かった。
一ノ瀬くんは驚いたようにあたしを見て、言葉を選ぶようにゆっくり言った。
「あ…そう、なのかな…そうだったら悪いと思うけど…。でもそれなら林堂だって友達の一人や二人、いると思うんだけど。」
最後は少し唇を尖らせて言ってジュースをズズッと吸った。
「そんなのあたし、知らない。聞いてないし。いつも声掛けても忙しそうにどっか行っちゃうから…」
自信がなくて声が尻すぼみになって消えちゃった。初めて会った時はあんなに優しくしてくれたのに。
「…あんまり力になれなくてごめんね。でも、林堂も、その、好きで避けてる訳じゃないと思うし…君にも他に友達だっているでしょ?」
友達。
あたしが友達になりたいと思ったのは豪ちゃんだけだし、一緒に授業受けてくれるトモダチはいても、豪ちゃんとは別ものだ。
やっぱり、豪ちゃんと仲良くなりたい。
「あたし、諦めないもん。豪ちゃんと絶対仲良くしたい。」
決意を新たに立ち上がると、座ったままの一ノ瀬くんが不思議そうに首を傾げて聞いてきた。
「何でそんなに林堂にこだわるの?」
「……かっこいいし…好きだと思ったから。知りたいと思ったの。」
好きだと思ったものは欲しくなるし、その為なら何でもする。
「そう…憧れって意味なら俺も同じかな。林堂は難しい性格してるから苦労するかもしれないけど…応援するよ。」
一ノ瀬くんも立ち上がってにっこり笑ってくれた。子供みたいな顔をしてるのに、意外と背は高いんだ。
憧れ。
その言葉を聞いて納得ができるようなできないような感情に包まれる。でも、同じような感情を豪ちゃんに持っているのなら、お友達になれそう!応援してくれるって言ってくれたし!
「ありがとう!あたし、松城愛輝っていうの!あたしにできることがあるなら、何でも言ってね!今日のお礼!はい、これ!」
スマホを開いて、ささっと画面を変える。画面には番号とアルファベットが表示されている。
「あ…うん、ありがとう。」
一ノ瀬くんもズボンのポケットからスマホを取り出して操作する。
これ?と見せてきたプロフィール画像を確認して認証する。これでいつでも連絡が取れる。それにしても、と一ノ瀬くんを改めて見れば、シャツに上着、ズボンだけでカバンも何も持っていない。
「…それで授業受けてたの?」
あたしが首を傾げると、一ノ瀬くんはあはっと子供みたいに笑って首を左右に振る。
「違う違う。俺今日バイトで、友達に誘われて来たんだ。これから皆で夕飯…っていうか飲み会になるんだろうけど、来る?」
「いい。あたしママとパパが待ってると思うし。ありがとね、一ノ瀬くん。また豪ちゃんと会った時は絶対教えてね!」
「…うん、じゃあ気を付けてね。」
そこで一ノ瀬くんとは別れて改札へ向かう。良かった、一ノ瀬くんが良い人で!
これなら豪ちゃんが一緒にお昼を食べたのも納得がいく。
「……はぁ………」
重々しいため息をついて俺はまたベンチに座り直した。
どっと疲れた。
大学に入ってから色々な女の子と知り合ったが、あんなタイプの女の子は初めてだった。個性が強いというか、一つのことしか目に入っていないというか。こっちの都合なんてお構いなしだ。
眉間に寄ったしわを手の甲で擦ってまた大きく息を吐く。
きっと林堂は彼女を嫌っているだろう。あの性格だ、きっと林堂に対しても容赦なく圧していくことだろう。そういった意味では林堂にとって最大の敵とも言えそうだ。
途中少し同じ思想に引き込まれそうになったが、危なかった。言ってしまえばアイドルの追っかけをしていた友人よりも酷い。
林堂は静かにしていたいだろうに、ああして質問攻めにあったらと考えただけでも同情する。けれど応援すると言ってしまった手前、どうすればいいのか分からない。
「…すまん。」
まだ見ぬ林堂の嫌そうな顔に謝って立ち上がる。
早ければもう山本ができあがってしまっている頃だろう。
今日の介抱役もきっとまた俺なんだろうなぁと諦めにも似た悲観的な考えをぬぐい切れず歩き出す。
さっきの松城といい、他人を放っておけない性格は生まれつきだ。今日だってバイトだけの予定で、早く寝るつもりだった。
しかし昨日次は行くと言ってしまった手前、更に夜に何の予定もなかった為断る理由も思い付けず来てしまったのだ。ちなみに、明日は朝から授業がある。
「…何で俺って不幸体質なんだろう…」
また大きなため息をついて、引きずるように指定された飲み屋の場所へ歩く。
「おー、一ノ瀬ぇ!おっせーよー!」
「あ、一ノ瀬くーん!」
わいわいと騒いでいる一角のグループ。大きな声で呼ばれて声の音量を落とすように両手を動かすが、やはりいつも通りそれは通じない。とりあえず山本はまだ大丈夫そうだ。
「で、どうだった?あの子!」
座るやいなや似たような質問が眼前を飛び交う。女子まで興味津々といった様子で俺を見ていた。
「あー…告白じゃなくて、俺の友達のことについて教えて欲しいって言われて…」
そこまで言うと、皆一気に肩を落とした。女子を見ればまるで聞いてなかったよとでもいう風にメニューを見ている。現金だよなぁ、と思いながら飲み物を聞きに来た店員にビールを注文する。
すぐに俺から話題は逸れて、いつも通りの好き勝手な話が飛び交う。
あの学科の誰に彼氏ができただとか、誰と誰が破局しただとか。他人事だから好き勝手言い放題だ。それを咎めることもせずに笑って流す。ビールの苦みにはまだ慣れない。そう思ってサワーを頼む。
「ねぇ、外語の美人、知ってる?」
「外語は美人多いからなー。」
外語、そういえば林堂は外語だったと思い出す。さっきの松城のことも同時に頭に浮かんできて罪悪感に苛まれるが、今となってはどうしようもない。
「いやいや、あれはほんと、美人!モデル並み!ね、マキ!」
「ま、じ、で、綺麗!可愛い系ではないけど、憧れるやつ!」
「まじー?何年?」
「たぶんタメ!」
「へぇ、学年一緒なんだね。」
男子が騒ぐのはいつものことだが、女子が騒ぐのは珍しいと俺もサワー片手に耳を傾ける。
「一ノ瀬くんも興味ある?えっとね、黒い服で、髪はアッシュかな?短かったよねー?」
「うん、肩…このくらい?短めのワンレンボブ!顔小っちゃくて目スッてしててね!」
「そーそー!手足長くて!ちょー羨ましいー!なーんか気だるげでかっこよかったし!」
想像するまでもなく思う。きっと林堂だ…。
「…話しかけたりしなかったの?」
一応聞いてみると、女子たちは苦笑して首を横に振った。
「まさかー。山本じゃあるまいし。」
「学校近くのカフェで見掛けただけだし。」
例に出された山本がすかさず大きな声を上げる。
「俺だったら絶対声掛けてるわ!当たり前だろ!くっそー、そこ通おうかなー。」
「うわ、出たよ。」
ケラケラと女子は笑う。山本はナンパが趣味と言われるほど、出掛けるたびに女子に声を掛ける男だ。ちなみにこの女子メンバーも山本が声を掛けて集まって定着した面々だ。
しかしそのフットワークの軽さとノリの良さで面白半分承諾されることも多い。打てば当たる、というのは本当らしい。
「でも山本は無理でしょー。」
「100パー、断られるね。」
「イケメンな先輩が断られてたしね。」
「まじかよー!でもさ、俺みたいなのが好みかもよ?」
話を聞いていると、そのカフェでの待ち時間中に先輩からナンパされたらしく、その時盗み聞いた会話から学年と学部を聞いたようだ。
助けられた訳でもなくこうして酒のつまみにされる林堂に複雑な気持ちを抱きながら軽くため息をついた。
何もしない自分が言えることなど何もないが。
「でさ、そのカフェ何て言うの?俺通うわ!」
「え、本気で言ってんの?」
楽しそうに口を開けて笑う女子たちを見て目を逸らす。表情の豊かな子は可愛いけど、彼女たちの場合そこに蔑みの意味がこもっているのが分かるから、正直苦手だ。
「良いじゃん!連絡先貰うだけ!」
「ま、当たって砕ければ?ね、マキ。そこの店の名前なんだったっけ?」
「待ってー今写真見せる…」
長い爪をカツカツ画面に当て、こちらに画面を見せた。クリームがたっぷり乗ったそのカップのロゴを見てサワーを吹き出しそうになる。
「なんだ、ここお前のバイト先じゃん!」
山本の言葉にまた女子が目を輝かせる。
「まじ!?一ノ瀬くんここでバイトしてんの!?」
「割引ないの?友達割り!」
「俺―――ごめん。そういうの、無いんだ。」
口元を拭って言うと、心底残念そうにため息をつかれた。
俺は割引の為の友達かよ。
そう言いかけて口を閉じ、代わりに笑顔を浮かべて謝る。学校の近くだからと思って働き始めたのはいいものの、授業の時間帯によってかなり混雑する時もある人気のカフェだ。
『Green-Garden』世間一般的に、ロゴマークでもあるGGと略称で呼ばれている。
一年の中頃からだから働き始めて一年にも満たないが、一度も林堂を見たことがない。いつも離れた場所のカフェで買っているはずだが、時間がなかったのだろうか。
「じゃあ一ノ瀬!その美人、見たことあんのか?」
山本の質問に俺は視線をさまよわせる。
「いやー…忙しいからそんな顔なんて覚えてないし…今日は裏で洗い物してる方が長かったから…」
その美人に心当たりはあるが、今日は見ていない。
俺は、嘘はついていない。
そう自分を納得させて頷く。
山本はまじかー、とビールを一気に仰いだ。そろそろ目が据わってきた山本を見て、俺は店員に水を頼み上着を羽織る。若干多めの金額を机に置いて皆を見渡した。
「ごめん、俺もう帰るね。課題やんの忘れてたし、朝から授業だし。」
いつまでも山本の介抱役は嫌だし。
それに、これ以上林堂の話を続けられるのも変に緊張してしまう。皆は頷いてそれぞれ一言別れの言葉を言ってくれる。それに手を振り、店を出た。
冷たい風が上着の隙間を縫って入ってきて身震いする。
引き留められなくて良かった。いや、引き留められるような立ち位置でもないしな。
「一ノ瀬くんって、真面目だよねー。」
「イケメンで真面目、良くない?」
「でも彼氏になったらつまんなそー。」
「何なの、女子って!イケメンで良い奴ってだけじゃ満足できないのかよ!」
トイレの順番待ちをしていた時に聞こえた会話にうんざりする。
「はぁ…」
そろそろあのメンバーといるのも限界かも知れない。そんなことを思いながら、月より明るい電灯の下を通り抜けた。
大学に入ったばかりの時は、もっと精力的だった。可愛い彼女を作って、大学生活を謳歌しようと思っていたのだ。まだ見ぬ大学生活を夢見ていた高校時代の方がよっぽど楽しかった。今や、一番先に彼女ができるだろうと言われていた俺だけが余りものだ。
いつから間違えたのか…
そんなことを電車に揺られながら考える。初めての彼女も、その次の彼女も、つまらないと言われて去ってしまった。
俺はつまらない男なのだろうか…。
自分でも真面目な性格だとは思うが、つまらないと言われると喉の奥が詰まるような感覚になる。
ストレス抱えて死んじゃいそう。
あの日、林堂に言われた言葉が度々耳に蘇る。
俺は、別に…
口の中で呟いて、目の前を流れるビルの明かりの中に映る自分の疲れた顔から目を逸らした。
「あー…疲れた。」
部屋の電気を付け、カバンを放り出してソファ代わりのクッションに勢いよく腰を落とす。バフッと一気に空気が抜ける音がして、厚みのあるクッションが体の線にフィットしていく。
今日は散々だった。期間限定のフレーバーティーがどうしても気になって、滅多に行かない人気のカフェへ行った。
無事購入して待っていた時だ。知らない男がカギを落として、それが足元まで滑ってきたものだから拾って渡すと、ペラペラペラペラ…。朝のことでもううんざりしているのに、一日にそれが二回もだ。
珍しく礼ちゃんがブチ切れている場面にも居合わせてしまうし、ことごとく今日はついていない日だった。
俺も、お前みたいだったら良かったのかもな…
あの時、イヤホンには何も流れていなかった。私には感情がない訳ではない。けれど人は私を機械だとか人形だとか言う。
私は素直に表に出すことを恥ずかしいと思うだけだし、いちいち反応していたらそれだけでかなりの体力を浪費する。そんな気がする。だから、礼ちゃんはすごいと思う。
私は何事も難しく考えてしまうし、くだらない冗談でも真面目に受け取ってしまう。
とにかく自分が面倒臭い。
でも、彼は違う。あの箱庭でしか見たことはないけれど、ちゃんと表の顔と裏の顔を使い分けている。
電子レンジに適当な冷凍食品を突っ込んでスイッチを押す。ブゥゥン、という少し耳障りな音に顔をしかめた自分がガラスに映った。
中では冷凍食品がオルゴールのようにくるくる回っている。
あの箱庭は、私にとっても大事な場所。
礼ちゃんと私はお互いに干渉しないから気が楽だし、気を遣うこともない。
それに、あそこは彼の唯一の居場所なんだと思う。夜に彼をあそこで見掛けたことはないし、朝は一限の前にもういるから。
家が嫌なら、出ればいいのに…私みたいに。
ピー、と鳴った電子レンジから温まった今日の夕飯を取り出して、ミニテーブルの上に置く。
今日は疲れたから家で作る気にはなれなかったし、そろそろ冷凍庫を整理したかった。
「…はぁー」
食欲はあまりなかったが、口に詰め込みなんとか食べ切って大きく息を吐く。お腹がいっぱいになったら多少のストレスはなくなった。
スマホの真っ暗な画面を見て裏返す。家族からの連絡は三か月に一度あるかないか。それでも毎日スマホを確認するのは、万が一のため。
一人暮らしを始めてもう一年が過ぎた。家賃は両親がもってくれているが、家の近くのスーパーでバイトをして、そこから自分の生活費や出費に当てている。
家庭は裕福な方だという自覚はあるが、できるだけ離れたいという願望があった。
だから留学もした。一度も心配や迷惑を掛けたことはない。されたことがないだけかも知れないが。
留学までしたのに、自分が求めていたものは見つからなかった。海外に行けば、もっと自分は大人になれると、一人でも平気でいられて、もっと自由になれると思ったのに。
小さい頃から、自分は誰かにとっての一番ではないことに気付いていた。兄や弟がいるからなおさら。我慢することは多く、また求められることも多かった。
反発した時期もあったが、人間の成長過程なんてそんなものだろう。それに、私は口が達者な方ではないから、自分の意見を真っ直ぐ言うことなんてまずしない。伝わらないか、話が逸れるかだ。
「…歪んでるなぁ…」
洗おうと擦ったフォークの先が少し歪んでいて、手触りが悪くなっている。
使えなくなったら、ゴミ箱。そうやってこの世界は動いている。私も、その一部だ。
水ですすいだ歪んだフォークの水を切って、そのまま水切りラックへ掛けた。少し歪んでいようとも、まだ使える。
「ふぁ…」
大きなあくびをして、スマホで音楽を掛ける。ゲームはお預け。お風呂掃除を済ませたら、お湯をはって、ゆっくり浸かって…温かい布団の中で眠るんだ。今日一日よく頑張った。
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