ぬれせんべい
増田朋美
ぬれせんべい
ぬれせんべい
雨が降ると言っていたのに、降ったのはたったの三時間程度で、直ぐにやんでしまった。まあ確かに、雨が降って、花壇や畑をやっている人にとっては、まさしく恵の雨かもしれないが、多くの人は雨となると、嫌だなあと思う人が多いだろう。
さて、杉ちゃんと蘭は雨が上がったいうことで、予定していた通り、電車に乗って買い物にい行こうということになって、富士駅に行ったのであるが、その駅の近くにある、大規模なマンションの前を通りかかったところ、警察の人たちが、マンション一階にある部屋の前で、出たり入ったりして、物々しい感じになっていた。
「どうしたんだろうね。」
と、杉ちゃんがいうと、
「いや、部屋の中でね。女性の死体がみつかりました。検死はまだ済んでいませんが、もしかしたら
殺人と言うことも考えられます。」
と、そばにいた、警察官がぼそりと言った。
「女性の死体?確か、あの部屋は、商売やってたよな。」
杉ちゃんと蘭は、顔を見合わせた。
「商売だって?どんな商売をしていたんでしょうかな。」
二人の話に、刑事のひとりが、そう聞いてきた。
「だから、あの部屋の住人は、確かせんべいをつくって、売っていました。せんべいを、近くにあった保育園の子供さんたちに配ったりしていました。そうだったよな。」
と、杉ちゃんが言うと、
「はい、ぬれせんべいを売っていました。僕も彼女から、買った事がありますから、杉ちゃんの言う通りです。」
と、蘭も答えをだした。
「ほんじゃあ、殺されたというか、発見されたのは、この部屋の住人だったのか。」
「まあ、あとは我々がやりますから、いずれにしても、一般の方々は立ち入らないでください。」
まあ確かにそうだと思ったので、杉ちゃんと蘭は、静かに事件現場を後にした。
しかし、その翌日。杉ちゃんの家に、刑事が二人やってきた。杉ちゃんが一体何が在ったのよ、と聞くと、
「先日のせんべい販売の女が、死体で見つかった件ですがね、あの事件は、殺人ではなく自殺ということが分かりました。なので、これで捜査は終了です。ご協力ありがとうございました。」
と、刑事の一人がそういうことを言った。
「はあ、はあ。わかりました。もう終了しちゃうのか。其れもなんだかかわいそうだぜ。せめてさ、おせんべいやの女性の名前くらい、教えてくれたっていいだろう。」
と、杉ちゃんが言うと、
「はい、上村勝子さんという女性です。」
と、もう一人の刑事があっさりと答えた。
「で、そのときの事件の事を教えてよ。」
「あんまり知らなくても良いと思うんですけどね。まあ、教えてほしいのなら教えますが、彼女は、部屋の中で、心臓を包丁で刺して死んでいました。周りに、あらそったような跡もなく、凶器は手で持っていて、本人以外の指紋も検出されなかったため、自殺と判断しました。」
「遺書のようなものはあったのか?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「いや、それはありませんでした。でも、それで間違いはないと思います。」
刑事はすぐに答えた。
「じゃあ、その理由というかそういうことをちゃんと調べたんだろうね。」
杉ちゃんがそういうと、
「はい、上村さんが、マンションのほかの住民から嫌がらせをされていたことは、はっきりしています。其れを苦に、自殺したんだろうと結論付けました。」
と、刑事は答えた。
「へえ。で、上村さんは、何でいじめられていたんですか?マンションの住人から。」
「はい、彼女が作っている、手作りのせんべいのにおいが臭いという事情が出ていました。」
刑事たちは、其れだけでいいじゃないかという顔をするが、
「はあ、其れだけじゃないでしょう。まあ確かにせんべいというのは、独特のにおいみたいなものがあるけどさ、それは仕方ないことじゃないの。だって、パンを作っている家だって、イースト菌の
においがあって、独特のものがあるよ。なんでそれでいじめられなければならないんだ?」
刑事の話に、杉ちゃんはそういって、突っ込みを入れるのであった。何をするにもそうやって何か言ってしまうのが杉ちゃんという人物である。
「其れには、もう一個、聞きたいことがあるが、上村さんの家族とか、そういう人には、ちゃんと報告したんだろうな?」
「はい、ちゃんとやりましたよ。それは、心配しないで大丈夫です。」
刑事たちはそういうが、自殺して悲しそうだとか、そういう雰囲気は全くない。其れよりも、事件にはやく結論が出てよかったという顔をしている。
「本当かな。本当にそれでよかったんだろうか。」
杉ちゃんは首を傾けて刑事に言った。
「ええ、大丈夫ですよ。ちゃんとやりましたから、気にしないでください。じゃあ、我々は、これで失礼します。」
刑事たちは、そそくさと、杉ちゃんの家を後にした。杉ちゃんは変な顔をして、刑事が帰るのを見送った。
「おい、どうしたんだよ。いつも通りに買い物に行こうかと、インターフォンを押したけど、何も反応ないから、心配したんだけど?」
そういって、蘭が、刑事が帰っていったのと同時位に入ってきた。
「いやねえ。刑事が僕のところに来てね。あの駅前のマンションの事件について、あれ、自殺で解決しちゃったんだってね。全く、こんな短時間でそう解決しちゃうのかなあ。僕は、もうちょっとしっかりやってもらいたいなと思ったんだけど?」
と杉ちゃんはため息をついた。
「そうだねえ。確かに自殺では腑に落ちないところがあると思う。動機もわからないし、何よりも遺書が見つかっていない。」
と、蘭も腕組みをした。
「おかしいと思ってたんだよ。だってさ、確かに僕も名前はちゃんと知らなかった。でも、彼女のことは知ってたよな。なんでかっていうと、彼女はよく、バラ公園でせんべいの販売をしていて、子供たちには大人気だった。」
杉ちゃんの発言に蘭もそうだねと言った。確かに蘭も覚えている。彼女は、バラ公園で、屋台を用いて、ぬれせんべいを販売していた。よく、せんべいのおばさんと言って子どもたちは、せんべいを買っていた。せんべいも一枚100円程度の安いものであった。
「あんな優しかった女性がだよ。自殺なんかするかな。ああして、子どもたちから人気があった女性が、簡単に自殺をするような世の中でもあるかな。」
「確かにそうだね。彼女の屋台は、確かに子供たちに人気があった。それでは、大人にはどうだったのだろうか。」
と蘭は言った。
「僕は、なんとなく見たことがあるよ。彼女がそうやってぬれせんべいを販売しているのを見て、大人は、あそこに、いっちゃだめだと注意してた。あの人は、変なおばさんだからと。」
「で、彼女に嫌がらせをしていたということは、無かったかな?」
と、杉ちゃんが言った。
「確かに、そうかもしれないね。まあ、今のご時世だし、周りの大人は、疑いを持ってしまう可能性があると思うよ。其れはしょうがないことだろうよ。子供は、おせんべいをもらえて、うれしいかもしれないけれどさ、身元の分からない人に、何かもらうというのは、いまの時代、一寸ね。」
と、蘭は杉ちゃんに言った。
「まあ確かにそうだ。でも、なんで上村勝子が、公園でぬれせんべいを販売していたのかな。それまでの彼女は、何をしていたんだろうか。」
と、杉ちゃんは言う。
「そうだねえ。確かにそこがわからないな。彼女の人生とはどういうものだったのだろう。」
と、蘭も、杉ちゃんに言った。
「じゃあ、一寸調べてみようか。僕たちでさ。まあ、僕たち刑事でもなんでもないけれど、教えてくれると思うよ。なんて言ったって、彼女はもう、この世から消えて行ってしまったんだし。」
「そうだねえ。僕も、公園でぬれせんべいを売っていた女性としか見てないけどさ。杉ちゃんの調べてみないと納得しないというのは、ちゃんとわかっているよ。」
杉ちゃんと蘭は、お互いの顔を見合わせて、そういうことを言った。
「よし、まずは、彼女の経歴とかそういうものを聞いてみような。」
と、杉ちゃんと蘭は、とりあえずバラ公園に行ってみることにする。彼女、上村勝子が、定期的に、屋台を出してぬれせんべいを売っていた場所である。公園は、近隣に遊園地ができてしまってから、いつも閑散としていて、人が少ないのだが、今日は寒いからか、人が数人しかいなかった。その中に、一組の親子がいた。レジャーシートを敷いて、そこでコンビニで買った、サンドイッチを食べている。多分、何か出かけたいと子どもが言って、あまりにもうるさいので、ここにきているのだろう。
「ねえママ。」
と、子供が母親に言っていた。
「あの、おせんべいのおばちゃんは、どこへ行ったのかなあ。」
子どもには、おせんべいのおばちゃんがこの世を去ったということが、わからないようだ。
「どっか遠くに行っちゃったのよ。」
と母親は面倒くさそうに答えた。
「じゃあ、又戻ってきてくれるかな?」
と子供は言っている。
「そうね。きっと、なにかあったら、戻ってきてくれるわよ。」
母親はそういうことを言っているが、戻ってくるはずはないのであった。
「そうなんだ。なんで僕たちの事を、おいてっちゃったのかな。あんなにやさしかったのにな。」
「そうね。優しかったわね。」
母親は、彼にそういうことを言っているが、もうこのおばさんの事を、話したくないという顔をしていた。母親にとっては、例の優しいおばさんは、邪魔な存在にすぎないのだ。
「ちょっと、お尋ねしていいかな。」
と、杉ちゃんがその親子に話しかけた。
「先ほど、ぬれせんべいを売っていたおばさんの事を話していたね。僕たち、おばさんのことについて知りたいことがある。おばさんはいつも、この公園でせんべいを売っていたんだよね?」
「ええ、そうですね。雨が降っていない限り、ぬれせんべいを売る屋台を出してましたよ。私たちは、それでは困ると言っていたけど、なぜか、その人は、そこでやっていて。」
母親がそういうことを言った。
「おじさんたち、あのおばさんのこと知っているの?」
と、子供が杉ちゃんに聞く。
「はい、知ってますよ。先日、おばさんは、駅前のマンションで、死んでいるのが見つかったよ。警察は自殺と言っているみたいだったけどね。」
杉ちゃんはとりあえず、事実を話した。でも、子供には、自殺という意味は分からなかったようで、まだぼんやりしていた。母親は、そうなってくれてよかったという顔をしていた。
「そうなんだね。おばさんは、僕のところに戻ってきてくれるの?また、せんべいを買うことできるかな?あのぬれせんべい、すごくおいしかったんだ。作り立てのぬれせんべい、おいしかったなあ。」
「そうなんだねえ。まあ、二度と帰ってはこないな。お前さんが幾ら願っても、彼女は帰ってこない。それはまぎれもない事実だよ。」
杉ちゃんに言われて子供は信じられないという顔をする。
「じゃあ、おばちゃん、もう戻ってこないの?それでは、ぬれせんべいも食べれないの?」
「そうだよう。ぬれせんべいはもう終わりだ。ぬれせんべいは、もう食べれないんだ。あのぬれせんべいをつくってくれた優しいおばさんは、もうこの世にはいないんだ。もうこの世には、帰ってこない。」
杉ちゃんがそういうと、子供はわーんと声をあげて泣き出してしまった。蘭は、子供を泣かせるなんてちょっとかわいそうではないかと杉ちゃんに言ったが、それでも、ちゃんと、事実を伝えておかなければならないと杉ちゃんは言った。子どもは涙をこぼして泣いている。彼は、それをちゃんと理解してくれたようである。
「あの、上村勝子さんとおっしゃる、ぬれせんべいを売っていた女性についてなんですが。」
と蘭は、母親に聞いてみる。
「ええ、なんでも、天気が悪くない限り、彼女は、いつでも屋台を出してました。だから、私たちは、非常に迷惑な存在だと思っていました。」
「まあ確かに、迷惑な存在だったかもしれません。でも、こうして、息子さんに対しては、非常に大きな存在になっているんですから、それは無視してはならないのではないでしょうか。お母さんは、上村さんに対して、話しかけたり、言葉を交したことはありますか?」
蘭が聞くと、
「ええ。それは、ありませんでした。子供は、100円渡せばせんべいを買うことができると言って
喜んでいましたけど、私たちにとっては、彼女の存在は非常に迷惑でしかありませんでした。」
と、母親は答えた。
「そうですか。彼女、上村勝子がどんな人物であったか、心当たりありませんか。」
と、蘭は言った。
「どんな人物だったかなんて、何も知りません。ただの迷惑だった存在に過ぎないんです。彼女のせいで、知らない人には話しかけてはだめって、いくら注意してもダメなようになってしまいましたし。」
母親はもうそれはいいですかといいたげな顔をしていた。杉ちゃんと蘭は、それでは彼女たちに話しかけるのはもう終わりにした方が良いと、直ぐに思った。
「ご協力、ありがとうございました。それでは、僕たち失礼しますから。」
と、杉ちゃんと蘭は、急いでその親子の前を離れていった。そして、再びバラ公園の中を移動していった。さすがにバラ公園は人が少ないせいで、それ以上ほかの親子に会うことはなかった。バラ公園を出て、杉ちゃんたちが、しばらく歩いていくと、小さな保育園の前にやってきた。ちょうど、園児を散歩に連れていくところだったようで、ひとりのエプロンを付けた中年女性と、二人の子どもが手をつないで歩いてくるのが見えた。
「すみません、一寸よろしいでしょうか。」
「ちょっと、教えてほしいことが在るんだ。あの、公園の中で、ぬれせんべいを売っていた、女性のことについて、教えてもらえないだろうか。」
蘭と杉ちゃんは相次いでそういうことを言った。
「はい、あの迷惑な女の人の事ですね。」
保育士はいやそうに言うと、子どものほうが先に覚えていたらしい。すぐに青い声でこういうことを言うのである。
「ああ、あの優しいおばちゃんの事だね!いつも、リヤカーを引っ張って、ぬれせんべいを配ってたよ。」
先ほどの子供さんと比べたら、幾分大きな年齢の子供さんだったのだろう。もう少し、事実を伝えることができるようになっている。
「うん、ぬれせんべいを販売している女性の事を聞きたいんだ。彼女は、バラ公園で、ぬれせんべいを、一枚百円で売っていたんだよな。」
と、杉ちゃんが言うと、
「ちょっとあなたたち、いきなりその女性の事を言わないでください。あのぬれせんべいを販売していた女性は、私たちにとっては、非常に迷惑な女性なんです。彼女が公園から消えてくれて、良かったと思っていたところだったのに。」
と、保育士は、嫌そうな顔をしてそういうのである。
「まあそうだったかもしれないけど。彼女、上村勝子がどうして公園でぬれせんべいを売っていたのか。そして、なんで、自宅内で死ななければならなかったのか。其れを僕たちは知りたいんだよ。」
杉ちゃんがそういうと、
「死んだの?」
と、子供の一人が、そういうことを言った。
「じゃあ、おばさんは、もうぬれせんべいは、売ってくれないの?」
別の子どもがそういうことを言う。
「そうか。僕のおばあちゃんと一緒だね。もうお年玉がもらえないのと一緒だ。でも、それでも生きていけるからって、僕のママが言ってた。」
このくらいの年代になるとそういうことを理解できるようだ。
「何を言っているんですか。あの女性は、本当に、困る人ですよ。例えば、こういうことがありました。ここにいる太郎君が、公園で迷子になったとき、私たちは、必死で探しました。ところが彼ったら、偶然あの上村勝子と一緒にいて、しかもぬれせんべいまでごちそうになってたんですよ!」
保育士はいやそうな顔をしてそういうのであった。つまり、逆を言えば、上村勝子が、迷子になった太郎君を、保護してくれたということになるのだが、彼女たち保育士にとっては、いい迷惑にすぎないらしい。
「幸い、太郎君は何もされないで済みましたけど、もしもっと長時間上村勝子のそばにいたら、何かおかしなことを、吹聴されたかもしれません。まあ、偶然にも、太郎君は直ぐに戻ってきたからよかったですけどね!」
「その時、太郎くんは、泣いたり、怖がったりしている様子はありませんでしたでしょうか?」
と蘭は聞いた。
「いや、何もなかったよ。むしろ楽しそうにしていたよ。」
子どもの一人がそういった。
「そうなんだね。じゃあ、彼女、上村勝子は、子供のあやし方を、非常によく知っている人物ということだな。」
杉ちゃんは、頭をかじってそういうことを言った。
「一体どうしたの?」
保育園の建物の中から、一寸高齢の女性が現れた。つまり保育園の園長みたいなひとだと思われる。
「いやあ、この人たちがね、上村勝子のことについて、一寸話してもらいたいと言っているんですが。」
と、保育士はいやそうに言う。
「上村勝子は、確かにいい人だったと思います。確かに彼女は、いじめられて泣いていた子どもにぬれせんべいをくれたり、迷子になって、寂しがっていた子供にぬれせんべいをくれたりして、私たちには、ありがたい人でもありましたけど。」
園長先生は、そういうことを言った。
「昔の保育園とかだったら、そういうひとがいてもよかったんでしょうが、それでも今の時代であれば、それは、もううるさい存在とか、不要な存在としか見られないかもしれないわね。」
確かにそういうことは言える。昔は、親がなくても子は育つという言葉があった通り、そういうひとがいてくれた時代も在った。でも今は、子どもを取り巻く環境は変わっていて、親だけの権利が莫大に増えて、他人が手を出すことは、ほとんどないという気がする。だから、もしかしたら、上村勝子のような女性がいても、昔だったらよかったが、今はうるさい存在しか見えないのだろう。大人には売るさい存在であっても、子どもにとっては優しくて、暖かい存在。そしてぬれせんべいをくれる、優しい存在。それが、だんだんに消えてしまっているような気がするのだ。
「そうですか。やっぱり、上村勝子は、自殺したのかな。自分が、この世にいても、何も意味がないような気がして。」
と、杉ちゃんがそういうと、
「ええ。そうかもしれないね。」
蘭は大きなため息をついた。
ぬれせんべい 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます