真実

第47話 真実

 私は、今どこにいるのだろうか…

 意識が戻り始めたリディアは、ゆっくりと目を開いたが、焦点が合わず、視界はぼんやりとしたままだった。

 私は、今までどうしていたのだろう…

 リディアは、朦朧もうろうとする意識を辿たどりながら、自分がこれまで、どこで何をしていたのかを思い出そうとした。

 すると、どこからか、声が聞こえたような気がした。耳に聞こえてくる声ではなく、意識の中に語りかけてくるような、そんな声だった。

 「目覚めましたか?意識がはっきりと戻るまでには、少し時間がかかります。それまでは、そこで安静にしているとよいでしょう。時間は十分にありますから、ゆっくりとお休みなさい」

 意識の中に語りかけてくる声は、初めて聞く声で、声の主が誰なのかは分からなかったが、その声には、母親が赤子を無条件の愛で包み込むような、そんな優しさのある声のように感じられた。それは、かつてどこかで感じたことのあるような心地よさで、ずっとこのままでいられたら、どんなによいだろうかとさえ思えた。なぜなら、彼女の体には、これまでに感じたことのないほどの疲労感があり、焦点の定まらないまま目を開けているのがやっとで、体を動かそうと思っても、体が言うことをきかなかったからである。

 リディアは、唯一動かすことの出来る目を左右に動かして、周囲の状況を確認しようとしたが、目ではまだ何も見ることが出来ず、代わりに、何らかの映像が意識の中に流れ込んでくるように感じた。

 それは、初めは真っ白で形のないものだったが、しだいにぼんやりとした輪郭のようなものが現れ、動きが感じられるようになった。そして、ゆっくりと漂う雲のようなものになった。

 あれは、ティナが言っていた、生まれる前に乗っていたという、ふわふわした物のことだろうか、とリディアは思った。

 ティナ?それは誰のことだ?

 リディアは、心の中で自問した。なぜだか分からなかったが、突然、その名前が意識にのぼったのである。しかし、それが誰なのかは思い出せなかった。

 すると、心の中で、幼子の声が聞こえてきた。


 生まれる前は、私は白いふわふわしたものの上にいたの。柔らかそうに見えるけど、手で触っても何も感じなかったわ。そして、高いところから、みんなを見ていたの。次は、どこで生まれようかなあって考えていたのよ。でも、どこからか知らない人がやってきて、私に言ったの。『次はあの国に行きなさい』って。そして、『飢えや病気で苦しむ人々に救いの手を差し延べてあげなさい』って言ったのよ。私には、その人が何を言っているのか分からなかったわ。でも、その人に聞き返そうとしたら、もう私はそこにはいなくなっちゃったの


 リディアが声の主のことを思い出そうとしていると、さらに年老いた男の声が加わり、会話となって聞こえてきた。


 どこに行ったのか覚えているかな?

 気が付いたら、赤ん坊になっていて、私のお母さんのお腹の中にいたの

 それからどうなったのかな?

 分からないわ。忘れちゃった…


 そうだ。ティナというのは、美璃碧ミリア姫の化身だと考えられた女の子のことだ。

 そのことを思い出すと、再び、ある会話が意識の中で聞こえてきた。


 あそこにいる小さい人は、精想ジン・シアンだわ

 精想ジン・シアン?誰なんだい、それは?

 シアンは、天才的な科学者で、私の婚約者でした。そして、彼は、まだ若くて国を治める者としては未熟だった私を常に助けてくれました。彼は、理想的な国づくりのための様々な提案をして、私を支援してくれていたのですが、彼と私は、科学を用いて国を平和へと導こうとする彼の考え方を理解できなかった一部の国民によって殺されてしまったのです


 その会話は、かつて、どこかで聞いたことのあるものだとリディアは思った。

 気が付いたら赤ん坊になっていた?

 美璃碧ミリア姫の化身?

 殺された?

 リディアは、必死に思い出そうと、過去の記憶を手繰たぐり寄せるように考えた。

 そうだ。私は、精想ジン・シアンの転生者だと思われる臥神という者たちと共に、ランドルという巨人族の地下世界の中にいて、そこで地震が発生し、街が崩壊した後、なぜだかは分からぬが、私の体は消えてしまったのだ。

 だとすると、私は死んだのだろうか?

 そして、ティナの言っていたように、再び、別の人間となって、これから生まれ変わろうとしているのか?

 リディアが自問を続けると、ふたたび、先程の声が聞こえてきた。


 「いいえ。あなたには、まだその準備は出来ていません。これから、長い時間をかけて、これまでの人生の記憶を追想して内省し、次の人生に備えるのです」

 「次の人生に備える?やはり、転生するというのか?」

 「そうです。あなた方人間は、転生を繰り返すことによって学んでいき、人間性を高めていくのです」

 その言葉を聞いて、リディアは、雲水という男の言っていたことを思い出した。

 「ある男が、過去の人生の記憶を失って同じことを繰り返していくことに疑問を感じ、輪廻の鎖を断ち切りたいと言って、死を選ぼうとしていたが、そんなことが出来るのか?」

 「雲水陽焔ウンスイ・ヨウエンのことですね」

 「その男を知っているのか?」

 「勿論、知っています。彼は、あなたの人生において、重要な役割を演じた者の一人なのですから」

 「私の人生で、重要な役割を演じた者の一人?それはどういう意味だ?」

 「あなた方人間は、いくつもの集団に分かれ、自分の属している集団に属する人たちと共に、同じ時代の同じ世界の最適な場所を選んで、人生を歩んでいるのです。そして、人生を共に歩む者たちは皆、それぞれの人生に影響を与え合っているのです。あなたは、まだ思い出していないかもしれませんが、あなたは、雲水が、トラキア城の地下牢であなたに会い、あなたと共にランドルの地下世界へおもむき、あなたの生きる世界についての謎を説明する役割を演じるように、生まれる前に雲水と話し合ったのです。そして、雲水はあなたに同意し、あなたと話し合った通りの役割を演じたのです」

 リディアには、意識下に語りかけてくる声の話した内容がすぐには理解できなかった。

 「今話したことを、すぐに理解するのは難しいかもしれません。ですが、じきに全てを思い出して理解できるようになるでしょう。時間は十分にあります。ゆっくりと思い出していけばよいのですよ」

 声の主は、全てを知っているかのように、さらに説明を続けた。

 「臥神や媸糢奴シモーヌも、あなたの人生の中で、重要な役割を演じてくれました。あなたは今回、他人の言葉に惑わされずに、自分の意志で物事を決定し、行動する、ということを人生の目的の一つとして掲げて、リディアという名で人生を送りました。その目的を達成するために、臥神や媸糢奴が、あなたに協力することを約束し、あなたと話し合って描いた筋書き通りに、それぞれの役割を演じてくれましたが、言葉というものはとても強い力をもっており、あなたは、それに打ち勝つことが出来ませんでした。あなたは、彼らの傀儡かいらいとなって人生を送ってしまったのです。つまり、あなたは、あなた自身が掲げた目標を達成することができなかったのです」

 「違う!私は、奴らの傀儡になど、なってはいない!私は、私の意志で決断し、行動してきたのだ!」

 リディアは、心の中で、突然、声を荒らげて叫んだ。

 「その冷静さをすぐに失う性格を直すことも、あなたの人生の目的の一つだったのですが、それも達成できなかったようですね」

 声の主は、リディアの怒声に心を乱されることなく、優しい口調で言った。

 リディアは、自分の性格に対して率直に指摘され、恥じるように一瞬言葉を失ったが、これまでの話を理解できずに混乱したまま、口調を改めずに尋ねた。

 「お前は一体誰なのだ!?なぜ私の人生のことを知っているのだ?」

 「私は、あなたの指導役を務めている者です。あなたが、これまでに生きてきた様々な人生を振り返って、そこから学んだことを反芻はんすうし、次の人生の準備をする手助けをさせて頂いています」

 「何のために、そのようなことをしているのだ!?」

 「勿論、あなたが人間性を高めるのに協力するためです」

 リディアは、雲水が、転生を繰り返して人間性を高めて、その先に何があるというのか、と言っていたことを思い出した。

 「人間性とは一体何なのだ?それを高めて、どうしようというのだ?」

 「人間は、様々な人生を送ることで、様々な経験をし、様々なことを学んでいきます。それが人間性を高めるということです。そして、人間性を高めることの目的は、今のあなたが考えることではありません。私が今お話ししたところで、あなたには理解できないでしょう」

 リディアは、自分には理解できないだろうと言われて気に障ったが、その腹立たしさを言葉に表す前に飲みこんで、感情を必死に抑えた。

 「勘違いしないように念のために言っておきますが、あなたを侮辱しているのではありません。あなた方人間は、まだ、それを理解出来るだけの十分な人生を経験していないのです。私ですら、その目的を正確に把握しているとは言えないのですから、あなた方にはとうてい理解できないでしょうと思って申し上げたのです」

 「では、お前は、ただの私の指導者なのであって、雲水が言っていた、人間が永遠に知ることの出来ない、人間の想像を遥かに超えた偉大な存在ではないのだな?」

 「勿論です。私にも、その存在のことは分かりません。先程も言いましたように、私は、自分の務めを果たしている、あなたの指導者に過ぎません。私は、少なくとも、あなたよりも長く生きており、数多くの生を経験してきました。その経験から学んだことを活かして、あなたに協力する役割を担っているのです」

 「では、お前は今どこにいるのだ?姿を現してくれぬか?」

 「私には、今のあなたのような肉体というものがありません。そのため、残念ですが、あなたの前に姿を現すことは出来ないのです」

 「お前は人間ではないということなのか?」

 「はい。私もかつては、人間の肉体をまとって、人間としての人生を送ったことがありました。しかし、我々は、あなたも含めて、元々は人間などではないのです。人間とは、一つの表現に過ぎません。我々は、人間という肉体を借りて人生を生き、様々な経験を通じて、様々なことを学んでいるのです。そして、私は、すでに人間という生を経験する必要性がなくなったため、あなたの指導役を自ら選択し、今こうして、あなたに協力しているのです。私も、あなたの指導役という経験を積むことで、さらに学び続けているのです」

 「では、お前は、肉体を失った魂というものなのか?」

 「あなた方人間は、そう呼んでいますね。神の子、生命、エネルギー体、など、様々な名前で呼ばれますが、それらの名前は、本質を正確に言い当てていません。ですが、強いて人間の限られた言葉で表現するとすれば、恐らく、エネルギー体と言うのが最も近いのかもしれません。あなたがリディアとして生きた時代には、そのような言葉はなかったかもしれませんが、今のあなたなら理解できるのではありませんか?」

 確かに、声の主が言うように、リディアは徐々に記憶を取り戻してきていたため、その言葉の意味は理解することができた。しかし、まだ分からないことだらけだった。

 「では、私はまだ、これからも転生を繰り返していくのか?」

 「そうです。あなたは、まだそれを必要としています」

 「雲水は、輪廻の鎖を断ち切ると言っていたが、そんなことを自分の意志で出来るものなのか?」

 「あなたは勘違いをされているのかもしれませんね。あなた方は輪廻を強いられているのではありません。あなた方は、自らその必要性を感じて、自らそれを選択しているのです」

 「では、私は、いつまで転生というものを続けなければならぬのだ?」

 「あなたは、いつまでそれを必要としているのですか?」

 リディアは、自分の問いに対して質問で返されるとは予想していなかったため、言葉に詰まってしまった。

 「あなたの質問の答えは、今の私の質問に対するあなたの答え次第です」

 リディアは、しばらく黙ってしまった。どのように答えてよいのか分からなかったのである。

 「今すぐに答える必要はありません。どのみち、あなたにはまだ、その答えは分からないのですから。しかし、あなたは、これからも、あなたが想像もできない程の長い時間をかけて、転生を繰り返していくことになるでしょう。そして、これから、どのような人生を歩み、何を学んでいくのかを考える上で、私が助言をさせて頂くことになっています」

 「これから、次の人生について考えなければならぬのか?」

 「いえ、今すぐにではありません。あなたは、これまでの人生を終えたばかりで、疲れています。しばらくの間、ゆっくりと休んでからでも遅くはありません。そして、少しずつ、今までの人生の記憶を取り戻しながら、休憩も交えて、今後のことを考えていきましょう」

 「では、私は今、お前と同じ状態なのか?次の人生を考える必要があるということは、私は、ランドルの地下世界で死に、今は肉体をまとった存在ではない状態なのか?」

 「あなたが混乱するのも無理はありませんね。あなたは、確かに、その世界で死を迎えて、リディアという人生を終えたのですが、本当に死んだのではありません」

 「どういう意味だ?私は死んだが、まだ蘇生することが出来るということか?」

 「いえ、そうではありません」

 「では、どういう意味だ?私は、ランドルの地下世界で死を迎え、雲水の言っていた生命の原初と呼ばれるところに戻ってきたのではないのか?」

 「いえ、ここは生命の原初ではありません」

 「しかし、雲水は、私のいた地上世界に戻って死を選択するか、あるいは、ランドルの地下世界を統治する最高指導者に会って、その世界での人生を終わらせる許可をもらうことさえ出来れば、再び生命の原初と呼ばれる元の世界に戻って、母親に会うことができると言っていたのだぞ」

 リディアは、雲水の言っていたことを思い出して、反射的に、声の主に反論するように言ったのだったが、自分の言葉で、自分が死を選んで何をしようとしていたのかを思い出した。

 「そうだ。私は、死を選択することで、私の母ライーザに会うことが出来ると言われたのだ。私は、本当にここで母に会うことが出来るのか?」

 「はい。あなたの母上は、この世界でずっとあなたが戻ってくるのを待っていました」

 「では、やはり、母はここにいるのだな?」

 「あなたの母上だけではありません。あなたに協力して、それぞれの役割を演じてくれた、ステイシアや、ロイ、レイ、クロード、臥神や霞寂、雲水も、皆、ここに戻ってきています」

 「全員ここにいるのか!?」

 リディアは、驚いて、再び周囲を見廻そうと視線を移したが、まだ何も見ることは出来なかった。

 「まだ何も見ることはできないでしょう。ですが、そこから出れば、見えるようになります」

 「ここから出る?ここはどこなのだ?一体私は、どこにいるのだ?」

 「そこから出てみれば、分かります」

 「どうやって出ればよいのだ?」

 「これから、あなたを解放しますので、体を動かさずにそのままの状態でいてください」

 声の主がそう言うと、機械音のような音が聞こえてきた。

 そして、目の前を遮っていたものが徐々に開き始め、しだいに視界が開けてきた。

 リディアは、自分が、何かの中に体を横たえている状態でいることに気が付いた。そして、ゆっくりと半身を起こし、周囲に視線を移すと、床には、星間移動などの長距離移動を行う宇宙船で使われる生命維持装置のようなカプセルがいくつも設置されているのが目に入った。

 そのカプセルの中には、着ている服は記憶の中のものとは異なっていたが、臥神やロイたちが深い眠りについているかのように横たわっていた。

 「ここは宇宙船の中なのか…?」

 リディアは、今までいた世界には無かった概念や言葉も思い出し始めていた。

 「いえ、宇宙船の中ではありません。あなたは、そのカプセルの中で、あなたの想像した世界を創りだし、その世界の中で生きていたのです」

 再び先程の声が聞こえてきたが、その声がどこから聞こえてくるのかは、分からなかった。

 「私が創り出した世界で生きていただと?私は、今まで仮想の世界にいたというのか?」

 リディアは、とにかく、そのカプセルのようなものの中から出ようと立ち上がると、自分の体の重みを感じて一瞬よろけたが、すぐに態勢を戻して、備え付けられていた階段をゆっくりと下りていった。

 「まだ、重力のある実際の世界での肉体的感覚を思い出していないでしょうから、気を付けてください」

 リディアは、足の使い方や体のバランスの取り方に気を遣いながら、慎重に床まで下りると、周囲を見渡して、今いる場所を確認した。

 そこは、壁一面に様々な機器が設置されている部屋の中のようだった。コンピューターと思われる機械も設置されていた。恐らく、目の前にあるカプセルのようなものは、そのコンピューターが管理しているのだろうと、リディアは思った。

 母はどこにいるのだ?

 リディアは、すぐさま、カプセルを一つ一つ確認して回ったが、どのカプセルの中にも、ライーザはいなかった。

 「あなたの母上は、あなたよりもずっと早い段階でここに戻ってきたので、そこにはいません。別室であなたのことをお待ちになっています」

 「別室?どこにあるのだ?」

 「これから扉を開けますが、別室の光に目が慣れるまでは、気を付けて、ゆっくりと入室してください」

 声の主がそう言うと、先程は気が付かなかった壁の扉が、ゆっくりと開いた。そして、そこから、目を開けているのもつらいほどのまばゆい光が差し込んで来た。

 リディアは、目の前に右手をかざし、目を細めながら、ゆっくりとその扉に近づいていったが、部屋の中は眩しくて、全く何も見えなかった。

 私は、今、実際の肉体を持って歩いている。そして、臥神やロイたちも皆、物理的な肉体を持ってカプセルの中に横たわっている。すると、母も、やはり肉体を持った状態で、その部屋の中に居るのだろうか…。

 それとも、これが物理的な現実世界だと感じているだけで、今もまだ、私自身が創り出した仮想の世界の中に居るのだろうか…。

 リディアは、心の中で自問した。

 転生というものは、仮想世界で起きている現象にすぎないのだろうか…。

 いや、声の主は、今は肉体を持っておらず、エネルギー体という形で存在しているが、かつては肉体を持っていたと言っていた。ならば、やはり転生というものは、死をもって肉体が滅んでも、再び別の世界で、別の人間としての肉体を与えられて人生を歩んでいくものなのだろうか…。

 リディアには、その答えは分からなかった。しかし、そんなことは、もはやどうでもよかった。今の彼女には、母親に会えるということだけで十分だったのである。

 それぞれを指導する別の指導者の声を聞いたロイたちが、リディアと同じように、カプセルから下りてきたが、彼らに再会する喜びよりも、母ライーザに会える喜びの方が大きく、リディアは、後ろを振り向くことなく、ゆっくりと別室に足を運んで行った。

 期待に胸を躍らせながら。

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想念の鎧 ― 忍び寄るニームとの戦い ― @satoru_rinjo

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