第46話 消滅

 ロイたちが、周囲の自然の美しさに目を奪われていると、どこかに到着したのか、艶凛エンリンが乗り物を停止させた。

 すると、法剣が、気球の籠を持ったまま、乗り物からゆっくりと降りた。

 「ここは、我々が作物などを作るための栽培区域となっています。ここで、試験栽培を行ったり、実際に収穫するための作物などを作ったりしています」

 法剣が、空気に触れるようなしぐさをすると、空気中に何かの操作盤のようなものが現れ、それを操作し始めた。それは、物理的なものというよりは、空気中に光が投影されて表示されているようにも見えた。

 「驚いたかもしれませんが、ここには見えない仕掛けがあって、この区域は、野生動物たちが入ってきて作物を荒らしたりしないように、外部からは見えないようになっていて保護されています。今ここに表示された操作盤は、この区域に入場するための許可を得るためのもので、許可を得ていない者は、入場出来ないようになっています」

 法剣が、ステイシアたちの乗る気球の籠を、自分の胸あたりの高さに維持して持ち続けながら、数歩前に進むと、目の前の景色が突然変わり、驚くステイシアたちに説明を始めた。

 そこには、様々な植物が種類別に区分けされて栽培されている区域が広がっていた。そして、様々な種類の果実が実をつけていた。

 「ここは、果物を栽培する区域です。栽培しているものは、品種改良がされている点を除けば、あなた方が地上で栽培しているものと、ほとんど同じだと思います。さらに奥へ行った別の区域には、米や麦などの穀物を作っている区域もあります」

 ステイシアは、探し求めていた場所についにたどり着いたという思いで、目の前の光景を見つめた。そこには、ステイシアが、母ライーザと共に長い間追い求めてきたランドルの種子を得るための巨大な植物が繁茂していたのである。

 「ここにある植物の種子をいくつか分けて頂けませんか?地上には、飢えに苦しむ人々が大勢いるのです」

 ステイシアが、興奮と期待に満ちた表情で、法剣に懇願するように言った。

 「残念ですが、それは出来ません。あなた方が地上世界に戻るときには、この世界からは何も持ち出すことは出来ないのです。この世界に関するあなた方の記憶だけでなく、この世界にある物は何一つ持ち出すことは認められません」

 「たとえ、それが人道的な目的だとしてもですか?」

 「そうです。地上世界の問題は、地上世界の人間が、自分たちの手で解決しなければなりません」

 「ですが」

 ステイシアが、食い下がるように続けようとすると、レイが、そっと彼女の肩に手を添えた。

 「この世界には、この世界の決まりというものがあるのでしょう。無理を言えば、かえって、この世界の住人にご迷惑かもしれませんよ」

 レイの言う通り、ある人々を救うために、別の人々に迷惑をかける結果となるのは、ステイシアにとっても本意ではなかった。

 ステイシアが残念そうにうつむくと、哀れむような目でステイシアを見つめていた艶凛エンリンが、陽気な声で笑みを浮かべながら言った。

 「さあ、これから、ここで収穫されたものを食べに行きましょう。あなた方のために、我々の普段食べている食事をすでにご用意しています。この世界に来てから、まだ何も食べていないでしょうから、まずは腹ごしらえといきましょう」

 「そうでしたね。みなさん、お腹がすいているでしょうから、早速、食事を取ることにしましょう。我々は菜食しかしませんので、肉はありませんが、きっとあなた方にも喜んでもらえると思いますよ」

 法剣も、ステイシアがあまり思い悩まないように、笑顔を作りながら、明るい声で言った。

 法剣は、先程通って来た見えない出入り口から外に出ると、再び空気に触れるようなしぐさをして、操作盤のようなものを表示させた。そして、先程とは違う操作をすると、今度は、地面に突然穴があき、階段が現れた。

 「我々の居住区は、地下にあります。あなた方から見れば地下にあるこの世界にも、地上と地下があり、地上は野生生物たちと、我々の行う農業のために保護されています。そして、我々は、地上世界の生態系を壊さないようにするために、地下に暮らしているのです」

 法剣が説明をしながら、艶凛エンリンと共にゆっくりと階段を下りていくと、頭上の地面に出来た穴がふさがり、一瞬真っ暗になったが、すぐに周囲に明かりが灯され、目の前に扉のようなものが見えた。

 法剣は、再び何かの操作をすると、扉が開き、その中に入って行った。

 艶凛エンリンも法剣の後に続いて中に入ると、扉が自動的に閉まり、その上にともる黄色い光の点が、左側へゆっくりと移動していった。

 「私たちは、今、地下へと移動しています」

 艶凛が説明をしてくれたが、ロイたちには動いているのかどうかすら分からないくらい安定した状態で静かに下降しているようだった。

 窓からは、乗り物の外の様子を見降ろすことが出来、法剣の言う居住区は、かなり地下深くのところにあるようだった。その居住区は、今までに見た地下世界の中の地上とは異なる別世界のようだった。そこは、人工的に整備された街で、人々は、六角形を並べた蜂の巣のような構造で整備された区画を取り巻いている道を利用して行き来していた。乗り物に乗って移動する人々は、先程艶凛エンリンが操縦していたモルファードという乗り物と同じ乗り物で移動していた。居住区の区画が六角形になっているのは、交差点の交差角を鈍角にして、高速で移動する乗り物が角を曲がりやすいようにするためだと思われた。

 ロイたちの乗る乗り物が、地下の最深部に到達すると、自動的に扉が開いた。

 目の前には、いくつもの巨大な建築物がそびえ立っており、もはや街全体を見渡すことは出来なかった。

 法剣と艶凛は、乗り物を降りて歩道を少し歩いたが、彼らが歩みを止めても、周囲の建物が視界の後ろに流れていき、なぜか二人は前に進んでいるようだった。

 不思議に思ったロイたちは、周囲を見廻した。

 周囲のランドルたちも、立ち止まったままだったが、移動しているようだった。

 よく見ると、周囲のランドルたちや、法剣と艶凛は、一定の方向に動き続けている道の上に乗っているようだった。

 「これは、何ですか?道が動いているようですが」

 ロイが、興味深そうに尋ねた。

 「これは、動く歩道です。これから、この歩道を利用して、我が家まで行くつもりです」

 法剣と艶凛が最初に乗った歩道はゆっくり動いていたが、法剣が右に移動するにつれて、移動速度がどんどんと速くなっていった。

 「驚いたでしょう?この歩道は、私のお気に入りの移動手段の一つなのですが、右側に行けば行くほど、速い速度で移動しています。ですから、もし急いでどこかへ行きたい場合は、一番右側の歩道に移ります。隣り合う歩道同士の速度の違いは小さいので、移動速度が急激に変わることはなく、安全に移動速度を変えて移動することが出来ます。そして、目的地に着いて降りたい場合は、事前に左側の歩道に移動しておき、歩道を降りるのです。この歩道でしたら、個々の乗り物が来るまで待つ必要はなく、すぐに移動を開始することが出来るのです」

 法剣は、子供が遊具で遊んでいるかのように移動を楽しみながら、ロイたちに説明し、艶凛エンリンもロイたちの驚く顔を見て、笑みを浮かべながらついてきた。

 街に立ち並ぶ建築物は、地上世界の石積みの建物のように硬い材質で出来ているようだったが、石とは異なる材質のようだった。そして、多くの高層建築物は、直方体のような形で造られていた。

 街は、地下にあるにもかかわらず、常に明るかった。上を見上げると、空があるように見えたが、天井に空の絵が描かれていたのかもしれない。太陽が見つからないことからも、空のように見える上部は、実際の空ではないと思われた。しかし、絵であれば変化するはずのない空が、少しずつ変化しているように見えた。雲がゆっくりと流れるように動いていたのである。アマラ神殿で見た徐々に変化する絵と同じ仕組みなのだろうかとロイは思った。

 「あれは、本物の空ではありませんが、ここにも昼夜の違いはあって、一定の時間が過ぎると、徐々に夜空に変わって行き、街は暗くなるように出来ているのですよ」

 法剣が、不思議そうに上を見上げているロイを見て言った。

 「どのような仕組になっているのですか?」

 「それをあなた方に説明するのは難しいですね。私も詳しいことを知っているわけではありませんが、あなた方が理解できるように説明するのは私には出来ません」

 ロイたちにとっては、見る物すべてが不思議に思えたが、法剣の言う通り、たとえ説明してもらえたとしても、ランドルの文明よりもはるかに遅れた文明の世界に生きる自分たちには、とうてい理解などできないだろうと誰もが思った。それは、臥神とて同じだったかもしれない。

 ロイたちは皆、目の前の光景に圧倒されて、しばらく黙ったまま気球の籠から身を乗り出して周囲を見渡し、夢でも見ているのではないかとすら感じながら、街並みを眺めていた。

 しかし、妖術や魔物に守られていると恐れられていたランドルの森が、実は、見せかけの妖術によって人々の心に植え付けられた虚像の産物にすぎなかったことを考えると、リディアには、目の前に広がる、信じられない程文明の進んだランドルの地下世界も、本当は、彼女たちがそのように信じ込むように創られた虚構の世界なのではないだろうかとすら感じられた。

 リディアは、ふと臥神に視線を移し、臥神はどのように思っているのだろうと考えた。

 臥神がずっと黙っているのは、この世界を見定めようとしているのか、あるいは、雲水を解放したことにより何かが起きることを待っているためなのか、リディアには分からなかったが、これまでずっと口を閉じたままだった臥神が、ようやく口を開き、法剣に質問を始めた。

 「この世界は、現実なのですか?」

 臥神の質問は唐突なものだったが、これまでのリディアたちに対する話し方とは違い、ランドルを敬ってか、臥神は、丁寧な口調で尋ねた。

 リディアは、やはり臥神も自分と同じように感じていたのだろうかと思ったが、臥神の問いかけの根底には、別の意図があるようだった。

 「あなた方には、この世界は夢のような世界と感じられるかもしれませんね。ですが、我々には、何万年もの長い歴史があり、それだけ我々の文明はあなた方の文明よりも進んでいるのです。ですから、この世界の全てのものは、夢ではなく、我々が実際に創り上げたもので、すべて現実のものなのですよ」

 法剣は、にこやかに答えた。

 「それは、この世界にいる限りは現実であるという意味ですか?」

 臥神が、鋭い眼光を輝かせながら再び尋ねると、法剣は、臥神が他の者たちとは違う優れた知性を持った人物だと改めて認識し、臥神の問いかけの意図を理解し、説明を始めた。

 「その通りです。あなた方が見ているもの、触れたもの、感じたものなど、心の中で認識し、考え、感じ取ったものは、すべて現実のものなのです。そして、その逆も正しく、この世界では、心の中で想像し、創り上げたものは全て現実に投影されるのです。つまり、我々の創り上げたものは、すべて、初めは我々の心の中に考えとしてあったものです。我々は、心の中で想像し、その考えを基にして、物を創り上げていきますが、心の底から信じて疑わないものは、すべて現実のものとなるのです」

 法剣の説明は、リディアたちには理解出来なかったが、臥神は理解しているようで、さらに質問を続けた。

 「では、あなた方が死を超越出来たもの、そう信じたからということなのですか?」

 「その通りです。我々は、死も克服できるものの一つだととらえ、生物工学を発展させて、心の中で強い信念となったものを実現させたのです。つまり、生物のあらゆる仕組を完全に理解し、改変すら出来る技術を手に入れることによって、我々は、死というものにまで手を加えることが出来ると信じたのです」

 「では、我々地上世界の人間も、死を克服できるのですか?」

 「不可能ではありません。ですが、今のあなた方には無理でしょう。なぜなら、我々が、人間は死をも克服出来るのですよと、あなた方に言ってみたところで、あなた方には、そんなことは信じられないからです。心の底から信じられるようになるための根拠が足りないのです」

 法剣は、動く歩道を左に移動し、そこからいったん降りて、立ち止まってから続けた。

 「あなた方は、地上世界で、飢えの問題を解決するために食糧をめぐって争い、殺し合い、国を奪い合ってきました。しかし、本当は、あなた方は、食べなくても生きていけることを理解するべきなのですよ」

 「それは、どういう意味ですか?」ステイシアが話に加わって尋ねた。「我々は生き物である以上、食べなければ死んでしまうのは、避けられない事実なのではないのですか?」

 「そのように信じているのでしたら、その通りになります。しかし、命あるものを食べるという行為など、本当は必要ないのです」

 「しかし、あなた方ランドルたちでさえ、食事をするではありませんか。肉食をせず、菜食しかしないとはいえ、命あるものを食しているという点では、我々と同じなのではありませんか?」

 「その通りです。我々ランドルも、その点では、あなた方と何ら変わりはありません。我々も、真実を知りながらも、食べなければ死んでしまうという信念を捨て去ることが出来なかったのです。それは、とても強い信念です。言葉を変えれば、すべての人間に好まれている最も人気のある信念の一つと言ってよいかもしれません」

 「ですが、この世界では、死は存在しないのではないのですか?」

 「我々が死を克服したということが、死が存在しないということを意味しているわけではありません。この世界では、死は依然として存在しています。死を克服したというのは、死んだとしても、蘇生、復元することが出来るという意味なのです。今の我々は、食べなければ死んでしまいます。そして、自動的に蘇生させられますが、食べなければ、生き続けることは出来ません。したがって、不食を続けて死を迎えれば、本来の寿命である時が来るまでは蘇生が何度でも行われますが、生活を営むことは出来ないのです。そして、我々が、食べなければ死んでしまうという信念を捨て去ることが出来なかったもう一つの理由は、食を楽しむという行為を捨てられなかったからです」

 「それは、人間は、生きていく上で、何らかの快楽を求める生き物だからですか?」

 「そうです。我々にとって、その快楽の一つが食なのです。しかし、我々は、食をめぐって争うようなことはしません。先程もお話ししましたように、我々は皆、我々が不要と考える負の側面が心から取り除かれているからです」

 法剣は、出来るだけ平易な言葉を選んで説明してくれているようだった。そのおかげで、法剣の説明は、ステイシアたちにもおおよそ理解出来たが、まだ核心に触れていないと感じた臥神は、真実を追求しようと、さらに質問を投げかけた。

 「心の底から信じて疑わないものは、すべて現実のものとなり、この世界にいる限りは現実であるという意味は、この世界は、我々の心の産物という意味なのですか?つまり、我々は、今、心の中に生きているということなのでしょうか?」

 臥神の問いに対し、法剣は、一瞬答えるのをためらうかのように、妻の艶凛エンリンに視線を移した。

 艶凛エンリンは、法剣以外の誰にも気づかれないほどわずかに首を振った。

 すると、突然、ロイたちの乗っている気球の籠が大きく揺れ始めた。籠を手に持っている法剣が、突然よろめいて、態勢を崩したのである。

 何が起こったのだろうと、籠から落ちないように籠のふちをしっかりと握りしめながら、周囲を見渡すと、街の中の歩行者たちも、立っていることが出来ずに倒れ込んだり、近くの街路樹にしがみついたりしていた。

 地震のようだった。地下世界の中の地下の居住区で、地震が発生したのである。

 揺れは次第に大きくなっていき、法剣は、さらによろめいて、霞寂たちの乗る気球の籠を落としてしまった。

 地面に叩きつけられるようにして籠が落下し、霞寂や従者たちは、地面に投げ出された。

 ロイたちは、籠から身を乗り出して、地面を見下ろしたが、霞寂カジャクや従者たちは、地面に倒れ込んだまま、動かなかった。

 法剣は、次第に激しくなる揺れに耐えかねて、地面に膝をつき、ロイたちの乗る気球の籠を、危なくないように地面にそっと置いた。

 艶凛エンリンは、立っていられずに、地面に倒れ込んだが、すぐに這うようにして法剣に近づき、法剣の腕を掴んで、恐怖に震え始めた。

 ロイたちは、すぐに籠から降りて、霞寂たちのところへ走り寄ろうとしたが、揺れが激しすぎて、艶凛と同様、立っていることすら出来なかった。

 「大丈夫です。揺れが収まれば、あの者たちの蘇生は自動的に行われますから、今は、動かずに揺れが収まるのを待ちましょう」

 法剣は、できるだけ冷静に振舞うように努めていたが、街の非常事態を知らせる緊急速報が、どこからか聞こえてくると、法剣の懐から何かの鳴る音が聞こえた。法剣は、あわてて懐の衣嚢いのうから小型の機械のような装置を取り出し、それを耳にあてると、突然、叫び始めた。

 「何だって!?地震緩衝装置が何者かによって停止させられただと!?」

 法剣は、そこには居ない見えない誰かと話をしているようだった。

 「何!?中央制御装置まで一部が停止したというのか!?」

 法剣は声を荒らげた。

 「雲水だ。雲水が、封印されていた人工地震発生装置を作動させたに違いない。今すぐ、そちらに向かうので、至急、雲水の追跡と、中央制御装置の復旧を開始してくれ」

 艶凛エンリンは、何が起こったのかを夫に問いかけるように、法剣に目を向けた。

 「恐らく雲水が、中央制御装置のある中央施設に入り込んで、一部の装置を操作、破壊しているのだろう」

 「何ですって!?どうやって入ったというの?あそこには、許可の無い者は絶対に入れないはずでしょう?」

 「分からない。だが、雲水は、かつては技術者で、中央制御装置の改良設計に携わったことがあり、中央制御装置の設計情報に目を通したことがあるのだ。雲水が、もし以前の記憶を取り戻したとすると、自分の体の大きさを元に戻して、生体マーカーの追跡・監視装置や保安設備に手を加えて侵入することは、難しいことではないだろう」

 法剣は、艶凛エンリンにロイたちのことを任せて、再び手に持っている小型の機械の操作を始めた。

 すぐに、モルファードという乗り物がやって来た。それは、艶凛エンリンが操縦していたものとは異なる種類のモルファードのようで、自動操縦されているようだった。

 法剣が、モルファードを、自分のいる動かない方の歩道の脇に止めると、再び地面が揺れ始めた。

 法剣は、一瞬よろめいたが、モルファードは浮遊して動く乗り物なので、地震の揺れなど気にせずに乗り込もうとすると、通りに隣接する建築物に亀裂が走り、壁が崩れ始めた。

 「危ない!」

 艶凛エンリンが、必死で夫の法剣を引き止めると、上部から落下してきた建築物の壁の破片が、モルファードを直撃した。

 法剣は間一髪助かったが、モルファードは、壁の瓦礫の下敷きとなって押し潰されてしまった。

 そして、その建築物は、轟音を立てて倒壊し始め、そばにいたロイたちは、崩れ落ちる建築物の瓦礫によって発生した爆風に吹き飛ばされてしまった。

 ロイとクロードは、ステイシア姫を案じてすぐに立ち上がったが、周囲には、灰色の塵埃じんあいが立ち込め、視界が遮られてしまった。そして、地震によって発生した火災の音と共に、逃げ惑うランドルたちの悲鳴が聞こえ、辺りは、阿鼻叫喚あびきょうかんちまたと化した。

 ロイとクロードは、大声で名前を叫びながらステイシア姫を探したが、視界の悪さと、彼らの声をかき消してしまう騒音のために、もはや誰がどこにいるのか全く分からなくなってしまった。

 地震の揺れは、さらに激しさを増し、周囲の建築物も次々と倒壊し始めた。

 この地下世界では、法剣が言っていた地震緩衝装置によって街全体が守られていたため、街の建築物には、十分な耐震性は確保されていなかったのである。そのため、周囲の建物は、アマラ神殿が崩壊したときのように、簡単に倒壊してしまった。

 ロイとクロードは、建物の倒壊による衝撃によって増幅された地面の揺れに耐えきれずに倒れ込んだが、再び立ち上がって、ステイシア姫を探し続けると、塵埃じんあいの中から、ゆっくりとロイたちに近づいてくる人影に気付いた。

 リディアとレイであった。彼らは、脚を負傷したステイシアに肩を貸し、両脇を抱えるようにしてロイたちのそばまでステイシアを連れてきたが、リディアも額から血を流していた。

 「私は大丈夫ですから、彼女のことを頼みます」

 ステイシアは、自分のことよりも、リディアの身を案じて、ロイとクロードにリディアの介抱を命じた。

 クロードが、リディアの代わりにステイシア姫を抱え込むと、ロイは、自分の服の袖を破り、それでリディアの額の血を拭おうとした。しかし、リディアは、それを拒んだ。

 「こんな怪我は大したことはない。それよりも、急いで法剣と艶凛エンリンを探して、ここから逃げなければ」

 「臥神を見ませんでしたか!?臥神がまだいないのです」

 ロイは、自分の教え子であるティアンの身を心配すると共に、彼ならばこの危機から脱出する方法をすでに考えているかもしれないと、一縷いちるの望みを抱いていた。

 「残念だが、奴は死んだ。倒壊する建物から落下した瓦礫に押し潰されたのだ。あっけないものだな。天下の奇才と呼ばれる天才でも、未知の世界では何も出来なかったということだ」

 「そんな馬鹿な…」

 ロイは、リディアの言葉が信じられなかった。これまで、何が起きようとも、それらは全て想定内であるかのように、事前に用意した奇策ですべてを解決してきた臥神が、何の準備や考えもなしに、この地下世界にやって来るだろうかと思えたからである。

 もしや、雲水がこの世界での人生を終えて、何らかの方法で輪廻の鎖を断ち切ろうとしているように、臥神もまた、同じことを考えていたのだろうか、とロイは思った。さもなければ、臥神がそんなに簡単に命を落とすことなどないだろうと思いたかった。

 ロイが、心の中で臥神についての思いを巡らせていると、辺りに充満する塵埃じんあいや噴煙の中から、ランドルと思われる巨大な人影が近づいてくる気配を感じとったリディアが、後ろを振り向いた。

 法剣と艶凛エンリンだった。彼らは、リディアたちを探しているようではあったが、視界が悪いため、足元付近にいる体の小さいリディアたちには気付いていないようだった。

 リディアとロイは、大声を出して必死に叫んだ。しかし、法剣たちの耳には届かなかった。

 「ここにいては、全員、命を落としてしまいます。とにかく、急いでここを離れましょう」

 レイは、周囲に目を配りながら、噴煙の少ない場所を探し始めた。

 脚に怪我を負っているステイシアと一緒では、無理があると考えたリディアは、何か移動手段がないかと目を凝らしながら周囲を見渡した。

 あれだ!

 幸い、まだいくつかの歩道は動いているようだった。

 リディアは、全員に、その歩道へ移動するように指示した。

 しかし、リディアの指示が聞こえなかったのか、ロイたちは、すぐに行動を起こさずに、茫然とその場に立ちすくみながら、リディアを見つめていた。

 「どうしたのだ!?私の言ったことが聞こえぬのか!?」

 リディアは、苛立って声を上げた。

 「その体はどうしたのですか…?」

 ロイが、奇妙なものでも見るかのような目で言った。

 リディアには、ロイの言っている意味が理解できなかった。

 「私の体がなんだというのだ?」

 「体が…体が透け始めています」

 「何?体が透け始めているだと?」

 リディアは、自分の手を前に広げて、視線を移した。

 「何だ、これは…。一体どうしたというのだ…」

 リディアの体は、徐々に色を失い、輪郭がぼやけ始めていた。

 リディアは、何が起こっているのか理解できずに、頭の中が混乱し始め、どうしたらよいのか分からず、その場に膝を落とし、今自分の体に起こっている現実に恐怖を覚え、震え始めた。

 そして、同じことがロイたちにも起き始めた。ロイ、レイ、ステイシア、クロードの体の輪郭も、徐々に消え始めたのである。しかもそれは、人間だけに起きたことではなかった。周囲のあらゆる物の輪郭がぼやけ始め、目の前の光景が揺らぎ始めた。

 ロイとレイは、臥神がこの世界が現実なのかと法剣に問いかけていたことを思い出した。もしかすると、臥神が尋ねていたことは、このことだったのだろうかと感じ始めたが、すでに、リディアの体は完全に消えてしまい、残ったロイたちの体も感覚すら失い始め、レイは抱えているステイシアの存在すら感じることができなくなった。

 そして、しばらくすると、ロイやレイたちの体も、リディアと同様に完全に消失し、周囲のあらゆる物が消え去ってしまった。

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