第30話 初日の対戦結果

 昼餉ひるげ時になり、学舎の子供たちへの食事を用意するために、ロイが外でまきを割っていると、ハルトが馬を走らせて、やって来るのが見えた。

 「やあ、ハルトじゃないか。どうしたんだい?今日は、闘技試合を観に行ったんじゃなかったのかい?」

 ロイは、薪を割る手を休めて、額の汗を袖でぬぐった。

 「どうして今日は来なかったんだい?試合は、もうとっくに終わっちまったんだよ」

 ハルトは、馬を下りると、やや興奮したような様子で言った。

 「すまないな。今日はちょっと行けなくなってしまったんだよ。でも、もう初戦が終わってしまったのかい?思ったよりも早かったな。それで、グスタルとリディアのどちらが勝ったんだい?」

 ロイは、ハルトの言ったことを誤解したようだった。

 「初戦だけじゃないんだよ。二戦目の試合も、もう終わってしまったんだよ」

 「二戦目の試合も?どういうことだい?まさか二試合とも、昼餉ひるげ時までには終わってしまったというのかい?」

 「そうなんだよ。まさか、こんなに早く試合が終わってしまうなんて、誰も予想していなかったことだったんだけれど、リディアという女が二試合とも勝って、明日の決勝戦に進むことになったんだよ」

 「ほう。そうか、やはり彼女が勝ったのか」

 ロイは、昨晩、自信に満ちた言葉を残して別れたリディアが、二試合とも勝って決勝戦に進むのは、ある意味当然のことなのかもしれないなとは思ったが、それにしても、それほど早く試合が終わってしまうとは、ロイも予想してはいなかった。

 「で、彼女は大丈夫なのかい?彼女は、脚の怪我がまだ完全には治っていないだろうし、グスタルやアシュベルという猛者もさたちと戦ったのだから、苦戦して、どこかまた怪我などをしてしまったのではないかい?」

 「怪我の心配なんて全くいらないよ。なんてったって、試合はすぐに終わってしまったんだから。グスタル軍曹との対戦は、瞬殺と言っていいほど、あっという間に終わってしまったんだよ」

 「瞬殺?本当かい?」

 ロイは、ハルトの言葉を疑った。

 「ああ。試合が始まって、グスタル軍曹がリディアに攻撃を仕掛けようと、間合いを詰めながら木製の剣を振りかざした瞬間、彼女が軍曹のふところに素早く飛び込んで、鳩尾みぞおちに強烈な一撃を喰らわしたんだ。すると、軍曹は気を失って倒れ込み、それで試合は終わってしまったんだよ」

 ハルトの話を聞いて、ロイは、あのか細い女の体で、一瞬で、しかも一撃で、鋼のような筋肉で覆われたグスタルを彼女が倒したのだとすると、ますます、彼女がグレン=ドロスに育てられたのは本当なのだろうなと感じた。

 「それで、二戦目のアシュベルとの試合はどうだったんだい?」

 「二戦目はさすがに瞬殺というわけにはいかなかったけれど、それでも、左脚に攻撃を一度受けただけで、それ以外はアシュベル少将の攻撃をまったく寄せ付けず、まるで子供を相手にしているかのように、簡単に彼女が勝ってしまったんだよ。これには、試合を楽しみに観に来ていた観客たちも、驚いただけでなく、不満の声を一斉に上げ始めたんだ。決して安くはない観戦料を払って観に来たのに、試合がそんなに早く終わってしまったんじゃ、当然といえば、当然だよね。俺も、初めて行った闘技場での初日の試合が、こんなに早く終わってしまったのには、正直言って驚いたよ。予想外の展開という意味では、面白い試合だったけれど、こんなに早く試合が終わってしまうんじゃ、楽しみも半減してしまうからね」

 ハルトの言うとおり、今回の闘技試合は、観戦券や賭けさつの販売収益を国の重要な収入源にするという目的は達成しつつあるものの、国民に娯楽を提供するという意味では、十分に目的を果たせていないのであった。

 「そうか。それは残念だったな。でも、彼女が負傷せずに、順調に試合を勝ち進んでいると聞いて安心したよ」

 「でも、明日のゴルドバ将軍との決勝戦は、今日みたいにはいかないだろうな。これまで、トラキア軍の兵士の誰一人として、将軍に勝ったことがないというだけでなく、将軍にかすり傷さえ負わせたことのある者がいないのだから、いくら彼女が強いとはいえ、そう簡単に彼女が勝てるとは思えないし、そういう意味でも、明日の試合は、少しは楽しめる試合になると思うよ。ロイは、明日のゴルドバ将軍との決勝戦は観に行くんだろ?」

 「ああ。そのつもりだよ。明日は、アレンに会って聞きたいこともあるしな」

 「聞きたいこと?昨日のアマラ神殿の崩壊で負傷した兵士たちのことかい?」

 ロイは、闘技試合の負傷者の怪我の手当を行う大会医師の代表を務めるアレンに、リディアの脚の怪我の具合と、ティナのことについての見解を聞こうと考えていたのだったが、すでに、神殿の崩壊のことが、ハルトの耳にまで入っていたので驚いた。

 「昨日の出来事を知っているのかい?」

 「ああ。アレンから話を聞いたセルカ爺さんから聞いたんだよ。アレンは、負傷して、城内に運び込まれて手当を受けている兵士のうち、まだ戦える兵士がどれだけいるのかや、将校たちにも広がるデスペリアという病についての報告を求められて、元老会議に出席したのだけれど、城内では、これから始まろうとしているグランダル国との戦争についての話でもちきりだったそうだよ。グランダル軍が、トラキアへの上陸手段の確保のために、アマラ神殿に攻め込んできたということは、グランダル国が近いうちに全軍を挙げて攻め込んでくるという情報が本当だったのだと、これまでそのことを疑っていた元老たちまでが信じるようになって、闘技試合なんてやっている場合ではないとまで言う元老が出始めたんだ。でも、トラキアのような小国の軍隊が、グランダル軍とまともに戦ったのでは、勝ち目はないし、ゴルドバ将軍が軍師に迎え入れようと探していた天下の奇才と噂される人物が、実は子供だったということから、ロイがこの間言っていたように、ゴルドバ将軍やラモン参謀がもう歳ということもあって、軍を指揮できる他の人間も考えておかなければならない、ということになり、トラキア公国の第二公女として軍の指揮権を握ろうとしているリディアという女の力量を見極めるためには、闘技試合はやはり開催しなければならないと、多くの元老が主張し、それで闘技試合は中止にはならずに開催されたんだ」

 「そうか。そういうことになっていたのか」

 「ロイも昔の近衛兵時代の鎧を着て、アマラ神殿に乗り込んでいったって聞いたけど、まさか、これから起こる戦争にも参戦するつもりなのかい?」

 ロイは、ハルトの突然の自分についての質問に戸惑ったが、質問には答えずに、割ったまきを束ねながら、言葉を濁すように言った。

 「そうだ、ハルト。これから昼餉ひるげの支度をするんだよ。久しぶりに、アバトたちと一緒に学舎で食べていかないかい?アバトたちも喜ぶぞ」

 「そうだなあ、このところアバトにも会っていなかったし、じゃあ、遠慮なくご馳走になっていくとするかな」

 ハルトは、城のセルカ爺さんのところで働くようになってからは、中流階級の庶民たちの食べるものと同じものを食べられるようになっていたが、それでも、自分がかつて過ごした学舎で食べた質素な食事は嫌いではなかった。それを食べるたびに、つらかった過去の生活を思い出し、食べられることのありがたさを感じて、また一生懸命働こうと思うことが出来るからだった。

 ロイが、束ねた薪を抱えて、ハルトを連れて学舎に戻ると、食材の下ごしらえをしていたはずのエドとアバトが、何やら騒がしい声をたてていた。

目を覚ましたティナが、食事を待つ子供たちのところに来て、再び美土奴国の言葉で話し始めたからである。

 ハルトが、何が起こったのかをロイに尋ねると、ロイは簡単に説明して、明日アレンに聞きたいことというのは、ティナのことなのだとハルトに伝えた。

 エドとロイは、子供たちに動揺を与えないようにするために、すぐにティナを別の部屋に連れて行ったが、子供たちの一人が、おかしな言葉をしゃべり始めたティナを見て、アバトとずっと一緒にいるから、あんな風に頭がおかしくなったんだと言って、アバトを馬鹿にした。それを聞いた自尊心の人一倍強いアバトは、かっとなってその子に飛び掛かり、取っ組み合いの喧嘩が始まった。

 周りにいた生徒の中の何人かも喧嘩に加わって、学舎の中は大変な騒ぎになってしまったが、そもそもこの騒ぎの原因となったティナの人格の転換を引き起こした張本人かもしれない臥神が、ティナの様子を見に学舎に来ることはなかった。

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