導き

第20話 グランダル軍の侵攻

 エドが、アバトたちに続いてロイの学舎の中に入ると、すでにリディアが来ていた。そして、学舎で学んでいる子供たちが、勉学と食事の両方の目的で使っているテーブルの前に立つリディアを囲むようにして集まり、テーブルの上に置かれたものを物珍しそうに眺めながら騒いでいた。そして、ロイが困ったような顔をしながら、リディアに何かを話しているようだった。

 「やあ、ロイ。今日はなんだか騒がしいな。どうしたんだい?」

 「ああ、ちょっと予期せぬことがあってね」

 エドは、何があったのだろうと思ったが、リディアの周りに集まって、喧嘩を始めた子供たちを見てすぐに状況を理解した。

 「すげえご馳走だ。もしかして、これが、エドが言っていたおいしいものってやつかい?」

 アバトがテーブルに走り寄り、とう製のかごの中を覗き込んで、驚いたように言った。

 ティナもテーブルに走り寄って、椅子の上にのぼり、籠の中を覗き込んで、見たこともないような、豪華な食べ物が入っているのを見て驚いた。

 アバトとティナが、思わず手をのばそうとすると、子供たちの中で最年長と思われる男の子が慌てて近づいてきた。

 「アバト、それは、俺が頂くんだ!」

 「三人分あるみたいだから、もう一つは私がもらうわ」

 女の子の一人も走り寄ってきて言った。

 「残りの一つは、僕のだよ」

 幼い男の子も急いで主張すると、最年長の男の子がその子の胸を押して突き飛ばした。

 「お前の分なんてあるわけないだろ。お前なんかが、あんな貴族の食事を取るなんて、百年早いぞ」

 「え、あれは貴族の食事なの?」

 女の子が驚いて尋ねた。

 「もちろんさ。あんな豪華な食べ物は、トラキア城で貴族たちに食べられているもの以外にないよ。この町じゃあ、絶対にあんなものは食べられないからな。この女の人だって、公家こうけの人だぞ、きっと」

 「なんでそんなこと分かるの?」

 「だって、この人が首に下げている首飾りは、アマラ・アムレットだからだよ」

 「アマラ・アムレット?」

 「そうさ。ハルトから聞いたことがあるんだ。前にハルトが絵に描いて見せてくれたものにそっくりだよ、あの首飾りは。アマラ・アムレットは、トラキア公家の一族のあかしなんだって」

 「へえ」

 女の子はリディアの首飾りに目を向けた。そして、リディアを頭から足先までじろじろと眺めた。

 「でも、この人、公家こうけの人のようには見えないな。公家の女の人って、もっと着飾っていて、上品で綺麗なんでしょ?この人はそんな風には見えないし、なんだか怖そうな人に見えるわ」

 女の子が遠慮なく思ったことを口にすると、ロイがそばに来てたしなめる様に言った。

 「こらこら、そんな失礼なことを言うもんじゃないよ」

 「そうだよ。この人はリディアっていう名前で、本当にトラキア公家の人なんだぞ。おいらがグランダル兵に襲われたときに助けてくれた命の恩人なんだから、無礼なことを言わないでくれよな」

 アバトが、リディアと知り合いであることを自慢するかのような態度で、女の子を非難した。

 「アバトと知り合いなんじゃ、この人は絶対に公家の人なんかじゃないわね。グランダルの兵士からあんたを救ったっていうんじゃ、貴族の女性なんかじゃなくて、どこかのごろつき女でしょ」

 アバトと女の子がやりあっていると、さっき男の子から突き飛ばされた幼い男の子が立ち上がってロイの脇に来て服の裾を引っ張り、ロイの顔を見上げた。

 「ねえ、ロイ。あれは本当にお城の食べものなの?ロイが言っていた今日のご馳走って、あれなの?」

 「いや、違うんだよ」

 ロイは、答えに困りったが、エドがロイの様子を見て、助け舟を出すように子供たちに大きな声で言った。

 「さあ、さあ、みんな、食事の時間だ。席についてくれ。今日はロイが市場でおいしい食材を買ってきて調理したから、今日はご馳走だぞ」

 「だから、あれが今日のご馳走なんだろ?」

 最年長の男の子が言った。

 「でも、三人分しかないじゃない。なんでなの?」

 他の数人の子供たちが不満げに尋ねた。

 「そこにあるものは、お客様のためのものだ。残念だけど、君たちのための食事じゃないんだよ。今日は大事なお客様が来るので、みんな、食事をした後は静かにしていてくれよ」

 エドは、その場で思いついた嘘を言って、高々に上げた手を叩きながら、子供たちに席につくように促した。

 すると、ロイは、テーブルの上に置かれた籠の蓋を閉じてリディアに手渡し、子供たちに聞こえないように声をひそめて言った。

 「せっかくのお心遣いを無にするようで申し訳ありませんが、これは受け取れません」

 リディアは、何も言わなかったが、無言の目が、なぜなのかと訴えていた。

 ロイがエドに視線を向けると、エドは、子供たちを無理やり席につかせていた。テーブルの上には、子供たちの食事用の皿や器がすでに並べてあった。すでに食事の用意は出来ていて、あとは子供たちに配膳するだけのようだったので、エドはみんなに静かに待つように言ったが、子供たちは、さっきの豪華な食事が今日の食事でないと分かると、声を上げて騒ぎ立てた。

 ロイは、リディアと一緒にテーブルから少し離れて小声で続けた。

 「今の子供たちの反応を見てお分かり頂けると思いますが、三人分しかない食事ですと、喧嘩になってしまいます」

 「すまない。ティナと彼女の母親とアバトのことしか考えていなかったのだ。明日は他の子供たち全員分の食事を持ってくることにしよう」

 リディアは、ロイが手渡す籠を押し戻した。

 「とりあえず、それはティナとティナの母親とアバトに渡してくれ」

 「それは出来ません。このままお持ち帰りください」

 ロイは、すまなそうに言った。

 「いくらあなたがトラキア公家こうけの第二公女だとしても、こんなことをすれば、よく思わない人たちも大勢いるでしょう。申し上げにくいことですが、城内には、突然現れて第二公女だと主張したあなたのことをよく思っていない人たちも多いそうです」

 「そんなことは分かっている。城の元老たちや一部の人間が、私を利用して闘技試合を開催し、民衆の関心を集めて金儲けをしようとしていることもな。だが、私もトラキア軍を利用しようと考えているだけで、トラキアの姫になって城内で気楽に過ごそうなどとは思っていない。彼らに取り入ろうなどとは思ってはいないのだ」

 「では、どうやってこの食事を城からお持ちになったのですか?」

 「トラキア大公の側近であったメテルという男が、私のことはまだ疑いの目を持って見ているかもしれぬが、私を公家こうけの者として迎えてくれ、必要なものはどんなものでも用意してくれる。この食事も、ティナのことを話したら、彼が用意してくれたのだ」

 「そうでしたか」

 ロイは、リディアが城で不自由なく暮らせていることを知って安堵したが、彼がリディアの持参した食事を断る理由は、実は別のところにあった。

 「あなたがティナたちのことを思って、この食事を持ってきてくださったことには感謝いたします。しかし、ティナをはじめ、この学舎で学ぶ子供たちは、こんなに豪華な食事をとったことはないのです。毎日、芋を煮込んだスープなどしか食べていません。そんな子供たちに、こんな豪華なものを食べさせてしまえば、彼らはその味を覚えてしまい、それ以後、普段の食事を嫌がるようになってしまうでしょう」

 「だが、さきほどエドが言っていたように、そなたもいつもと違う食材を買いこんで、料理を作ったのだろう?」

 「はい。ティナの作った泥宝が売れたので、そのお金で、普段食べられないような食材を買ってきて、今日はご馳走を作りました。でも、豪華といっても、いつもよりも栄養のある食べ物というだけで、決して高価な食材ではありません。子供たちには栄養をつけてほしいので、今日は特別な食事にしたのです」

 「それなら、私がした事と何が違うというのだ。結局、子供たちは、ふだん食べられないような食事を口にして、その味を覚えてしまえば、普段の食事を嫌がるようになるのではないのか?」

 「いえ、あなたがお持ちになったものは、この子供たちには手の届かないものです。一生涯食べられるようなものではないかもしれません。しかし、私が今日作った料理の食材は、頑張って働けば購入できるものです。小作農での収入だけでは難しいかもしれませんが、ティナの泥宝が売れたように、この学舎で学んだことを活かして何か新しいことをして、収入を増やすことは出来ます。そのお金で買えるような食材なのです。彼らが頑張れば、今日のような食事をとることができることを知れば、彼らの励みにもなります。今日食べたものを毎日食べられなくても、またそのような食事を取れるように頑張ろうと思ってほしいという願いがあるのです」

 ロイが子供たちへの食事に込めた思いを話し、改めて籠をリディアに手渡すと、学舎の戸を誰かが叩く音が聞こえた。

 アバトが戸口に走っていって戸を開けると、見知らぬ初老の紳士が立っていた。

 「誰だい?ロイかエドのお客さんかい?」

 アバトが不躾ぶしつけに尋ねると、老人は学舎の中の様子を一瞥いちべつしてから、アバトに向き直り、丁寧な口調で答えた。

 「わたしは、霞寂カジャクと申します。放念から、こちらを訪ねるようにおおせつかりました。ゴルドバ将軍とロイとリディアという方にお目通りを願いたいのですが」

 「放念?」

 「すでにお会いしたのではないですかな。僧侶の放念のことです」

 「ああ、あのお爺さんのことか」

 アバトは、放念が、霞寂カジャクという人にここに来るように伝えると言っていたことを思い出し、ロイとエドを呼んだ。

 「ねえ、お客さんが来たけど、この人が、さっきエドが言っていたお客さんなのかい?あの食事はこの人のために用意したのかい?」

 エドは、老紳士が、以前生物研究所にやって来た霞寂カジャクだと分かると、戸口に来てアバトに答えた。

 「まあ、そんなところだ。これから私とロイは、この方と大事な話があるから、みんなと一緒に食事は出来ないけど、アバトはちゃんと下の子供たちの面倒を見てくれよ。食事をとったら、後片付けもたのむぞ」

 「なんだ、あれはエドたちが食べるのか。ずるいな」

 アバトは残念そうに肩を落とすと、一言付け加えてテーブルに戻った。

 「おいらの分を少しだけ残しておいてくれよ」

 「分かった、分かった」

 エドは、霞寂の方に向き直り、挨拶を交わした。

 「わざわざこんなところまでお越しくださり恐縮です。あ、それと、先日頂いた本と器械ですが、ムーロン博士が研究に役立つと、とても喜んでおりました。ありがとうございました」

 「それはよかった。臥神ガシン先生も、石板の写本を見せていただいて、喜んでおられました」

 霞寂も丁寧に謝辞を述べた。

 「ちょうど子供たちの食事の時間でして、ここでは騒がしいので、別室にご案内します。まだ、ゴルドバ将軍がいらしていませんので、そこで少しお待ちいただけますか」

 そう言うとエドは、ロイの方に振り向いて、老紳士を招き入れてよいかどうかを尋ねた。

 「ああ、客間へお通ししてくれないか」

 ロイがそう言うと、霞寂が言った。

 「いえ、私がここに来たのは、こちらでゆっくりとお話しをするためではないのですよ。臥神先生が今日はこちらにはお見えになれないことをお伝えしに来たのです」

 「お見えになれないのですか?どうしてですか?」

 「臥神先生は、急遽きゅうきょアマラ神殿に向かわれたからです」

 「アマラ神殿へ?」

 「はい。グランダル軍の小隊がアマラ神殿に侵攻してきたので、それを食い止めるために向かわれました」

 「グランダル軍が?」

 エドと霞寂の話のやり取りが耳に入ったロイとリディアも、戸口に歩み寄り、話に加わった。

 「なぜ神殿なぞにグランダル軍が侵攻してくるのだ?神殿なぞに攻め入って何になるのだ」

 リディアが尋ねると、ロイが答えた。

 「恐らく、地下隧道すいどうのことが知られてしまったのでしょう」

 「地下隧道すいどう?」

 「実は、アマラ神殿には、海岸に通じる地下隧道すいどうがあるのです。それは、トラキアにとって陸地と海岸を結ぶ唯一の道です。トラキアが難攻不落の国と言われる理由は、国の三方を断崖絶壁に守られているからなのですが、これまで他国の軍の侵攻を一度も許してこなかったのは、あえて海岸への道を作ってこなかったからなのです。国外からトラキアへ通じる道は、基本的には二つしかありません。一つは、陸続きでランドルの森を介して国境を接している美土奴国から通じる道。もう一つは、崖下の海岸からアマラ神殿へ通じる地下隧道すいどうです。それは、アマラ神殿を建造したとされる太古の巨人族が、海岸へ出るために作った道だと考えられています。我々トラキア人は、それをそのまま利用しているのです。漁や貿易をするために船を出すときは、その地下隧道を利用して海港まで行きます。そこに、我々の体の大きさに合わせた段路を新たに作ったのです。他国がトラキアに侵攻しようとすれば、その二つのいずれかの道を通るか、海岸から崖をよじ登るしかありません。しかし崖をよじ登ってくる敵を阻止するのは簡単なことです。だとすれば、敵軍はその二つの道のいずれかを使うしかありません。しかし、ランドルの森を抜けるのは、非常に危険なことです。グランダル軍といえども、そう簡単には通りぬけることは出来ないはずです。商人たちの使う交易路という道もありますが、交易路はとても狭い道なので、多くの兵士を移動させるのには不向きです。そう考えると、グランダル軍がアマラ神殿に侵攻したというのは、その地下隧道すいどうが突破されたということになるでしょう。もしアマラ神殿が陥落すれば、グランダル軍が容易にトラキアに攻め入ることができるようになってしまいます」

 「もしそうだとすると、グランダル軍が全軍を挙げて攻め込んでくる日は予想していたよりも近いということだな」

 リディアは、母親のかたき討ちのためにグランダル国へ攻め入る日を早める必要性を感じた。

 「トラキア軍の兵士たちは何をしているんだよ。トラキアで重要な拠点の一つが、そんなに簡単に突破されちまうなんて」

 話に聞き耳を立てていたアバトが、再び戸口に来て心配そうに言った。

 「おーい、アバト、食事はまだなのー!?」

 お腹をすかせた幼い子供たちが待ちきれずに大声を上げた。

 「今それどころじゃないんだ。もう少し待ってくれよ」

 「アバト、すまないが、いますぐみんなの食事の用意をしてやってくれないかい?」

 ロイは、アバトに頼み込むように、アバトの背中を押した。

 「おいらだって心配なんだよ。こんな大変なときに、食事なんてしてられないよ」

 「アバトの腹の虫も、国の一大事となれば、静かになるんだな」

 エドが笑いながら言った。

 「そんなんじゃないよ。トラキアの危機というだけじゃないんだ。今日はノーラがアマラ神殿に行っているんだよ」

 「なんだって。ノーラが!?」

 「そうだよ。今日はトラーク神をお祀りする感謝祭の日じゃないか。だから、ノーラだけじゃなく、多くの農民が感謝の祈りを捧げるためにアマラ神殿に行っているんだよ」

 「そうか、感謝祭の日には、アマラ神殿を警護する兵士たちにも酒が振舞われるので、グランダル軍は、あえて今日を選んでアマラ神殿に攻め込んで来たのかもしれないな」

 ロイは、わずかに昔の近衛兵時代の面持ちを取り戻し、真剣な顔で状況を推察し始めた。

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