第21話 決意
「もしアマラ神殿への地下
「心配には及びません」
「臥神というお方一人で、グランダルの小隊を退却させられるほど、そんなにすごい方なのですか、臥神という方は」
エドが半信半疑で尋ねた。
「はい。臥神先生がいらっしゃれば、小隊どころか全軍を壊滅させることすら不可能ではないかもしれません」
「まさか、そんな。たった一人で全軍を壊滅させるなんてことが出来るわけないよ。おいらが大人だったら、トラキアの英雄として、グランダルの小隊ぐらいなら蹴散らしてやるんだけどなあ」
アバトが、冗談交じりに言いながら腕を組んだ。
「大人だったら、だろ?でも今はまだ子供なんだから、ほかの方法を考えなければ」
エドは、アバトの肩を軽く叩き、次にロイに視線を移した。
「ゴルドバ将軍が指揮を執ったとしても、アマラ神殿の死守防衛が最優先で、農民全員を救い出すことなんて出来ないのではないかい?だとすると、ノーラのことが心配だ。ロイ、何か良い策はないかい?幸い、ここにトラキアの第二公女様もいらっしゃることだし、必要であれば、農民救出のための別の部隊を手配してもらうことだって出来るかもしれないぞ」
エドは、ロイがかつて近衛師団の師団長だった頃、数々の危機的な状況下の中から知略でトラキアの公族を御護りしたこともあることを思い出し、ロイの中に、まだその頃の名指揮官としての知恵がわずかでも残っていることを期待した。
ロイは、黙って考え込んだ。
「私が行こう」
リディアが突然名乗りを上げた。
「私がノーラを救い出す」
「あなたが?」
エドは、突然のリディアの申し出に驚いた。リディアが自分の母親の敵討ち以外に、トラキアに関することなど一切興味がないと思っていたからである。ましてや、何の関係もない一人の女の子の母親を、リディアが助けに行くなどということを信じてよいのかどうか分からなかった。
「私をその神殿まで案内してくれぬか?」
「それは構いませんが、どうしてノーラのために?」
「私の母親は、グランダルのクベス王に殺された。同じ思いをあの子にさせたくはないのだ」
その言葉だけで、エドは、リディアが本当にノーラを救うためにアマラ神殿に向かおうとしているのだと納得した。
「分かりました。では、急ぎましょう」
そして、エドは、下を向いて黙って考え込んでいるロイに視線を移した。
「ロイ、お前はどうする?」
ロイは、わずかに顔を上げ、長年心の中で
「エド、すまないが、私が留守にする間、学舎に残って子供たちの面倒をみてくれないかい?」
「そうか。何か策を思いついたんだな。どんな策だい?」
「策なんてないさ。だが、彼女の言うとおりだ。ティナに悲しい思いをさせるわけにはいかないし、たった一人の子供の母親を救うために、トラキアの第二公女である彼女がアマラ神殿に向かおうというのに、私がここに残っているわけにはいかないじゃないか。ティナとノーラは、ある意味、私に生きる目的を与えてくれた恩人だ。今度は私が恩返しをする番だ。私の命に代えてもノーラを救い出すよ」
「ロイ、何を言っているんだ。まさか、お前自身がアマラ神殿に乗り込んでいくつもりじゃあないよな?ノーラや農民の救出はトラキア軍に任せて、お前はゴルドバ将軍にノーラの特徴を伝えて、彼女を救ってもらえばいいじゃないか」
「私は、もう二度と剣を握ることなどないと思っていたが、処分せずにいてよかったよ。まさか、こんな時がくるなんてな」
ロイは、エドの忠告には応えずに呟いた。
「お前は、もう剣を置いた身じゃないか。力では人々を守れないと言って、もう
「だが、ノーラの命がかかっている。ティナを悲しませたくはないのだ」
「それは分かるが、お前は退役してから、もう長い間戦からは遠ざかって、こんな田舎町で暮らしてきたのだぞ。今更、戦えるわけがないじゃないか」
「ノーラだけじゃない。私は、ずっとステイシア姫のことを案じていたのだ。これまでずっと、ライーザ公妃を御救い出来なかったことに負い目を感じながら
「では、そなたが私をアマラ神殿まで案内してくれるのか?」
リディアがロイに尋ねると、アバトが話に割り込んで、興奮したように言った。
「ロイが行くのかい?なら、おいらも行くよ。戦場というものがどういうところなのか、この目で見てみたかったんだ。それに、ロイの戦う姿を見られるなんて、願ってもない、いい機会だし」
「だめだ。これは本当の
ロイが諭すように言った。
「いいじゃないか。おいらだって大人になったらトラキア軍に入るんだ。ロイの戦い方を見ておけば、きっと将来役に立つと思うんだよ。それに、おいら、ここからアマラ神殿までの近道を知っているんだ。普通に行くよりもずっと早く神殿に着くことができるよ。その道を教えてあげるから、おいらも連れて行ってよ」
アバトがロイに神殿に連れて行くようにせがむと、それを聞いたティナも戸口に走り寄ってきて言った。
「アバト、どこへ行くの?私も行く」
エドは、ティナに分からないように、慌てて、アバトにかすかな手振りで黙っているように指示したが、アバトは、エドが何を伝えようとしているのか分からず、ティナに答えた。
「これからアマラ神殿に行くんだよ。そうだ、ティナも行かなきゃ。ノーラが危ないんだよ」
「え、お母さんが?どういうこと?」
「グランダル軍が、とうとうトラキアに攻めてきたんだよ。グランダルの小隊が、トラキアに上陸するための進路を確保するために、アマラ神殿に攻めてきたらしいんだ。だから、ノーラを助けにいかなくちゃならないんだよ」
それを聞いて、ティナの目に涙が浮かんだ。
「ねえ、お姉ちゃん、私のお母さんが危ないんだって。この間、グランダル兵から私を助けてくれたように、今度はお母さんを助けてあげて」
ティナは、リディアならきっと母親を救うことが出来ると信じているようだった。
「大丈夫だよ。私に任せておきな」
リディアは、ティナを安心させるように優しい声で言った。
「私も連れて行って。お母さんは、いつも、大きな神さまの像のある神殿の大広間で、みんなで感謝のお祈りをした後、どこか違うところへ行っていたのよ。もしかしたら、お母さんはそこにいるかもしれないわ」
「お嬢ちゃんは、そこがどこだか知っているのかい?」
「ええ、知っているわ。場所の名前は知らないけど、感謝際の日以外にも何度かお母さんと一緒に行ったことがあるもの。時々知らない人がお
「ブルー・ランベリーだって?」アバトが驚いて言った。「ブルー・ランベリーって、間違って熟し過ぎたものを食べてしまうと、体の中で大人でも酔いつぶれてしまうほどの強いお酒に変わってしまうから、子供は食べちゃいけないんだろ?それを食べたのかい?」
「あら、アバトは知らないの?ブルー・ランベリーを煮てから作ったお菓子は、お酒にはならないのよ」
「へえ、そうなんだ。知らなかったな。で、どんな味だったんだい?ブルー・ランベリーで作ったお菓子って」
「すごくおいしかったわ。あんなにおいしいお菓子があるのなら、毎日でも食べたいくらいよ」
「そんなにおいしいのなら、おいらも食べてみたいな。でも、なんでノーラは、今年はティナを連れて行ってくれなかったんだい?今年もノーラと一緒に行くんなら、おいらも一緒に行って、そのお菓子を食べさせてもらうのに」
「よく分からないけど、お母さんは、私が色々と思い出すようになった美土奴国のことを、神殿で会っていた人に、もう話してほしくないから、神殿には連れて行かないことにしたんだって。お母さんは、ティナはお母さんの子供だから、絶対に遠くには行かないでね、って言ってたわ」
「ノーラは誰と話をしていたんだい?」
ロイも、ティナの話に興味を引かれてティナに尋ねた。
「知らないわ。でも、その人は、この間会った放念っていうお爺さんが着ていたのと同じような服を着ていたわ」
「美土奴国の僧侶か」
エドが呟いた。
「もしかしたら、ティナが
「そのお嬢ちゃんは、ティナという名前なのですか?」
エドの話を聞いて、
「はい。そうですが、ティナをご存じなのですか?」
「いえ、私は存じませぬが、臥神先生から、ティナという名の女の子がこの学舎にいるはずなので、アマラ神殿にお連れするようにと仰せつかりました」
「臥神という方が、ティナをアマラ神殿に連れてくるように貴殿に命じたのですか?臥神殿はティナを知っているのですか?」
「詳しいことは、私には分かりかねますが、そう仰せつかりました」
「ティナが行くんなら、おいらも行って、おいらがティナをグランダル軍から守ってやるよ」
アバトは、
「あら、私なら大丈夫よ。お姉ちゃんと一緒だもの」
「でも、お姉ちゃんはノーラを助けに行かなきゃならないだろ。その間にグランダル兵が襲ってきたらどうするんだい?やっぱりおいらが行かなきゃ、誰がティナを守ってあげられるんだい」
そう言うと、アバトは、リディアに同意を求めるように視線を向けた。
「とにかく、この子たちは私が預かる。この子たちがアマラ神殿への近道とノーラの居場所を知っているのだから、連れて行くほかはあるまい」
リディアも、同意を求めるように、ロイに視線を移した。
「いや、子供たちをそんな危険な場所に連れて行くわけには…」
ロイは、どうしたらよいのか分からなかった。アバトやティナを連れて行かなければ、手遅れになってノーラを救うことは出来ないかもしれない。しかし、逆に連れて行けば、子供たちを危険な目に合わせることになるかもしれないのである。ロイは迷った。
「ねえ、ロイ。早く行かないと、お母さんが危ないわ。ロイが駄目って言っても、私はお姉ちゃんと一緒に行くわよ」
「そうだよ、ロイ。急がないと、アマラ神殿がグランダル軍の手に落ちてしまうかもしれないぞ。そうなったら、ノーラだけじゃなく、トラキアの国民みんなの命が危なくなるんだろ?おいらがティナを守ってやるから、心配するなって」
アバトは、本当の
「そのお嬢ちゃんのことでしたら、案ずる必要はないでしょう」
「どうして、そんなことが言えるのですか?」
「臥神先生が、そのお嬢ちゃんをお連れするようにと仰ったということは、そのお嬢ちゃんの命が危うくなるようなことはないということです」
「臥神殿は、グランダル軍が侵攻中の危険な場所にまで、なぜティナを連れて来てくれと貴殿に命じたのですか?」
「臥神先生がどのような目的でその子をお連れするように仰ったのかは存じませぬが、その子が命を落としてしまえば、その目的を果たせないことになります。ですが、臥神先生は、すべてを計画通りにお運びになる方ですので、そのようなことはあり得ません。ご心配なさらなくとも大丈夫です」
「計画?臥神殿は、どのような計画をお持ちなのですか?」
「存じませぬ。臥神先生のような神のようなお方のお考えになることは、私のような凡人にはとうてい理解できませぬ。ですが、臥神先生にすべてをお任せしておけば、万事うまくいくでしょう」
ロイは、霞寂の言葉に困惑しながら考え込み、エドに意見を求めるかのように視線を移した。
エドもしばらく何かを考えるように黙ったままうつむいていたが、突然口を開いた。
「やはり、お前はアマラ神殿に行ったほうがよいのかもしれないな。私には、もう訳が分からなくなってきたよ。これまで、生物研究所とランドルの森で生物学者として生物の研究だけをしてきた私のところに、突然トラキアの第二公女様が訪ねてきた。そして、ゴルドバ将軍までが、私のところを訪れたかと思うと、これからグランダル軍がトラキアに攻め込んでくるという。ゴルドバ将軍は、臥神という天才的な頭脳を持つ人物の協力を仰ぎたいと言い、これまで攻め込まれたことのないアマラ神殿が突然攻め込まれ、臥神という謎の人物がそれを防ごうとしている。その人物は、ティナのことを知っていて、ティナに会いたがっている。そのティナは、生まれる前のことを思い出して、以前は
「私も、同じことを考えていた。すべてが何か見えざる者の手によって動かされているのだろうか。運命というものが本当に存在するのであれば、今言った者たちが皆、見えざる者の計画に従って動かされているかのだろうか。それとも単なる偶然なのか」
「まさか神の手によって動かされているなんてことはないよな…」エドが苦笑しながら呟いた。「そもそも、私は神などという非科学的な存在は信じないし、臥神という人物がすべて計画したこととも思えない。だが、すべてが偶然とも思えないような気もする。やはり、ティナを連れて、お前がアマラ神殿に行き、何が起こっているのか、何が起ころうとしているのかを見定めてきたほうがよいのかもしれないな」
エドにそう言われたロイは、ようやく意を決したかのように頷いた。
「しかし、ロイ、お前の目的は参戦することではなく、あくまでも、何が起こっているのかを見定めることと、ティナやアバトを守ってやることだぞ。ノーラのことは、リディア姫やゴルドバ将軍の部隊に任せた方がいいだろう」
エドはロイの肩に手を置き、今の自分の本分を忘れるなと伝えた。
「そうと決まれば、急がなくちゃ。早くアマラ神殿に行って、ノーラを助け出さないと」
アバトは、リディアの手を引いた。
「エド」
ロイが真剣な眼差しで、ほかの子供たちを見つめながら言った。
「あの子たちのことを頼む。万が一、グランダル兵が学舎を襲うようなことがあったら、みんなを安全な場所に避難させてくれ」
「心配するな。子供たちのことは私に任せて、早く行った方がいい」
「では、決まったな」
リディアは、一言そう言うと、外へと出ていった。
アバトとティナも、リディアの後について出て行こうとすると、ロイが言った。
「アバト、私は少し準備をしてから後を追うので、彼女にそう伝えてくれないかい?」
「分かったよ。じゃあ、アマラ神殿へのいつもの道をまっすぐ行ったら、一本の大木が見えて道が分かれるから、左には行かずに右に行ってくれよな。その後の道はおいらが教えるから、それまでには追い付いてくれないかい?」
「分かった。ティナを頼んだぞ、アバト」
「任せとけって」
アバトとティナは、リディアの馬に乗せてもらうと、アバトがリディアに道を教え、リディアは彼らが振り落とされないように気を付けながら、出来るだけ早い足取りで道を急いだ。
「私も急ぐとしよう」
ロイは、リディアが持ち帰らなかったトラキア城の食事が入った籠をエドに渡した。そして、軍を除隊して以来使用していなかった武具の準備をするために自室へ行こうとすると、子供たちの一人が叫んだ。
「今日の食事当番のアバトが、どこかへ行っちまったぞ。食事はどうするんだー!?」
すると、ほかの子供たちも不満の声を上げ始めた。
ロイが振り向いてエドに視線を向けると、エドがここは任せてくれと、ロイを黙って行かせた。
「もう食事の準備は出来ていて、後は配膳するだけのようだから、もう少し待っていてくれないかい?」
エドが子供たちをなだめるように言うと、エドの持っている籠に気付いた子供の一人が、エドのところに走ってきて、その籠を奪いとった。
すると、ほかの子供たちも急いで走り寄り、籠の奪い合いを始めた。
「おい、おい、それは駄目なんだよ。お客様に出す食事なんだって、さっき言ったろ」
エドが籠を取り戻そうと必死に子供たちを追いかけ回すと、それを見ていた
「
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