第17話 間接的証拠

 「なぜそのことを?」

 「媸糢奴シモーヌ様が受け取った御託宣たくせんじゃ」

放念は、怪しげな笑みを浮かべながら答えた。

 「託宣?」

 「さよう。そなたが、刻印の示唆に従ってトラキア公国を導く者になることは、我々はすでに把握しておったのじゃ。それゆえ、媸糢奴様は、ランドルの森で倒れていたそなたをお救いになったのじゃ」

 「私を救っただと?森の中で妖しい妖術や魔物を使って私を襲い、その後、命を救って恩を売ろうとでもいうのか?」

 リディアが、込み上げてきた怒りで声を荒らげると、放念は笑って言った。

 「そう思うのも無理はないかもしれぬな。しかし、媸糢奴様は、決してそなたの命を奪おうなどとはしておらぬ。そなたを襲ったのは、ランドルの森をよそ者から守る使命を負った者たちじゃ。彼らは、よそ者がランドルの森に入ることを好まぬのじゃよ」

 「それは、媸糢奴以外の妖術師のことか?」

 「さよう。そなたが出会った媸糢奴様の玄孫やしゃご麗香レイカという名の傀儡女くぐつめもその一人じゃ。ランドルの森への侵入者は、誰であろうと同じ目に会う。しかし、そなたの持っていた首飾りを見て、そなたが殺してはならぬ者であることを認識した麗香は、そなたを助けることにしたのじゃ」

 「なぜ私を助けたのだ?」

 「それは、先ほども申し上げたように、そなたがトラキア公国を導く者だからじゃ」

 「私がトラキアを導く者だとしたら、なぜ私を助けるのだ?そもそも、媸糢奴は、私がまだ赤子だったときに、私の命を狙うクベス王の依頼を受けて、私の居所を突き止めようとしていたはずではないか。私の母の命を奪ってまで私を探していたはずなのに、その私を殺さずに、美土奴の宮殿から逃がしたというのはなぜなのだ?」

 リディアが問いただすと、放念は頭を掻きながら視線をそらした。

 「すまぬが、詳しいことは、一介の僧侶にすぎぬわしには分かりかねる」

 放念が、本当に美土奴国の内情についてそれ以上何も知らないのかは分からなかったが、リディアはもう少し話を聞きたいと思い、さらに違う質問をしようとすると、井戸のそばに座って大人たちの話す様子を見ていたアバトが、退屈そうに立ち上がった。

 「なんだか難しそうな話みたいだし、おいらたちには関係なさそうだから、学舎に戻っているよ」

 アバトがティナの手を引いて学舎に戻ろうとすると、放念がティナに視線を移した。

 「おお、そうじゃった。あの子のことを忘れておった。あの子に転生者としての印があるかどうかを確かめるのじゃったな」

 放念は、リディアとの話を切り上げて、アバトのそばに小走りに駆け寄った。

 「ちょっと待ってくれぬか。その女の子と少し話をさせてくれぬかのう」

 「ティナに何の用だい?」

 アバトは振り向いて、放念の顔をじろじろと見ながら尋ねた。

 「あ、あの時のお爺さんだね?さっきから気になっていたんだよ。あの時の人に似ているなあって思って見ていたんだけど、やっぱりそうだったんだ」

 「このご老人を知っているのかい?」

 ロイが尋ねた。

 「ああ。棚田でティナとフリージアを捕まえようとしていたときに会ったんだよ」

 アバトは、そのときのいきさつをロイに話すと、あくびをしながら眠そうな目をこすり始めたティナを気遣いながら、ロイに尋ねた。

 「そのお爺さんは、ティナに何の用があるんだい?」

 「ティナの体をちょっと確認したいんだ」

 「ティナならもう大丈夫じゃないかな。エドの言ったように、沢山水を飲ませたし、本人も何ともないって言っているから。ティナは疲れて眠くなってきたみたいだから、寝かせてあげないと」

 「そうじゃないんだ。ティナのお腹のことではなくて、ティナの体のどこかに何か痣のようなものがないかを確認したいんだよ」

 「痣のようなもの?」

 「ああ。母斑や痣のような、何らかの印のようなものがティナの体になかったかを知らないかい?」

 アバトは、少し考えてみたが、思いつかないので、ティナに尋ねた。

 「ティナ、体のどこかに痣のようなものがあるかい?」

 「アザ?アザってなあに?」

 「痣っていうのは、肌にある青っぽいような、黒っぽいような色の模様のようなものだよ。そんなものが、ティナの体のどこかにあった覚えはないかい?」

 ティナは、しばらく考えると、思い出したように言った。

 「そういえば、お尻に変な模様があったと思うわ。自分ではよく見えないから分からないけれど、あんな変な形の模様があるなんて、恥ずかしいわ」

 アバトとロイは顔を見合わせた。

 「ティナ、悪いが、その模様をちょっと見せてくれないかい?」

 ロイは、しゃがみ込んで、自分の目線をティナの目線に合わせ、ティナの肩に手を添えながら尋ねた。

 「いやよ。恥ずかしいわ」

 ティナは、自分のことをじろじろと見つめている男たちの前で、視線を避けるように顔をそむけた。

 「お嬢ちゃん、私は女だから恥ずかしくないだろ?私には見せてもらえるかい?」

 リディアが、いつになく優しい口調で言った。

 ティナは、視線をリディアとロイに交互に向けながら、しばらく考え込んだ。

 すると、アバトが、思い出したように言った。

 「そういえば、ティナの母親が昔言っていたんだけれど、ティナが生まれた時には、痣のようなものがお尻にあったって聞いたことがあるよ。変な形の痣だったので、すごく気になったらしいんだけれど、ティナが大きくなるにつれて薄くなってきて、あまり目立たなくなってきたって言ってたから、すっかりそんなことは忘れていたよ」

 「そうか。アバト、思い出してくれて、ありがとう」

 ロイは、もしかしたら痣の形はもう確認できなくなってしまっているかもしれないと思いつつも、痣の有無だけでも確認したいと思った。

 「なあ、ティナの痣って、そんなに重要なものなのかい?」

 アバトは、ロイとエドを見ながら不思議そうに尋ねた。

 「ああ。ティナに不思議なことが起きているかもしれないので、確認したいんだ」

 エドが答えた。

 「不思議なことって?痣があることが確認できれば、ティナがなんで美土奴国に住んでいたなんて変なことを言いだしたのかが分かるのかい?」

 「かもしれないな」

 エドが説明に困って短く答え、アバトの肩を軽くたたくと、アバトがティナに優しく言った。

 「ティナ、おいらがお前の母ちゃんから聞いた話では、お尻の痣は多分もう薄くなっているから、気にすることはないと思うよ。恥ずかしいなら、あのお姉ちゃんにだけみせてくれないかい?」

ティナは、指を口にくわえて考えながら、リディアの方に目を向けた。リディアが優しく微笑むと、ロイやエドたちから少し離れてから、リディアに手招きをした。

 リディアは、ティナに近づき、後ろを振り向いて、ロイたちに、後ろを向くようにあごで指示した。そして、ロイたちがお互いに顔を見合せながら慌てて後ろを向くのを確認すると、リディアはティナのそばにしゃがみこんだ。

 「見てもいいんだね?」

 ティナは静かに頷いた。

 リディアは、ティナが恐がらないように彼女の着ている服のすそをゆっくりと上に上げ、下着の中をのぞきこんだ。ティナのお尻には、うっすらとした痣のようなものがあった。しかし、西日が傾き始め、辺りがしだいに薄暗くなりつつあり、その西日を遮る自分の影でよく見えなかったためティナの立っている向きを少し変えてからもう一度改めて確認すると、痣の色が薄くなってきていたのでよくは分からなかったが、それはリディアの左腕にある痣の形と同じようだった。

 まさか、そんなことが…。リディアは自分の目を疑った。

 ティナの痣は、リディアのそれと比べると形は鮮明ではなかったが、リディアが持っている首飾りの宝石の中に刻まれたトラキア公家の紋章の形に似ていたのである。

 「どうですか?痣はありましたか?もうそちらを向いてよろしいですか?」

 ロイが待ち切れなさそうにリディアに尋ねた。

 リディアがロイの問いには答えずに、黙ったまま考え込んでいると、ロイが後ろを振り向いた。

 「どうしたのですか?」

 ロイがリディアの方に歩み寄ると、リディアはティナの服の裾を下ろして、平静を取り戻しながら言った。

 「痣はあったが、もう薄くなってきているようだ。恐らく、この子の成長と共に薄くなってきているのであろう」

 エドや放念、アバトも、リディアの方に向き直り、彼女の顔を見ながら、ティナの痣についての詳しい描写を期待した。

 「どんな痣でしたか?」とエドが尋ねたが、リディアは答えずに、立ち上がってティナの頭を優しくさすった。

 「ありがとう、お嬢ちゃん。痣はもう消えかかってきているので、じきに消えると思うから、気にしなくていいよ」

 リディアが無理に笑みを作ると、ティナも嬉しそうに微笑み返した。

 「なあんだ。やっぱり、おいらがティナの母ちゃんから聞いた通り、痣はもう目立たなくなってきているんだ。それじゃあ、ティナがなんで突然変なことを言い出すようになったのかは、分からないのかい?」

 アバトは、少し残念そうな表情でエドに尋ねた。

 「そうかもしれないな」

 エドも残念な気持ちを隠せずに、放念に改めて尋ねた。

 「ティナが美土奴国の美璃碧ミリア姫の転生者だと仮定した場合、それを認定するには、痣の形も重要なのですか?」

 「一般的には、形が重要になることもあれば、それほど重要ではないこともあります。生前の痣と同じ形が転生後の体にある場合もあれば、生前に痣がなくても、死ぬ前に何らかの証拠を持って生まれ変わるという言葉をのこして逝く場合もあります。あるいは、転生した目的と何らかの関係が認められるような形または位置に痣が出来る場合もあります」

 「美璃碧ミリア姫の場合は、どうなのですか?」

 「姫様の痣については、わしは何も知りませぬ」

 「では、ティナの痣については、どう判断されるのですか?」

 「その女の子が転生目的を覚えているかどうかなどを確認した上で、本国に報告するのです。美璃碧姫の痣の有無や、形、死ぬ間際にのこした言葉などは、大僧正の媸糢奴シモーヌ様と、僧正の聡明ソウメイ殿しか知らぬので、調査に派遣された僧侶たちが報告した内容を、そのお二人が確認し、最終的に認定するかどうかを決定します」

 放念は、そう言うと、ティナにゆっくり歩み寄り、腰をやや曲げて、ティナの顔をまじまじと見つめると、優しい声で尋ねた。

 「お嬢ちゃん、疲れて眠くなっているところをすまないな。少しだけ、わしに質問させてくれぬかのう」

 ティナは、みんなが自分に注目しているのが気になり、少し緊張した面持ちだったが、ロイやエドの顔を見上げると、優しい眼差しでティナを見つめながら軽く頷いたので、ティナも放念の顔を見て頷いた。

 「では聞くが、お嬢ちゃんは、なぜトラキアに生まれたのか覚えているかな?」

 ロイとエドは、固唾を呑んでティナを見守った。

 「ええと…」

 ティナは、目をつむって何かを思い出しながら、心の中で見えている情景を描写し始めた。

 「生まれる前は、私は白いふわふわしたものの上にいたの。柔らかそうに見えるけど、手で触っても何も感じなかったわ。そして、高いところから、みんなを見ていたの。次は、どこで生まれようかなあって考えていたのよ。でも、どこからか知らない人がやってきて、私に言ったの。『次はあの国に行きなさい』って。そして、『飢えや病気で苦しむ人々に救いの手を差し延べてあげなさい』って言ったのよ。私には、その人が何を言っているのか分からなかったわ。でも、その人に聞き返そうとしたら、もう私はそこにはいなくなっちゃったの」

 「どこに行ったのか覚えているかな?」

 「気が付いたら、赤ん坊になっていて、私のお母さんのお腹の中にいたの」

「それからどうなったのかな?」

 放念が続けて尋ねると、ティナは、疲れたような顔で首をかしげた。

 「分からないわ。忘れちゃった…」

 そう言うと、ティナは眠い目をこすりながら地面にしゃがみ込み、そのまま眠ってしまった。

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