第16話 賢者の探索

 「ゴルドバ将軍ではありませんか」

 ロイが驚いて声を掛けた。

 ゴルドバ将軍は、聞き覚えのある声の方に振り向いた。

 「おお、ロイではないか。久しぶりだのう」

 「はい。ご無沙汰しております」

 ロイは、丁寧に頭を下げた。

 「田舎町に隠居して、貧しい子供たちのために学舎を開いていると聞いていたが、元気そうだのう。その様子では、まだ軍の部隊に復隊出来るのではないか?」

 ゴルドバ将軍は、かつてロイを近衛師団の師団長として推薦した人物であり、ロイとは面識が深かったため、ロイとの久しぶりの再会を喜んでいるようだった。

 「いえ、もう隠居の身となった私では、とうてい近衛兵には復帰出来ません」

 「何を言うか。お前はまだわしよりもずっと若いのだぞ」

 「そうですが、将軍のように、いつまでも若々しく強靭な肉体ではありませんので、もう私など…」

 ロイは、謙遜しながらも、苦笑いして答えると、ゴルドバ将軍が、ふとリディアの方に目を向けたのに気が付いた。

 「将軍、この方は、トラキア公家こうけの第二公女のリディア様です。今度の闘技試合に出場する予定ですので、将軍とも対戦することになるかもしれません」

 「おお、そなたが、ライーザ公妃のご息女のリディア様であられるか。父君がグランダルの王クベスだと聞き申した。理由は存じぬが、祖国を捨て、トラキアの公族の一人として生きる道を選ばれたのだとか。噂によれば、そなたは女とはいえ、グレン=ドロスに育てられた屈強の戦士だと聞く。わしはもう歳なので、そなたが闘技試合で勝利を収めたあかつきには、トラキアの将来を御頼み申すぞ」

 将軍は、対戦相手に何の敵対心も持たずに、笑みを浮かべたが、リディアは黙ったまま、将軍を厳しい眼差しで見つめているだけだった。

 「ところで、将軍、今日はこのような田舎町の学舎に、どのようなご用件でいらっしゃったのですか?」

 ロイが、不思議そうに尋ねた。

 「ああ、ちょうど今、この子たちに尋ねておったのだが、エドという男に会いたくて、この近くの生物研究所に行ったのだが、ムーロンという博士が、彼なら、研究所の周辺の森の中か、近くにある学舎にいるかもしれないと言うので、ここに来てみたのだ」

 「エドは、あの人だよ」

 アバトがエドを指で指し示した。

 「お初にお目にかかります、将軍。エドと申します」エドは、かしこまったように姿勢を正して一礼した。「私にどのようなご用ですか?」

 「おお、そなたがエドか。そなたは、美土奴国を何度も訪れたことがあるのか?」

 「はい。ですが、美土奴国を訪れたというよりは、美土奴国に広がるランドルの森に何度も入ったことがあると言った方が正しいですが」

 「そうか。だが、そなたは東洋の言葉が話せるのであろう?」

 「東洋といっても様々な国がありますので、言葉も一つではありません。しかし、それぞれの言葉は似ていますので、ある程度は理解できると思います」

 「わしは、臥神ガシンという東洋人を探しておる。どこの国の者かは分からぬが、美土奴国の言葉を話す男らしい。その男は、トラキアと美土奴国との国境近くにひっそりと居を構えていると聞く。その男を知らぬか?もし、その男が、トラキアの言葉を話せない場合は、そなたに通訳を頼みたいのだが」

 ゴルドバ将軍は、エドだけでなく、ロイにも尋ねるかのように言った。

 「臥神ですか…いえ、存じ上げませんが」

 エドが申し訳なさそうに答えると、放念が、やや腰が曲がった低い姿勢の体を起こし、ゴルドバ将軍を見上げた。

 「臥神でしたら、わしが存知上げております」

 「お主は?」

 「わしは、放念と申します。美土奴国の僧侶です」

 「ほう。美土奴国の者か。ならば、その男に合わせて頂けぬか?」

 「どのようなご用件で、臥神にお会いになりたいのですかな」

 放念は、なぜかロイやエド、そしてリディアの顔に一瞬目を配りながら、ゴルドバ将軍に尋ねた。

 「臥神という男は、様々な国に伝わる兵法に通じ、政治、経済、数学、化学、医学、物理学、天文学や地質学だけでなく、仙術や占星術など、ありとあらゆる学問を修めた賢者だと聞く。それはまことか?」

 「いかにも。臥神は、天下の奇才と称される稀代の天才でございます」

 「そうか。わしは、その男を、トラキア軍の軍師として迎えられないかと考えておるのだ」

 将軍のその言葉に、ロイは驚きを隠せなかった。やはり、噂に聞いたことは本当だったのだとロイは思った。

 「ゴルドバ将軍、もしや、将軍の職を辞するおつもりですか?」

 ロイは率直に尋ねた。

 すると、将軍は高々と笑い声を上げた。

 「ロイにはかなわぬわい。すべてお見通しというわけか」

 将軍はロイの心配する顔を見ながら腕を組んだ。

 「もちろん、すぐに引退するつもりではないが、わしはもう歳だ。今度の闘技試合の結果がどうなるかは、わしには分からぬ。そして、わしだけでなく、今の参謀のラモンも歳を取り過ぎておる。ロイもすでに耳にしているとは思うが、トラキアは間もなくグランダル軍とのいくさに巻き込まれる。斥候せっこうが持ち帰った情報によると、グランダルでは、すでに海軍の派遣の準備を進めておるそうだ。グランダルは、トラキアの占領に成功したあかつきには、都を、食糧の豊富なトラキアに移すであろう。砂漠化した砂と古代遺跡しかない国になど何の魅力もないからだ。すでに周辺諸国を植民地化し、本国を守るための兵力を国に置いておく必要はないため、海軍だけでなく、多くの陸軍の兵も乗船させて攻め込んでくるであろう。これまで、三方を海に囲まれ、断崖絶壁の崖に守られたトラキア城砦じょうさいの攻略に、グランダル軍は中隊を率いたとしても一度も成功しなかったことを考えると、次は全軍を挙げて攻めてくる可能性は大いにありうる。そうなれば、トラキアにはもう勝ち目はないであろう。しかし、たとえそうであったとしても、我々は国を守らねばならぬ。力の差で勝てぬのであれば、智謀をめぐらすしかない。それには、稀代の天才的な軍師が必要なのだ」

 将軍が再び放念に目を移すと、「グランダル軍がトラキアに攻め込んでくるまでには、もうそれほどの日はありますまい。わしが、臥神が申し入れを受けるかどうか確認してみましょう」と放念が申し出た。

 「おお、そうしてくれるか」

 将軍は、期せずして臥神を知る僧侶にロイの学舎で会えたことに、いくさを前にして幸先さいさきの良さを感じた。

 「私も、その男に会わせてもらえぬか」

 ゴルドバ将軍と放念のやり取りを興味深く聞いていたリディアが、突然話に割り込んだ。

 「構わぬが、そなたは、なぜ臥神に会いたいのじゃな?」

 「その男は、美土奴国の人間なのか?もしそうであれば、尋ねたいことがある」

 「尋ねたいことと申しますと?」

 「それは、その男に会ったら直接話す」

 リディアは、突然現れた美土奴国の僧侶に警戒心を持っていたので具体的には答えなかったが、放念はそれ以上は尋ねなかった。

 「よろしい。では、そなたも将軍様も、先ずは、臥神の外護げご者の霞寂カジャクという男にお会いくだされ」

 「その男とは、どのように会えばよいのだ?」

 「わしが彼に話して、明日ここに来るように伝えましょう」

 「臥神という男の住む場所を教えてくだされば、従者と共に直接そこに行って話をするが、それでは駄目なのですかな」

 ゴルドバ将軍が尋ねた。

 「はい。臥神は、自分の住まいを知られるのをとても嫌っております。人々にわずらわされることなく、ひっそりと学問にきょうじたいと申しておるのです。彼に会うには、外護者の霞寂カジャクを通じてでなければ会うことはできませぬ」

 「そういえば」

 エドが突然思い出したように言った。

 「霞寂カジャクという人なら、ひと月ほど前に生物研究所に来たことがありますよ」

 「本当かい?」

 ロイが驚いたように言った。

 「ああ。臥神先生の使いだと言って、霞寂カジャクと名乗る初老の男が研究所に来たんだよ」

 「何のために研究所に来たんだい?」

 「それが、グランダル国の古代遺跡で発見した石板の写本を見せてほしいと言うんだよ。なぜかは分からないが、ステイシア姫が以前遺跡で発見した石板から写し取った写本を、私がお借りして研究していることを彼は知っていたようで、その写本を臥神先生が見たいとおっしゃっていると言うんだ。十万ルピを払うので、見せてくれないかと言うのだが、そんな大金を積まれても、姫様が発見した貴重な考古学的資料を、軽率に見ず知らずの人間に見せるわけにはいかないため丁重に断ったのだが、執拗に見せてほしいと言うので、なぜそれほどまでに写本を見たいのかを尋ねると、『あなた方は、その写本に書かれている目に見えない生き物が、どういう生き物なのかご存知ですかな?ご自身の目で確かめてみぬまでは、信じられないのではないですかな』と言うんだ。あなたは、その生き物のことをご存知なのですか、と尋ねると、『多少は存じ上げていますが、臥神先生が詳しくご存知です』と言う。そして、『その写本を見せてくだされば、代わりにこの本を差し上げましょう』と言って、ある本を差し出したんだよ」

 「ある本?どんな本だったんだい?」

 「その本には、目に見えないものを見るための器械について書かれていたんだ。とても興味深かったけれど、それでも姫様の許可なくお見せすることは出来ないので断ると、翌日も、そのまた翌日も、毎日のように研究所を訪れ、その写本を見せてくれないかと頼むんだよ。それでもお断りすると、今度は、その本に書かれていた器械自体を持ってきて、それを差し上げると言うんだ。その代わりに写本を見せてほしいと、あまりに熱心に頼むので、ムーロン博士に相談すると、博士はトラキア城に赴いて、トラキア大公の側近であったメテル様に相談し、グランダルの遺跡で発掘調査中のステイシア姫に、伝書鳩の書簡で事情を伝えてもらったんだ。すると、古代遺跡から発見された情報は、人類全体への遺産なので、祖国への軍事的脅威となるようなものでない限り、情報は分かち合うべきです。写本の閲覧を許可します、という回答があったんだ。そこで、写本の閲覧を許可すると、その老人は、熱心にその写本を写し取っていき、帰って行ったんだ」

 「写本に書かれていた、その目に見えない生き物とは、どんな生き物で、なぜ、臥神という男は、それほどまでにその写本を見たがっていたんだい?その生き物は、それほど重要な生き物なのかい?」

 「まだ研究中なので、詳しくは分からないが、目には見えない生き物というのは、それほど小さい生き物という意味らしく、写本には、古代のランドル語でヌークルと呼ばれる生き物について書かれていたんだ。もちろん、写本の内容は解読されたものだが、破損した石板の内容を写し取ったものなので内容が断片的で、しかも、難解な内容なので、まだほとんど理解できていないんだよ」

 エドとロイが生物についての話を始めると、要件の済んだゴルドバ将軍は馬の向きを変え、「では、放念殿、臥神殿の件は、御頼み申したぞ」と、改めて念を押した。

 「かしこまりました。明日、霞寂かじゃくにここに来るように伝えておきます。また明日もここにお越しくだされ」

 放念は、ゴルドバ将軍の一行が帰城していくのをしばらく眺めた後、リディアの方に向き直り、「さて、そなたも臥神に会いたいのでしたら、明日またここにお越しくだされ。臥神も、きっと、そなたに会いたいはずじゃ」と意味深げなことを言った。

 「私に会いたいだと?」

 「さよう。そなたの腕には、トラキア公家こうけの紋章の形をした痣があるであろう。ランドルの古代遺跡から発見された石板の預言に記された刻印を持った嬰児みどりごとして生まれたそなたに、ぜひ会いたいはずじゃ」

 リディアは、突然放念がリディアの痣のことを言及し始めたので驚き、ロイとエドの視線を気にしながら、手甲てっこうの下の痣が見えていたわけではないが、思わず左腕の手甲を隠すように、ひっそりと右手で覆った。

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