第12話 リディアの思惑

 ロイがアレンの医務室に行くと、ちょうどアレンがリディアと思われる少女の脚の傷の抜糸をしているところのようだった。

 アレンは、ロイが来たことに気付くと、ロイを招き入れた。

 「そこの別の寝台に座って少し待っていてくれ。彼女の治療はもうすぐ終わるから」

 ロイは、寝台に腰を下ろすと、アレンの治療を受けている少女をまじまじと見つめた。父親は異なるが、ステイシア姫とは異父の姉妹であるライーザ公妃のご息女が、どんな娘なのか興味があったからである。彼女はとても綺麗な顔立ちで、ライーザ公妃の面影が感じられるような気がしたが、鷹のような猛禽類の鳥と同じ鋭い目をしており、体はやせ形ではあったが、筋肉は引き締まり、体全体からはどこか猛々しさが感じられた。それは、グランダルのクベス王の血を引いたせいなのかもしれないと、ロイは思った。

 ロイが彼女を眺めていると、リディアは、突然の訪問者に一瞬目を向けて確認したようだったが、すぐに視線を自分の脚の傷に戻して、黙って治療を受け続けた。

 ロイは、彼女が向けた鋭い視線が、非難のほこ先となってロイの胸に突き刺ささったように感じた。彼女の母親であるライーザ公妃が、グランダルでの遺跡の発掘調査中にグランダル兵にさらわれるのを、近衛兵であった自分が阻止できなかったことが、結果的にライーザ公妃の死につながったのだと、ロイを責めているように思えたからである。リディアは、そのことは知らないはずであったし、彼女は自分が誰なのかも今はまだ知らないのだから、そんなことはあるはずはないと心の中で自分に言い聞かせながらも、やはり彼女にその事実を伝え、謝らなければとならないと考えていた。

 「さあ、これで終わりです」

 アレンは、リディアの足をゆっくりと床に下ろした。

 「イラクサによる切り傷は大したことはありませんでしたが、この傷は少し深かった。これは鎌か何かで斬られたものですか?下手をしたらもう歩けなくなっていたかもしれませんが、信じられない程うまく縫合してありました。どこで手当てを受けたのですか?」

 アレンが尋ねると、リディアは視線を落としたまま、逃げこんだ森での出来事を思い出しながら答えた。

 「美土奴国の森に逃げ込んだ際、目に見えぬ魔物のようなものに足もとを斬り込まれたのだが、誤って谷底に落ちて川の濁流に飲まれ、意識を失ってしまった後、美土奴の妖術師に助けられて手当をされたようだ」

 「実際に手当をしたのは誰だか分かりますか?」

 リディアはかぶりを振った。

 「美土奴国には、仙術や煉丹れんたん術のような秘術にも通じていると言われる魅仙ビセン・慈仁ジジンという人物がいるそうですが、彼は、秘術だけでなく、医師としても優れた腕を持っていると聞いたことがあります。恐らくその医師が手当てをしてくれたのでしょう。それにしてもすごい腕前だ。私にはとても真似できません」

 リディアは、アレンの言った「秘術」という言葉が気になったのか、突然顔を上げ、真剣な眼差しでアレンに尋ねた。

 「美土奴国は、妖術や仙術といった秘術や、魔物に守られているというのは本当か?」

 アレンは、リディアの質問に驚き、ロイの方に視線を向けた。ロイも、彼女の予想外の質問に驚いているようだった。

 「今私が言った秘術というのは、エドという友人から聞いた話であって、実際に、そういったものが存在するのかどうかは、私には分かりません。多くの人々は、不思議な現象を目にすると、原理や仕組みが分からないために、妖術だとか、仙術だとかと呼びますが、実際は秘術と呼ばれるものには、何らかのからくりがあるのではないかと私は思っています」

 以前、アレンとロイが医務室で東洋の神秘について話したときには、アレンは冗談めかして話していたが、リディアに対しては、科学や医術を学んだ医師としての立場で、まじめな顔をして答えた。

 しかし、リディアは、アレンに反論するかのように、ランドルの森で遭遇した出来事を話し始めた。

 「私は、ランドルの森の中で、幾度となく恐ろしい目に会った。その森の中では、蟲や鳥、見えない魔物が私を襲ってきた。この脚の傷は、その魔物に襲われたときのものだ。そして、伝説に聞く火炎龍のようなものや、足をすべらせて谷底の川に落ちた時には、私の事を待ち構えていたかのように突然の濁流が私を襲った。それらはみな、あたかも誰かに操られて私を襲ってきているかのようだった。そして、私は、実際に美土奴国の宮殿で妖術師にも会ったのだ。そこには、歳老いた老婆と若い女の二人の妖術師がいた。その若い女は、黒いからすと白い鴉を巧みに操っていた。恐らく、蟲や魔物や自然までもが、彼女に操られていたのだろう」

 リディアがランドルの森での体験をおびえながら話しているようだったので、アレンは、彼女を落ち着かせようと少し話題を変えた。

 「確かに、美土奴国は、我々の知らない多くの謎に満ちた国です。そして、その国を覆い隠すように広がるランドルの森の奥に入り込んだ者は、生きて帰ってくることは出来ないと言われていますが、その森から命を落とさずに逃げてくることが出来たというのは、よほどの武勇伝になりますよ。あなたは、グレン=ドロスに育てられ、武術や兵法などを学んだと言っていましたが、グレン=ドロスですら、ランドルの森に入ったら、生きて森から出られるかは分かりませんよ。恐らく、これから行われる闘技試合に出場するトラキアの猛者もさたちも、あなたのようにランドルの森に入る勇気などないでしょう」

 アレンの口からグレン=ドロスの名前が出たため、黙って二人の会話を聞いていたロイが口を開いた。

 「あなたは、本当にグレン=ドロスに育てられたのですか?」

 リディアは、ロイの突然の質問に視線を向けたが、何も答えずに、黙ってロイの顔を見つめた。

 「すまん、すまん」

 アレンは、ロイをリディアに紹介するのを忘れていたのを思い出した。

 「紹介します。彼は、ロイ=アモン。私の友人です。彼は、以前トラキアの近衛師団に所属していて、あなたの母親のライーザ公妃の護衛を担当していました」

 アレンがロイを紹介すると、ロイは軽く会釈をして挨拶を述べたが、リディアは黙ったままだった。

 「あなたのことは、アレンから伺いました」

 ロイは、リディアの無愛想な態度は気にせずに、話し始めた。

 「あなたは、クベス王とライーザ公妃との間に生まれた三番目の御息女ごそくじょだそうですね。ライーザ公妃のことは、とても残念でなりません。私が近衛師団長としての責務をまっとう出来ていれば、ライーザ公妃は死ななくて済んだのかもしれません。本当に申し訳ありません」

 ロイは深々と頭を下げてリディアに謝罪した。

 すると、アレンが笑いながら言った。

 「しかし、ロイ、もしお前が、グランダル軍にさらわれたライーザ公妃を救出していたとしたら、クベス王がライーザ公妃を妻の一人としてめとることはなく、彼女は生まれなかったことになるぞ」

 「そう言われれば、そうだが…」

 ロイは、アレンの言葉に苦笑した。

 リディアは依然、無表情のままだった。

 ロイは気にせずに、質問を続けた。

 「あなたが父親のクベス王に命を狙われていたため、母親のライーザ公妃が、赤子であったあなたを連れて城から逃げ出し、グレン=ドロスにあなたを託したとアレンから聞きました。グレン=ドロスと言えば、グランダル王国最強の戦士と言われる、クベス王直属の第一部隊の将軍です。立ち入った事を伺うようですが、そのグレン=ドロスが、なぜクベス王のめいそむくかのように、あなたを密かに育てたのですか?そして、なぜ女であるあなたに武術を教えたのですか?」

 「最初の質問の答えは、私にも分からぬ」

 リディアがようやくロイの質問に答えた。

 「しかし、私は幼い頃にグレンから、私がグレンに育てられるようになったいきさつを聞いていたので、母親のかたきであるクベスを討つために、グレンに武術を教えてくれと頼んだのだ」

 つらい過去を思い出したせいなのか、リディアの声は重苦しい声に変わった。

 「あなたは、グレン=ドロスに育てられ、クベス王の打倒に失敗してこの国に来るまでは、ずっとグランダル国で暮らしていたのですか?」

 ロイの質問に、リディアは頷いた。

 「では、ステイシアという名のトラキアの姫をご存知ありませんか?トラキアのランバル大公とライーザ公妃の御息女ごそくじょであり、あなたの異父の姉になる方が、現在、グランダルの古代遺跡で発掘調査を行っているのです」

 ロイは、次々にリディアに質問を浴びせた。

 リディアは、異父の姉と聞いて、少し戸惑いを見せた。

 「ステイシア姫が率いる発掘調査団の一行は、グランダルとトラキアを結ぶ美土奴国の商用交易路がグランダルの手に落ちる前に、トラキアに帰国するはずでした。しかし、予定されていた日を過ぎても姫様は戻らないのです」

 ロイが必死にリディアから何か情報を得ようとしているのを見て、アレンが口を挟んだ。

 「お前は近衛兵たちへの接触を禁じられているので、代わりに近衛兵に聞いてみたのだが、発掘調査団の一員のターニャという考古学者が、グランダルに人質にとられているのだそうだ」

 「人質に?」

 「ああ。グランダルは、巨人族の種子を発見するまで姫様を逃がさないようにするために、ターニャを人質にとったらしい」

 「近衛師団の兵たちは何をやっていたのだ?姫様だけでなく、発掘調査にかかわる全ての人たちをお護りするのが近衛兵の役目ではないか」

 ロイは、考古学者の一人が人質にとられたと聞いて、突然憤慨の言葉を発した。

 しかし、ロイのその言葉に、アレンは何も言わずに黙ってしまった。

 ロイは、アレンのその沈黙には、ロイの過去の傷に再び塩を塗るようなことはしたくないという思いがあるのだと、ふと気が付いた。ロイにも、ライーザ公妃がさらわれたときに、近衛兵として公妃を護ることが出来なかった過去があったからである。

 「すまない、自分のことを棚に上げて…」

 ロイは気まずそうに謝ったが、アレンは何も言わなかった。

 すると、短い沈黙の後、リディアが突然話し始めた。

 「私は、三日後の闘技試合を終えた後、再びグランダル城へ乗り込むつもりだ」

 その言葉を聞いて、ロイとアレンは互いに顔を見合わせた。

 「闘技試合で勝利し、トラキア軍の指揮権を手中に収め、小隊を率いてグランダルに攻め込んでクベスを討つ。そのときに、機会があれば、そのステイシアという姫を救出できるかもしれぬ」

 リディアのその言葉で、ロイとアレンは、ようやく彼女の意図を理解した。彼女が、自分がトラキア公家こうけの第二公女であると主張し、トラキア軍の指揮権を手に入れようとしていたのは、攻め込んでくるグランダル軍からトラキア公国を護るためではなく、母親の敵を討つためだったのである。

 「しかし、そんな体で、三日後の闘技試合で本当に闘えるのですか?」

 ロイは、リディアの体を気遣って尋ねた。

 「心配は無用だ」

 リディアの顔には自信が満ち溢れているようだった。

 リディアは立ち上がると、左脚を少し上げ、軽く床を踏み込むように何度か上げ下げを繰り返し、痛みもなく、傷口が開かないことを確認すると、医師であるアレンに問題ないと示すかのように黙って視線を移した。

 しかし、アレンは、リディアの脚のことについては何も述べずに、リディアをさとすかのように言った。

 「仮に、あなたが闘技試合に勝って、トラキア公家こうけの第二公女としてトラキア軍の実権を握り、小隊を率いてグランダルに攻め込んだとしても、圧倒的なグランダル軍の兵力には歯が立たないのではありませんか?一度クベス王の暗殺に失敗しているのですから、再び命を落とすような危険は冒さないほうが賢明ではありませんか?」

 アレンの言葉は、リディアに思いとどまる様に説得しようとしているようでもあったが、ロイには、アレンが、リディアに何か策があるのではないかと探っているようにも見えた。

 アレンはさらに続けた。

 「それに、ステイシア姫からの書簡によれば、これからグランダル軍が全軍を挙げてトラキアに攻め込んでくるそうです。あなたが、グランダルに攻め込むのであれば、誰が本国の軍の指揮を執るのですか?」

 「トラキアのことなど私には関係のないことだ」

 リディアは強い口調で答えた。

 「母のかたきであるクベスを討つこと以外に私にとって重要なことなどない。周辺国の多くを手中に収めたグランダル軍が、次に全軍を挙げ、海を越えてトラキアに攻め込んでくるということは、本国は手薄になるということだ。その隙を狙って私はグランダルに攻め入り、クベスを討つ」

 リディアが本気でそのようなことを考えているのだと悟ったアレンは、さらに尋ねた。

 「しかし、グランダルの海軍が海を越えて攻め込んでくるとなると、海路を使ってグランダルに行くことは出来ません。唯一の陸路である美土奴国の海岸沿いにある商用の交易路の関所は、美土奴国を配下におさめつつあるグランダルによって、すでに押さえ込まれているそうです。そのため、あなたを助けたトラキアの近衛兵たちは、美土奴国に入国したときにはまだ入ることの出来た交易路から出ることが出来なくなり、ランドルの森を通り抜けようと試みました。そして、そこで恐ろしい目に会い、命を落とすところだったそうなのですが、偶然出会った美土奴の僧侶に助けられ、道案内をしてもらえたために助かったのだそうです。その僧侶に出会わなければ、全員命を落としていただろうと近衛兵たちは言っていました。あなたが、もう一度グランダルに向かうのでしたら、再びランドルの森を通り抜けなければなりませんが、それはかなりの危険を伴うのではありませんか?」

 「そこが問題だ…」

 リディアが困ったように呟いた。

 「あの森は、不気味な妖術や魔物に守られている。相手が人間であれば何とでもなろうが、妖しい力に操られた正体の分からぬ敵を相手にどう戦えばよいのか分からずに困っているのだ」

 リディアは、うつむきながら、しばらく何かを考えていたが、突然顔を上げて、アレンに尋ねた。

 「さきほどそなたは、友人から美土奴国の秘術について聞いたことがあると話していたが、その友人のエドという者は何者なのだ?」

 アレンは、リディアが突然話題を変えたので一瞬驚いたが、すぐに彼女の意図を理解した。

 「エドは、ロイが暮らしているサパタという町にある生物研究所で研究を行っている学者です。その研究所を設立した生物・生態学者のムーロン博士の助手として働いています。彼は、よくランドルの森に一人で出掛けて行っては、トラキアには生息していない動植物を観察したり、時には採集した植物や虫などを持ち帰ったりして研究しています。あなたの脚の傷から入った毒を解毒する際に使った虫も、実はエドから分けてもらった、ランドルの森で採集した虫なのですよ」

 アレンが笑みを浮かべながら話すと、リディアの顔が若干ひきつったようだった。

 リディアがなぜそのような反応を示したのかはロイには分からなかったが、虫を薬に使ったということに不快感を示したのだろうかとロイは思った。

 「その男は、美土奴国やその国に広がるランドルの森に詳しいのか?」

 リディアが真剣な顔で再び尋ねた。

 「ええ。恐らく彼ほど美土奴国のことを良く知る人間は、トラキアにはいないと思いますよ。あなたもすでに体験して知っているように、美土奴国を覆い隠すように広がるランドルの森は、とても危険な場所だと言われていますが、彼は、生来しょうらいの野生の勘というのでしょうか、そういったものを持ち合わせているようで、森の中で危険と感じるところには近づかないようにしているようです。もちろん、森の中で迷ったことは何度もあるようですが、美土奴国の言葉を自然に覚えてしまったので、必要に応じて現地の人間に助けを求めたりするそうです」

 アレンの答えを聞いて、リディアが安心した表情を浮かべたようにロイには見えた。

 「その男とは、どのようにしたら会えるのだ?」

 リディアのその問いに対して、アレンは視線をロイに移した。すると、ロイが答えた。

 「エドが研究を行っている研究所は、サパタにある私の運営している学舎のそばにあります。彼は、今のこの時間はいつも、研究所から一時間ほど歩いて山を下ったあたりにある森の中にいます。その森の中で、動植物の観察を行っているので、いったん森に入ってしまうと会うのは難しいのですが、朝はたいてい研究所にいるので、明日の朝、研究所にお越しになれば会えると思いますよ」

 「その研究所へは、どうやって行けばよいのだ」

 リディアが尋ねると、その問いにロイが答えるのを遮るかのように、衛生兵がアレンの医務室に慌てて飛び込んできた。

 「アレン、また多くの兵士が負傷した。人手が足りないんだ。すぐ来てくれないか」

 衛生兵は、それだけ言い残すと、また急いで、元来た方向へと走って行った。

 「すまん、行かなければならない」

 アレンは、急いで準備を整えて、衛生兵を追いかけるように部屋を出ようとしたが、部屋を出る前にリディアに言った。

 「また明日もここに来てください。少なくとも闘技試合が始まるまでは安静にして、毎日ここに来なければなりませんよ」

 そう言うと、アレンは走って部屋を出て行った。

 アレンの治療を終えたリディアも部屋を出ていこうとすると、ロイは慌てて彼女を引きとめ、アレンの机から書きとめるものを探すと、エドの研究所の場所を書き記して、彼女に手渡した。

 ロイは、脚の怪我がよくなったリディアが、アレンの医務室にはもう戻らないような気がしていた。これで別れてしまっては、すでに軍を除隊しているロイには、ライーザ公妃の娘であり、トラキアの第二公女だと主張する彼女に直接会える機会は二度と巡ってこないかもしれないため、彼女とのつながりを作っておきたいと考えたのである。

 「明日の朝、そこに書いてある場所にお越しください。エドには私から伝えておきます」

 ロイは、優しくリディアに微笑みかけてみたが、リディアは表情を変えなかった。

 「これからどちらに行かれるのですか?」

 ロイは、しつこくリディアに話しかけたが、リディアは何も答えずに、そのまま行ってしまった。

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