目論見

第11話 勝敗予想

 トラキアの城下町の一角にある五つの券売場には、多くの中流階級以上の国民が列を作って並び、その列は、券売場の外の通りにまで及んでいた。多くの人々が、町で配られたビラを手にしながら、なにやら自分の考えや予想を口にし、中には自分の考えに賛同しない相手と言い争っている人たちもいた。さらに、自分が剣闘士にでもなったかのように、剣を振りかざすさまを真似して騒いでいる人々もいて、券売場の周辺は、いつになくにぎわっていた。それは、トラキアの円形闘技場で、軍の最高指揮官を決定する闘技試合が行われることになったからである。

 食糧事情のよいトラキアでは、中流階級以上の国民の生活は安定していたため、ランバル大公の死後、様々な競技や剣闘士による試合などがしばしば行われ、国民に娯楽が提供されていた。

 しかし、今回開催が決まった試合は、娯楽目的だけでなく、国軍の最高指揮官を決定するという重要な試合であったため、多くの国民の関心が集まり、観戦券は飛ぶように売れていった。トラキアの闘技場は、二万人を収容できるとても大きなものであったため、観戦券や賭けさつの販売収益は、国にとっては大きな収入源のひとつになっていた。

 そこには、ハルトも列を作って並んでいた。今日は宝石細工の仕事は休みだったので、早速ハルトも朝早くから券売場にやってきて並んでいたのである。ハルトは、自分の順番が来ると、二枚の券を購入した。

 すると、近くをロイが馬に乗って通りかかるのが見えた。

 「ロイ、やったよ。観戦券が手に入ったよ」

 ハルトは、大声を上げてロイを呼びとめて、ロイのところへ走って行った。

 「頼まれていたロイの分も買っておいたよ」

 ハルトはそう言うと、観戦券の一枚をロイに渡した。

 「ありがとう、ハルト」

 ロイは馬を下りて観戦券を受け取ると、ハルトに代金を支払った。

 「でも驚いたよ。先日俺が見た、城に担ぎ込まれた女が、軍の最高指揮官の座をかけて試合をすることになるとはね」

 「ああ、私も驚いたよ。こんな事態になるとは想像もしていなかったよ」

 「彼女は一体何者だったんだい?」

 ハルトが好奇心から尋ねると、ロイは、城の医務室でアレンから聞いたことのうち、話しても差し支えないことをつまんで簡単にハルトに話した。

 「でも、彼女は怪我をしていたんだろ?それもかなりの重傷だったと聞いたぜ。そんな状態で本当に試合なんか出来るのかい?」

 「どうかな。しかし、彼女は後日アレンの医務室に戻ってきて、アレンの治療を再び受けたそうだ。アレンの話では、彼女が城に担ぎ込まれたときは、鋸牙草コガソウというイラクサの毒におかされていたそうだが、アレンは、ちょうど、エドが美土奴国で採集した虫をもらって解毒剤を作る研究をしていたところだったので、まだ研究段階だったようだが、急がなければ彼女の命が危ない状態だったので、その解毒剤を彼女に与えたのだそうだ。そのおかげで彼女は命を落とさずにすんだらしい。彼女はその後、姿を消してしまったが、治療を引き続き受けないと危険だとアレンが彼女に言っておいたので、彼女はやむなくアレンのところに戻って来たそうだ。そして、驚いたことに、彼女は毒で命を落とさずに済んだだけでなく、驚異的な回復力を示して普通の人の何倍もの早さで怪我が治ってきているのだそうだよ」

 「へえ。じゃあ、三日後の試合には出られそうなんだね」

 ハルトは、彼女の体の回復が遅れて試合が延期されるのではないかと心配していたが、問題なく試合が開催されるようだったので安心した。しかし、一方で、やはり彼女の体の事も心配だった。いくら驚異的な回復を示しているといっても、あんな体で本当に闘えるのだろうかと思ったからである。試合で対戦する相手は並の相手ではなく、国で一、二を争う猛者もさたちである。しかも彼女は女である。いくら彼女が幼少の頃より武術を学んだからといって、女が猛者たちにかなうのだろうかと疑問に感じていた。

 「なあ、ロイ。これまでに行われた軍の最高指揮官を決めるための闘技試合には、女が出場したことなんてないんだろ?」

 「ああ、そうだな」

 「そのリディアっていう女は、グランダル国から来たって話だけど、グランダルでは女も軍人になったりするのかい?トラキアでは、軍人はみんな男だったと思うけど」

 「私が軍にいた頃の時代は、トラキアだけでなく、グランダルでも、軍に志願したり、徴兵されたりするのは男だけだったと思うが、今は時代が変わったのかもしれないな」

 「時代が変わったから女も強くなったってことなのかい?俺の死んだ父さんは、俺がまだ小さかった頃、死んだ母さんとよく喧嘩をして、女ってものはライーザ公妃のように可憐でしとやかさがなくちゃいけねえ、なんてよく言っていたけど」

 ハルトは、真面目な顔で言ったが、ロイは笑いながら答えた。

 「女だって訓練次第では強くなれるってことだろう。ハルトの母さんだって、もし軍に入っていたら、訓練次第では軍曹くらいにはなっていたかもしれないぞ」

 「じゃあ、ロイは今度の試合は、リディアっていう女にも勝ち目はあると思うのかい?それなら試合も面白くなるけど、試合が始まってすぐに倒されちまうんじゃ、せっかく大金をはたいて観戦券を買ったのに、つまらないからね」

 「勝ち目がないことはないだろう。彼女も勝つつもりでこの試合の出場を決めたのだろうし」

 「じゃあ、前代未聞の試合になるってことだね」

 「そうだな。彼女がどのように闘うのかは見物だな」

 ロイは、そう言いながらも、やはり彼女の怪我のことは心配だった。グランダルの最強戦士と言われるグレン=ドロスに育て上げられたとはいえ、怪我がまだ完全には治っていない状態で、トラキアの猛者もさたちと対等に闘えるのだろうかと心の中では思っていたのである。

 「ロイは、誰が勝つと思う?」

 ハルトは、三日後の闘技場での試合展開を想像しながら、少し興奮気味に自分の考えを話し始めた。

 「俺は、やっぱりゴルドバ将軍が勝つと思うな。グスタル軍曹がこの試合に出るのは無謀だとも思うし、ゴルドバ将軍がいくら歳老いてきているとはいえ、まだアシュベル少将では互角には戦えないと思うし。そもそも、勝てば軍の最高指揮官の座を与えられるというまたとない機会なのに、他の将校たちが出場しないのは、ゴルドバ将軍には勝てっこないってみんな思っているからだろ?だとしたら、グスタル軍曹やアシュベル少将が出場するのは時期尚早なんじゃないかな。それから、リディアという女のことは何も知らないから、どこまで健闘できるか、ってとこかな」

 ハルトは、子供ながらに彼なりの分析で勝者を予想した。

 「なかなかいい予想だな、ハルト」

 ロイは、ハルトがまだ十歳という幼い子供なのに、城のセルカ爺さんの宝石加工工房で働くようになってから、急に成長して、色々なことが分かるようになってきたので嬉しくなった。

 「でも、ハルト。ゴルドバ将軍は、新しい参謀を探しているそうだよ。いくらゴルドバ将軍が、これまでに闘技試合で誰にも負けたことがないといっても、としには勝てないだろ?それは軍参謀も同じで、今の参謀であるラモン=ラーファルも、もう引退すべきとしに近い。ゴルドバ将軍は、自分がこの試合に負けた場合のことも考えているのではないかな。もし自分以外の人間が軍の最高指揮官になった場合、あらゆる兵法に通じ、多勢に無勢の状況下でも、優れた戦略で自国を勝利に導くことのできるような有能な参謀が支えなければ、トラキア軍はグランダル軍の侵攻を阻止できないだろう。ラモンでは恐らくその責務は果たせない。ゴルドバ将軍はそう考えているのではないかな。つまり、ゴルドバ将軍は、もしかすると、この試合に負ける可能性も視野に入れているのかもしれないぞ」

 「そうかあ。しくじったかもしれないな。俺、実は観戦券を買っただけでなく、手堅いと思ってゴルドバ将軍に二口賭けちまったんだよ」

 ハルトはくやしそうな顔をした。

 「すまん、すまん。今言ったことは単なる私の推測でしかないので、どうなるかは試合が行われてみなければ分からないぞ」

 ロイは、ハルトを励ますように言ったが、心の中では、ゴルドバ将軍がやはりとしには勝てず、負けることも十分あるのではないかと考えていた。

 「ハルト、今の私の話を聞いて、他の闘技者にまた賭けなおすようなことはするなよ。賭けなんかにのめり込んだら人生を棒に振ることになるぞ。今はセルカ爺さんのところで一生懸命働いて、自分の生活を安定させた上で、りっぱな宝石細工職人になってくれよ」

 ロイは、まじめな顔でそう言うと、再び馬にまたがった。

 「これからどこへ行くんだい?」

 「アレンのところへ行こうと思っているんだ」

 「もしかして、アレンのところに治療を受けに来ているリディアという女に会うのかい?」

 「ああ、そのつもりだ」

 「なら、その女がどんな女で、今回の試合で勝てそうかどうかを探ってみてくれないかい?彼女の配当金の倍率は信じられない程高いから…」

 ハルトは、言い終える前に、ロイがたしなめるような厳しい目で自分を見つめていることに気がつくと、「冗談だよ。今の俺が、そんなに賭けさつを買えるわけがないだろ」とあわてて付け加えた。

 「じゃあな、ハルト。しばらくセルカ爺さんには会っていないから、宜しく伝えておいてくれ」

 そう言ってロイは、馬を走らせてトラキア城へと向かった。

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