第7話 不治の病

 「リディアというその娘は、グレン=ドロスに託された後、どのように生きてきたんだい?」

 ロイは再び質問を始めた。

 「そして、ライーザ公妃は、娘を彼に託した後、どうなったんだい?それから、ライーザ公妃が殺害されてから、グレン=ドロスとその娘はどうしていたんだい?」

 アレンは、ロイの矢継ぎ早の質問に驚いたが、ロイの心に火がともったような気がした。

 「さっきも言ったようにまだ詳しいことは分からないが、リディアという娘から聞いた事の中から今分かっている範囲で話すとしよう」

 アレンは、リディアから聞いた話を整理しながら話し始めた。

 「ライーザ公妃がクベスとの間にもうけた三人目の御子様、つまり、リディアと名付けられたその子供が生まれたのとほぼ同じ頃、クベスと別の妃との間に、ようやく待望の男児が生まれたのだそうだ。跡取りの出来たクベスにとって、ライーザ公妃はもはや不要な存在になるはずだった。しかし、グランダル軍に捕えられたお前を救うために、トラキアからの十年間の食糧の無償供給を約束したライーザ公妃は、生かしておく価値があったため、クベスは逃亡したライーザ公妃を捕え、赤子だけを殺せと軍に命じた。だが、赤子は、グレン=ドロスによってかくまわれ、グランダル城から遠く離れた、彼と彼の妻しか知らない場所で、彼の妻によって密かに育てられたらしい。そして、赤子が成長すると、グレン=ドロスは、その子に幼少の頃から武術を教え込んだのだそうだ。それは、その子の背負う呪われた運命のためだ」

 「呪われた運命?」

 「ああ。さっきも話したように、グランダルには、ある預言が流布るふしていた。その預言は、刻印を持って生まれる赤子が、やがて、グランダルに災いを起こすと解釈されていたのだが、ライーザ公妃の三番目の娘が、その刻印と考えられるあざを持って生まれたため、クベスはその子を殺すように命じたのだそうだ。そして、逃亡したライーザ公妃を捕えたが、赤子はすでにグレン=ドロスに託されていたため、発見することが出来なかった。クベスは、ライーザ公妃に赤子の居場所を吐くように迫ったが、公妃は絶対に口を割ることはなかった。そこでクベスは、呪術師を呼び、赤子の居場所を探るように命じた。呪術師たちは、呪術の一つである占いを用いて刻印を持つ赤子の居場所を突き止めようとしたが、呪術師たちが示した場所には赤子を発見することは出来なかった。そして、次に美土奴ミドーヌ国の妖術師が赤子を探すことになった。グランダル王国でも、グランダルの無能な呪術師とは違い、美土奴国の妖術師の妖術は恐ろしい程の力があると噂されていたため、クベスが妖術師に命じたのだそうだ」

 「なぜ美土奴の妖術師がグランダルに協力などするんだい?」

 「私にも分からないが、トラキアと同様に、グランダル王国にも東洋の思想を布教する人々が増え始めていたため、グランダルで布教していたある僧侶を通じて、美土奴国の妖術師を探し始めたらしい。すると、ある日、媸糢奴シモーヌという妖術師がグランダルの城にやってきて、自ら協力を買って出たのだそうだ。そして、妖しい術でこしらえた自白剤を公妃の食事に混ぜたが、公妃はそのことが分かっていたのか、決して食事をとらず、衰弱して亡くなってしまった。そのことを、育ての親となったグレン=ドロスから聞いたリディアは、いつの日か必ず母親のかたきを討とうと、グレンから熱心に武術を学び、そして十七歳になった彼女は、独りでグランダル城に忍び込み、クベスの暗殺をはかった。しかし暗殺は失敗し、グランダルの討手に追われてランドルの森に逃げ込んだ後、力尽きて倒れてしまった。そこへグランダルからの帰国の途にあったトラキアの近衛兵が偶然通りかかり、助けられたのだそうだ。グランダルでステイシア姫を護衛していた近衛師団の一部の兵がトラキアへ帰国したのは、お前も知っているように、遺跡で発見された石板に書かれていた文字を写し取った写本を、トラキアへ持ち帰って調査、研究を行うためだ」

 「また遺跡で新たな石板が発見されたのかい?」

 「そうらしい。ステイシア姫からのふみによると、何か預言めいたものが書かれているらしいとのことだ。しかし、古代のランドル語で書かれており、解読することは出来たが、内容が難解なため、ステイシア姫にもすぐには何を意味しているものなのかは分からないらしい。そこで姫は、写本を近衛兵に渡し、トラキアの考古学者や言語学者、歴史学者などに調べてもらうために、城へ持ち帰ってもらったのだ」

 「もしや、その石板に書かれているものが、グランダルに流布していた預言なのでは?」

 「そうかもしれないが、調査が終わってみないと何とも言えんな」

 「仮にそうだとすると、その石板はすでに発見されていて、誰かがそこに書かれた預言を解読し、流布したのではないだろうか」

 「まあ、そういうことも考えられなくもないが、すでにお前の言っていることは仮定の上での推測でしかない。すでに石板が発見されていたのだとしたら、なぜグランダル王国は遺跡をトラキアの考古学者たちに開放し、発掘調査を許可したのだ?改めて調査をさせて、すでに発見していた石板をもう一度発見させる必要はないではないか。もしかすると違う預言かもしれないし、あるいは全く異なる内容が書かれているのかもしれない。調査が終わるまでは何とも言えんよ」

 ロイは、アレンの指摘した矛盾を説明出来なかったが、グランダルに流布していた預言によって、グランダル王国が不穏ふおんな状態にあること、そして、ステイシア姫がトラキアへの帰国予定を突然変更して近衛兵に写本を渡し、姫自身はグランダルに残ったことの陰に、何か恐ろしい陰謀のようなものが潜んでいるのではないかと思えてならなかった。

 「ところで、ステイシア姫はなぜグランダルに残られたんだい?」

 「さあな。私は、負傷した近衛兵たちを他の医師に任せ、リディアという娘の治療で忙しかったので、まだ帰国した近衛兵たちとは会っていないのだよ。そのことは後で近衛兵たちに聞いてみるといい」

 ロイは、アレンから答えを聞けると期待していたが、アレンはまだそのことについては知らないようだった。近衛兵に直接聞けばよいことではあったが、軍を除隊させられたロイには、近衛兵たちに会うことが出来ない理由があった。新たな師団長の指揮が乱されることを恐れた軍が、ロイに近衛師団への接触を禁じていたのである。

 アレンの言葉に表情を変え、何やら思案しているロイに気付いたアレンは、ロイの心情を察したのか、すぐに言葉を加えた。

 「そうだったな。お前は軍から近衛兵たちとの接触を禁じられていたのだったな。しかし、だとしても、独りでグランダルに向かうような馬鹿なことはするなよ。今回、ステイシア姫が帰国しなかったからといって、姫様の身に何かあったと決まったわけではないのだからな」

 「ああ、分かっているさ」

 ロイは心の中で、近衛師団がステイシア姫を護衛しているのだから、姫は無事に違いないと自分に言い聞かせようと努めたが、かつてライーザ公妃がグランダルでさらわれた際、ロイが率いた近衛師団はグランダル軍には歯が立たず、公妃を護ることができなかったことを考えると、ステイシア姫の身に何かあった場合も、姫を救うことは出来ないのではないかという不安が心の中に渦巻いた。しかし、だからといって、自分独りでグランダルに行ったところで何も出来ないことは目に見えていた。

 「ロイ、お前が何を考えているのかはよく分かる。もし姫様のことが心配なのであれば、姫様と異父の姉妹であることが分かったリディアという娘に話を聞いてみたらどうだい?もしかすると何か知っているかもしれないぞ」

 アレンの提案にロイは頷いた。

 「そうだな。彼女は今どこにいるんだい?」

 「この医務室を出た通路沿いの部屋で療養しているはずだ」

 「確か病室はいくつかあったはずだが、どの部屋にいるのか案内してくれるかい?その娘の顔も分からないし」

 「ああ、いいとも」

 アレンとロイは、医務室を出て病室へと向かった。部屋の扉を開けると、その部屋には多くの病人や負傷兵がいたが、寝台が足りないためか、所狭しと床の上に横になっている者も多かった。

ロイは、その光景を見て驚いた。軍を除隊してから、サパタという田舎町で隠居生活を送っていたため、今トラキアがどんな状況下にあるのかをあまり知らなかったからである。

 「こんなに病人や負傷兵がいるのか…」

 「ああ。重病人や重傷を負った負傷兵は、簡易的に作った寝台の上で寝てかせているが、それ以外は、あのように床に寝てもらっている」

 病室には、病人と思われる人々や、負傷して腕や脚を失った兵士など、多くの人たちが寝台に寝かされていた。そして、寝台の両脇の床にも負傷兵たちが横たわっていた。

 「負傷兵とは明らかに異なる人たちは、怪我はしていないようだが、病気なのかい?」

 「彼らは、デスペリアに罹患りかんしている患者だ」

 「デスペリア?」

 「ああ。最近になって、トラキアでも急激に蔓延し始めた不治のやまいだよ。罹患すると、四肢や指などの関節が腫れあがり、屈強な男でも耐えられない程の激痛に襲われる。そして突然血を吐いて意識を失い、そのまま死にいたる病気だ。はっきりしたことは分からないが、城の貴族たちや多くの上流階級の人々、軍の上層部の者たちが罹患する傾向が強いようだ」

 「病気の原因は何なんだい?」

 「分からない。まだ研究中だが、私は美食や過食が原因なのではないかと考えている」

 「美食や過食?」

 「ああ。城の貴族用の病室だけでは寝台が足りないため、こうして城内の軍の医療施設にまで運ばれてくる貴族たちもいる。今、この部屋の寝台に寝ているほとんどの病人が、貴族や上流階級の人たちだ。軍の上層部の人間もいる。しかし、不思議なことに、お前が暮らしているサパタをはじめとするトラキアの北西部の地域に住む貧しい生活をしている人々は、この病気に罹患する者はほとんどいない。彼らの多くは、日々の食事にも困るような生活をしていて、体の抵抗力が落ちているはずなのに、なぜかこの病気には罹患しないのだよ。グランダル国にも、かつてはこの病気が蔓延していた時代があったが、国土の多くが砂漠化し、国民が飢えに苦しむようになると、この病気への罹患率が大きく下がった。今では、グランダルでも、この病気に罹患しているのは、城の貴族たちがほとんどのようだ。そして、エドの話によると、隣国の美土奴ミドーヌ国では、この病気に罹患する人は一人もいないのだそうだ」

 「なぜ美土奴国では、その病気に罹患する人が一人もいないんだい?」

 「美土奴国の人々は、我々が普段食べているような食べ物は取らないんだよ」

 「では、何を食べているんだい?」

 「土だ」

 「土?」

 ロイは、自分の耳を疑った。

 「それは、地面の土のことかい?」

 「そうだ。彼らは、美土奴国に古くから伝わる饅坥マンショと呼ばれる、土をねてつくった饅頭まんじゅうのようなものを食べているらしい」

 「土で作った饅頭?土なんて食べることが出来るのかい?」

 「ああ。我々が食べている作物は、土から作られたものだろ?だから、土が食べられるとしても何ら不思議ではない。世界には、症例はあまり多くはないが、異食症と呼ばれる症状を示す人々がいるのだが、その一つとして土食症がある。土食症の人々は、土を食べるのだよ」

 「では、美土奴の人々は土食症なのかい?」

 「いや、美土奴の人々が土を食べるのは、土食症だからではないようだ。土食症というのは、普段は土など食べない人が、土を好んで食べるようになる症状のことだが、美土奴の人々は、ほとんど土しか食べないそうなのだ。しかも、土以外のものは口にしないにもかかわらず、栄養不良を起こさないらしい。栄養不良どころか、美土奴国には病を患っている人はほとんどいないそうだ。デスペリアという病にも罹患りかんしている人間は一人もいないらしい」

 「しかし、トラキアの北西部に住む人々や、グランダルの国民は、土なんて食べやしないが、なぜその病気に罹患しないんだい?」

 「彼らに共通することは、土から作られた作物を食べられない、あるいはほとんど食べることができないということだ。逆に、食べる物に困ることなく、欲するままに食べられる人々のデスペリアへの罹患率は非常に高い。つまり、裕福な人たちほど、作物に蓄積された何らかの毒素を、過食によって大量にとり込んでしまい、体外への排出が間に合わなくなる程多くの毒素が体内に蓄積されて、この病気に罹患するのではないかという仮説をたてて、私は今研究に取り組んでいるのだよ」

 ロイは、そんな病気がトラキアに蔓延していることなど全く知らなかった。寝台に寝かされている多くの病人たちは、顔色は悪くはないようだったが、良く見ると、腕や脚、指の関節が腫れあがっているようだった。

 「過食をやめれば良くなるのかい?」

 ロイは、寝がえりを打とうと体を動かした際に、関節の痛みに耐えかねてうめき声を上げた患者を眺めながら、アレンに尋ねた。

 「症状は、多少軽減はするが、それだけでは根本的には治らないようだ」

 「何か良い治療法はないのかい?」

 「我々の知る現代医療では治せそうもないな。しかし、東洋の医術で、もしかすると治せるかもしれない」

 「東洋の医術?」

 ロイは、アレンが医務室の机で、生き物を観察しながら医学書を読んでいたことを思い出した。

 「もしや、医務室の机に置いてあった虫籠かごの中にいた虫を使うのかい?」

 「ああ。あの虫たちはエドからもらったものなのだが、彼の話では、美土奴国では、人が毒に冒された場合、様々な虫を使って解毒をするらしい。どの虫をどのように使うのかは、毒の種類によっても違うそうだ」

 アレンは、エドの影響なのか、どうやら東洋の医学や思想に興味を持ち始めているようだった。

 「そうそう、私のところに担ぎ込まれたリディアという娘も、ある種の毒に冒されているようだったので、虫を使って解毒したのだよ。鋸牙草コガソウと呼ばれるイラクサの一種は、葉がのこぎりのような形をした有毒植物で、その葉で皮膚を傷つけてしまうと、そこから毒が入り込み、体液や血液と混ざると強烈な腐臭を発するようになる。恐らく、彼女はランドルの森を彷徨さまよっているときに鋸牙草にやられたのだろう。彼女の脚には、いたるところに切り傷や擦り傷があったからな」

 アレンは笑いながら話したが、ロイにはその笑いの意味が分からなかった。

 「何がおかしいんだい?」

 「いや、気にしないでくれ。ただ、その虫が予想以上に彼女に効いたので、私も驚いているのだよ」

 アレンが笑ったのは、なにか気味の悪い虫でも使ったからなのだろうかと思い、ロイは好奇心で尋ねようとしたが、ある兵士の苦痛に叫ぶ声がそれを遮った。

 ロイは、再び病室の寝台に横たわる兵士に目を向けた。

 脚を負傷し、一時的な止血を施されただけで、寝台に寝かされて治療の順番を待たされていた兵士を、衛生兵が治療室へ運ぼうと担架に移した際、あまりの痛みに耐えかねて兵士が大声を上げたのである。しかし、そんなことは日常茶飯事であるかのように、ロイ以外にその兵士に目を向ける者はなく、皆それぞれが病や怪我に苦しみながら、死を待つだけの人間のように、寝台や床に横たわっているだけだった。

「これまで、これほど多くの兵士が負傷したことはなかったと思うが、食糧を求めてトラキアに侵入しようとするグランダルの兵士たちは、そんなに増えてきているのかい?」

 ロイは、再びアレンにトラキアの今の情勢について尋ねた。

 「ああ。グランダルは、長い間の日照り続きで水不足になっているそうだ。しかも、まれに雨の降る日があったとしても、過剰な放牧により大地は砂漠化してしまっているため、土の保水能力が完全に失われてしまっている。そんな土地では作物も出来ず、グランダルの人々は飢えに苦しんでいる。そのため、クベス王は、食糧確保のために周辺諸国を侵略し始め、略奪を繰り返しているらしい。トラキアは食糧事情が比較的よいため、これまで食糧を安価でグランダルに提供してきたが、それでは間に合わず、グランダルが、かつてトラキアに食糧の無償提供を要求したのはお前も知っての通りだ。しかも、その十年間の無償提供期間が過ぎ、トラキアの一部の重臣たちが、食糧を不当に高い価格で、グランダルの一部の金持ちに売り始めたのを知ったグランダル国は、トラキアにも攻めてくるようになったのだ。初めは飢えた兵士たちが軍を脱走し、トラキアに侵入してくる程度であったが、最近は軍を上げて攻め込んでくるようになった。トラキアは、三方を海に囲まれた半島の崖の上に作られた空中都市なので、グランダルの兵がトラキアに侵入するには崖をよじ登るしかないが、そんな敵兵たちのトラキアへの侵入を防ぐのは、これまでは難しいことではなかった。崖の上から岩を落とすだけで簡単に追い払うことができたからだ。しかし、今は違う。飢えた人間は、食糧を得るためであればどんなことでもするし、ちょっとやそっとでは諦めない。どんなに崖から海に落とされようと、力尽きるまで崖を這い上がろうとする。最近はそんな敵兵の数が増え、さらに、あの手この手を使って崖を登って来るため、トラキアの兵も応戦に苦労しているのだが、飢えた兵士の必死の形相は、東洋でいう餓鬼のようであったとも聞く。彼らは、飢えて死ぬか、トラキアから食料を奪うか、二つに一つの選択肢しかないため、命のある限り攻撃してくる。そんな敵兵を相手にしているため、トラキアの兵にも負傷者が多いのだ」

 「グランダルが周辺諸国を侵略しているというのは、近隣の東洋諸国もなのかい?」

 「そうだな。すでに東洋の幾つかの小国が陥落し、グランダルの手に落ちたらしい。隣国の一つである美土奴国がグランダルに攻め落とされるのも時間の問題かもしれないな」

 「美土奴国もか」

 「ああ。これまで、妖しげな東洋の妖術とランドルの森によって守られていた美土奴国も、グランダルの圧倒的な軍事力をもってすればグランダルの敵ではないため、すでに、美土奴国の商用交易路の関所は、グランダルの手に落ちたそうだ。そして、美土奴国自体も、じきにグランダルの配下に落ちることになるだろう。そうなる前にステイシア姫に古代遺跡から引き揚げて頂いて、写本を持ち帰る近衛兵たちと共に、トラキアに帰国してもらうことになっていたのだが、なぜか今回は帰国なさらなかったのだ」

 ロイは、横たわる負傷兵たちの様子を目の当たりにして、トラキアがすでに戦乱の渦に巻き込まれていることを知り、グランダルの古代遺跡で発掘中のステイシア姫が、ライーザ公妃と同じ末路をたどる可能性が高まっていることを感じた。ステイシア姫が、再びトラキアに食糧の無償提供を要求するための人質となり得るからである。

 「やはり、姫様の身に何かあったのだろうか?」

 「それは分からない。今は近衛兵たちを信じるしかないな」

 アレンはそう言うと、リディアが寝ていた寝台にロイを案内した。しかし、そこには彼女の姿はなかった。

 アレンは、リディアの寝台の横で、床に横たわっていた兵士に尋ねた。

 「この寝台に寝ていた若い娘がいたはずだが」

 「ああ、そこの寝台の娘なら、さっき自分の荷物を持って部屋を出ていったよ」

 そう答えると、兵士は寝台に目をやった。

 「寝台があいたのなら、俺に使わせてくれないかい?俺だって負傷しているというのに、なんであんな娘が寝台に寝て、俺が床に寝なければならないんだ」

 兵士が不平を漏らしたが、アレンは兵士の要求には応えずに、リディアがどこに行ったを知っているかどうかを尋ねた。しかし、兵士は何も知らなかった。

 アレンは、負傷兵の看護を担当している、そばにいた衛生兵たちにも聞いてみたが、誰も彼女がどこに行ったのかを知らなかった。

 すると、先ほどの兵士が再びアレンに言った。

 「勝手にここを出て行ったのだから、もうここには戻らないだろう。なあ、寝台があいたのだから、俺に使わせてくれよ。いいだろう?」

 アレンは、衛生兵二人に声をかけ、その兵士を寝台に寝かせるように指示すると、ロイに視線を向けて呟いた。

 「まだ動けるような体ではないはずなのだが…」

 アレンとロイは、当惑して、そこに立ちつくした。

 彼らにはまだ、これから何が起ころうとしているのかは知る由もなかったが、リディアはすでに次の行動に移っていたのである。

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