第6話 ロイの暗い過去
ロイは、かつてはトラキア軍の将校であったが、まだ若いうちに軍を退役し、その後、貧しい家の子供たちを無償で教育する学舎を、サパタという田舎町で運営していた。
トラキアは、他国に食糧を輸出するほど、食糧事情の比較的よい国であった。かつては
しかし、ランバル大公が亡くなると、大公の政治を親身に支えた重臣たちは、ライーザ=アルフォンヌ公妃に、大公に代わってトラキアの国政を司るように懇願したが、彼女は考古学者であり、彼女には政治を担う能力や経験はなく、
そのことは、ライーザ公妃も、ランバル大公に近かった重臣たちも薄々感づいてはいたが、国の実権を掌握されてしまったため、どうすることも出来なかった。
ライーザ公妃がグランダル王国の古代遺跡で発掘調査を行うのには理由があった。古代遺跡は信じられない程巨大なもので、そこから巨人族の骨と思われるものが見つかったのである。現代文明が栄える前の遥か昔の時代に、この地上にはランドルという巨人族の文明が栄えていたと考えられており、もし巨人族が本当に存在していたのであれば、彼らの命の糧となる巨大な作物も存在していたはずである。生物・生態学者のムーロン博士によれば、植物の種子は、保存状態が良ければ何千年もの間生き続けることが可能であり、もしその作物の種子が見つかれば、その種子から育てた巨大な作物から大量に食糧を得ることが出来、飢えに苦しむ人々を救えるかもしれないと考えたのである。
ライーザ公妃は、グランダルでの発掘調査のためにトラキア公国を不在にすることが多く、一部の重臣たちに国の実権を握られてからは、トラキアは、かつてのランバル大公が掲げた「すべての国民が飢えることなく平和に暮らせる国家」という理想からはかけ離れ、富む者と富まざる者との格差が一段と激しくなっていった。土地を持つことの出来ない貧しい庶民たちは、トラキアの山岳地帯の北西側の斜面にある、日の光の乏しい地域の土地を地主から借り入れて農業を行い、何とか生計を立てて、生きていくだけで精一杯の生活を送っていた。
ロイが運営する学舎も、その地域にあるサパタの町で安い土地を借り入れて設立された。その学舎は、ライーザ公妃が亡くなった後に設立したものであったが、当時はまだ若かったステイシア姫が、重臣たちの反対にも屈せずに、姫としての権限を使って国からの特別支援費を受け取れるように取り計らってくれたために設立できたのである。
ロイは、公族の護衛を任された
しかし、ロイには、ステイシア姫に負い目を感じ続けていることがあった。
もう二十年以上も前のことであるが、遺跡の発掘調査中にライーザ公妃が、グランダルのクベス王の軍にさらわれてしまったのである。跡継ぎとなる息子を欲していたクベス王は、複数の選りすぐった美女を妻に
軍人であるロイがクベス王によって処刑されることを恐れたライーザ公妃は、向こう十年間のトラキアからの食糧の無償提供を約束する代わりに、ロイを解放するようクベス王と取引をおこなった。そのおかげで助かったロイであったが、トラキアに帰国すると、近衛師団の師団長としての責任を追及され、軍を除隊させられてしまった。
さらわれたライーザ公妃は、数年の間にクベス王との子を三人もうけたが、いずれの赤子も女児であった。
それからさらに七年が過ぎた頃、クベス王がライーザ公妃を殺害したという噂が聞こえ伝わってきた。詳しいことは分からなかったが、そんな危険な国で、ライーザ公妃の意志を継いで古代遺跡の調査を続けているステイシア姫の護衛を行うことも許されず、ロイは己の無力さを呪い、酒に溺れ、荒れた生活を送るようになっていった。そんな日々が何年もの間続いた。
そんなロイを救ってくれたのが、本来であればロイが護らなければならないステイシア姫であった。
ステイシア姫は、遺跡で発見した、古代のランドル語と思われる文字で書かれた巨大な石板を写本しては、自国の考古学者や言語学者などに調査を依頼するために、年に一、二度トラキアに帰国していたが、その際、ロイが
サパタには、多くの貧しい農民が暮らしている。その農民の子供たちは、貧しさゆえに生きるために過酷な労働を強いられている。大変な思いをして育てた作物も、そのほとんどは地主に地代として持って行かれ、残ったわずかな作物で生計を立てなければならない。親を失って途方に暮れている子供たちもいる。そんな子供たちを何とか救ってほしい、とロイに持ちかけたのである。いや、救うのではない。全ての子供たちがトラキアの未来を担うことになるのであり、彼らがトラキアを救う救世主になるのである。かつてランバル大公が掲げた「すべての国民が飢えることなく平和に暮らせる国家」という理想を実現するための力を、子供たちに授けてほしいとの心からの願いを、彼女はロイに伝えた。
ロイは、ステイシア姫の話を上の空で聞いていたが、今は軍に所属していないとはいえ、トラキア
しかし、ステイシア姫は、そんなロイを見捨てはしなかった。今度は、ロイの親友であるエドという人物に会い、事情を話し、サパタで土地を借り入れ、学舎を開く準備を進めてもらい、実際に学舎を開校させてしまったのである。そしてエドは、ロイを無理やりサパタに連れていき、そこに置き去りにして去ってしまった。
学舎を開校してからしばらくの間は、ロイは、ステイシア姫とエドの援助を受けながら、仕方なく生徒を
しかし、ある日、切れた酒を買いに酒場に向かう途中で、ロイはティナの家族と出会い、彼の人生が変わった。
ティナがまだ生まれる前のことである。ティナの母親のノーラは、今は亡きティナの姉のニーナにも手伝わせながら畑仕事に精を出していたが、そこへ地主がやってきて、地代の支払い要求を始めた。ノーラは、夫が過労で倒れて寝込んでしまい、働き手が減ったため、地代が払えずに困っていたが、地主は支払いの延期は認めず、払えないのであれば、この土地から立ち去れと怒声を上げた。
ノーラと別れたロイは、再び酒場に向かって歩き出したが、周辺に広がる畑に何気なく目を向けると、そこで働く人々には生気が感じられず、ただひたすら生きるためにのみ働いているように見えた。
ロイは、自分が目にした光景に驚いた。
これまで、
その畑での出来事以来ロイは、貧しい家の子供たちを積極的に預かって、開いた学舎で無償教育を提供するようになっていった。無償で提供するといっても、学舎の運営には資金が必要である。ステイシア姫の好意による特別支援費だけではとうてい足りず、ロイは自分の蓄えも切り崩して学舎の運営を続けたが、やがて蓄えも底を付くのが目に見えるようになると、運営を続けるための方法を模索しなければならなくなった。
そして、ロイが継続的に学舎を運営する方法として考えたのが、生徒との契約であった。ロイは、子供たちに無償で学ぶ機会を提供する代わりに、学舎を卒業して働くようになり、自立して生活が出来るようになって、生活に余裕が出た者には、他の子供たちへの教育の機会を支援するための資金提供を義務付けたのである。もちろん、生活に余裕のない者からは一銭も提供してもらうことはなかった。
それから数年が経ち、学舎の運営が軌道に乗るようになると、ステイシア姫の計らいにより、公立図書館の蔵書を子供たちが自由に借りられるようになった。そして、ロイは、子供たちには基本的な読み書きだけを教え、後は子供たちが自分の興味のあることを、自由に学べるような仕組みを作っていった。たとえば、本で学びたい子供には本を、より多くの作物を作って親の収入を増やすために、作物の作付け実験をしたいという子供には、安価な畑を借りて自由に使えるようにした。また、泥宝を作ってお金を稼ぎたいという子供には、色々な種類の土を与え、様々な色の泥宝を作れるようにもしていったのである。
ティナが生まれてから間もなく、夫と娘のニーナを失ったノーラは、しばらくはティナを背負いながら独りで畑仕事を行っていたが、そんな状況を見かねたロイが、ティナを学舎で預かるようになった。そして、学舎の子供たちと触れ合うことにより、様々なことを吸収していったティナは、最近になって泥宝に興味を示すようになり、ロイから異なるいくつかの色の土をもらって泥宝を作っていた。ティナは、すぐに作り方を覚えてしまい、今では他の子供たちよりも上手に泥宝を作れるようになっていた。そんなティナの作った泥宝をロイが町の市場に出してみたところ、その泥宝をとても気に入ったという人が現れ、今日、それが売れたのである。
学舎の中でも一番幼いティナまでもが自立して生活できるようになる
しかし、突然ハルトが学舎にやってきて、ステイシア姫がグランダル国から予定通りに帰国せず、代わりにグランダルの服を着たリディアと名乗る若い娘を、負傷した近衛兵たちが連れ帰ってきたという。
しかも、その娘がライーザ公妃の実の娘で、ステイシア姫にとっては異父の妹だというのである。その娘が、グランダルのクベス王に命を狙われている。グランダル国は、ライーザ公妃を殺害した国であり、そのライーザ公妃の娘の命までをも奪おうとしている。このことがトラキア国民の耳に入れば、国民のグランダルへの憎しみの感情は倍増するに違いない。そして、グランダルの国民が旱魃と飢えに苦しむ中、トラキアの一部の重臣たちがグランダルの一部の金持ちたちにのみ食料を売りつけて私腹を肥やしていることに対してグランダル国民の反感を買っているのである。対応を誤れば、両国間での戦争を引き起こしかねない事態である。もし戦争が勃発すれば、グランダル国の古代遺跡で発掘調査中のステイシア姫の身に危険が及ぶ可能性がある。
ライーザ公妃を護りきれなかった責任を取らされて除隊した以上、トラキア軍へ復隊することなど無理なことではあったが、戦争が勃発する前に独りででもグランダルに向かい、ステイシア姫を救出してさしあげなければという、恩義と強い使命感から、アレンから出来るだけ多くの情報を得ておかなければとロイは考え始めていた。
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