トラキアの国内事情

第4話 アマラ・アムレット

 トラキア公国は、初夏になると、隣国の美土奴ミドーヌ国から雷燕ライエンという名の鳥が飛来する。トラキアではフリージアと呼ばれているつばめの一種である。燕といっても、全身の白い鳥で、隣国の美土奴国とトラキア公国の間を隔てるランドルの森を越えてトラキアにやってくるのである。

 トラキアは、空中都市とも呼ばれ、三方を海に囲まれた断崖絶壁の半島の上に築かれた公国である。山岳地帯であるトラキアは、夏はとても涼しく、フリージアは、涼しい場所を求めて飛来する。そして秋になると、暖流の影響で比較的暖かくなる美土奴国に帰っていくのである。

 フリージアは、飛行速度が速く、とても警戒心が強い鳥のため、これまで誰にも捕獲されたことがなかった。そのため、生きたまま捕獲すれば、信じられない程の高値で売ることが出来ると考えられていた。トラキアでは、これまでに何人もの人間が、フリージアを捕獲しようと試みたが、全て失敗に終わっていた。

 フリージアを捕まえて町の市場で高く売りたいと考えるのは、トラキアの首都から離れたサパタという貧しい田舎町に住む子供たちも同じであった。自然豊かな田舎町に静かに流れる小川で、それとは対照的に騒がしい声を上げながら、生きる糧としての魚を捕まえようと、網で追いかけ回したり、木の枝の先端をとがらせて作った簡単なもりを投げたりしている子供たちも、近くをフリージアが飛んでいるのを見つけると、魚の捕獲を止めてフリージアを追いかけ、木の枝にまったフリージアに石を投げたりして捕まえようとするのである。

 そんな子供たちの中で、一人で地べたに座って黙々と泥を手でねている幼い女の子がいた。泥は、両手の中で何度も転がしていると、しだいにきれいな丸い玉になっていく。その後、時間をかけて布切れで磨いていくと表面がつるつるになって光沢を帯びるようになるのである。そのようにして出来た泥の玉は、泥宝でいほうと呼ばれていた。それは、トラキア公国の中流階級の庶民の間で流行し始めた宝玉ほうぎょくの一種で、装飾品としての置物である。本物の宝玉は高価で庶民にはとても買うことは出来ないが、泥で作った泥宝でいほうはとても安価で、しかも本物の宝玉に見た目がそっくりだったため、生活に多少余裕のある庶民の間で爆発的に流行し始めたのである。

 その幼い女の子も、泥宝の美しさに魅せられて、一生懸命に泥を捏ねて泥宝を作っていた。

 するとそこへ、ロイという男が、馬を馳せて喜び勇んでやってきた。

 「やったぞ!ティナ」

 何か良い知らせがあるかのように、ロイの声ははずんでいた。しかし、ティナは、ロイの呼びかけが聞こえなかったのか、ひたすら泥をこね続けていた。

 ロイは、馬を下り、ふところから数枚の銅貨を取り出した。

 「ティナ、喜んでおくれ。ティナの作った泥宝でいほうが今日町の市場で売れたんだよ」

 ティナはようやく顔を上げてロイの方に視線を移したが、ロイが右手で持っていた銅貨を目にすると、急に表情をゆがめ、何かを恐れるように声を震わせながら呟いた。

 「アト、嫌い。アト、嫌い」

 ロイは、ティナが何を言っているのか分からなかったが、優しい口調で続けた。

 「これで、学舎の子供たちやティナの母親にも栄養のあるものを食べさせてあげられるね」

 ティナはまだ五歳であったが、すでに父親は他界し、母親は、主な働き手の夫を失ってからというもの、十分に食べる物も取れずに無理をして働き続けたことがたたり、そして長女のニーナを病気で失った悲しみから、床に伏すようになってしまっていた。その時以来、学舎で教師をしているロイが、まだ幼い次女のティナを日中だけ預かるようになり、面倒を見ているのである。


 しかし、ティナはロイの期待とは裏腹に、銅貨には全く興味を示さず、むしろ拒否反応さえ示し、立ち上がって手の中の泥を放り出し、ロイから遠ざかるように小走りに走り出した。すると、そこへロイの学舎の卒業生の一人であるハルトが馬に乗ってやってきた。

 ハルトはまだ十歳だったが、すでに宝石細工見習いとして、トラキア公室お抱えの宝石細工職人であるセルカ爺さんの下で働いていた。ハルトは、ロイの学舎の生徒であったときから宝石細工に興味を示し、手先が器用だったハルトは、様々な石を見つけてきては、それを綺麗に加工し、大人の目から見るとまだ粗さはあったが、他の子供たちが驚くほどの宝石を作り、にわか宝石細工職人として自慢気にそれを学舎のあちこちに飾っていた。そんなハルトの器用さに、時々ロイの学舎を訪れていたセルカ爺さんが興味を示すようになり、学舎を卒業した後、ハルトはセルカ爺さんの下で働くようになったのである。

 脇に本を抱えてやって来たハルトの姿を見つけたティナは、ハルトが来るのを待ちわびていたかのように嬉しそうな笑みを浮かべて、ハルトのほうに駆け寄って行った。いつも親切に面倒を見てくれる大好きなハルトが来てくれて、ティナは大喜びだった。

 「それ、絵本でしょ?見せて、見せて」

 ティナは今まで泥宝を作っていたのを忘れて、泥で汚れた手のままハルトが持っている本をつかみ取ろうと両手を上げながら、馬上のハルトに向かって何度もとび跳ねた。

 「駄目だよ、ティナ。そんな汚い手で触らないでおくれ」

 ハルトは、公立図書館から借りてきた本が汚されてはかなわないと思い、抱えていた本をすぐに反対側の手に持ち替えた。

 「今日はロイに大事な話があって来たんだから、今は一緒に本を読んではあげられないんだ。ごめんよ。この本は、後で学舎に置いておくから、手を洗ってから見るんだよ」

 ハルトがそう言うと、ティナは素直にうなずいて、手を洗えそうな場所を探して走って行った。

 公立図書館は、サパタから歩いて行くには遠すぎるため、学舎の子供たちが図書館に行くことは出来なかったが、ハルトが宝石細工職人の見習いとして稼げるようになり、馬すら所有できるようになっていたため、他の子供たちのために、時々、公立図書館から本を借りて持ってきてくれるのである。しかし、今日は、いつもとは様子が違うようだった。

 「ハルト、今日はどうしたんだい?」

 ロイは、予期せぬ訪問者に驚いて尋ねた。ハルトが仕事を放りだしてロイの学舎に来るなんてことは今までにないことだったからである。

 「ロイ、大変なことが起きたんだよ」

 ハルトは、いつになく真剣な顔だった。

 「どうしたんだい?今日はセルカ爺さんと一緒に働く日だったんじゃないのかい?」

 「それどころじゃないんだよ」

 ハルトは、ロイの質問には答えずに、何をどう話したらよいのか考えているようだった。

 トラキア城の宝石加工工房でセルカ爺さんと一緒に働くハルトが突然やって来て、慌てた様子で何かを話そうとしていたので、ロイはトラキア城で何かあったのではないかと思った。今日はティナの作った泥宝が売れたこともあり、もしかすると良い話が続くのかもしれないとも感じた。

 「ハルト、慌てずに落ち着いて話してみなさい」

 ハルトは頷き、一呼吸おいてから話し始めた。

 「今日はいつものように、トラキア城の工房でセルカ爺さんの弟子たちと一緒に、宝石の加工の仕方を教わることになっていたんだ。でも今日は特別な日で、セルカ爺さんが後継者と認める者にしか教えないと決めていた、ある特殊な加工技術を教えてくれるというんだよ。俺は、いつもよりも何時間も早く工房に行って、わくわくしながら工房の掃除をしてセルカ爺さんが来るのを待っていたんだ」

 「すごいじゃないか、ハルト!それは、セルカ爺さんにハルトが後継者候補の一人だって認めてもらえったってことだろ?」

 ロイは、当の本人よりも興奮し始めた。自分の学舎の卒業生が、トラキア城で働いているだけでなく、将来、トラキア公室お抱えの宝石細工職人になるかもしれないことを知って、自分のことのように嬉しくなったのである。

 「今日はそんなことを話すために、ここまで馬を走らせてきたんじゃないよ」

 ハルトは、ロイの興奮を覚ますような口調で言った。

 「俺がセルカ爺さんの後継者になれるかなんてまだ分からないよ。多分、爺さんはもう歳なので、いつ亡くなっても困らないように、何人かの弟子に技術を伝承しておこうと思っただけなんだと思うよ。その弟子たちのうちの一番優れた腕を持つ人しか後継者にはなれないんだから」

 「そうだとしても、すごいことだよ、ハルト。その何人かの弟子の一人がハルトなんだから」

 ロイは、あまり嬉しそうな顔をしていないハルトを励まそうと、明るい声で言った。

 「そんなことより、今日はもっと重要な話があって来たんだ」

 「もっと重要なこと?」

 ロイは、不思議に思った。ハルトがセルカ爺さんの後継者になれるかどうかの話以上に、ハルトにとって重要なことなんてあるのだろうかと、頭の中で色々と考えを巡らした。

 すると、ハルトが話を続けた。

 「城の工房でセルカ爺さんが来るのを待っていると、今日はなんだか城の様子がおかしかったんだよ」

 「様子がおかしい?どんな風にだい?」

 「なんだか外が騒がしかったので、窓の外を覗いてみると、城門が開いて、騎馬隊の兵士たちが馬に乗って入って来たんだよ」

 「それで?」

 「そこへ、軍医のアレンが急いで駆け付けたんだ。今日も食糧を求める飢えたグランダルの兵士が船で海を渡り、海岸から崖を登ってトラキアに侵入したと聞いていたので、応戦したトラキア兵が負傷でもしたのかなと思って見ていると、彼らは、ひどく負傷した近衛兵たちだったんだ。どうやら、グランダル王国で発掘調査をしているステイシア姫の護衛を任された近衛兵の一部が帰国したようだったんだけれど、そこには姫様はいなかったんだ。馬に乗せられていたのは、姫様ではなく、グランダル国の民族服のような服を着た見知らぬ女だったんだよ」

 「グランダルの女が馬に?」

 「ああ。見たところ、十七、八くらいの歳の女だったと思う。その女は、何かに切り刻まれたようなぼろぼろの服を着ていて、衰弱したような様子で気を失っているみたいだったんだけれど、アレンが急いで何人かに指示して城の中に運びこんだんだ」

 「アレンがわざわざ城門にまで駆けつけて、急いでその女を城内に運び込んだというのかい?その女というのは何者だったんだい?」

 「分からない。でも、セルカ爺さんが軍に呼び出されたので、後で爺さんに聞いたことなんだけれど、その女はアマラ・アムレットを首にさげていたらしいんだよ」

 「アマラ・アムレット?」

 「ロイも知っているだろ?」

 「ああ、トラキア公家こうけの者しか身につけることの出来ない、クラーグ・ストーンで作られた宝石が埋め込まれた首飾りのことだろう?」

 「そうさ。そのクラーグ・ストーンは、すでに絶滅したと言われている水母くらげの一種のアマラ・クラーグの死骸が石化したものなんだけれど、そのクラーグ・ストーンは世界で最も硬い物質と言われていて、クラーグ・ストーンはクラーグ・ストーンを使わないと加工できないんだよ。そんなクラーグ・ストーンの内部に、トラキア公家の家紋を彫り入れるなんていう技術は、これまで一部の宝石細工たちのみの間で秘匿とされていて、今じゃセルカ爺さんしかその方法を知らないんだ。しかも、アマラ・アムレットは、トラキアのランバル=アルフォンヌ大公とライーザ=アルフォンヌ公妃、そして娘のステイシア姫しか持っていないはずだったんだ。大公と公妃はもう死んでしまったから、現在アマラ・アムレットを持っているのはステイシア姫しかいないはず」

 ハルトの話をそこまで聞くと、ロイが口をはさんだ

 「だとしたら、そのアマラ・アムレットは、偽物だったんじゃないのかい?」

 「それが、本物だったんだよ。セルカ爺さんが呼ばれて、そのアマラ・アムレットに埋め込まれたクラーグ・ストーンの宝石が本物かどうかを鑑定したんだけど、それは本物で、その首飾りは、トラキア公家こうけの者であることを示す正真正銘のアマラ・アムレットだったんだよ」

 ロイがハルトの話をまだよく理解できずに考えこんでいると、「姫様は、数日前にはグランダルからトラキアに戻る予定だったんだろ?」と、少しじれったそうにハルトが続けた。「城内では半年ぶりに姫様が戻るとあって、みんな楽しみにしていたのに、姫様の護衛をしていた近衛兵が帰国したのは予定していた日よりも数日も遅く、しかも、負傷した近衛兵たちが連れて帰ってきたのは姫様ではなく、グランダルの服を着た女だったんだよ。だから、もしやと思って、ここまで馬を飛ばしてすっとんで来たのさ」

 「なるほど、そういうことか」

 最後のハルトの説明を聞いて、ようやくハルトの話を理解したロイは、ハルトに礼を言うと、ティナの面倒を頼むと言い残し、何が起こったのかを把握しようと、馬を走らせて急いでトラキア城へと向かった。

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