PASSION&PAIN -4-

彼女は人殺しと呼ばれていた。

肩まで伸びてる艶のある黒い髪は、丸みを帯びていて綺麗に整えられていて、柑橘の果物と薬品が混じったような不思議な匂いが香った。

水を差し出してくれた時はオドオドしていて虫も殺せないような気弱な姿だったが、教室の隅で本を読んでいてる時は凛々しく気高いゆりの花のように堂々としていた。


彼女がなぜ人殺しと呼ばれているのかは分からない。クラスの奴らは彼女に話しかける様子もなく、教師すらも彼女の分の進路希望調査のプリントを用意しておらず、そこに存在しない生徒のように扱っている。


それでも少しだけ彼女のことを聞き出せた。きっかけはシンプルで授業中にペンを落としてしまい拾おうと手を伸ばした時に手と手が触れ合った。

焦りと恥ずかしさで何と言ったか忘れてしまったが、しどろもどろに感謝を述べた。その言葉を受けて彼女は優しく微笑んでくれた。

彼女はなぜ僕に優しくしてくれるのだろう。病気のことを知らないはずなのに欲しかった水を差し出してくれた。何か知っているのだろうか。

恥ずかしさを好奇心で押さえ込み、彼女に話しかけてみる。

「あの、名前、、なんていうの?」

「・・・あかり。」

柔らかくて優しい声で応じてくれる。

予想以上に可愛い声。

どうして人殺しと呼ばれているのか、なぜクラスの奴らがそんな扱いをするのか、僕が水が欲しがっていたのが分かっていたのか、聞きたい事は山程あった。それでも勇気を振り絞れず、何も言えず黙ってしまった。


「引き金、引かないでね。」

言われた刹那、記憶の奥底に照らされるストロボ、夢の中で視た姿形、聴こえた声、初めて会った時に感じた懐かしさ、差し出された優しさ。ぼんやりとした何かが少しづつ晴れていく。


どこかで、と言いかけたが貰った水で飲み込んでしまった。


彼女は何か知っている、病気のことも、意味が分からず握っていた銃のことも。彼女がなぜ人殺しと呼ばれる理由も繋がっているのかもしれない。だとしたら彼女は一体何者なんだろう。

自分のことより彼女の底の知れない秘密に夢中になっていた。


初日の学校生活が終わりを迎えた。帰り支度をしている時に床に落ちているガラス片に目に入った。

彼女に会った時に僕の左腕から零れ落ちたガラス片だ。手に取ってみると歪な形に割れていて自分の血が付いている。

それをじっくり眺めていると、漫画の主人公みたいでカッコいいなと金髪の男に絡まれた。

ガラスを拳の中に隠して、笑い声を背中越しに感じながら素早く教室を出て行く。



帰り道のプラットホームで彼女を見かけた。教室にいる時と同じでサリンジャーの短編小説を読んでいた。施設を出ていく時に貰った本と同じ作者だ。

サリンジャーの話題を持ちかけて話してみようと思ったが、今は彼女に取って特別な時間だから邪魔するのは悪いと一方的な理由をこじつけて遠くから眺めていた。

彼女が本を読んでいる時は一人なのに寂しさを感じない。身体は小さく華奢なのに不思議な力強さはスマホのカメラに収めたくなる程だが、やって良い事とはいけない事の分別はつく。

代わりに握りしめていたガラス片を彼女に映してみた。綺麗なガラスで透かせばそのままを映し出すが、血で塗られたガラス越しに映る景色は淡い透明な世界に反射する僕と彼女映し出す。


誰もが見下していた。母親の事になれば気の毒だと言われ、紺色の身分証を提示すれば同情の笑顔を見せられ、クラスメイトからは理解や憐憫もなくただ嘲笑された。そいつらに向かって中指を立てる勇気も無く、親指を立てた自分の惨めさは目に見えない心の傷まで染みた。与えられた巣から旅立ち、居場所を求めて歩き始めたが、誰にも理解されず傷を負い、それでも進んでいかなければならない。向かう場所が分からず、果てがない、先が視えない汚れた血の先、明かりが灯った。

クソッタレな世の中に初めて礼を言いたくなった。生きていてよかったと初めて思った。

僕が映っているガラス面は血で汚れているが、彼女を映しているガラスは綺麗なままだ。

そう気づいた時、左腕が重くなった。


二人の血が混ざり合えばこのガラスは綺麗な世界を映すだろう。

俺らだけが存在する。例え世界が終わったとしても俺らだけがこの世界に残る。

鉄の塊を彼女に向ける、撃鉄を起こし、人差し指を引き金にかける。

彼女は今日、俺に何かを言ってくれた。忘れてしまった。

手の甲に熱が走る、大事な事だ、とても大事な事。もう少しで思い出せそうなのに。



手の甲にガラスを突き刺し、定位置に戻った。ニトロケースから薬を取り出し、彼女から貰った水を飲み干してベンチに腰掛けて息を整える。

涙と鼻水でむせ返り呼吸がうまくいかない。周りの人の視線集まってくる。

彼女だけには見られたない、気づいて欲しくない。僕が何をしようとしていたのか知られたくない。

異変を察した駅員が声を大丈夫ですかと掛けてきた。首を縦に振って答えるが、駅員は側から離れない。

立てますか?休める所に移動しましょうと駅員に抱えられ何処かに連れて行かれた。

後ろ振り返ると彼女の姿は見えなかった。



気がつくとベットで眠っていた。駅員が特別に仮眠室を貸してくれて、手の甲に包帯が巻かれていた。「困った事があったら頼ってくださいね」と言われ、お辞儀をして、プラットホームに向う。辺りはすっかり暗くなっていて、仕事や学校を終えた人たちだけでなく、酔っ払いやこれから仕事に向かう夜職の格好した人達もいる。

その群衆の中から身体のラインがはっきり見えるワンピースを着た女に目が行った。

母親もあのような格好をして夜遅くに出かけていた。次の日の朝方に帰ってくることもあればしばらく家に帰ってこない事もあった。決まって酒に酔っていて機嫌が悪く、服を脱がされ、腕をだせと刃物で迫ってきた。拒否したら傷を増やされるだけなので最小限に済むように黙って差し出す。右腕と左腕に一本の線刻まれる。母親はその時は涙を流していた。許してほしいと語りかけているみたいで、僕は泣いている母親の顔が嫌いだった。どうせなら笑って欲しかった。僕から目を背けて欲しくなかった。

あの女に子供はいるのだろうか、どうせロクな女じゃないだろうなと鼻で笑い、見えないように中指を向けてやった。



帰り道に明日授業で使う辞書を受け取りに本屋に立ち寄ってみたが閉まっていた。営業時間に行ったら学校に間に合わない。

こういう時どうすればよいのか、嘘を言って誤魔化せばいいのだろうか。小学生のころ教科書を忘れた時は確か隣の人に見せて貰っていた。話しかけるのは苦手だが明日思い切って彼女に借りてみよう。もしかしたら、サリンジャーの話もできるかもしれない。


家に帰り、進路希望調査を考えるためにカバンを開けると、彼女から貰った空のペットボトルが出てきた。明日は捨てれる日だが机の上に置いて、自分の進路について考えてみたが、彼女のことが頭から離れない。

彼女の分のプリントは配っていなかったが、彼女はなんて書くのだろうか。人殺しと呼ばれる彼女はどんな道が選べるのか。

いや、自分の進路すら無い奴が彼女の進路に口出しできる訳が無い、僕はまだ彼女の名前しか知らないんだ。

結局まともに考えれず「自由」と書き殴って、飯や風呂も済ませてないが、終えてしまった方が楽になると思い眠ることにした。


ガラス片を天井に透かして見てみる。手の甲に突き刺したのに片面しか血で汚れていなかった。少しだけ嬉しかったが、いっそ両面汚れていた方が救われたかもしれない。

照明を全て消す、ガラス片は見えず暗闇しか見えない。だが、二人を映したガラスを確かに手に持っている。尖ったところに手で触れれば痛みがあり、血で固まったところに触れると片面に映る彼女の顔が浮かんでくる。一人のはずなのに彼女の手と手が触れているみたいで暖かい。

恥ずかしくて離してしまったが、もし手を取り会えることが出来たら幸せだな。

今日だけはいい夢を見れるかもしれない、淡い期待を抱いて目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Starman ‐バラッドを僕らに‐ SINN @THAAHACKLEBEXXY

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ