PASSION&PAIN -3-
3.Licht
ナハトは教師の話に相槌を打つわけでもなく、自分の左腕を眺め、時折下から睨むように教師の顔を見た。
若い教師は口角をあげ、白い歯と血色のいい歯茎が見える笑顔をこちらに向けている。しかし、目尻に必要以上に力を入れているのか眉がたまに上に動いている。何かを押しつぶすように笑っているみたいだ。
テーブルにはプリントが積まれている。ナハトの目線が積まれている進路希望調査と書かれたプリントに変わると、あぁ、そのプリントはクラスのみんなに配る予定だからナハトくんにも提出してもらうからね。若い教師はナハトとの対話を試みようと会話の糸口を必死に探している。
進路、近い未来。僕はどうなっているのだろう。
普通だったら大学に進学したり専門学校に通ったり就職する人もいる。
今回みたいに支援金が援助されれば大学にも進学できるが就職が条件となる。だが病気の事を考えると進学や就職も難しい。
施設長と校長を交えた面談があった時は自分のような困った人達を救うために進学したいとそれらしい事を言ったら、校長は君のような志のある者が生徒として受け入れられる事を嬉しく思っている。と調子良く迎えられたが、本当の事は分からない。きっと僕のような紺色の手帳を持った人が卒業した実績が欲しいとかそんな理由だろう。
オトナの道具として利用されたとかそんな事はどうでもよかった。学校に通うことができればそれでよかった。
自分のような人間が生きていく道、それはあの巣の中では見つからなかった。進学や就職みたいな模範的な答えではない、その答え方からはみ出した生きてく理由が欲しい。
若い教師は息を吐いた。自分の中で考え込み過ぎていた。施設育ち、毒親、病気持ち、経歴を見れば誰だってこんな生徒を受け持ちたくない。気の毒に思い教室はどこですかと思いついた事を聞くと、若い教師は卒業するまで口聴いてくれないかと思ったよと少し気が緩んだ顔を見せてくれた。
今日はとりあえず皆の前で自己紹介してもらうからと説明を受けながら若い教師の後をついて行く。教室に向かう途中もナハトは左腕を気にしていた。今朝風呂場のガラスを殴った左腕だ。手の甲に目に見えない無数のガラス片がくい込んでいるような異物感と痛みが残っている。
2-Aと掲げられた教室に着き、久しぶりに教室に入った。
教室に入ると30人近いクラスメイトがいた。クラスは賑やかで殆ど席から離れて複数人で固まっていて教科書やノート以外にもマンガやゲーム機を持ち寄って話してる人もいれば、誰とも交わらず一人で本を読んでいる女の子もいた。その中でも人の顔を見てニヤニヤしてる金髪の奴が一番目についた。そいつを見ると片親だとか汚い腕とか散々な事を言って来た奴らの事を思い出す。
若い教師は席に着けと指示するが全員直ぐには座らずダラダラ動き始めた。全員が座っても空いている席が一つある、きっとあそこが自分の席なんだろう。
えー昨日も言った通りこのクラスに転校生が来てくれました、それではナハトくん自己紹介をどうぞ。雑なテレビ番組の司会者みたいでクラスから笑い声があがる。
ナンブ…ナハトです…。
笑い声は静けさにに変わった。どうしても続きの言葉が出てこない。どこに視線を合わせればいいか分からず教壇の隅を見つめた。
最初に金髪の生徒が声小っちぇよと笑い声をあげた。からのー?と金髪の周りに居た女子から変化を求められ、スカしてんじゃねーよと好き勝手な野次が次々に飛んできた。
何も言えない、何も出来ない恥ずかしさとしらけた空気が混じりあって身体に発火した。最初に脇から汗が滲み、頭から足に下るように熱が流れてくた。喉も渇き始めた、水が欲しい。
視界もぼんやり透明に近づき手足にも力が入らなくなり、教壇に寄り掛かってなんとか立っている。呼吸は深く、荒くなってきた。
なぜ僕だけがこんな苦しい思いをしなければいけないのだろう。
誰だ。俺を馬鹿にしたのは。
突然、左腕が重くなる、手元を確認すると銃を握っていた。今朝風呂場で持っていた銃と同じ形だ。
視界は透明から黒ずんでいる景色に変わっている。血液が身体中に駆け巡り手足の熱はさらに熱くなったが震えが止まった。脳内は冷静に、正常に、この状況を理解し始めた。
シリンダーを確認すると弾は5発入っている。先ずは笑った金髪の男、その次は笑った女。その次は笑って誤魔化している教師、順番を決めていく。
撃鉄を起こし、最初の金髪の男に銃口を向けた。
「やめて!」
いつか夢で聴いた声が黒ずんだ視界にあかりを灯した。
人差し指と親指を金髪の奴に向けていた。目を点にしてクラスの誰もが指先を見つめている。
その視線を受けて我に返った。冷たい汗を噴きだし、差し出した指は再び震え始めた。
穏便に治めるためにどうすればいいか分からないが取り敢えず人差し指だけおろしてみた。偶然にもサムズアップと同じになったのでヨロシクと小さな声で添えたが笑い声もあがらない。
あ、じゃ…あの、空いてる席に座ってください。若い教師が沈黙を破りナハトはゆっくりと席に向かい始めると、教室の様々な場所から小さな声が聞こえ始めた。
人殺しの隣じゃん、クラスメイトの誰かが囁いていた。
小さな声は耳元にハッキリ聴こえた。左腕の痛みが感じず聞き違いなのかいつもの幻聴なのか判断できない。
隣の席の子はクラスの輪から外れて一人で本読んでいた女の子だった。少し長めの黒髪ショートヘアで、制服越しで見ても分かるくらい華奢な身体でとても人殺しには見えないとても穏やかで、静かな目をしていた。その静かさは不気味さやミステリアスといった表現では表せない、率直に綺麗な顔だ。檸檬やライム等の果物を薬品と混ざったような不思議な匂いも感じる。
女の子は席から立ち上がり「あの…これ…。」と小さな声でペットボトルの水を差しだされた。
何かが落ちる音がした。足元を見ると刺さっていた無数のガラス片が左腕から零れ落ちていた。
散らばった無数のガラスは血で縁取られ、隣の席の女の子とナハトだけを映した。
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