PASSION&PAIN -2-

2.独白


吐しゃ物で汚れた身体をシャワーで洗い流していた。

水を飲むのも浴びるのも好きではないが、このまま行くと無様な姿を初登校で晒すことになるので否応なしにシャワーを浴びていた。


鏡には醜悪な身体が映っている、この醜さと付き合い始めて十年目になる。

他人の皮膚を移植すれば傷一つない身体に生まれ変われると何回思っただろう。

それでも、見た目だけが変わっただけで、刻まれたこの傷は癒える事は無いんだ。意味が無い。

そんな禅問答じみた言葉遊びを今まで何十回も繰り返した、母親が違うならこんな事にならなかったと何百回も怨んできた。何千回もここから抜け出したいと願った。


怒るたび、悲しむたびに、感情が変化する度に、視界が変わってきた。

やがて、いつも見る夢のように透明に景色が近づいてくる。喉が水を求めて渇きを訴えてきた。


花が根から水を吸い上げ成長するように、枯れた花みたいな汚い色の傷1つ1つがシャワーの水圧を吸い上げ、痛みとなって身体に染み渡る。

この時、痛みを感じる度に心地よく、シャワーの水を飲むたび喉の渇きが潤い多幸感に包まれた。



俺は生まれ変わった、これで普通に生きる事ができる!

この無数の傷達は全て水が洗い流してくれる…はずだった。

しかし、浴槽の鏡には身体の傷が映っている。

どうして落ちていない?痛みは感じないのに、水だって飲んだらしっかり潤った。俺は正常なんだ!


「なにをしている」

声をかけられた。いつか聴いた事があるような暖かい声。しかしこれは妄想だ。

違う、現実だ。しっかりとこの耳に聴こえた。


「お前は一体誰なんだい?」


俺は僕だ。


僕じゃない俺、いや、誰かが話しかけてきやがった。こいつは俺をたぶらかす幻想だ。俺の敵だ。敵ならば仕留めなければ。

手に重みを感じる、見てみると銃を握っていた。種類など詳しい事は分からないが、それを銃だと認識した。

銃弾は6発、まず両足を止める為に2発、周りの雑魚を蹴散らす為に3発。

そして、最後の1発をぶち込むために銃口を敵に向ける、そこに映るのは傷だらけの俺の姿だった。




鏡に映る自分に向かって思い切り殴った。ガラス破片が拳に喰いこみ血がゆっくり手の甲から溢れる。

シャワーの水圧が身体中の傷に染み渡り始めた。痛みは僕を定位置に導いてくれた。 


銃なんか何処にもありはしない、僕はさっきまで全裸で、戦争映画の主人公みたいに大立ち回りを演じていたんだ。他人に見られていたらどれだけ無様だったろう。

それでも、すべて実感していた。銃の重さも、引き金をひいた感覚も、香ばしい薬莢の匂いと血肉が飛び散る生臭さもこの目で、肌で、鼻で、耳で、全部味わった。

だけど、この家にそんな戦火の後なんかどこにも無い。あるのは僕が奇行に走って割った風呂場の鏡だけだ。

感傷に浸っている時間は居心地良いが、そんな時間は余りない。

割れた鏡はそのままにして、怪我した手の甲に消毒をして絆創膏を貼って応急処置をする。包帯を巻きたいが手の甲に包帯を巻いてる転校生は今時お笑い種だ。


濡れた身体や髪をバスタオルでふき取り、制服に袖を通そうとする。

施設、、いや、あの巣に居た頃は周りを見れば腕だけでなく額や背中、見えない心の中まで傷だらけの人だらけだった。無意識に人間には必ず傷が付いているものだと思いこんでいて、傷があることが巣に入居することが出来る条件だったなんて考えていた。


勘違いして欲しくないがあの巣は嫌いじゃない、口を開いて待ってれば飯食わして貰えるし何不自由なく過ごさせて、わざわざ学校に通わなくても高卒認定試験を受ける事も出来た。

でも、二十歳越えれば巣立つ事は決まっていたんだ。

それなのに周りの雛たちはここは安全だと安堵の表情を浮かべてる。でも誰もがその後の事を考えている、それでも誰も行動に移せず口を開けて餌を頬張っているのが大半だった、僕もそうだった。


だが、あの時全てが変わった、全てを投げ出したくなったあの夜に夢と現実の境目が消えたあの夜だ。

誰かに声を掛けられた、

夢だと思い頬をつねると痛みと共に、不透明な何かが体中に駆け巡った、同時に理解したんだ、ここに居たら狂ってしまう事を、カッコーの巣から飛び立つことを教えてくれた。


今日から通う高校は世間でいうところの一般的な学校なので、今まで住んでいた巣と違い、他人に見られたら異常と思われる。

だが、この傷は今まで生きてきた中で負い、負わされてきた傷だ。

不愉快とか、気持ち悪いとかの言葉なんかで簡単に洗い流してほしくない。

しかし、普通に過ごすためには傷を隠すしかない。厚めの長袖を着てその上に制服を着てみると蒸し熱いが我慢してネクタイを締める。



ニトロケースを首にぶら下げ、バックの中にライ麦畑で捕まえてを入れて身支度を終える。

この本の主人公ホールデン・コールフィールドはナハトと同じ赤毛なんだよ、と巣立つ前に年上の引き籠りから貰った本だが、本の冒頭でコールデンは学校を退学する所から始まるので皮肉のつもりで渡して来たのかもしれない。


だが、僕はこのホールデンという主人公に魅力を感じている。彼は友達がいない訳じゃないが常に一人で孤独だ。弱者に同情する優しい気持ちを持ってるけど性格は捻くれていて、人と関わっても彼は受けいれず結局一人になってしまう。それでも彼は自分を探し続ける為にニューヨークの街を彷徨う。

どこに行ってもひとりぼっちの僕とホールデンを重なっているかもしれないけど面白い本だ。


最後に天気予報を確認する為にテレビを点けるがチャンネルを切り替えても芸能人のゴシップで埋め尽くされていた。

今の流行だというのは分るけども、本当に視聴者は他人の不幸を見たいのだろうか、僕は今日の天気が知れればいいのに、そんな事を考えてしまい気が滅入ってしまった。

結局スマートフォンのアプリで午後から傘が必要な事を確認した。自分の見たい情報しか表示されないのは便利だが、何か閉塞感を感じてしまうと自分がパラノイアという気がしてくる。



久しぶりの学校、不安しかない、晴れやかな気持ちになんかなれる訳ない。これから雨が降るのに曇った気持ちが支配している。

それでも、この道を選んだのは他でも無い自分だ、頬つねって不安を払拭してカッコーの巣から飛び立った。

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