PASSION&PAIN -1-
1.愛別
喉の渇きが潤う事はなかった。持病が原因だった。
真夜中に夢から覚めた。外の光だけでは部屋を照らせず真っ暗だった。
起きてすぐに身体は水を求めた。近くにあったペットボトルに入っていた飲みかけの水を一気に飲み干したが渇きは収まらない。水を求めてキッチンに行き蛇口の栓を強くひねり、蛇口から勢いよく水が吹き出しそのまま口を付け貪るように飲み始める。服や床に水が飛び散り身体が冷たく濡れるが気に留めず飲み続ける。
それでも喉は潤わなかった。
やがて許容量を超えて強烈な吐き気に襲われ腹部が圧迫され目や鼻から吐きだしキッチン周りが水浸しになった。頭に熱を帯び始め視界が回り、真っ直ぐに立っているのか分からなくなり足が崩れる。
吐しゃ物と床に落ちてる埃か髪の毛が口に触れている。不快な匂い身体は拒むが自分の意志に反して啜り始めた。生暖かさが喉を過ぎていき、気持ち悪さから冷や汗をかき始めガタガタと全身が震えはじめた。
震える手を必死に伸ばし首元にぶら下げている手を伸ばし薬を取り出す。
大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら錠剤を飲み込んだ。涙と鼻水が溢れ上手く息が出来ないがゆっくり呼吸を始めた。我に返るまで随分時間を費やしており、カーテンの隙間から朝日が部屋を照らしていた。
ナハトにとって小さいころから変わらない日常だった。夢を見ると決まって身体は水を求め飲み続けてしまう。初めのうちは1,2杯飲むだけでよかったが、夢を観続ける度に飲む量が増えて行った。スポーツドリンクや経口補給液では満たされず、水でなければ喉が潤う事はなかった。
その姿を見て気味悪がった母親に連れられて医者を訪ねたが原因は分からず、元々自閉傾向があり環境による、または遺伝的な児童分裂病と診断され薬が処方された。
その日から母親は真っ黒な部屋で独り言を言うようになった。わたしのせいだと自分を責め続け、料理や洗濯などが日に日に雑になっていき仕事に行かないようになり、気に入らないことがあるとヒステリックを起こし殴られるようになり、何度も謝っても手が真っ赤になっても叩かれ続けた。
母親は自分の手を見て、アナタのためにやってるのゴメンねと外に飛び出しその日は家に帰って来る事は無く、明け方に知らない男の人を連れて帰って来た事もあった。
やがて母親は包丁で自分の腕の傷を付けた後、ナハトの名前を呼び飛び降りた。
近所の人の通報により一命は取り留めたが暴行行為や精神状態から保護者として不適当であると判断され母親以外に身寄りのないナハトは児童養護施設に引き取られた。
施設に入った日にまた同じ夢を観た。夢から覚めると水を求めてキッチンに行き、蛇口の栓をひねりコップに水を注ごうとしたがが、その時間すらも待ち遠しくなり蛇口に口を付け貪るように飲み始めた。
飲み続けても、飲み続けても満たされず、吐き出してしまう。身体はバランスを崩し食器や調理器具と共に床に倒れた。唇に生暖かい水が触れている。水浸しになった床には割れた食器や調理器具が散らかっていたが舌を伸ばし水を飲み始める。物音を聴いて駆け付けた職員や子供たちに声をかけてくれても止める事ができず、身体を抑えつけられ無理やり引き剥がされように解放された。
自分だけではどうすることもできなかった申し訳なさと情けない所を見せた恥ずかしさでいっぱいだった。
職員は涙を流しながら抱きしめてくれたが、心の奥では気味悪がっているとあらぬ疑いが脳内に広がって信じる事ができず、一人部屋に閉じこもった。
自分と年が変わらない同じ傷を負ったものがこっちに来いと手招きしている。ここは安心だと、安堵の表情を浮かべる児童たち、ここ異様だ、出口と入口が繋がっている迷路だ。どこに行っても逃げられない。
こんな所にいてはダメだ、あいつらと一緒になりたくないと独り言を言うようになっていた。
電気もつけず暗闇を一点に見続け、生きていく意味、理由を探していたが何も見つからない。
唯一、優しくしてくれたおじいちゃんの事を思い出していた。
ナハトは母親と父方の祖父しか家族に会ったことが無かった。
おじいちゃんは父親代わりになってスーパーカブの後ろに乗せ色んな所に連れて行ってくれた。デパートに行けばおもちゃを買ってくれ、その後甘い物を食べるのがお決まりで、寝言はうるさかったがおじいちゃんと過ごす時間が大好きだった。
ある日ナハトはパパはどこにいるのと訊いた。おじいちゃんはパパは映画が好きな事と、お前のママとケンカしちゃってどこかにいるという事、そして仲良くなったら帰って来るよと答えた。
ナハトはそれ以来、毎年の七夕の短冊、毎年のクリスマスプレゼントにもパパとママが仲良くなりますようにと願いを込めた。
幼稚園の卒園式の日に祖父は脳梗塞で倒れ入院することになった。小学生の入学式は一緒に参加すると張り切っていたが、病状は悪化するばかりで身体を動かすことも声を出すことさえも苦しそうにしていた。
入学式は母親が来ることになったが、当日仕事を理由に断れた。
式が終わった後周りの皆は校門の前で家族と写真を撮っていた。家に帰らずにバスを乗り継いでおじいちゃんが入院している病院に向かった。車内も他の小学校の入学式が終わったのか大勢の家族連れがいて、散っている桜を車窓から見ていた。
病室につくとおじいちゃんは眠っていて寝言を言っていた。必死にもごもご口を動かし声にならない声を出していたが突然大きな声で叫び出した。涙を流していた。誰かに謝っているように聴こえた。おじちゃんの右手を握ってあげるとおじいちゃんはこっちを見てくれた。
ナハトを真っ直ぐに見つめ、精一杯の力で握り返され痛かったが、両手を使って優しく包んであげた。その後おじいちゃんは優しく笑ってくれた後また眠りはじめたのでいつものようにおやすみと声をかけて家に帰った。
夕日みたいなオレンジの朝焼けが暗闇を燃やしはじめ徐々に明るくなってきた。
日に誘われるようにバルコニーに出ると、太陽は何故か限りなく透明に輝いていた。
日差しはとても暖かく、いつも見ていた建物や景色が透明に塗りつぶしていきどこまでも遠くの景色が視えるようになっていく。
しかしナハトだけは、自分の赤い髪や母親に傷つけられた腕の傷などハッキリと形が残っていて、二階のバルコニーなのか地面なのか分からない空っぽの透明な所に立っていた。
ぼくも一緒に連れて行って欲しいと追いかけはじめてすぐに見えない壁にぶつかった。
手を伸し、壁をよじ登り先に進もうとすると、「なにをしている」と声をかけられた。
後ろを振り返えると緑色のカーテンが風に揺れていただった。
緑色のカーテンを見て、オレンジ色の朝焼けがいつものように建物や景色を照らしており、ナハトがバルコニーの上をよじ登り、あと一歩進んでいたら飛び降りていたことに気づいた。
声は確かに耳に聞こえた。力強いがとても暖かく、懐かしさを感じる優しい声。
これは夢なのだろうか、そう思い頬をつねった、痛みは傍に寄り添っていた。
痛みと共に、不透明な何かが体中に駆け巡る、気持ちが昂る、使命感に駆られた。ここから出て行こうと強く思った。
その後、ナハトはここから出て学校に通いたいと施設に来てから初めて職員の人に話しをした。
月日がが過ぎ、施設を出て一人暮らしが始まり学校に通う初日の朝、また同じ夢を見てしまった。
出鼻を挫かれこの先が思いやられるが、それでも今日一日を生きよう、決意を固め身支度を始めた。
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