世界を覆う獣

痛瀬河 病

第1話

―コンッコンッ


 とある国のとある建物のとある一室にノックの音が響いた。

 最近では毎日の事である。

 その部屋の部屋主はそのノックに答える。

「入ってくれ」

 その返事を聞くや否や若い男が慌てた様子で部屋に入って来た。

「しっ、失礼します。ミヤマ所長、です!」

 所長と呼ばれた男は、深い溜息をつく。

 この溜息もこの一週間はずっとつきっぱなしだ。

「今度はだ?」

 若い男は少し躊躇いの表情を見せて、ゆっくりと説明をする。

「……腐敗してました。目視なので正確なことは分かりませんが、おそらく眼球が腐敗していました」

「それはまた酷いな」

「昨日見回りの時点では何ともなかったんです。人の体はあんなにも急速に腐るものなのでしょうか?」

「俺に聞くなよ」

 ミヤマはうんざりしながら自分の机に並べられた書類に目線を落とす。


―体の穴という穴から吐血し死亡

―身体中の毛が抜け落ちた後、発狂し死亡

―体内の全ての臓器の破裂、死亡

―体内から骨が消滅し、死亡


 ミヤマの治めるこの建物では、机に並んでいる書類に書かれているような気味の悪い変死が続出していた。

 何かの感染症ではないかと疑っているのだが、あまりにも死に方がバラバラ過ぎて何も掴めていないのが現状だ。

 ここの職員の一人である若い男が、ぼそっと漏らした。


「でも、我々職員ではなく、被害は全て死刑囚なのが不幸中の幸いですかね」


 ミヤマはきつい口調で注意する。

「おい、センダ、口を慎め」

 センダと呼ばれた男は慌てて頭を下げ、前言を撤回すると退室した。

 

 ミヤマはしばらく一人きりの部屋で天を仰いでいた。

 センダの気持ちも分からなかったわけではない。

 むしろ、よく分かるからこそ、自分に言い聞かせる意味も込めて注意した。


 ここはとある拘置所、この国の更生の余地なしと判断された凶悪犯たちを死刑の執行日まで収容しておく施設。

 ミヤマはそこの所長だ。

 まぁ、執行日といっても明確に決まっていないものがほとんどだが。


 それはさておき、いい加減この連続変死体事件に決着をつけなくてはならないとミヤマは思っていた。

 このままではミヤマの手は報告書の書き過ぎで腱鞘炎になってしまう。

 更には上の人たちに頭を下げ過ぎて、ストレスで禿げてしまう可能性まである。


 ミヤマには大体の見当がついていた。

 ミヤマは沸かしたコーヒーをお気に入りのカップに入れ、自分の机に戻り、そのコーヒーに口をつけると、この拘置所に起こった変化について思い出していた。


 事件が起こりだした先週あたり、大学時代の友人が訪ねてきた。

 人手不足と予算の都合で人員削減をしろと言う、上からの矛盾した無茶苦茶な要求を受けて頭を抱えていたタイミングだった。

 その友人はこの拘置所の医療関係の仕事を全て一人で請け負ってあげようと提案してきた。

 その友人の技量を考えれば物理的に可能なラインだったのと、ミヤマからしたら渡りに船だったので二つ返事でその提案を受け入れたのだが、よく考えれば変なことだらけだった。

 その友人は優秀なのだ。

 医学界では知らないものがいないほどの医療研究者だ。

 ミヤマも最初「こんなところで仕事してていいのか?」と聞いたが、その友人曰く「一、二年の息抜きだ」と答えた。

 人間とは浅ましい生き物で、自分に都合のいい状況が出来てしまうと少しの違和感には目を瞑ってしまうものだ。

 ミヤマとて例外ではなかった。

 しかし、もうそれは小さな違和感程度では済まなかった。

 ミヤマはコーヒーを飲み干すと、その友人のいる部屋へと向かった。


 友人の部屋は拘置所の端にポツンとあった。

 そこは死刑囚専用の診療所になっている。

 本来、他の職員も死刑囚が体調を崩した時に運びこむぐらいのもので、滅多に足を踏み入れることはない。

 しかし、ここ最近は変死体の様子を見てもらうために呼びに行くので毎日大忙しだろう。


 そこに行くには死刑囚のいる牢を横切る必要があった。

 入り口で見張りと軽く雑談をすると、牢のある部屋に鍵を開け踏み入れる。

 ミヤマに対する死刑囚たちの反応はまちまちだ。

 ついに自分の番が来たのかと震える者や興味なさげに横目で視界に少し入れただけの

者やそもそも気が付いてない者。

 その中の一人にミヤマに話し掛けてくる者がいた。

「へっへっ、ミヤマの旦那、こんなところに何の用で?」

 その男の名はヒグチ、連続強盗殺人を犯してここに連れてこられた男。

 といっても、もう二十年も前の事で今では還暦を優に超え、その姿は気の良さそうな老人そのものだ。

「お前はいつも楽しそうだなヒグチ、何をしてたんだ?」

「へー、趣味の絵をちょっと」

「そうか、たまには体も動かさんと年なんだから腰に来るだろう」

「そうですね、肝に銘じます」

 その後もしつこく話しかけてくるヒグチを適当にあしらうと診療所のある部屋の前についにやって来た。


―コンッコンッ


「どうぞー」

 ミヤマはその返事を聞き、部屋に入る。

「やぁ、アレット……ん? また研究器具が増えてないか?」

 アレットと呼ばれた女性はひらひらと手を振る。

「いやー、思ったよりここは暇なんでね。片手間のお仕事用だよ」

「流石だな」

「拘置所ってぐらいだから、もっとバンバン死刑にするのかと思ったのに僕が来てからまだ一人も死刑にしてないよね? もっとバンバン殺してくれないとそりゃ暇だよ」

「そりゃ無理だよ、上からの許可が下りない」

「もー、お役所仕事だなー」

 アレットはご機嫌斜めでどこからか持ってきた顕微鏡を覗き込んだ。

 その様子は大学時代と変わらず、見た目の若さも相まって無邪気な子供そのものだ。

 ミヤマは古い友人を疑うようなことはしたくなかったが、覚悟を決め切り出した。

「なぁ、アレット、君を疑うわけじゃないんだが、ここ最近の事件について何か原因に心当たりはないか?」


「僕だよ」


「は?」

 ミヤマが来客用の椅子に腰を下ろしかけているタイミングだった。

 ミヤマは思わず聞き返した。

「だから、今回の一連の変死体を作り出したのは僕だって、僕が一部の囚人を色々な病気にかけたんだ。なんならこの顕微鏡覗いてみる? 今日死んだ男の腐りかけの脳味噌が入ってるよ」

 五秒、いや十秒だろうか、常に冷静で機転の利くことに定評のあるミヤマでも、そのぐらいの沈黙が必要だった。

「……何故、正直に話してくれたんだ?」

 アレットはやれやれと肩をすくめた。

「僕はねショウタ、君を一番の親友だと思っているんだ。聞かれなきゃ言わないけど、聞かれれば隠し事なく話すつもりだったよ」

 ミヤマはその言葉に反応を見せず続けた。

「……何が目的なんだ?」

 アレットはその言葉を聞くと「本気で言ってる?」と言わんばかりに目を大きく見開いた。

 アレットはミヤマの問に答えず、部屋の中に設置されている冷蔵庫から白い饅頭と黒い饅頭を取り出した。

 そして、信じられないことを口にした。

「白いのを食べれば発症した部位関係なく癌が治るよ。黒いのを食べれば認知症の進行が止まるよ、つまり初期症状で食べれば、もう認知症を恐れる必要はないね。デザインは僕の趣味だ」

 最後に「まだ、改良の余地があるけど」と付け加えた。

 今度はミヤマが目を見開く番だった。

 もう彼の売りの冷静さはあまり残っていなかった。

「そんなの世紀の大発明じゃないか‼ 何故世に発表しないんだ‼」

 アレットは両手を前に突き出し「どうどう」とミヤマを落ち着かせる。

「発表も何も出来たのはこの一週間の間でなんだ。タイミングがなかっただけさ」

 アレットの表情はここまで言えばわかるよね? と言っていた。

 ミヤマは自分の膝の震えに気が付いていなかった。


「……まさか、囚人たちで人体実験をしたのか?」


 アレットは指をパチンと鳴らす。

「そのまさかだよ。ってか、それしかないだろ? 他の動物じゃ埒が明かないでしょ。人の薬を作るのに人で試す以上の近道なんてないよ」

「……なんてことを」

 アレットは目を細めた。

「何を言ってるんだい、ショウタ? これで世界中の多くの病魔に怯え苦しんでいる人を助けることが出来るんだ。なんなら、ハグしてくれてもいいぜ?」

 アレットは大袈裟に両手を広げた。

 ミヤマは拳を強く握る、爪が己の手の皮膚に食い込むほどに。

「……それでも、人の命を玩具みたいに」

 そう口にした時に部屋の中に笑い声がこだました。

 彼女の笑い声が部屋の中を反射してミヤマの身体に突き刺さる。

 アレットは目尻を抑え、腹を抱える。

「ハッハハ、もうショウタ笑わせないでくれよ。他人の人権を犯した奴らにまで人権があるなんて不思議だよ。フフッ、人の命を玩具みたいにだって? それは彼らの方だろ?」

 ミヤマは顔を冷たい床に落とす。

「今日死んだ奴が何やったかショウタが知らないわけないよね? 幼女連続強姦魔だ。それも子供が一人の家を狙い家の中に押し入ると、まず両手足を折る、そして芋虫のように這いながら逃げる女の子を笑いながら犯すそうだ。最後は言わずもがなだよ」

 

「僕とどっちが命を玩具にしてると思う?」


 ミヤマは枯れた喉を必死に震わせ言葉を絞り出す。

「……それとこれは別だ。あいつらのやったことが君のやったことを正当化することにはならない」

 アレットの顔が裂けんばかりの笑顔を見せる。

「僕は皆に救いを与えただけだ。だって、おかしくないか? 何の罪のなく真面目に生きてきた人たちが苦しみ、他人の人生を終わらせ好き勝手生きてるゴミがここで食っちゃ寝してるだけなんて、挙句の果てに読書? 絵? お菓子? 舐めているよ。誰が許しても僕は許せないね」


「ゴミの命を再利用して罪のない人達を助けるなんて、これ以上うまいサイクルがあるかい? 勿論、ゴミどもは死ぬほど苦しめてやったよ。麻酔なんて使ってあげない。これがゴミどもの罰にもなって一石で何鳥捕れるかわからないよ」


 ミヤマは友人の顔を見た。すがるように。

「今までだって薬の開発に人体実験なんてしなくても出来てたじゃないか」

 もう、アレットの顔はミヤマの知るものではなかった。


「それは何年、何十年かかるんだい? 今、苦しんでいる人たちがいるんだ」


「罪人に罰を与え、その他に救いを与える……これは、これが、僕の正義だよ」


 確かに、アレットの言い分に全く筋がないわけではない。

 だけれども、ミヤマはそれを認められなかった。

 本能か、理性か、倫理、生理的、愛、忌避、恐怖。

 そのどれかは分からないけれど。


それを君がすべきではないよ」


「じゃあ、誰がやってくれるんだい? 誰もやらないから僕がやるんだ」


 ミヤマは立ち上がり、アレットに近づいていく。

「罪人を許せない気持ちは分かるよ、俺もいつも入ってくる奴らの罪状に目を疑いたくなる。でもね、俺たちまで傷つける側に回ってはいけないんだ。それをやってしまえば、引き摺られるよ。彼ら側にね」

 アレットの前に立ったミヤマの肩を彼女は強く握りしめた。

「なら、それは僕がやる! この世の全ての病気に対する薬を作り終わった後に僕を裁けばいい! 君は目を瞑っていてくれるだけでいい!」

 ミヤマは力なく首を振るだけだった。

 肩を掴む手はだらりと落ちる。

 これだけは言いたくなかった、そう言わんばかりに彼女は一度歯を強く噛みしめた。

 そして、へらっとした表情からアレットはぼそりと言葉を滑らす。


「君だって、本当は知ってたんじゃないかい?」


 ミヤマの表情は曇っていく。

「普通、こんなおかしな事件最初に僕を疑ってしかるべきだろ。なのに君は一週間も僕のところを訪れなかったね? おかしいよ」

 アレットは最後のとどめと言わんばかりに口にする。

「エリちゃん、病気なんだって?」

 ミヤマの妹の名前が彼女の口から飛び出した。

 ミヤマの両目が最大まで見開かれる。

「ここに来る前、寄らせてもらったよ。謎の奇病。発症例も一桁、ひたすら延命治療じゃないか」

 

 彼女は少し背伸びをした。

 彼の耳元に届くように、正義あくまの言葉が届くように。


「僕なら助けられる」


 ミヤマの耳にそれが届いた時には抵抗すべき力を全て失ってしまった。

「心配するな、時が来たら世界にこのことまで含め発表するよ。ただ、僕は一方的な非難の声ばかりではないと思うよ。現にここの職員の中にも理解者もいて手を貸してくれる者もいたよ」

 アレットは「君は優しすぎるんだ」と言い、ミヤマの肩を叩いた。

 ミヤマはアレットの顔をゆっくりと覗き込んだ。

 その姿はまるで、


「君は正義に取り憑かれたんだ。それは悪に等しい。まるで獣だね、正義に取り憑かれた獣。その獣は自分の体が腐っていくのに気が付かないんだ」


「人の道から外れた獣どもを喰らうのに、それ以上相応しい存在もいないね」




 あれから、一年。

 ミヤマは病室に訪れていた。

 妹の退院の為だ。

「お兄ちゃん、先に行っちゃうよー」

「あぁ、待ってくれ、今荷物をまとめてるんだ」

「ってか、仕事辞めちゃってよかったの?」

「まぁ、再就職は決まったし気にするな」

 もう、あの場所でミヤマに出来ることはなかった。

 いよいよ明日、アレットが世に今までの革新的な治療薬を短期間で作れた理由を発表する日だ。

 ミヤマは病室の窓から外を見つめ、ここにいない彼女の事を思う。

 ミヤマの妹の命は助けられたのだ。

 世の中の役に立たず害ばかりを撒いてきた獣と世の中の為を思い憂い続けた獣によって。







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