第4話 ~~トイナ・メジマキ~~

「例の新入生に、負けたそうだな」

 父の書斎に入ると、いきなり言われた。俺は「はい」と頷く。大きな体を前のめりにさせた父は、ワクワクした幼児のような顔で俺を見つめる。

「強かったか? どう負けたんだ?」

 俺が正直に話すと、父は嬉しそうに「ほう」と頷いた。

「お前が軽くあしらわれたのか。そりゃあ凄いな。イゴス先生は何と仰ったんだ?」

「剣だけの勝負であれば十中八九は俺の勝ちだ、と。しかし実戦では十にひとつも俺の勝ちはないだろう、とも仰いました」

「そうか、そんなに強いのか!」

 俺は両目を閉じる。砂を投げつけられるのはもちろん、剣を投げつけられるのも初めてだった。飛んできた剣を慌てて叩き落としたときには目に砂が入り、目を開ける前に俺の体はふわりと回っていた。完璧に読み尽くされ、計算され、手のひらで転がされてしまった。

 あの人は、俺なんかでは想像もできないほど厳しい世界を生き抜いてきたのだろう。そういう、荒々しさと狡猾さと厳しさがあった。だが、そんな中にも自らを貫く凛々しさがあった。そして何より、あの悪目立ちする振る舞いは、あっさりと負けた俺に悪評がつくのを防ぐためのものだろう。見返りもないのに自ら泥をかぶる優しさが、そこには確かにあった。

「はい、本当に強い人です」

 父は「そりゃ凄い」と言いながら、机の一番下の引き出しからウイスキーボトルとグラスを取り出した。グラスにウイスキーを注いで、ぐいっと飲み干す。それから、すぐに次を注ぐ。

「会ってみたいなあ! なあトイナ、うちに呼べないか?」

「無理です」

「少しは考えろよ。なあ、うちに呼べないか?」

「父上こそ少しは考えてください。この狭い家によその令嬢を、会ったばかりの令嬢を、呼べると思いますか?」

「なあ、どうにかならんか?」

「なりません」

 あの気高い令嬢を、この父には会わせたくはない。会ったところで何かあるわけではないが、なんとなく嫌だ。

「三ヶ月! 三ヶ月あれば会うことができないか?」

「できません」

「なら二ヶ月だ!」

「なんで減ってるんですか父上!」

「ああ、もう、お前がワガママを言うからだ!」

「ワガママを言ってるのは父上です!」

「その通りだ! それの何が悪い!」

 これだ。だから会わせたくない。


 翌日の武術科目でのアリア嬢との模擬戦は、2勝3敗だった。その翌日は3勝2敗、さらに翌日は1勝4敗だった。学生同士の模擬戦で負けたのは1学年のとき以来だし、負け越しなんてのは初めてだ。至近距離から石を投げられたのも初めてだし、そんな近くからの投石が有効なんて知らなかった。訓練着を引っ張っぱられて剣を封じられたのも、そのまま投げられたのも、もちろん初めてだ。

 アリア嬢は続けて同じ戦い方をすることはない。次々に戦い方を変える。凛々しく真剣な顔をしておきながら、不意に無邪気な笑みを浮かべて見たことのない動きをする。思うがままに遊んでいるような戦い方をしておきながら、それは理論的で合理的だ。

 剣だけではない。「咄嗟に掴める武器が使いなれた物とは限らないからね」と笑いながら、アリア嬢は様々な武器を軽やかに扱う。槍に短剣に弓に鎖に、程度の差こそあれ、己の手足のように使いこなす。

 アリア嬢はどんな生活をしているのだろうか。今までどんな風に生きてきたのだろうか。俺には全くわからない。


 濡れたタオルで顔を拭くアリア嬢に、俺は声をかける。

「誰かと息を合わせて戦うのは難しいのだな」

 アリア嬢が来てから、武術授業に一対多や多対多の訓練が追加された。これはイゴス先生がアリア嬢の動きを見て決めたことだ。

「そうだよね。僕もそう思う。初めて肩を並べる相手だと、余計にそう感じるよ」

「アリア嬢でもそう思うのか」

「僕をなんだと思ってるんだい? 少し小器用でも所詮は貧しい男爵家の三女だよ?」

 俺は「違う」と言いたかったが、アリア嬢は俺を突き放すように柔軟体操を始めた。地に体をつけ、両足を開き、ただただ合理的な動きでありながら、稚児か旅芸子ぐらいしかしない行為だ。彼女は貴族でありながら、こんなことにも、庶民ですらしないようなことにも、躊躇いがない。

 ああ、そうだ。凄いのは彼女だ。アリア嬢本人だ。イカーガミカ家のアリア嬢でも傭兵のアリア嬢でも冒険家のアリア嬢でもない。アリア嬢本人が、強く賢く美しい。だから俺は、アリア嬢を尊敬する。


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