第2話
物心つく前から、僕には前世の記憶があった。
前世で僕は、日本という国で派遣社員として働きながら大学に通っていた。父親が奨学金を使い込んで揉めてからは実家とは疎遠になり、姉とだけはやりとりがあった。僕も姉も所謂オタクで、僕なんかはまだライトオタク程度なんだけど、その姉の影響で始めたのが乙女ゲームの『ギシフキテスの翼』だ。
乙女ゲーム『ギシフキテスの翼』は、それなりにヒットした作品だ。乙女ゲームであると同時に、主人公の女の子を育てる育成ゲームでもある。剣と魔法の中世ファンタジー世界で、ギシフキテス王国のカナンマ学園が舞台のゲームだ。十四才で入学してから十八才で卒業するまでの四年間、イカーガミ家三女の主人公が成長し、攻略対象との愛を育んでいく。
ちなみに、アリアという名前は主人公のデフォルトネームだ。
ぶっちゃけてしまうと、大ヒットを狙って予算をブチ込んだら大ヒットにまでは届かず赤字になった育成タイプの乙女ゲームだ。
今まで乙女ゲームをプレイしたことのない層を取り込むことを狙って、『ギシフキテスの翼』は開発予算を注ぎ込まれた。そのための要素は多い。
そのひとつが豊富なミニゲームだ。姉が僕に『ギシフキテスの翼』をプレイさせたのも、ミニゲーム報酬のスチル回収を手伝わせるためだ。だけれど僕は『ギシフキテスの翼』を十数度クリアする程度にはハマった。ミニゲーム回収だけでも何周もする必要もあったが、それ以上にエンディングの多さにヤリコミ要素を感じたし、シンプルに面白いミニゲームも多いからだ。今にして思えば、アリメレット様の出す課題のミニゲームもあったのに、アリメレット様の報酬スチルがなかったのはおかしい。脳ミソの代わりに納豆が入っているとしか思えない。
それから、エンディング直前で選ぶカナンマ学園卒業後の職業数が多い。その数六十九、正直なところ多すぎる。商人や花屋や旅商人などはダブってるし、大臣とかは職位だし、英雄や剣聖や聖女なんかは称号だし、言いたいことはわかるけど、少しモニョる。だが、そのすべてに異なるエンディングスチルが用意されているのは素晴らしい。エンディングを迎える攻略対象によって職業スチルにも差分もあり、コレクター魂を満足させてくれる。しかも、一部の攻略対象と職業の組み合わせには特別なスチルが追加で用意されていた。実に素晴らしい。スチルの数とクオリティは正義だ。
ちなみに、推しの攻略対象に対応する職業をファンの間では本職と呼び、自己紹介などで本職を名乗るのが通例だ。どの攻略対象も本職が複数あり、しばしば本職のなかの本職はどれかが論争になる。また、いくつかの本職は複数の攻略対象に対応しており、これも論争の種になった。
攻略対象も、新しいファン層を開拓すべく珍しい顔ぶれだ。もちろん王道のメンバーもいる。メインの爽やか王子様や地味教師や生真面目騎士候補やクールなヤリテ眼鏡やヤンチャな後輩とかがそうだ。だけれど、そんな攻略対象は他の作品にもいる。珍しいのは、同時攻略可能キャラと女性キャラがいることだ。隣国から来た姉弟は二人とも攻略対象だし、同時攻略もできる。他にも同時攻略可能キャラやキャラの組み合わせもある。後輩の女の子も攻略対象だ。ルートが多すぎてフルコンプできなかった。しかし、アリメレット様ルートはない。だから、『ギシフキテスの翼』のなかでのアリメレット様は、立ち絵と顔アイコンとミニゲーム中のミニキャラだけだ。製作陣は何を考えていたのだろうか。そのせいで、前世の僕はアリメレット様の魅力に気づけなかった。製作陣の全員が頭のなかポップコーンなのだろう。まったく、度しがたい。だが、立ち絵や顔アイコンやミニキャラからアリメレット様の魅力に気づけなかった僕も、頭のなかポップコーンだ。反省しよう。
攻略対象に男女の両方がいる意味では、『ギシフキテスの翼』は男女兼用恋愛ゲームとかリバーシブルゲームの要素を含んでいる。しかし、主人公の性別を選べるわけではない。あくまでも主人公はイカーガミカ家三女だ。女性である。公式が乙女ゲームと言い張る根拠はそこだろう。
『ギシフキテスの翼』は、乙女ゲームであると同時に育成ゲームだ。カナンマ学園1年生のときは一般学生として、紫翼学級を目指す。チユートリアルみたいなものだ。2年生から紫翼学生として3年間を過ごす。立ち絵を見る回数は、実のところ、圧倒的に主人公が多い。そのため、『ギシフキテスの翼』のファンは主人公を「娘」と呼ぶ。また、男性ファンは「お父さん」と、女性ファンは「お母さん」と自称する。派生して、「うちの娘はあんな攻略対象どもにはやれません!」と言い出すファンもいる。
ユリアム・ジオー・チイーダ・ギシフキテスの名前と壇上の金髪を見て思い出した。ユリアム王子は『ギシフキテスの翼』のメインの攻略対象だ。そして、ここギシフキテス王国の第一王子でもある。それだけではない。あの美しくも可愛らしいアリメレット様の婚約者でもある。こんな男はアリメレット様に相応しくない。引き剥がすべきだ。
ここは、この世界は、その『ギシフキテスの翼』のなかの世界だ。僕は転生して、その主人公のイカーガミカ家三女になった。
そのことを認識すると、今までの多くのことの理由がわかってくる。
『ギシフキテスの翼』の主人公は、カナンマ学園に入学したとき、カナンマ学園に入学するギリギリの能力しかない。座学も実技も新入生最下位だ。しかし、たったの四年間で様々な職業から好きなものを選べるだけの能力を得る。その中には職業というより称号や職位と呼ぶべきものもあり、卒業後すぐに就いたとは思えないスチルやテクストもあるのは確かだ。言い換えると、四年間でそれだけの能力を得られる潜在能力がある。また、その四年間のイベントのなかには、学園の枠に収まらないイベントも多々あり、ギシフキテス王国内での優勝も可能だ。
それから、僕の顔だ。鏡は高級品で、イカーガミ家にはお母さんの手鏡しかなかった。だから僕は水面や剣ぐらいでしか自分の顔を見たことがなかった。しかし僕は、『ギシフキテスの翼』で僕の顔を見ている。鮮やかな赤い髪とぱっちりとした目が特徴の可愛い系の顔つきだ。表情によっては少し凛々しくも見える。
僕は前世の記憶を持って生まれ、異世界ファンタジーの世界観に興奮し、現代知識も使いながら手当たり次第に挑戦した。そのすべてで、成長する手応えを感じ、そのことで一層楽しくなって励み、さらに成長する自分が楽しくなった。
ちょっと考えれば、そんな風に多分野の才能を感じるなんておかしい。それもこれも、主人公としての才覚なのだろう。
主人公としての才覚を持って異世界転生、それはひとつの素晴らしい人生だ。しかも、知っているゲーム世界という追加要素もある。僕程度で「考察厨」を名乗るのは烏滸がましいけれど、ネット上では僕のことを「考察厨」と呼ぶ人もいて、その僕がそれなりにやりこんだゲームだ。今までは「男の僕が女性に転生してしまうなんて」などと悩むこともあったが、その悩みも一瞬で解消されてしまった。『ギシフキテスの翼』には、高難易度とはいえ百合ルートもある。まさにオタク姉弟の片割れに相応しい世界じゃないか!
しかし、何もかもは上手くはいかない。当然だ。
考えなければならないのは、アリメレット様が悪役令嬢ということだ。ゲーム内で様々な課題を突きつけ、ユリアム王子ルートでは主人公へのイジメの黒幕として断罪イベントもある。あのアリメレット様がそんなことをするとは思えないがそういうルートがあることは無視できない。けれども、既にゲームの冒頭の展開とは異なっている。それに、そもそもユリアム王子ルートに入らなければいい。それだけだ。
いや、本当にそれだけだろうか?
断罪イベントでは、アリメレット様は否定していた。しかし、その後の顛末として、アリメレット様の退学とクゾキナパッリ家の廃爵、とだけ書かれていた。あまりにも情報が少ないが、罰としては釣り合わない。少し調べてみる必要がありそうだ。
まずはアリメレット様のために何ができるのか、そこから考えていこう。
うむ、すべてはアリメレット様のために!
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