僕の愛しの君は悪役令嬢

@fulidom

第1話

「そこの赤髪、どこへ行きたいんだ? 私が案内しよう」

 僕は「ナンパは嫌いだよ」と言いながら声の方へ振り返る。まだ薄暗い校舎の中、金髪の男が少し驚いたような顔をしていた。十四か十五ぐらいだろうか。

「ああ、いや、すまない。髪が短いしパンツスタイルだし、女性だとは思わなかった」

 窓から朝の春風が入りこむ。男の金髪がふわりと揺れた。

 男は穏やかな笑みを浮かべている。鼻筋の通った美麗な顔立ちで、あざやかなエメラルドグリーンの瞳、きっとモテる男なのだろう。落ちついたやわらかな顔つきにはわずかに幼さが残っている。だが、これは狡猾な貴族によく見られる特徴だ。どれだけ警戒しても警戒しすぎにはならない。

 男の格好をざっと眺める。

 それなりに鍛えた体つきをしているが、傷痕などは見当たらない。周囲への威圧や警戒もないし、実戦経験はなさそうだ。左耳にはシンプルなイヤーカフをつけている。身代わりの魔道具だ。庶民の一生分の収入でも買えやしない。シンプルながら細かい意匠が施されているから、より高価なものだろう。制服は見本図画のように身につけている。よほどマメな性格かもしれないが、恐らくは真面目な側仕えがいるのだろう。さぞかし名門に違いない。制服のネクタイが緑色だから、ひとつ上の学年だ。

「それで、君はどこへ行きたいんだ?」

「僕が地図も読めないと思うのかい?」

 壁に貼られた案内板を、僕がコンコンと叩く。睨みつけると、男は「くはははっ」と笑った。

「失礼、私にそんな態度をする人を初めて見たから」

 僕はチッと舌打ちした。どこのボンボンか知らないが、よほどの箱入りなのだろう。僕の露骨な態度にも爽やかな笑顔のままだ。

「私の顔を知らないのだから、子爵以下なのだろう? 通学時間には早いのに子爵以下の新入生がひとりで紫翼棟にいるんだ。迷っているのだろう?」

 なるほど、確かに子爵以下の新入生がこんなところにいたのでは迷子に見える。だが、決めつけられるのは不愉快だ。それに、貴族は自分の顔を知っていて当然だという態度にも腹が立つ。

「子爵以下の新入生が紫翼棟に用事があるとは考えないのかい?」

「あるのか?」

「あるんだよ」

 僕は横目で案内板を見て、学園長室の場所を確認する。階段を3つ上がってすぐだ。僕は男に背を向けて階段に足をかける。だが、すぐ

足を止めて振り返った。

「どうして追ってくるんだい? ストーカー趣味でも嗜んでいるのかな?」

 男は「くはっ」と笑う。

「ストーカー趣味ってなんだよ!」

「いと尊き方々は下々に存じ得ぬ天上にお住まいでございますので、さようなお嗜みもなさるのか、と」

「うわっ、強烈だねえ! そんな趣味はないからね!」

 男は大きく目を見開いたあと、すぐにニコニコと人懐っこく笑う。こいつ、打たれ強い。

「僕も知らない人を連れ歩く趣味はないんだ」

「気にしないでくれ、私が勝手についていくだけだ」

 僕はため息をついた。男に背中を向けて、階段上に視線を向ける。小さく息を吸う。足に軽く力を込めて階段を二段飛ばしに駆け登った。後ろから追ってくる足音がする。右斜め前に跳び上がり壁を蹴って身体を捻った。空中で真下を見下ろす。男は両目を見開き口を半開きにして僕を見上げている。アホヅラだ。そのアホヅラの上を僕の影が通りすぎる。僕は階段下に着地。そのままの勢いで廊下の窓から外に飛び出す。空中で木の枝をつかむ。向きを変えて二階の廊下の窓を見る。どこも鍵はかかってない。つかんだ枝の上に登って二階の窓の縁に跳び移る。落ちないように指先と爪先に力を入れながら、窓を改めて確認する。これは両外開きの窓だ。縁飾りに右手の指先を引っ掻けてガタガタと揺らすように引っ張る。

「お、落ちるなよ」

 下から声がした。見下ろすと、先ほどの男だ。

「どこかの失礼なナンパ男が追って来なければ僕だってこんなことしなかったよ」

 ガチリと、やっと窓が開いた。その窓をくぐって中へと入る。

「普通そんなことをするとは思わないだろ」

「普通ってのは言い出したヤツの偏見のことさ。つまりそれはお前の偏見だよ」

「お前ではない、私の名は……」

「興味ないね。バイバイ」

 僕は窓をパタンと閉じた。


 さらに階段を上がって、僕は四階にある学園長室の扉を叩く。

「アリア・イカーガミカ、呼び出しに応じて参りました」

「入りなさい」

 扉を開けて中に入ると、両脇に書棚と正面に執務机がひとつのシンプルな部屋だった。正面の執務机についているのは人懐っこい笑みを浮かべた老婦だ。目尻のシワが優しげな雰囲気を作っている。それでいて背筋の伸びた姿は気品がある。

 僕は右手の指を揃えて伸ばし、自分の首の左側に当てる。この国の古い形式の敬礼だ。

「イカーガミカ男爵家三女アリアです」

「ここカナンマ学園学園長のイセンセ・イラエよ」

「ご高名は伺っております」

「それはこちらの台詞よ。商人、養殖家、冒険者、傭兵、博物学者、魔道学者、画家、随分と多才なそうね」

「?鼠五技ですので、どれもこれも未熟でして」

「満足も慢心もせず、向上心を持って入学する、ってことね。なら、うちも飽きられないよう頑張らなきゃいけないわ。じゃないとあなた、うちを辞めちゃうでしょ」

「そこまでは考えてません」

「そこまでは、ね。覚えておくわ」

 老婦イセンセ・イラエは軽くウインクした。

「それでね、アリア嬢。あなたを入学式前に呼び出したのはね、そろそろ来るはずだけれど、先に話し始めるわ」

「お願いします」

 イセンセはゆっくりと頷いた。それから、僕をまっすぐ見つめる。

「うちの学園にはね、学生会というのがあるの。学園生活を学生自身の手でより良くするために活動する自治会みたいなものよ」

「なんとなく想像できます」

「よかったわ。それでね……」

 学園長室の扉がコンコンコンと鳴った。

「シウヨキン・ニンタ、新入生のアリメレット・クヤクア・クゾキナパッリを連れて参りました」

「ふたりとも、入って」

 学園長の許可からすぐに扉が開く。黒髪の背の高い男性と、美しい少女が入ってきた。少女の歩みに合わせてターコイズブルーの緩やかなウェーブのかかった髪がふんわりと揺れる。瞳の青は髪の色よりも深い。つり目がちで切れ長の形と相まって知性と意思を感じさせる。整った顔立ちと白い肌は、美しくもあどけなさを持つ。年は僕と同じ十四頃だろうか。美しい姿勢と所作はいつまでも見ていたい。

 その美しい少女の顔がゆっくりと僕に向けられた。

「そんなにわたくしを見つめて、どうなさって?」

 凛として澄んだ声だ。美しい。って、そうじゃない。僕は慌てて視線をそらす。

「すみません、あまりの美しさに見とれてしまって」

「あら、殿方のようなことを仰るのね」

 僕は恥ずかしくなって下を向く。耳まで赤くなってるのが自分でもわかる。

「そろそろいいかしら。紹介するわ」

 学園長のイセンセの声に、僕は顔を上げる。

「まず彼が、あなたたちの入る紫翼学級一学年の担任教師のシウヨキン・ニンタよ」

「はじめまして、これからよろしく」

 黒髪の男が無表情でお辞儀をした。それから、イセンセが僕を手で示す。

「彼女はアリア・イカーガミカ。入学試験の全科目を推薦で通るのも、子爵家以下から紫翼学級に入るのも、このカナンマ学園初の快挙よ。多方面で活躍されてるから、名前は聴いたことがあるでしょう」

「紹介に与りましたイカーガミカ家三女のアリアです。よろしくお願いいたします」

 僕は右手を首の左側に当てる古い形の敬礼をする。イセンセは頷き、それから美しく可愛らしい少女を手で示す。

「彼女がアリメレット・クヤクア・クゾキナパッリ。陛下からクヤクアの名を賜られた才女よ」

「わたくしはクゾキナパッリ公爵家長女アリメレット、よしなにお願いするわ」

 アリメレット様はカーテシーも美しい。

「あら、公爵家の娘がそんなに珍しいのかしら」

 アリメレット様の言葉に僕はハッとして軽く首を振って姿勢を正す。

「いえ、その、お初にお目にかかります!」

「公爵家と言っても、わたくしはただの娘。それにカナンマ学園の敷地の中では、身分の別なし、とのことよ」

 ヤバい。美しい。天使だ。天使がいる。

 パンッと手を叩く音に顔を向ける。イセンセだ。

「そろそろいいかしら。我がカナンマ学園には、学生自身が学園生活をより良くするための学生会があるの。その役員は各学年から2名か3名が担っているわ。1学年からは、入学試験の首席と教員から推薦された学生が担うのが慣例よ」

 アリメレット様が可愛らしく「存じております」と応えている。僕はテキトーに「なるほど」と相槌を打つ。イセンセ学園長はさらに続ける。

「入学試験の科目を推薦で合格した新入生の成績は、推薦科目以外の成績を元に推薦資料を検討して、総合的に判断して決めているわ。推薦資料をそのまま信じては不正の温床になるので、他の科目の成績を基準にして資料を読むことにしてるの」

「僕の推薦資料を判断するための材料がないから、僕の成績順位をつけられない、ということですね。でしたら、僕の成績を最下位にしておけばいいかと思います」

「それはそれで、アリア嬢、あなたを推薦してくれた方々を軽んじていることになるわ。それに、あなたの成績を最下位にしたら紫翼学級に入れる根拠を問われるわ」

 それは確かにその通りだ。となると、少し面倒な状況ということか。

「だからと言って、アリア嬢を首席新入生としても、やはり問題があるわ。それはわかってもらえると思う。だからね、特別措置としてアリア嬢の成績順位を出さないことにしたの」

「出さない?」

「ええ、入学試験の成績は出さずに保留扱いとして、春試験に準ずる、としておこうかと」

 僕は「なるほど」と頷く。それから、アリメレット様と担任教師と紹介されたシウヨキンをちらりと見る。アリメレット様は横顔も美しい。白い肌が輝いて見える。

「話がそれだけなら、僕だけを呼べば済む話ですよね。続きをお願いします」

「話が早くて助かるわ。アリア嬢の成績を保留にしても、そもそも男爵家から紫翼学級に入った、というだけで目の敵にされるわ。いくらカナンマ学園が身分の別なしと掲げても、家の爵位の差が門の外に明確にある。アリア嬢も、妬み嫉みで家族や商会に危害を加えられたくないわよね」

「そうですね。妬み嫉みでも、それ以外の理由でも、僕や僕の家族や商会の人に危害が及ぶのはイヤですね。と言いますか、誰だってどんな理由だって危害は加えられたくないですよ」

 イセンセ学園長は「そうね」と笑った。

「それでね、アリア嬢とアリメレット嬢が1学年の学生会の役員になってね、一緒に行動することが多ければ、と思ったの。成績の確定していないアリア嬢を除けば、アリメレット嬢が首席だもの。クゾキナパッリ公爵家の長女でクヤクアの名を賜っているし、アリメレット嬢を首席として学生会役員に任命しても批判は出ない。そのアリメレット嬢と一緒にいる姿が見られるうちは、アリア嬢の家や商会に危害を加えられることはないと思うの」

 僕はアリメレット様の素敵な横顔を眺める。アリメレット様と一緒にいられる時間が増えるのは嬉しい。誰だって美しくて可愛らしくて素敵な人と一緒にいられるのは嬉しいはずだ。でも、これはそれだけじゃない。

「それって、僕の代わりにアリメレット様に矢面に立て、ということですか」

「わたくしは構いませんことよ」

 僕は目を見開いた。アリメレット様を見つめる。

「ここの学生ぐらいなら、誰もわたくしに弓を構えることすらできないもの。矢面に立つ必要すらないわ。それぐらい、些細なことよ」

 アリメレット様が僕の方を向いて微笑んだ。ああ、気高い。尊い。神だ、神がいる。天使じゃない、女神様だ。

 アリメレット様の瞳の青は叡智と意思の青だ。まばたきのたびにアリメレット様の長い睫毛が揺れ、ターコイズブルーの髪の輝きは後光のようで、そんなアリメレット様が慈悲の微笑みを浮かべていらっしゃる。

「あの、いつまで見つめているのかしら」

「す、すみません、アリメレット様のあまりの慈悲深さに呆然としておりました! 好きです!」

「ななな、な、何を急に仰るの!?」

「思わず口走ってしまいました! 忘れてください!」

 顔が熱い、耳が熱い、僕は何を言ってるんだ、バカじゃないか!

「ふふふっ、仲良くやれそうで良かったわ。そういうことで、アリメレット・クヤクア・クゾキナパッリ、アリア・イカーガミカ、お願いね」

 アリメレット様と「わかりました」の声が重なった。それだけで嬉しい。

「シウヨキン、そういうことだから、ふたりをしっかり見るように」

「はい、もちろんです」

 黒髪の男が頷いた。そういや、おったな、こんな男。


 大講堂で入学式が始まり、ひとりずつ名前を呼ばれて入場していく。最初に呼ばれたのがアリメレット様で、僕は紫翼学級の最後に呼ばれたため、アリメレット様の可愛らしい後ろ姿がよく見えない。理不尽だ。

 すべての新入生が名前を読み上げられて入場すると、学園長式辞としてイセンセ学園長が形式通りの挨拶をする。

 そのあとに、待ちに待ったアリメレット様による新入生の宣誓だ。原稿を丁寧に読んでいく姿は美しくも愛らしく、耳に心地いい。今日のこの式は、この時間のためにある。

 アリメレット様の宣誓が終わり、余韻に浸りたいのに、入学式は進行していく。まったく鬱陶しい。

「在校生、歓迎の挨拶。在校生代表、紫翼学級二年ユリアム・ジオー・チイーダ・ギシフキテス」

「はい」

 名前を呼ばれて登壇していく男の金の髪を見て、僕はここがどこなのかわかった。どうして今までわからなかったのか。ようやく思い出した。

 この世界は、乙女ゲーム『ギシフキテスの翼』の世界だ。


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