第100話 おっさんと姫と犬

 現在、亮太達一家は椿所有の廃寺の敷地に建てられた離れに住んでいる。


 何故そうなったか。全ては椿の無計画さにある。あの後思い切りよく吉永家に嫁にいった椿だが、無理してこっちに来なくていいよというユウキとユウリの言葉を鵜呑みし、ある時亮太がふと漏らしたタクシー運転手との会話の内容を思い出したのだろう、廃寺を一部改修してお寺カフェにすることにした。


 それはまだいい。リキと二人、仲良く切り盛りしていって欲しいと微笑ましい気持ちで見ていた。そしてある日ホームページを見せられて愕然とした。近日オープン予定は分かる。そこに何故『元バーテンダーの美味しいお酒と料理もご提供』と書いてあるのか。


 問い詰めると、お酒を出せたらいいかなと思って書いたとほざいた。亮太が更に詰め寄ると、「実は料理も出したいんだけど作れる人がいなくって」とカカカッと笑われた。滅茶苦茶な計画だ。だがもう情報は発信されてしまっており、ビラも作って配ってしまったという。


 亮太はコウとも相談した上で椿に条件を出した。亮太はその時点でバーテンダーと画家の二足のわらじを履いていた。バーテンダーは正直深夜勤務で身体もきつかったので転職も考えていたところだ、だからまだいい。だが、画家の活動は続けたい。まだクループ展の範疇から出ておらず個展など夢。それに出来ればもっと収入も増やしたい。なので、お寺の一部スペースをアトリエにして子供のアトリエ教室をやらせてもらうことが雇用される条件となった。


 まだ改修の途中であった為、しかも椿の兄のヨウジの古い知り合いの大工に依頼しているということで、近所に家を借りようと探していた亮太達に何も知らせぬまま離れをぽんと追加で建ててしまい、ここに住んでいいと言われてしまった。さすがにこれは拙いだろう、お金の問題もある。亮太が焦って固辞しようとしたところ、椿が実に言いにくそうに笑った。こいつのこういう笑いは大抵何か裏がある。亮太が嫌な予感のまま問うと、椿が頭を掻きながら言った。


「いやさー、よく考えたら金勘定もうちら苦手だし、手続きとか諸々絶対亮太さんの方が向いてるかなって。これはその袖の下というか、はは」


 ということで、なんと亮太は意図せず経営者となってしまったのだった。勿論ただでもらう訳にはいかないので少しずつ返済することにはした。


 下北沢のバーは丁度大学を卒業するシュウヘイに店長の座を譲った。タケルもすっかり接客に抵抗がなくなったので思い切れたというタイミングの良さもあった。


 もしかしたらこれもコウのご利益の一つなのかもしれないな、ふとそう思ったことを覚えている。

 ちなみにアトリエは順調だ。亮太が想像していた以上に子供好きだったのもその理由の一つかもしれないが、とにかく絵を描くのを楽しんでいるのが大きいかもしれない。


 そして季節は春。現在コウは二人目を妊娠中、そして信じられないが椿も一人目を妊娠中である。リキと椿は寺の居住スペースに住んでいるので、妊娠については先輩のコウがあれこれ面倒を見てやっているのが現状だ。


 だが問題は人手である。それまで椿がイケメンっぷりを発揮して女性客をがっちりと掴んでいたが、つわりが思ったよりも酷く動けない状態。リキはオロオロするばかりであまり役には立たないし、さてどうしようと悩んでいたところで舞い込んできた話があった。


「へえ、お洒落じゃない」

「デザインはリキが考えたんだってよ」

「リキ様もセンスは元々ありますからね」


 今は客が少ないのでリキにその場を任せて亮太が案内しているのは、四月から大学生になるアキラと付き添いの蓮だ。蓮は通信教育で神職資格取得通信課程を取得した。これでいつでも神社を継げるらしい。戸籍とかそれまでの学歴をどう公的なものにしたのかははっきりとは教えてくれなかったが、アキラの父親が園田家の猿の逮捕現場の映像を市議会議員の父親にうまく使った結果らしい。全然お人好しじゃないじゃないかと思ったが、それはアキラも意外だったらしく、「普段温厚な人が切れると怖い」とだけ言っていた。成程、世の真理かもしれないなと思ったものだ。


「それで、私に御用とは?」


 黒髪を綺麗なツーブロックにした蓮は今時の若者にしか見えなくなっている。今回、大学入学で上京するアキラの面倒を見る為一緒に上京することになったが、アキラが学校に行っている間は暇に違いない。いやきっと暇だ、絶対暇だ。


 ここのところの人手不足で疲弊していた亮太とリキは、この強力な助っ人になり得る蓮を逃すつもりはなかった。


「日中、ここで働いてほしい」

「……だろうと思いました」


 蓮が苦笑いする。こいつも大分人間臭く笑う様になったものだ。若干色々じじむさいのは仕方がないのかもしれないが。


「なので椿から貢ぎ物がある」

「み、貢ぎ物?」


 蓮の笑顔が引き攣る。まあ気持ちは分かるが、今は亮太は椿側に立っている。何としてもこの交渉を成立させねばならなかった。


「椿の所有する秋葉原のマンションを賃料なしでレンとアキラに貸し出す」


 すると、アキラが疑わしそうな目で亮太を見た。こいつのこういう目も久々だ。


「裏、教えて」


 うん、まあそう来るだろうことは分かっていた。亮太は素直に白状することにした。


「アキラも手伝って下さい。出来れば女性陣のサポートをメインに」


 それに正直二人分も給金を出すのがまだ厳しい。だが明らかに人手が足りていない。これから子供も生まれるのに父親達が何もしないのもないと亮太は思う。それにサチがいる。仕事をしながらサチを日中見る? 無理だ。あの子はそこに気になるものがあったらズンズン進んで行ってしまうのだ。子供は伸び伸び育ててはあげたいが、妊娠後期や産後間もないコウに一人で? いやいやいや。


 アキラがじーっと亮太を見ている。何かが足りなかった様だ。亮太は潔く頭を下げた。


「お願いします! お金はそこまで出せないけど、美味い飯は用意するから!」


 すると、頭上からぷっという笑い声が聞こえてきた。え? と思って顔を上げると、アキラが笑っていた。


「亮太」

「お? おお」


 何を言われるんだろうか? 亮太が構えていると、アキラは大分大人びた笑顔を見せて言った。


「今度は私が返す番だから」


 亮太が驚いていると、隣の蓮も笑顔になった。


「勿論私もですよ、亮太」

「アキラ……レン……」


 最低賃金に毛が生えたくらいだがいいだろうか。喉から出かかった言葉を引っ込めた。この雰囲気を台無しにする程野暮ではない。


 亮太はもう一度しっかりと頭を下げた。


「ありがとう……!」


 助けて欲しい時はちゃんと伝えろ、甘えたっていいんだから。三年前に亮太がこの二人に伝えたかったことが、今巡り巡って亮太に返ってきた気がした。


 ああ畜生、また涙腺崩壊だ。これじゃ顔を上げられない。


 袖でぐしっと涙を拭いてから亮太が顔を上げると、蓮が店の方を見ていた。


「お客様の様ですよ。少し肩慣らしにお手伝いしてきましょうか」


 そう言うと店の方に向かって行った。残されたのはアキラと亮太の二人。


 亮太は気になっていたことを小さな声で尋ねてみた。


「アキラ、レンとはどこまでいったんだ?」

「……何、どこまでって」


 アキラの冷たい目。


「いや、少なくとも恋人同士にはなったのかなあと」

「……」

「まじか」


 この三年間、何も進んでいなかったのか。まあアキラは子供だったし蓮も人間になったばかりで大変ではあっただろうが、奥手にも程がある。


 ここはお節介でお人好しのおっさんの出番ではないだろうか? 亮太はアキラにこそっと聞いてみた。


「アキラ、俺がレンにどういうつもりか聞いてやろうか? あいつはどうもイベント事とかに疎いところがあるからな、もしかしたら実はもう付き合ってるつもりだったりとかして」

「……そこまで酷い?」


 亮太は深く頷いた。


「ほんっとあいつは鈍感だからな、何も言わないし、言おうとすると固まるし」

「……成程ね」


 亮太の目の前にいるのは、子供から大人の女性に変化しつつある一人の美しい女性だ。だから、今なら蓮ももう子供だからと逃げはしないに違いない。


「そろそろ色仕掛けもいけるんじゃねえか?」


 そう言った後に、しまったこりゃおっさん発言だ、と思ったが。


「ふふ、サイテー」


 三年前の様な絶対零度の目線ではなく、温かみのある目をしてアキラが可笑しそうに笑った。


 その笑顔につられて、亮太も笑顔になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな ミドリ @M_I_D_O_R_I

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ