第85話 僥倖

 詳しい話はまた夜に、とユタカと別れスーパーで食材を買い込み帰宅すると、ようやく気落ちから復活したらしい蓮が人間の姿に戻って米を砥いでいた。


「お帰りなさいませ」

「あ、米ありがとうな」

「いえ、こちらこそ申し訳ございませんでした」

「いや、いいことあったからむしろ良かったかも」

「いいことですか?」


 コウが手を洗うと部屋へと戻っていった。「お帰りなのー」というみずちの声が聞こえる。


「いや、今度俺の描いた絵をグループ展に出してみないかって話をされてさ」


 亮太は喋りながらも手を洗うと食材を取り出し洗い始めた。


「ほう、さすがは天鈿女命アメノウズメノミコトの未来の伴侶ですね。これが相性というものなのでしょうか」


 言っている意味がよく分からない。亮太が首を傾げると、蓮が笑顔で説明し始めた。


「それぞれの神にはご利益りやくというものがございます。天鈿女命アメノウズメノミコトは芸能の神様ですからね、そういった方面での幸運は舞い込みやすいのです」

「え? そうなのか?」


 ということは、これは亮太の実力ではなくコウのお陰ということだろうか。


「ですが、そこには勿論ベースとなる実力が必要となりますよ。何の取り柄もない人間がご利益を得ようと思っても何も起こりません。そこには必ずそれ以前に積み上げた努力が必要となります。また、努力の継続なくしてご利益は続きません」

「ふうん?」

「つまり、努力の末の一芸に秀でていない者はその恩恵にすらあずかれないということです。なので自信を持って下さい。これは亮太の実力があってこその福なのです。アキラ様は豊穣ほうじょうというご利益がありますが、ここでは何も育てていないので一切ご利益はありませんよね? そういうことです」

「ズルじゃないってことか?」


 蓮が屈託のない笑顔になった。


「当然です。そうですね、考え方としては、亮太は僥倖ぎょうこうに会われたのですよ」

「僥倖……」


 それは何とも素敵な考えだ。だが。野菜の皮を剥きながら、亮太は言った。


「僥倖っていうなら、お前達に出会えたことがそもそもの僥倖だな」


 そして笑顔を蓮に見せると、何と蓮の目が潤んでいるではないか。


「れ、レン? 俺なんか変なこと言ったか?」


 ぐし、と袖で目を拭いた蓮が、小さく言った。


「いえ、そうではないのです。亮太……ありがとうございます」

「何でお礼?」


 意味が分からない。蓮はその質問には答えず、にっこりと笑うだけだった。



 亮太の復帰作第一号はその週の内に無事に仕上がり、亮太はそれをコウにプレゼントした。


「これはグループ展に出さないでいいの?」

「ああ、だってこれはコウが俺に描くきっかけを与えてくれた大切な一枚だからな」

「あ、僕もちゃんといるのー」

「勿論コウもいるぞー」

「わーい」


 みずちはもう亮太とコウが手を繋いでも勝手に変化しない。天候もコントロール出来る様になり、ちょっとの間だけ雨を降らすなんてことも出来る様になってしまった。どんなに小さく可愛らしくとも、みずちはれっきとした蛟龍という神獣なのだ。


「そうすると、次は何を題材に描くんだ?」

「そう、それなんだけどな、グループ展の開催日までそこまで日数もないから、今回は小さめのキャンバスに数点描いたのを出してみようかと思ってるんだけど、今まで見た狗神やコウや神器の光をそれぞれまとめてみようかと思ってる」


 コウとみずちが描かれたキャンバスを眺めていたコウが、名残惜しそうに上に布を被せた。今は手狭過ぎて飾る場所がないので、全て落ち着いた時にきちんと飾ろう、コウとはそう話し合ったので、暫くの間は押入れが保管庫だ。


「光? そういえば私の名前を知った時も言っていたな」

「ああ。光っていうか色彩っていうか、言葉じゃ上手く言えねえけどさ、俺が惹かれたもんだ。だから人物じゃないんだけど、それが描けたら今度はアキラも描いてみたいし、蓮も描いてみたいし」

「描きたいものだらけだな」


 クスリとコウが笑った。


「そうなんだよ。どうしちまったんだろうな」


 亮太も笑った。次から次へと色々な色彩が脳裏に浮かんでは消えていくのだ。これをキャンバスに移していく作業をしない限り、いつまでも描け描けと亮太を急かしてくる、そんな気がした。


「じゃあ暫くモデルは要らないか。でも横で見てていい?」

「僕も見たいのー」


 二人のコウが亮太にねだる。こんなに幸せでいいのだろうか、と亮太はまだ幸福に違和感を覚える。だがいつかこの幸福にも慣れる時が来るのだろうか。


 でも、出来るなら慣れたくはない。ずっとずっと、この幸福の奇跡に感謝をしながら噛み締めて生きていきたい。


「勿論だ。二人共、ずっと俺の隣にいてくれよ」


 亮太はそう言うと、コウの腕に絡みついたみずちごとぎゅっと抱き締めたのだった。



 あれからもアキラはとてもよく食べる。いや、むしろ前よりも食べる様になった。蓮がかさ増しの為にやたらとイモ類を買ってくるので、ここのところ連日芋料理が続いている。まあ美味いからいいのだが、さすがにちょっと飽きてきた頃。


 アキラと蓮は荷支度を終えて玄関に居た。


 この家に居たままアキラのみ二日間の絶食は酷だ。その為、アキラと蓮は先に廃寺に籠もることとなった。今日は鍵の引き渡しで椿とリキとは現地集合の予定である。二人共明日は仕事があるとのことで、明朝一旦帰宅し明後日合流する予定となっているので、今日は普通に食事をし、明日から絶食開始だそうだ。蓮はアキラの絶食に付き合うつもりらしい。


 それまで仕事がある亮太は、明後日あさっての昼頃に向かうつもりだ。そして早ければその日の夜に最後の八岐大蛇退治が決行されることとなる。


 それぞれ神器を所有するコウとみずちも行った方がいいかと亮太が聞いてみたが、蓮が首を横に振った。


「コウ様だけのお食事も用意しにくいですし、食べませんとコウ様はすぐにひっくり返りそうですからね」

「コウは食事よりも酒だからなあ」

「それは亮太も一緒でしょう」

「俺はもう量が入らないんだよ、年だ年」

「ふふ」


 蓮と亮太の会話を聞いてコウが笑った。


「私のコウも、私と亮太と一緒に居たいと言ってるしな」

「だって僕、お寺寒いからコウ様と一緒がいいんだもん」

「それは私と居たいのか、それとも八咫鏡と一緒に居たいのか?」

「両方一緒なのー」

「私のコウも言う様になったな」

「へへー僕ももう大人だからねー」


 ひたすら幼いばかりだったみずちも、段々と発言内容が大人びてきていた。といってもこの喋り方なので幼さはちっとも抜けないが。


「まあ、何かあったら連絡くれ。すぐに都合つけて飛んで行くから」

「お空をひとっ飛びなのー」


 みずちが自信満々で言う。それを蓮は冷めた目で見る。


「……さすがにこの辺りで飛ばないで下さいね」

「分かってるって」


 亮太が請け負うが、蓮は疑わしそうに見てくるばかりだ。


「不安です。亮太もコウ様もみずちも後先考えずにすぐ調子に乗りますからね」

「は、ははは」


 否定は出来ない。ストッパーの蓮や絶対零度のアキラの視線がないと、確かに亮太もコウもみずちも好き勝手に自由にやってしまう、それは今から分かった。


「まあ、俺基本仕事だし」

「筋トレと走り込みは忘れないで下さいね」

「忘れないよ、大丈夫だから」

「私が自転車に乗って一緒に走るよ」


 コウが細い腕で力こぶを作って見せたが、全く盛り上がらない。


「コウ様はすぐ亮太を甘やかしますから、心を鬼にしてお願い致しますよ」


 蓮はまだ不安らしい。考えてみれば、出会ってから一日以上離れたことはなかった。こうやってふわふわしたアキラの両親の元を去れなくなってしまったのだろうな、と気付き、亮太は笑った。全くこいつは。


「俺達は大丈夫だ。だから、アキラのことはお前に任せた。――頼むぞ」


 蓮の肩をポン、と叩いた。次いで、玄関のドアの前で待機しているアキラにも言う。


「アキラ、レンを頼むぞ」

「任せて」


 親指をぐっと立ててアキラが頷いた。蓮は何か言いたそうだったが、もういい加減行かねばならない時間だ。大して大きくもない荷物を持つと、亮太達にぺこりと会釈をした。


「では行ってまいります」

「おう、二日後な」

「はい、お待ちしておりますので」


 そして神とその神使である狗神は、ドアの外へと消えていったのだった。

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