第十三章 嵐の前の
第84話 そんな目で見られてももう気にしない
十月も終わりに近付き、八岐大蛇の首は残すところ二匹半となった。
次回の
空中散歩を楽しんだ夜、アキラの背中をコウが確認した。コウ曰く、やはり半分残された首の切れっ端は残りに吸収されたそうだ。だが残った二匹に均等には吸収されていないそうで、次回はどちらが出てくるのかはその時にならないと分からないという。蓮がそれを見せて欲しいと頼み込んでいたが、アキラは断固拒否していた。
「亮太からもお願いして下さい」
どうしても封印の状態が気になる蓮が、困った様子で亮太にお願いしてきた。珍しいこともあるが、頼む相手が間違っている。
「俺が無理矢理見て怒らせたのは覚えてるだろ?」
「あれは亮太がその道の姐さんの様だと仰ったからでしょう」
「それで怒ったんだっけか?」
あれから色々なことが立て続けに起こり過ぎて、あまり覚えていない。すると、アキラがいつもの軽蔑した様な視線を寄越してきた。
「ぺったんこに興味はないとかも散々言ってた」
「あー」
何となく思い出してきた。
「じゃあさ、コウにケータイで写真を撮ってもらおう。それでどうだ?」
「……まあ、それなら」
要は服を捲られて関係ない所まで見られるのが恥ずかしいのだろう。亮太とて好き好んで中学生の色気のないスポーツブラなど見たくはない。
「コウ、お願い出来るか?」
「ああ」
率先して食器を洗ってくれていたコウが、手を拭くと亮太の携帯を受け取る。亮太は蓮を台所へ行き、硝子戸をガラガラと閉めた。納得いかない表情をしている蓮の肩に腕を乗せ、言う。
「お前はもうちょっと女心ってやつを考えた方がいい」
「亮太に言われたくはありません」
「俺は分かった上でおっさんだからついやっちまってるんだよ」
「おっさんを言い訳にばかりしているとコウ様に見捨てられますよ」
「……お前も言うようになったな」
「お陰様で、亮太と一緒に過ごしている内に大分口が達者になりました」
ああ言えばこう言う。前はただ真っ直ぐな奴だったが、これに嫌味が加わると厄介だった。
「折角黙ってやってるのになあ」
ちらりと蓮を見る。蓮の整った顔が渋いものに変わった。亮太はここぞとばかりに追撃する。
「ちゃんと言葉にして伝えないと、そっちこそ逃すぞ」
「……分かってます」
「お前はどうも一歩引いてるからな」
「それも分かってますから」
分かっているならいいが、八岐大蛇から解放され、リキとの婚約も解消された後はアキラは自由だ。そこでがっちり捕まえておかないと、鳶に油揚げをさらわれることになりかねない。女というやつは、子供だと思っていてもあっという間に大人の女性になっちまうものだ。
「クリスマスとか誕生日とか初詣とか、イベントはきっちりやるといいぞ」
「そういう亮太はクリスマスはどうされるのですか」
二人共、つい声が小さくなる。
「いやさ、二人きりもいいんだけど、蓮やアキラが島根に帰るならその前に一緒に楽しみたいし。あ、でもその前に落ち着いたらコウの家に結婚のご挨拶にも伺わないと。まあイブは仕事だけどな」
「成程、ではクリスマスパーティーは昼間に婚約祝いも兼ねて行なってみては如何でしょう」
「それいいな。あ、お前、アキラへはプレゼントどうするんだ」
「まだ特には考えておりませんが」
「俺はコウと結婚指輪買いに行かないとなあ。婚約指輪はさすがに金が」
「切実ですね。ですが小判がまだ残っていたかと思いますが」
「ありゃあだってそっちのだろ?」
「ですが亮太の給料はほぼアキラ様の腹の中に納まっているのは事実ですよ」
「まあそうなんだけどさ」
ヒソヒソヒソヒソ。
硝子戸を閉めているので聞こえない筈だが、楽しい計画と金の話は出来ればバレない様にしたい。それは蓮も同じらしく、でかい男二人が肩を寄せ合い内緒話をしているが、こんな姿はなるべくなら見られたくなかった。
すると、ガラッと硝子戸が開いた。亮太と蓮はビクッとして急いで離れると、コウがそれを見て怪訝そうな顔をした。
「何だ?」
「いや、晩飯の献立の相談をな」
「ふうん?」
こういうところはコウは鋭い。だがそれ以上聞かない思慮深さも持ち合わせている。つまりはとてもよく出来た恋人なのだ。
「どうだ? 撮れたか?」
するとコウが首を横に振った。
「え?」
「写らないんだ」
「……は?」
コウが肩をすくめた。
「何度撮っても、綺麗なシミひとつない背中しか写らないんだ」
そんなことがあるのか。だが考えてみれば八岐大蛇は本来この世の物ではない。
「どれ、見せてみろ」
「亮太! いけません!」
急いで蓮が亮太の腕を引っ張った。何だ何だ。あまりの蓮の剣幕に、亮太は若干引いた。
「な、何だよ」
「し、シミひとつない背中の写真と分かっているのに見られるなど、恥ずかしくはないのですか!」
「別に封印がないかどうかを確認するだけだろ」
「いけません! 代わりに私が見ます!」
「何だ、お前が独り占めしたいだけか」
「そんなことはございません!」
コウが持っている携帯を亮太と蓮が奪い合おうとするが、互いが互いを邪魔して奪えない。
すると、部屋から台所に入ってきたアキラがぶすっとふてくされた顔をしてコウの手の中から携帯を取り、操作し始める。
そして亮太と蓮に見せた。そこには『消去しました』とあった。
「何だよ、消したのか」
「アキラ様、何故私に見せていただけないのですか」
掴み合いをしていた亮太と蓮に向かって、アキラが絶対零度の視線で低くひと言告げた。
「サイテー」
◇
蓮が面白い位に凹み犬の姿に戻り丸くなってしまったので、亮太とコウは手を繋いでスーパーに向かっていた。勿論亮太はこの程度ではもう凹まない。おっさんになると大分神経も図太くなるものだ。
今日は遅番なので、ゆっくり家を出られる。その為、亮太とコウはのんびりと下北沢の駅前の通りを散歩がてら歩いていた。エスニック風の雑貨屋を覗き、暖かそうなニット帽を被ってみせるコウは文句なしに似合っていて可愛い。亮太の目尻は下がりっぱなしで、こんなところを店の客に見られたら溜まったものではないが、でもコウと楽しくウィンドウショッピングもしたい。
見られたっていいじゃないか、そう自分に言い聞かせていると。
「亮太くん!」
聞き覚えのあるしゃがれ声が呼びかけてきた。亮太が人が多く行き交う通りに目を向けると、にこにこと恵比寿様の様な柔和な笑顔をした自称ロマンスグレーのユタカが手を振っていた。
「ユタカさん、昼間に会うなんて珍しいですね」
「おう、ちょっと今日はね……て、そちらのお嬢さんが噂の亮太の彼女さんか!」
隣に立つコウを見てユタカが言うと、コウは微笑んでぺこりと挨拶をした。
「コウです。いつも亮太がお世話になっています」
サラッと言われ、亮太は思わず背筋がゾクゾクしてしまった。うおお、これは堪らない。
「はは、まるで奥さんみたいだね」
「あ、ユタカさん。実は俺達婚約しまして」
「え!? 本当!? いやーおめでとう亮太くん!」
ユタカは亮太の手を両手でがしっと掴むとブンブン縦に振った。
「いや実はさ、今日は亮太くんに話があって夜に店に寄ろうと思ってたんだけど、まさかその前におめでたい話を聞けるなんて思わなかったよ!」
人の良さそうな顔で人の良さそうなことをユタカが言った。そう、この人は基本とてもいい人で包容力のある大人なのだ。亮太の特に好きな客の一人である。
「話? 何ですか?」
ユタカが亮太の手を離すと、今度は謝る様に手を合わせて拝んできた。
「実はさ、シュウヘイくんに無理にお願いして、亮太くんが描いた絵を見せてもらっちゃったんだ。勝手に見てごめんな?」
「絵? ああ、店の裏に置いてありますからね。別にいいですけど、それがどうしました?」
ユタカがジーンズのポケットから財布を取り出すと、名刺を一枚取り出し渡してきた。
「実は僕、若者達のアート活動の支援を友人達と始めてさ。まだ個展を出せる程じゃないけどいい作品を作る人達で今度グループ展を開こうって話になったんだよ」
確かに下北沢にはそういった特設スペースの様な場所も多い。その内の一つなのだろう。
「で、前に亮太くんが絵を描き始めたって言ってたろ? まだ場所に少し余裕があるから、いい物だったら是非と思って、亮太くんいなかったし、勝手に見させてもらったんだよ」
つまり、どういうことだろうか? まさかな、と亮太は思う。だって、若者達のアート活動と言っていた。亮太は間違っても若者ではない。
「だからさ、もう何枚か描いてグループ展に出してみない? 絵だと結構高値で売れたりするよ。結婚するならお金も要るだろうから丁度いいんじゃないかな?」
「……え?」
驚いている亮太の横で、コウが小さく頷いた。
「とてもいい話だと思います。ね、亮太?」
恵比寿様が亮太に福を運んできた。亮太はまだ呆然としながらも、頷いてみせたのだった。
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