第55話 そんな起こし方はやめて欲しい

 翌日は予報通り雨だった。


 十月の雨はもう冷たい。濡れたアキラをすぐに避難出来る様にしてやらないと風邪を引くかもしれないので、今回はまずは周囲を八咫鏡やたのかがみで暖めてから挑むことにした。コウは八咫鏡がすっかり暖房器具と化していることに納得がいかない表情をしていたが、実際に暖房機器としての用途に適しているので仕方がない。


 外気に触れていない状態の三匹目の首ならば亮太と狗神とみずちだけでなんとかなるのではないか。であれば、コウはアキラに付いてもらいそれ以上首が出てこない様温めてもらう。アキラの非常食チー鱈をそれまで奪われぬ様保管しておくのもコウに託した。


 亮太はとにかく時間ギリギリまで寝ることにした。上手く退治がすんなりと終わったら今日は焼き鳥を食べに行こうという話になり、ならば飲んで飲みまくるというコウも何故か布団に潜り込んできた。同じシャンプーを使ってるのに何故こうもいい香りがするのか、亮太には理解出来なかった。おっさん臭がまだ発せられてないからかもしれない。おっさん臭とシャンプーの香りは混ぜると化学反応を起こすのかもしれなかった。


 亮太とコウの頭の間でみずちが幸せそうにうふうふと言っていた。その気配を感じ、成程、コウは少しでもみずちが成獣に近くなる様亮太の近くに居るのだということに思い至った。そういうことなのだ、ようやく納得出来た。思わず変に勘ぐってしまった自分を亮太は恥じた。


 コウの体温が布団から伝わってきて、ポカポカする。すると急に睡魔が襲ってきた。


 寝入る瞬間、力が身体から抜けていくのが分かり、亮太は意識を手放そうとした。すると、亮太の目にかかった前髪をサラ、と避ける指があった。曾祖母ちゃんだろうか。


 いつまでも亮太は可愛いひ孫なのだろう、例え亮太がおっさんになっていても。


 亮太の口が嬉しそうに笑い、今度こそ意識を手放した。



 亮太の髪にサラサラと触れ、頬をツンツンする指があった。


「亮太、起きないのー」


 みずちの声が頭の上の方から聞こえてきた。とすると、ツンツンしているのはみずちだろうか。


 アキラの起こし方よりは可愛らしい。あいつのは遠慮もくそもないからまだこちらの方がいい。


「コウ……?」

「亮太、起きたか?」

「……え?」


 すぐ耳元から人間のコウの声が聞こえてきた。コウはコウでもこっちのコウだった。その近さに驚いて思わず振り向くと、すぐ目の前にコウの顔があった。


「おわっっちっ近い!」


 慌てて飛び起きると、亮太の枕に頭を乗せていたコウが亮太を見上げて笑った。


「もう少し起きなかったら耳に息をかけてみようかと思ってたんだが」

「そんな新婚さんみたいな起こし方はやめてくれ……」


 寝起きにこの美形はやばかった。箱入り息子だから分かってないのかもしれないが、男でもいいからという輩がいたら襲われてもおかしくない。女がいい亮太ですら心臓がバクバクしている。


 額を押さえて深く息を吐いた。驚いた。


「ヤエコさんがやれやれって言うからつい調子に乗った。大丈夫か?」

「曾祖母ちゃんが? もう……何言ってんだろなあの人」

「とにかく明るい方だからな」


 コウは言いながらキッチンへと歩いて行った。


「あー心臓止まるかと思った」

「そんなに驚くとは思わなかったんだ」


 笑いながら亮太に水が入ったコップを渡してきた。


「暫く人肌に触れてねえからなあ。距離が近いのは驚くよそりゃ」

「ふふ、そうか」


 最後にきちんと付き合ったのはいつだったか。とりあえずここ数年は記憶になかった。まあ付き合う前段階までは時折あったはあったが。


 亮太が水を飲み干すと、コウが静かに受け取ってまたキッチンへと戻って行った。

 辺りを見回すと、狗神とアキラがいない。


「あいつらどこ行った?」

「先に行った。いつもの神社で待っているそうだ」

「え? もうそんな時間か?」


 窓の外を見ると、確かにもう大分暗い。


「よく寝てるからギリギリまで寝かせてやってくれとアキラが言うものだから、そうさせてもらった」


 亮太の眉尻が思い切り下がった。またあいつに気を遣わせてしまった。


 亮太は急いで着ていた部屋着を脱ぐと、今日は動きやすさを考慮して足首がすぼまったスウェットパンツに長袖のクルーネックシャツ、ダウンのベストを着た。その後の焼き鳥のことも考えて、なるべくおっさん臭く見えない形のを選んでみた。買った時は大分細身でピチピチだと思ったが、鍛えたお陰だろう、姿見の鏡で見てもそこまでおっさん臭くはない。やはりこういうのは体型が大きいのだと改めて実感した。


 頭に寝癖が付いていたので、ニットキャップを被った。すでに支度が終わって待っているコウは先日貸した亮太のブルゾンを着ているが、どうも首元が寒々しい。押し入れから赤いマフラーを出すと、コウの首に巻いてやった。


 コウの胸元にかかったホッカイロとタオル入りのミニポーチの中からみずちがひょっこりと顔を出した。


「亮太はやっぱり優しいのー」

「はは、そう言ってくれるのはコウ位だけどな」

「私もそう思っているよ」

「お、一人増えた」


 たたきでスニーカーを履き、しっかりと紐を結んだ。失敗は許されないのだ。


 亮太は前方を睨んで言った。


「よし。行こう」



 雨がしとしとと降り続いている。亮太とコウは大きめのビニール傘に入りながら神社へと向かった。もう空は夜に近い。晴れていれば夕焼けが見える時刻だが、雲が厚いのか既に夜の様だった。


 傘を持つ亮太の腕の服を小さく摘みながら、コウが上空を仰ぎ見る。


「柔らかいいい雨だな」


 亮太もつられて空を見上げる。確かに今日の雨は軽く、地面に落ちてもふんわり消えるかの様な柔らかさを感じた。


 二人はそのまま無言で神社の境内まで歩いた。八尺瓊勾玉やさかにのまがたまを首からぶら下げる亮太の目には、境内を緩く包み込む狗神の結界が見えた。いつもよりも範囲が広いからか、結界が薄い様だ。


「アキラが出れる様に薄くしてるのか。器用なものだ」


 コウがぼそりと呟いた。そうか、アキラは八岐大蛇を出した後はすぐに結界から出なければ、瘴気にやられてしまい更なる首を出現させてしまう恐れがあるのだ。


 出来れば二匹を一度に倒せればいいのだが、万が一亮太が怪我でもして暫く動けなくなっては残りを倒す時間がなくなる。ここは焦らず堅実にいくべきところだった。


 亮太達が境内に足を踏み入れると、白装束に着替えたアキラが雨の中立っていた。そんな物どこに用意していたのか謎だった。


 少し離れた場所で、禰宜の姿の蓮が祓詞はらえことばらしきものを小さく口の中で唱えているが、亮太が知っているものとは大分違う。簡略されていない方の祓詞なのかもしれなかった。


「亮太、私のコウを頼む」

「分かった」


 ポーチ毎みずちを亮太に渡すと、コウはポケットから八咫鏡を取り出し、結界内部に光を照らし始めた。降り注ぐ軽やかな雨が光を反射して、まるで踊る夜光虫の様に思えた。


 それまで暗かった結界内部が段々と光度を増していく。


 はっきりと見えていなかったアキラの顔が段々と見え始めた。目は半眼となり、アキラ自身が唱える祓詞と少しずつ大きくなる蓮の祓詞が重なり、異世界に足を踏み入れたかの様な錯覚を覚えた。


 美しい、一見は高天原たかまがはらの世界だ。


 だけど実際はここには闇があり、決して清らかな光だけの世界ではない。泥臭く人間臭い神と妖が争う葦原中津国あしはらのなかつくにで生まれた国津神くにつかみと妖の神使が、その運命に必死に抗おうとしている姿だった。


 ゆらり、とアキラの背後から黒い影が揺れて光を遮った。


 結界内部は光に溢れかなり暖かくなっている。亮太はポーチの中からみずちを取り出すと、ポーチをコウに手渡した。


「コウ」


 亮太がみずちに声を掛けた。


「お前の力が必要なんだ。また俺に力を貸して欲しい」


 みずちは真っ直ぐに亮太を見つめていた。


「僕、亮太を助けるの」


 水の煌めきと共にみずちが蛟龍へと変化していく。八岐大蛇の気配を感じると、亮太とコウが手を繋がなくても変化出来る様だった。

 

「コウ、大きくなったなあー」


 明らかに昨日よりも一回り大きくなっていた。


「ふふー」


 みずちは小さく楽しそうに笑うと、口をパカッと開けて草薙剣を取り出し始めたのだった。

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