第42話 三種の神器

 段々と朝晩とも冷え込む様になってきた。


 狗神はすっかり下北沢の道を覚えた。そのお陰で、亮太がいなくとも蓮とアキラで買い物に行ってくれる様になったのは本当に助かった。


 犬の放し飼いが禁止となっている地域では人間の姿を取らざるを得ない。その為狗神は人間の姿でいる機会が大幅に増えた。そんな蓮と一緒に街を歩けるのが余程嬉しいのだろう、極度の方向音痴で一人での外出絶対禁止令が出ているアキラは、きっかけを見つけては蓮を外へと連れ出していた。


 その頃亮太は、腕を組んで仁王立ちをして押入れの前に立って唸っていた。


 アキラは冬物のコートもいつの間にか調達してきており、冬服が増えるにつれて亮太の部屋は段々と手狭になってきていたが、かといって押入れの外にラックを置くのはスペースの問題上気が引ける。


 押入れに引き出しタイプのクリアケースを上手く入れたりしたら、きっともっと収納力は増えるに違いないが、一体こいつらはいつまで居るのか? そこが分からないので購入に踏み切れない。


 だって、買ってすぐに皆がいなくなったりしたら、亮太は悲しいを通り越して心が虚無になってしまうのは目に見えている。


「うーん」

「亮太、どうしたのー?」


 例によって亮太にべったりのみずちが、テーブルの上から亮太を見上げて聞いた。相変わらず小さく細い。


「いやなあ、冬服も増えてくるしどうしようかなあと」

「三人分だからねえ」

「そうなんだよなあ」


 元々が独り暮らし用の1Kのアパートである。いくら他のアパートよりは広いからといって、人間が三人も彷徨いていたら狭い。引っ越す様な金もなく、金があったとしても広い家に住んですぐ皆がいなくなったら、と同じことをぐるぐると考えた末に思考停止している亮太だった。


「狗神がタケルの家に行けばいいのー」


 あわよくば狗神を排除してやろうというみずちの希望が垣間見える意見だったが、そういう訳にもいかない。亮太はみずちの前に胡座をかいて座ると、テーブルに片肘をついた。


「駄目。タケルんちは他所んちだ」

「だって狗神、いつもお説教ばっかりなんだもん」

「そりゃ俺もいつもされてる」

「亮太家主なのにねー」

「そうなんだよなあ」


 この家の家主は当然亮太であるが、どう考えても家庭内順位はトップがアキラ、次いで狗神である。その遥か下位に亮太がいる様な気がしているが、果たしてみずちはどこにランキングされるのか。今のところ同率三位であろうか。


「そういやあコウ。お前のご主人様にはお前の居場所は教えなくていいのか?」


 相変わらず誰も自分の家に連絡を取ろうとしない。数日ならともかく、もう何週間も経っており、いい加減家族も心配しているのではないかと思ったのだが。


「コウ様は多分こっちに向かってるのー」

「はい?」


 思ってもみない話だった。


「僕、二回も草薙剣くさなぎのつるぎの門を開けたから、コウ様はきっと探しに来てくれるの」

「そんなのが分かるのか? 凄いなお前のご主人様」

「鏡を持ってるのがコウ様なの」

「鏡?」


 確か、三種の神器の一つが鏡ではなかったか。


八咫鏡やたのかがみだよ。僕の口の中は、八咫鏡の反射する光が満ち溢れた空間に繋がってるの」


 やっぱり三種の神器だ。草薙剣に続き鏡まで出てくるとは、これぞ正に神話の世界である。


「なあコウ、三種の神器ってあと何だったっけ?」


 鏡と剣はよく聞くが、もう一つが思い出せない。すると、みずちが赤い目をキラキラさせて亮太の胸の上にある勾玉を見て首を傾げた。


「何言ってるの亮太。亮太が始めから付けてるじゃないー」

「は?」

「それ。八尺瓊勾玉やさかにのまがたま

「へ!?」


 みずちが初めて亮太より少し偉そうな態度をとった。


「亮太知らないのー?」

「……俺あそんな説明一切受けてないぞ」


 ポン、と狗神に渡されたから身に付けていただけだ。それに狗神も口に咥えたりと扱いは相当雑だった。まさかそんな扱いを受けた物が三種の神器の一つなど思う方がどうかしているだろう。


「鏡と勾玉はよういんついになってるの。だから八岐大蛇を封じているアキラ様は陰の勾玉を、草薙剣の鞘の僕のご主人様のコウ様は陽の鏡を持ってたの」


 だからの理由がよく分からなかったが、まあ何かしら亮太の計り知れない理由があるのだろう。


 何だか急にみずちが神の使いの様に輝いて見えてきた。事実神使なので神の使いで間違いないのだが、いつも亮太にくっついて回るこの小さな可愛らしい白蛇が急に大人びて見えてしまった。


「俺はお前達のこと、全然分かってないんだなあ」


 思わず溜息をついた。なんせ多少不思議なことが起こっても、亮太の目には「そういうものなのだ」としか映らないのだ。後で常識と照らし合わせてみて、これは何だか普通と違うぞ、そう思った頃には常識と違う方が当たり前になってしまっている。我ながらもう少し疑えばいいのにと思うが、信じてしまうのだから仕方ない。


 狗神に散々騙されやすいとか信じやすいとか単純だとかお前言い過ぎじゃないか位あれこれ言われたが、確かに冷静に考えてみると、よく今まで一度も騙されなかったものだ。


 ふと亮太は一つの可能性に思い至った。



 もしかして、騙されても気付いていなかっただけなんじゃないか? と。そうだったとしたら、なんて間抜けなんだろう。


「亮太ー?」


 みずちが心配そうな声で亮太を見つめた。しまった、つい考え込んでしまった。


「わりい、何でもねえよ」

「心配しなくても大丈夫なの。亮太はねー、いっぱい護られてるから大丈夫ー」

「いっぱい?」


 護られてる? 狗神とかにだろうか?


「皆にこにこ、だから大丈夫なの」

「にこにこ?」


 アキラも狗神も大して笑いやしないし、目の前のみずちだってそもそも蛇だから笑顔にはならないが。


「だから早くコウ様に会わせたいの」


 みずちはその光景を想像したのか、うふうふとはしゃぎ出した。


「亮太、きっと仲良くなれるのー」


 コウ、という位だから男なのだろうが、みずちが合うというならば合うのだろう。あ、また素直に信じてしまった。


 ただ問題が一つだけある。亮太は真剣な表情でみずちに尋ねた。


「コウのご主人様は阿呆みたいに食ったりしないだろうな?」



 次の休みの日、一行は今度は小田急線梅ヶ丘駅から程近い羽根木公園にいた。この日は気温が一気にぐっと下がり、アキラは先日購入していたガーリーな裾が広がっているクリーム色のコートを着ているが、蓮は犬だけに寒さに強いのか、シャツにブルゾンを羽織っただけで平然とした顔をしていた。


「亮太、僕寒いの」


 元々は亮太のミリタリーコートのポケットにいたみずちだが、寒いと訴えるので一枚内側に着ているネルシャツの胸ポケットに移動させたところ、そこでも寒いらしい。亮太は更に内側のロンTの胸ポケットにみずちをそっと移動させ、みずちに聞いた。


「今度はどうだ?」

「亮太あったかーい」

「ならよかった」


 蛇は思ったよりも寒がりらしいが、服を着せるわけにもいかない。カイロなど当ててもいいものなのだろうか。冬になったらみずちの寒さ対策を考える必要がありそうだった。


 羽根木公園の入り口から階段を登っていく。春にはここは一面の梅が咲き誇るのだが、今はその面影は全くない。ここを登り切ると広い広場へと出る。代々木公園や駒沢公園程広くはないが、子供用の手作りの遊び場や運動場もあり、なかなか充実している公園だ。


「レン、あれの気配はするか?」


 ここは唯一残された手がかりである。ここが空振りだと、後は闇雲に探す必要が出てきてしまう。それは亮太にとっては実は悪いことではなかった。皆が亮太の家に居候する期間が長引くことになる。ここに来るまでは、何度もそれでもいいかな、と思ってしまっていた。


 でも、そうこうしている内にまたタケルの様に悪影響を受ける人間が出てきてしまう可能性が高い。もしかしたら実際にもう何人かにそういった被害が広がっている可能性もあった。その可能性に気付いた後は、ニュースをそれなりに気にするようにしていた。今の所それらしきニュースはないが、大事になっていないだけな可能性もある。早く諸悪の根源を断つ必要があった。


 大元の原因を断てばそういった被害に合っている人達も正気を取り戻す、とは狗神の言葉だ。



 自分の我儘で被害の拡大を引き伸ばす訳にはいかない。それが例え皆との別れを早めることになったとしても。



 蓮が睨みつける様に階段の先を見つめた。この表情は。


「――います」


 蓮がきっぱりと言った。

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