第8話 二人揃って綺麗好きはストレスフリー
部屋はアキラも使って拭き掃除も掃除機もかけ終わった。洗濯物は、雨がぱらつき始めたので室内干しにした。
一日では乾かなそうな量になってしまったが、まあ仕方ない。今後はもう少し洗濯回数を増やしていくしかないだろう。
亮太は満足し、腕組みをしつつ部屋を見渡した。部屋も片付きスッキリ綺麗だった。
「よし!」
横を見るとアキラも同じ様に腕を組んで頷いていた。
「お前も綺麗好きか?」
「ん」
「それはいいことだ」
「亮太は相当だけどね」
「そうか?」
まあ、でもそうかもしれない。
母子家庭育ちの亮太の母は毎日が忙しく、だけど所々不器用で。見かねた亮太が見よう見まねで家事をやる様になったら、何と亮太の方が圧倒的に家事全般に向いていた、ただそれだけの話だが。
「ガキの頃からずっとやってたからな、年季が違うんだろうな」
「へえ」
興味があるのかないのか微妙な返答だったが、まあこんな子供と必要以上に馴れ合ったところで、だ。亮太は話題を変えることにした。
「で、昼は何食いたい?」
「うーん、和食がいい」
「和食ねえ。……そうだ、首はどんな感じだ?」
亮太が聞くと、アキラは少し顎を上げて見せた。昨日よりは大分マシになっている。青黒い部分がまだ痛々しそうだったが、昨日は帯の様になっていた側面の赤い痕はなくなっていた。若いだけあって回復が早いのだろう。そういえば声も普通に出ているようだった。
「絆創膏貼れば外に出ても大丈夫かもな」
「外、出てみたい」
まあそりゃそうだろう。ずっと家にいても腐るだけだ。亮太の家にはゲームもない。漫画と小説はあるが、大体が男向けだ。少女向けではなかった。
「じゃあ、飯食いがてら外に出て、夕飯に食う物も買って、ついでにアキラが暇つぶし出来る様な物を買うか」
「亮太は計画的だね」
くすりとアキラが笑った。
「時間は有限だからな」
「哲学的」
「そんなんじゃねえよ」
常に時間に追われる母を横で見てきた。あれもやりたい、これもやりたいと言っていたものを殆ど手をつけることなく、慌ただしくこの世を去ってしまった。
きっと今頃あの世でもせかせかと走り回っているに違いなかった。
「あ、そうだ。さっき隣んちの学生にお前のこと宜しくって言っておいたから、俺がいない時どうしようもなくなったら隣んちに聞きにいけ。後で紹介するから」
「分かった」
それともう一つ、釘を刺しておかないといけなかった。
「お前は俺の姪っ子ってことになってるから。ちょっと色々あって俺が面倒みてる。だけどここは一人暮らし用のアパートだから一緒に住んでるのがバレると拙い。……分かるか?」
「ん。まあ誤魔化せってことでしょ」
「その通り」
アキラが阿呆でなくて本当によかった。これで何を言っても通じてるんだか通じてないんだか分からない奴だったら、恐らく亮太はたった一日でも耐えられなかっただろう。
多分、アキラは割としっかりと躾けられて育っている。
一体誰が何の為にアキラの首をこんなに痕がつくまで締め付けたのかは分からないが、この性格からいっても家族からではない様な気がした。
このアキラのさっぱりとした性格と
亮太は押し入れの一角にきちんとしまってある救急箱から、大判の絆創膏を取り出した。
「髪どけておけ」
「ん」
亮太は絆創膏を半分剥がし、アキラの細い首の痣が一番酷いところにペタリと貼った。少し離れて確認する。まあ、問題ないだろう。
しかし近いとぼやけてよく見えない。この老眼がまだ序の口だと思うと薄ら寒い恐怖を感じた。
「よし。じゃあ行くか。飯食ってから合鍵作りに行って、それからお前の暇つぶしを探そう」
「ん」
亮太は着ていたTシャツの上にネルシャツを羽織ると、今回の旅行で大分汚れてしまった元は白かったコンバースのバッシュを履いた。勿論踵は踏まない。靴がすぐ悪くなってしまうのは勿体ない。
たたきでアキラが新品の靴を履く。紐の調節に時間がかかりそうだったので、亮太は先に表に出て待つことにした。
そしてふと気付く。もうしばらく煙草を吸っていない。いつもならイライラしてしまってすぐ手が伸びてしまうのだが。まだ子供のアキラと一緒にいるから自制が働いているのかとも考えたが、特にそういったことを思った記憶もない。
いつから吸ってない? 亮太は思い返してみた。島根を立つ時、最後に吸った。それきりだ。
煙草は三日吸わないと次は三週間目に山が来て、最後に三ヶ月目に欲求の山を迎えてその後は止められると聞く。一昨日の午後に吸ったのが最後だから、もう二日吸っていないことに今の今まで気付かなかったということだ。そんなことがあるのだろうか。
煙草は金がかかる。身体にも悪い。いいことなど何もないのは分かっているので、このまま止めれるのならば是非とも止めたかったが、何とも不思議なことだった。
そういえば。
亮太はタケルの家の薄汚れたドアを叩いた。
「おーいタケル」
耳を済ますと、バタバタと走ってくる音がした。ガチャ、と玄関のドアが開き、タケルが顔を覗かせた。口にパンを加えている。お前は少女漫画か。
「ひゃい?」
すると丁度いいタイミングでアキラが支度を終えて出てきたところだった。チラリと切れ長な瞳でタケルを見ると、タケルはピン! と急に姿勢を正した。亮太にとってはただのガキでも、もしかしたらタケルにとっては十分恋愛対象になるのかもしれない。考えてみれば四歳しか違わない。その可能性に気付き、亮太はもしかして失敗したか? と危ぶんだ。
「……手を出したら殺す」
亮太は先手を打った。よそ様の預かりもののお嬢さんを自分の失策で傷物にでもしてしまったら、悔やんでも悔やみきれない。
亮太は遠慮なく凄んだ。それがどれだけ人相が悪く見えるのかは大体理解しているつもりだった。
そして十分効果はあった。
「手なんか出す訳ないじゃないですか! な、何言ってるんすか亮太さんてば!」
タケルはパンを手に持ち、大慌てで両手を左右に振った。パンの中身のクリームがタケルの家の中に飛んでいったのが見えた。勿体ない。
「さっきも言ったし、見ても分かると思うけど、まだ子供だからな」
「だ、大丈夫ですって! 僕こう見えてもまだ童貞ですし、そんな度胸ありませんて!」
どんな告白だ。
「……こう見えても何も、そうとしか見えないけどな」
亮太が冷めた目でタケルを見ると、タケルは自分の失言に気付いたらしかった。みるみる顔が赤くなり、俯いてしまった。
悪いことをした。まあ、だがいい牽制にはなっただろう。
亮太はアキラを振り返った。
「ほら、こいつがさっき言ってた隣んちの奴だ。タケル……何タケルだっけ」
「酷いなあ亮太さん。
「表札がないから分かんないんだよ」
「防犯の為です」
俯いた時に下がってしまった眼鏡をくい、と上げて、タケルは改めてアキラを見た。今度はちゃんと年長者としての笑顔だった。全く。
「初めまして。いつも亮太さんにはお世話になってます。姪っ子ちゃんなんだってね? お名前は?」
「……アキラ」
微妙な表情を浮かべ、アキラが答えた。まあ、気持ちは分からなくはない。
だがタケルは、アキラのそんな素振りには気付かなかった様だった。幸いなことに。
「アキラちゃん、何か分からないことがあったら、遠慮なく声かけてね。まあ大体は家にいるから」
学校行けよ、という言葉は飲み込んだまま、とりあえず顔合わせも出来たので亮太はアキラに声をかけた。
「アキラ、じゃあ行こうか」
「ん」
「じゃあなタケル」
「はいー。また」
アキラがアパートの出口の方に向かった亮太の後をついて行こうとしたが、ふ、と足を止めてタケルを振り返った。
「……ちゃんと向き合った方がいい。他人を妬んでも何もならない。自分は自分だから」
タケルの目が見開かれた。
「ア……アキラちゃん?」
「今なら間に合う」
感情が読めない表情でアキラが言った。タケルの口が震えた。
「間に合う……? 本当?」
「今ならね」
それだけ言うと、アキラは前に向き直り亮太の方に駆け足で向かった。
「アキラ、今のは何だ」
「何でもない」
亮太が訝しげに目を細めるが、アキラはそれ以上答えなかった。ただひと言。
「
「シモキタに割子蕎麦はねえよ」
亮太はそれ以上触れず、街中へと足を向けたのだった。
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