第3話 お前居候の癖に随分と態度がでかくないか
ふと合鍵すらないことに思い至った。またやることが増えた。亮太はまた溜息をついた。いつになったら寝られるのか。
ドアノブか軽く回った。アルミなのかステンレスなのかは知らないが、勿論ここも安物だ。
「戻ったぞ。おい、居るか?」
作りが古いアパートだ。玄関を入ると狭いたたきがある。たたきというのか土間というのか何というのが正解かは知らないが、亮太はこれをたたきと呼ぶと言われて育ったからたたきだ。靴は三足も置いたらもう一杯になる程度である。
たたきで靴を脱いですぐ右には、古びたステンレスの背の低いキッチンと呼ぶにはおこがましい台所。それでも六畳あるので、この辺りでは十分広い方だ。置型の二口コンロは焦げがこびりついている。所々ボコボコに歪んだシンクは昭和感満載で、勿論お湯など出ない。水一択、しかもひねるタイプの蛇口だ。
ひとり暮らしには十分な60リットルの冷蔵庫。一応冷凍庫が上段に付いているが、
台所の奥にはトイレと風呂場がある。ボロいがバストイレ別になっているのが古い物件のいいところである。一度ユニットバスが付いた部屋に住んだことがあったが、トイレにシャワーの水がかかるのがどうしても耐えられなくなり、結局更新せず引っ越してしまった。
台所とリビング兼寝室を隔てるのは昔ながらの模様付き摺り硝子がはめ込まれた戸。時折滑りが悪くなると木枠部分に
ガラガラ、と音を立てて戸を開けた。
十畳ある部屋には
これで全部、つまり1DK。広い。古いだけあって天井は低く心なしか床も斜めになっている気はしないでもないが、一階なこともあり更に店のオーナーの幼馴染が所有する物件ということで破格の家賃五万円。隣の学生が七万はきついとぼやいているのを聞いた覚えがあるので、やはりコネは重要だ。
「……おい、態度でかいな」
少女は泥だらけの服のまま床に寝そべり、マットレスに腕を乗せて腕枕をしながらテレビを観ていた。昼のくだらないバラエティ型の情報番組だが、何か面白いことでも言っているのかニヤニヤしながら観ている。亮太が声をかけると、笑顔を貼り付けたまま振り返った。次いで軽く手を上げた。おい。
亮太は服と下着が入った袋を渡した。
「買ってきたから風呂入れ。というかその汚え服で俺んちに寝そべるな」
少女は何も言わず、まあ声が出ないから仕方ないのだろうが、ガサゴソと亮太が買ってきた袋を漁り始めた。確認が終わると亮太を見上げ手をチョキチョキさせた。
「ハサミか、そうかタグ取ってもらえばよかったな」
そこまでは気が回らなかった。押入れの上段に確かあった筈だ。こちらも建て付けは悪いが蝋を塗ってある。すっと開けて確認する。あった。
「ほれ」
少女にハサミを手渡した。少女は素直にハサミを受け取ると全てのタグを取り始めた。
「ゴミ箱はテレビの横にあるやつを使え」
こくん、と頷いた。
「じゃあ風呂沸かしてやるから、もうそこに寝そべるな。家中泥だらけになる」
亮太がそう言うと一瞬不満げな表情をしたが、しばらくして頷いた。亮太はそれを確認した後、風呂場に向かった。こちらも自動湯沸かし機能などついている訳もない古い物だ。給湯器のスイッチを押すと、ボッと中で点火される。蛇口もお湯と水それぞれ別だが、シャワーは付いている。
普段はシャワーしか浴びない亮太だが、湯船にお湯を溜めるにはやはり蛇口の方からでないと追いつかない。調整がなかなか難しいのだが、まあ昔はみんなこんなだったと思えば大したことではない。
それにあの泥はシャワーではなかなか落ちないだろう。中途半端に溶けた泥が付着した状態で部屋を彷徨かれるなど、御免だった。あいつよくあんな汚れた状態で寝そべってテレビ観れてんな、と亮太は感心した。亮太にはまず無理だった。
しばらく洗っていなかった風呂釜を、床に置いてある風呂用洗剤を使って洗う。食器用のスポンジを流用しているので洗剤が直に肌に触れるが、まあ。
なんせ何代も使用した風呂釜だ、いくら洗ってもどこかの段階でついてしまった汚れの線はもう消えない。その為に用意したのが入浴剤、濁りタイプだった。
亮太は、ゴシゴシと風呂釜を洗いシャワーで洗い流す。風呂釜の栓をすると、お湯の蛇口を捻った。次いで水の方の蛇口も捻る。そのまま時折手を張った湯に浸け温度を確認しつつ、調整していった。
しばらくぼーっと溜める湯船をただ眺めていた。一度仮眠を取ったとはいえ、山陰の山を下り岡山から中国自動車道、更には東名高速をひたすら一人で飛ばしてきた。さすがに限界に近かった。
ガクッとなった瞬間、お湯が湯船ギリギリまで昇ってきていたことに気付き、慌てて蛇口を閉じた。危なかった。
亮太は立ち上がるとリビングに戻り、少女に声をかけた。
「おい、風呂沸いたから入れ」
少女は先程亮太が言ったことを一応守っているのか、正座してテレビを観ていた。亮太の声に振り返ると、またニヤリとした。
亮太はふと思った。こいつ、もしかしてこれで微笑んでいるつもりなのか? 先程からやたらとこの顔をしてくる。どう見ても何か企んでいる笑顔だが、そう考えるとしっくりときた。
少女が風呂場に消えていった。そういえば使い方の説明をしていなかったが、もう半分どうでもよくなっていた。
「ふわあああっ……」
大きな欠伸が出た。
先程少女が寝そべっていた場所は避け、亮太はマットレスに頭を乗せて床に寝そべった。身体が限界だった。
目を閉じると、瞬時に睡魔が襲ってきた。
◇
ぺちん、と頭を
亮太はイラッとした。一体誰だ、人の頭を気安く叩く奴は。目を開けたい。開けたいが瞼が重すぎて開かない。
ふん、という鼻息が聞こえた。
段々と意識が覚醒してくる。そうだ、あれだ、あの生意気そうな子供。あいつがきっと風呂から上がったのだ。
身体も頭も床に沈んでのめり込みそうな程だるかったが、無理矢理目を開けた。
目の前に先程亮太が買ってきた服を着た少女が頭にタオルを巻いて不機嫌そうに亮太を覗き込んでいた。
「……どうした。何か用か?」
少女はこっくりと頷いた。喉についた指の跡はまだまだ痛々しい。こんなのを外に連れ出したら疑われるのは間違いなく亮太だろう。
少女が喉に手を当てながら「んん!」と声を出した。多少は声が出る様になったのか。
「お腹空いた」
痛そうな掠れ声で言った。いいタイミングで少女の腹がぐう、と鳴った。成程、確かに亮太も腹は減った。
「何食いたい? 下北は割と何でもあるぞ」
「シモキタ?」
「知らねえか?」
少女は小さく頷いた。一体どこから乗り込んでいたものやら、だ。声が普通に出る様になったら確認さねばなるまい。
「マクドナルド食べたい」
「マック? 分かった、それで何が食べたいんだ?」
可愛らしい注文だ、これならお安い御用だった。だがしかし少女は首を傾げた。
「食べたこと、ない」
「マック食ったことねえのか? 何だ、いいとこのお嬢さんか」
まあ小判も持っているくらいだ、そう納得していると。
「違う。マクドナルドは、ない」
成程、つまり存在は知っているが近所になかったので食ったことがないということか。まあ下北沢の名前も知らない田舎から来たなら十分あり得るのだろう。
「分かった、じゃあ適当に買ってくる。あ、そうだ、お前名前は何だ? 俺は亮太だ、
少女は口を開けた。やはり声が出にくいのか、軽く咳払いをする。そして答えた。
「アキラ」
「分かった、アキラだな。じゃあまた留守番してろ。外に出るなよ、その首じゃ職質されかねねえから」
少女が頷いたのを確認し、亮太はまた外に出た。
アパートの前の坂道を、久々にテリヤキバーガー食いてえな、などと思いながら下っていく。
そしてふと気付いた。
自分のこのフットワークの軽さ。こりゃあパシリじゃねえか? と。
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