第3話-4 はせる想いの限界は
ジリリリリリリリリリ。
目覚ましが鳴る。ベッドの中から左手を伸ばし音を止める。上半身を起こし、目覚めていない自分の体を必死の思いで動かして階下へと歩を進めた。
リビングの机には母親だけが座っていた。
「おはよう、夏。朝ごはん出来てるわよ」
いつものように椅子に座り、手を合わせ、箸を動かし始める。
昨日の午後八時ごろ、
テレビに目を向ける。朝から悲惨なニュースとは、なんとも気分が悪い。
「怖いわねぇ。尋島はまぁ遠いからここまで犯人が来ることはないと思うけれど。死者一名だって。刃物で刺されたのかしら。痛かっただろうねぇ」
ぼそっと呟いた母の言葉を耳がキャッチする。なぜか、一つの言葉が頭の中で反響した。
“痛かっただろうねぇ”
それはそうだろう。当然のこと。なぜ気になっているのか自分でもはっきりしない。身の回りのことと関係が何かあるのか。あるとすれば、宮内のことか……?そういえば、宮内が屋上にいるのを見た日の朝も……。
思いついたのは一つの仮定。これが正しい確率が果たしてどれほどであろうか。そんなバカな話がと自分でも思う。しかし、これなら、全部説明できる。
時間を確認する。七時すぎ。食べるのを止め、大急ぎで貴田と北西に連絡を入れ、家を飛び出す。
「ちょっと夏!どうしたの!?」
「ごめん!すぐ戻ると思う!」
すべて自分の杞憂であれば一番良いが、その可能性が少しでもあるなら、それを潰すしかない。しかし、果たして潰すことが出来るだろうか。間に合うだろうか。
宮内が飛び降りるまでに。
息を切らせながら学校の校門を抜けると、ちょうど後ろから貴田が自転車で横に並んできた。そうだった。自転車で来ればもっと早く来れた。頭が回らない自分に舌打ちする。
「思色!どういうことだよ!何か分かったのか!?」
「説明してる時間ない!とにかく屋上いくぞ!」
二人で階段を駆け上がる。心臓の脈打つ音が全身に響く。これは走ってきた影響か、緊張しているからか。ドアノブに手をかける。手首を回して力を込めて押すと、さして抵抗も無く、外の景色が見え始めた。
目の前に広がった、なにも無いただの屋上。誰もいないはずの屋上。
「宮内!!」
視界には手すりの前に立つ女子生徒が映る。杞憂であって欲しいと願っていた僕の考えは裏切られ、そこに宮内の姿を見たことで思いついた仮定が現実味を帯びてきた。
後ろから階段を駆け上がってくる音が聞こえ、北西が現れた。
「みやっち!何してんの!!」
「先輩…?こんなに朝早くからどうしたんですか?」
まるで、いつもの教室の中にいるみたいな言葉。しかし、ここは屋上。本来立ち入ることは無い場所。宮内が飛び降りようとしていた場所。
「宮内が飛び降りる気がして、急いで来てみたんだけど。こんな朝早くに居るってことは、そのつもりなのか?」
「……勘がいいですね。そうですよ。飛び降りようとしてます。一度先輩たちに止められて、この1週間付いて回られて、なんだこの人たちはって最初は思って。でも楽しかったです。本当に」
「じゃあ、なんでだよ。飛び降りる必要なんて無いだろ」
「分かりませんよ、先輩たちには。私個人が原因みたいなものですから。説明するとすれば、単純に辛いんです。私が生き続けることは、死に続けるようなものなんです。だったら、一度死んでしまえばそれで終わりなんです」
宮内の言葉を聞いて、確信した。死にたい原因。宮内自身が持つ能力。しかし、分かったところで解決策があるかどうかが問題なのだ。
「私たちに助けられるものじゃないの?確かに分かんないけど、何でもするよ!」
「……ありがとうございます。その気持ちだけで十分嬉しいです。でも、飛び降りる理由も見当つかないでしょう?もう、終わりにさせてください。ご迷惑になりますから、すぐに屋上から出て行って下さい。面倒くさいことになっちゃいますよ」
宮内は僕たちから視線を外し、手すりの向こう側へと目をやる。全てを諦めたような、意思の強い眼に見えた。このままでは本当に、飛び降りてしまう。どうにか。どうにかしなければ。そんな思いが頭を巡るが、打開策は浮かばない。とりあえず、1秒でも長く足止めをするために口から言葉を流す。
「分かるよ。飛び降りる理由。想像力だろう?」
「え?」
宮内の首がこちら側に再び向き、一度外れた視線が戻ってくる。左右にいる貴田と北西からも視線を感じる。何も説明をしていないから当然といえば当然だろう。二人は宮内の飛び降りる理由について何も思い浮かんでいないのだ。
「申し訳ないとは思ったけど、色んな人から宮内のことを聞いて回ったんだ。そうしたら、一つも自殺したくなるような噂は出てこなかった。少しだけ人間関係が苦手な女子高生って印象だった。でも、僕たちと一緒に遊んだときは少しもそんな感じは受け取れなかったんだ。それが少し疑問だった」
三人の注目を浴びる。人前で何か話したりすることは得意ではないが、そうも言っていられない。
「聞いた話では、宮内は入学当初は一人では無かったんだろう?それがグループの人と馬が合わず、一人になった。その原因が、空気を読めないこと。具体的に言うと、人の悪口や愚痴に合わせられない事だった。それと、山本先生の出す現代文が苦手」
「はあ?お前、なんで山本先生が関係あるんだよ」
空気を読まず、貴田が横やりを入れてくる。とりあえず無視。
宮内の様子を窺うと、こちらを見つめ何も言い返してくる風では無かった。僕の推理、いや当てずっぽうが以外にも的を射ていたということか。
「ここまでだと、どこにでもいそうな生徒だ。でも、このことが自殺の原因と繋がったのは今朝、ニュースを見た時からだ。ふと、宮内を屋上で見かけた日の朝のことを思い出した。その日は、事故のニュースをやっていた。そして今日、殺人事件に関するニュースをしていた。ここまでの情報を一つに繋げると、思いついた力は想像力」
「いろっちどういう事?想像力って、そんなの私にだってあるよ」
不思議そうな顔で北西が問いかけてくる。
「想像力っていうより、そうだな、感受性力って言った方がいいのかな。人の痛みを想像して、あたかも自分が受けた痛みとしてしまうんだ。僕たちでさえ、人の怪我を見た時に痛そうだなって思うだろう?宮内はその想像するレベルが違うんだ」
宮内は黙ったままこちらを見てくる。肯定はしないが否定もしてこない。
「だから、人の悪口を聞いただけでも辛い気分になる。一度ならまだしも、それを日常的に聞くくらいなら、一人でいた方がいいと思ったんだろう?それに、現代文の成績が悪いっていうのも、山本先生はミステリー好きだから。当然、話のなかでは事件が起きるだろう。そして、一週間前の事故のニュース。重症の被害者がでた。さらに今日にいたっては死亡者だ。そんな痛みを常に想像してしまっていたら、それは死にたくなるのも当然だ」
「……凄いですね。驚きました。そんな事柄から突拍子もない私の秘密にたどり着くなんて。でも、それなら理解したでしょう?どれだけ生きることが辛いか。何度も死ぬような痛みを感じるくらいなら、一度本当に死ぬ痛みを味わえばそれで終わるんです。あと一回だけで良いんです」
これが問題だった。原因が分かったところで対処法がなければ意味がない。宮内が想像する痛みを僕たちは共感することは出来ないのだ、どうあがいても。何を言っても、そこに説得力は無い。それでも、止める権利が僕たちにあるのだろうか。
「なんだ、そんなことだったのか」
「え?」
隣から軽い調子の声が響いてきた。貴田の顔を見ると、いつもの飄飄とした雰囲気がそこには漂っていた。
「そんなこと……?話を聞いていたの?私の辛さを体感しない安全圏から悠々と口を開くんじゃない!!」
怒号が飛ぶ。眉間に皺を寄せた宮内が睨み付ける。しかし、貴田はそれを気にする風でもなく、次の言葉を紡ぐ。
「辛いだろうな。体感は出来ないけど、想像はできるさ。でもな、俺たちといたこの一週間は楽しくなかったか?一緒にいた時お前はよく笑ってたぞ」
「それはそうだけど……」
「想像できるんだろ?楽しさも」
空気が止まる。宮内の表情を窺う。宮内自身も理解していないような呆けた表情をしていた。
「……どういう事だ?」
「気づかなかったか?まぁ本人もよく分かってないようだな。俺たちと一緒にいて明らかに楽しみすぎていた。まだ知り合ってすぐだというのに、かなりの笑顔の数だと思わなかったか?」
「まあ……。確かに楽しんでくれているなとは思ったけど」
「ついさっきまでは俺もその程度だったけどな。お前の話を聞いて考えが変わった。想像力が辛さの原因なら、楽しさの原因にすることも出来るだろ?どうやら自覚症状はないみたいだけどな。まぁ、自ら独りぼっちでいたから気づくチャンスも無かったんだろ。断言してやるよ。お前は楽しさも想像できるんだよ宮内」
急に風が吹いた。それは来ていた服の中に入り込んで、汗ばんでいた肌の上を通り抜ける。心地よさを感じ、体温が下がると、自分の頭の中も冷静になってきた気がした。緊迫感で満ちていたはずの屋上に柔らかな空気が流れ始める。
風向きは変わった。
「そんな……そんなこと。だって、辛いことばっかり覚えてる。感じてる。楽しさなんて……」
「誰だって辛いことの方が想像しやすいもんだろ?お前だって一緒だ。特にその力だもんな。でもな、想像しやすいことに目が行きすぎだ」
困惑。宮内の表情は硬い。信じられないでいるのだろう。
「宮内。僕たちと一緒にいればいい。せめて貴田の言うことが事実かそうでないのか、わかるまで一緒にいよう」
「そうだよ!楽しいよ!楽しかったじゃん!」
せっかく僕が言葉を選んで発したというのに、なんともまぁ雑な説得だろうか。しかし、こういう場面では感情に頼る言葉が一番なのかもしれないと北西の言葉を聞いて思う。宮内も迷いが生じ始めているように見えた。
「でも……」
「でもじゃない!まだまだ遊びたいよ!みやっちが居なくなったら私が楽しくないの!だから一緒に居て!」
「ぶっ」
貴田がつい噴き出す。危うく僕も声が出そうだった。人を説得するのになんとも自分勝手な理由なのか。でも、だからこそ、そこに嘘偽りがないことが分かる。北西は心の底から宮内と一緒にいることを望んでいるのだ。
「何笑ってるの貴田っち!頑張って説得してるんだよ!?」
「いやいや、ごめんごめん」
「ふふっ」
笑い声。僕たち三人のものではない。となると、他に屋上にいるのは一人だけだ。
「あ!やっと笑った!」
かなり久々に見た気がする。宮内の笑顔。先週も見ていたはずだが、それがとうの昔のように思えた。
「やっぱり、先輩たちといるのは楽しいですね。先輩の言っていた仮定も合っているのかもしれない」
「じゃあ、決まりだな。ほら、もう教室でも行くぞ」
「頑張って私を楽しませてくださいね、貴田先輩」
「おーおー。その感じ戻ってきたな。勝手に楽しんどけ」
空気が軽い。息を吸い込み、体内に酸素を取り込む。いつも吸い込んでいるはずの空気に今日は味を感じた。
放課後。いつも通り僕たちの教室でだらだらと過ごしている。いや、一ついつもと違うことがあるとすれば、今日はこの教室の中に四人いるということ。
「貴田先輩、スマホで何してるの?」
「ゲーム」
「なんのゲームかって聞いてるの」
貴田はもう宮内に敬語を強制することはしないらしい。というより、諦めたそうだ。まぁ、喧嘩するほど仲がいいって言葉もあるくらいだし、なんだかんだ楽しくやっているようだから本人が良いなら口を出すことではないだろう。
「ところでさ、疑問だったんだけど、宮内はどうやって屋上の鍵を手に入れたの?」
「確かに!私も気になる!!鍵あったら屋上で遊べる!!」
「屋上で遊ぶことなんて無いだろ」
貴田が手元から視線を離さないまま呟く。
「あぁ、鍵ですか。うーん。言っていいのかなぁ」
「大丈夫大丈夫。俺たち口堅いから」
またもや、貴田は顔をこちらに向けないまま声を発する。耳はちゃんとこちらの会話に傾けているらしい。
「全然そうは見えないんですけど。まぁ、いいか。一応、内緒ですよ」
「うん。分かった。約束するよ」
宮内は少しだけ躊躇った様子で、しかし、はっきりと口にする。
「里崎先生から貰ったんです」
……三人とも唖然としている。貴田でさえ今は視線を上げて宮内に目を向けていた。
「里崎先生……?いやだってあの人は宮内を助ける手助けをしてくれたんだよ?」
「え、そうなんですか?一か月くらい前ですかね。私は保健室によく言ってたんですよ。教室にいても話に入りたく無いし辛いし。それで里崎先生もなぜかよく来てて」
「あー。あいつは南戸(みなみど)先生目当てだろうな」
南戸先生は保健室の先生で、山本先生のような美人のタイプではなく、可愛い方だ。年齢は誰も知らず正確な情報は無いが、かなり若く見える。見た目は二十代前半、もしかすると十代でも通りそうな童顔だが、この学校に既に数年はいるという話がある。
「それで、何回か顔を合わせていたんですけど、南戸先生が留守のときに、何悩んでいるんだ?って声をかけられて。黙っていたら、もう嫌になったのか?って。どういう意味で里崎先生が言ったのかは分からないですけど、頷いちゃったんですよね。そしたら後日、屋上の鍵をいただいたんです」
「はぁ?なんだそれ。元から宮内の能力を知ってたってことか?しかも自殺補助って。かと思いきや今回は俺たちの肩を持ってくれたし、何がしたいんだ」
貴田が両掌を後頭部に添えて天井を見上げる。腑に落ちる答えを模索しているようだが、言葉が続くことはなさそうだった。
「きっと屋上に行けば悩みなんて消えちゃうと思ったんだよ!」
「……馬鹿と煙は高いところに行くらしいな」
「何それ!みやっちのことを馬鹿呼ばわりなんてひどい!!」
「そうじゃねぇよ」
二人のやりとりを眺めながら、僕は一つの仮説を立てていた。以前から、どうやって宮内が屋上に入れたのか気になっていた。生徒が屋上の鍵を手に入れることは難しく、先生が関与しているのではないかと考えていた。結局はその予想は当たっていたわけだが、そのことに気を取られ、もう一つの違和感に気づけなかった。
どうして、一年生である宮内が三年生の校舎の屋上にいたのか?
これは、ただの予想。というより希望だろうか。里崎先生が宮内を助けたいと思っていた。そういう僕自身の希望が幾分か混じっている。その上での、予想。
恐らく里崎先生は、宮内が悩んでいる原因の能力を知っていたのであろう。それを解決するために必要なことは今回僕らが取ったような行動。つまり友達が不可欠であったと思う。
それをつくり出すのは先生という立場からはかなり不可能に近い。他の生徒に口利きをして無理矢理に友達をつくった所で、そんな関係は宮内の能力からしたら逆効果にしかならない。
だから、僕たちに賭けたのだ。
里崎先生は僕たち三人がほぼ毎日、放課後は教室で時間を潰していることを知っている。集まる席は僕の周りであることも知っている。そして僕の席は窓際であることも。窓からは隣の三年生の校舎の屋上が良く見えることも。
懸念材料としては二年校舎側に飛び降りるかどうか。しかし、反対側は学校敷地外だ。夕方は人通りも多く目撃される可能性も高い。もう一つ屋上のドアの正面側も校門の方面であるため同様だ。といっても可能性は無いわけではない。そこは本当に賭けだったのだろう。もしくはそれに備えて他に手を用意していたのかもしれない。
それに加え、場所を提供することで、宮内の自殺場所を無意識のうちに限定させた。ただ死にたいだけなら、学校の屋上である必要はない。しかし、鍵を手に入れてしまった。誰もいない、誰も来ることのない場所の鍵。だから、今日の朝だってきっと、わざわざ家を飛び出して学校まで来た。それがいつのまにか指定された自殺場所になっていたから。
「いろっち!話聞いていた?ボウリング行くよ!」
北西の声でこれ以上の思考は遮られた。僕が一人で色々考えている内にいつのまにか遊びに行くことに決まっていたらしい。真実は分からない。知りたければ里崎先生本人に聞くしかない。しかし、知る必要もないだろう。結果として、宮内の自殺は未遂に終わった。何も問題は無い。変に首を突っ込む必要は無い。
「うん。行こうか」
荷物を持って、僕たち四人は教室を出た。いつも通り校庭から野球部の声が聞こえてくる。いつも通りの何気ない会話をしながら、いつも通りの空気を味わう。いつもと違うことと言えば、人数が一人増えたことだけだ。
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